40.かくして明けの明星は覚醒した
体を包む柔らかで暖かい感触が伝わる。それはさらなる眠りを誘うようで、リーセはウールをくるんだリネンを引き寄せて寝返りをうつ。
しかし、一つの疑問が頭をよぎる。この場所は何処なのか。ふかふかのベッドの中であることだけはわかる。
昨夜なのかどうか分からないが、ノノに抱きしめられた所まではかろうじて覚えている。それ以降の記憶は途絶えていた。きっと彼女に運ばれてここで眠らされているのだろう。
魔王の宮殿に入ってから完全に時間の感覚を失っていた。
リーセは半身を起こす。ぼうっとした白い世界。この宮殿の中はどの場所でも光に包まれているようだ。
目をこすろうとして、その手に無数の毛がついていることに気がつく。
「なっ、なんじゃこりゃ!」
慌てて手をはたくとその毛はパラパラとベッドの上へ舞い落ちていった。
その落ちていく毛の先にあるふくらみを見て、さらにリーセは驚愕する。
「ひょわわわわわわ!」
彼女の横にツヴィーリヒトが眠っていた。
さらにリネンを引き寄せると彼の上半身があらわになった。
白い肌、そして盛り上がった胸筋と美しく割れた腹筋が見える。
「どどどど、どうして裸なの!」
リーセはさらに彼にかぶさっているリネンをまくる。ズボンは履いているようだった。ほっと溜息をつくが、それ以上に残念な気もした。
「ざ、残念じゃない!」
リーセは何度目かの独り言を呟くと慌てて首を振った。
自分を見失わないように、そして脳に酸素を与えて頭の中をすっきりさせるために繰り返し深呼吸をする。そして自分の置かれた状況の確認を始める。
とりあえず自分は服を着ている。何がとは考えないが、おそらく守られたと考えていいだろう。
そして手についていた毛である。今はベッドの上に散乱している。かなりの量だった。
もしかして、ツヴィーリヒトの胸毛をむしり取ったのだろうか。それにしては髪質が違うような気がした。毛は青黒い色と銀色の毛が混ざっている。もしかして、ツヴィーリヒトは髪の毛を染めているのだろうか。よくよく考えれば祖母の代から仕えていたのだからかなりの歳のはずだ。髪の毛に白髪が混ざり始めたとしても仕方がないことではないだろうか。
そう考えながら、ツヴィーリヒトの胸板にふれる。指先に彼の熱が伝わってきた。硬いが弾力もあり、そして張りがある。散乱しているものが胸毛だとしたら、むしり残しもあるかもしれない。
まじまじとツヴィーリヒトの胸板を眺める。
しかし、つるりとした肌にはそのような痕跡はない。他の部分の毛なのだろうか。
そのようなことを考えていると、ツヴィーリヒトの眉が揺れた。
「んんっ……」
彼のうめき声を聞き、リーセは自分がとんでもないことをしていることに気がついて、慌てて手を離しベッドからとびだした。
そして、床の上に毛むくじゃらの男が頭を下げ蹲っているのをみる。
その背中は、びっしりと獣毛で覆われていた。頭の部分も同じ青黒い毛で覆われている。そして尖った獣の耳が伸びていた。獣を思わせる部分はそれだけではなかった。尾てい骨の辺りから太く長い尻尾が生えていた。今は力なく垂れ下がっている。
じっと動かないことからぬいぐるみかと思い手を伸ばす。ふさふさの柔らかな毛だった。
リーセの手についていた毛は、間違いなくこのぬいぐるみのものだ。
指先からつたわるその感触を確かめるように指を埋めていくと、暖かな肌の感触にふれる。
「ひょうわっ!」
リーセが慌てて手をひっこめる。
生きていることはあきらかだった。しかし、ピクリとも動こうとしない。
「……ど、どうしてそこで蹲っているの?」
「昨夜、リーセ様が明日になればまた乗るから、ここで待機していろと」
野太い男の声だった。
「一晩中そうしていたの? ほんとうに、私が……そんなことを言ったの?」
「はい。昨夜のこと、覚えておられませんか?」
男が顔を上げる。その顔を見て息を飲む。
首から上は狼そのものだった。そして体は筋肉質な男の体形である。ツヴィーリヒトが細マッチョだとすると、彼は野太い筋肉の持ち主だ。丸太のような腕をしている。
ただ、その上半身は獣毛でびっしりと覆われていた。背中側は青黒い毛だったが、お腹側は銀髪と白い毛が混ざっていた。
青い瞳がリーセを捉える。
「き、着ぐるみ? 中の人は?」
「中の人などいません。……それにしても、あなたは本当にリーセ様ではないのですね?」
瞳はリーセの動きに合わせるように動き、言葉に合わせて口も動き、するどい犬歯もみせた。どうやら、狼の顔も獣毛に覆われた体も本物のようだ。
「も、もしかして、あなたが人狼デンメルング!」
男はその言葉を聞いて姿勢をただし、頭を下げた。尻尾がふぁっさふぁっさと揺れる。
「はっ。デンメルング、昨夜リーセ様の命令により参上しました。しかし、もっと早く呼んでいただければ、あの枢機卿も、勇者どもも私とツヴィーリヒトの力で討ち払えたものを……」
デンメルングは顔を歪めると歯ぎしりをする。
「それは解決したからもういいんだけど……、昨夜の私とは? そして私の命令とは?」
リーセは悪い予感しかなかったが、デンメルングに尋ねる。
「まさか覚えていないのですか?」
「ええ。まったく」
リーセが頷く。
「昨夜は先ず錫杖を掲げ私を呼んだのです」
「きっと、そうでしょうね。記憶はありませんが、そこまではわかります」
棺をどんどんと叩いてリーセを呼びつけるツヴィーリヒトとは違い、呼ばれないと出てこないデンメルングは奥ゆかしい性格のようだ。
「それで、魔王様の宮殿を見物すると言って私を馬にしたのです」
「デンメルングを馬に……」
「そして、リーセ様は『退屈だ』と一言仰いました」
「……」
リーセは悪い予感がした。これはノノが過去のリーセの悪行を語り始めるときに使われる枕詞だ。
「最初は私の武器である棍棒をおとりあげになりました」
「棍棒!」
「ああ、これのことです」
デンメルングはズボンの中に手を突っ込んだ。何の棍棒を取り出すつもりだと突っ込みを入れそうになったが、リーセは自分が美少女であることを思い出して、かろうじて耐えた。
そして彼が取り出したのは巨大な木の棒切れだった。
「そんなものを何処に隠していたの?」
「私のズボンのポケットは専用のマジックパックになっています。棍棒を隠しておくことが出来るのです」
デンメルングが誇らしげに胸を逸らす。
そんな便利なアイテムがあるのなら、あんな荷物を担いで歩かなくても良かったのではないだろうかとリーセは考えたが、彼に言っても仕方がないことだった。
「なんでも仕舞っておけるの?」
「いえ、この棍棒だけです!」
デンメルングの尻尾が激しく揺れる。きっと褒められていると思っているのだろう。
どうしようかと考えたが話が進まなくなるので、リーセは続きを促した。
「棍棒を振り回して、石像にあたって魔物たちが目を醒ますと大変なことになりますので、とりあえず棍棒を振り回すのだけは勘弁をしていただきました」
やはり柱廊の台座に乗っていた魔物の石像は、魔物が眠っていたのだ。このような地にまで攻め込んでくる者と戦うのだから相当な実力の持ち主なのだろう。
「そこから、リーセ様は強い防刃性能を持ちながらもとても柔らかで美しい光沢のある私の自慢の毛をむしり始めました。そして、錫杖を掲げ、どの光がツヴィーリヒトにダメージを与えるのか試し始めたのです」
「枕を引きちぎる代わりにあなたの大切な毛をむしったのね……。そしてツヴィーリヒトに光をあてた……」
まさに地獄絵図だった。酔っぱらっていたとはいえ、自分の所業とは思えず眩暈がした。
「そして、ノノという従者がリーセ様に明日にしましょうと提案しました。リーセ様はお怒りになりましたが、明日も魔王様の宮殿の探索を行うから控えているようにと私に命令をして、眠りにつきました」
「そっ、そうだったの。それは大変でしたね。これからは、私の命令は聞かなくてもいいから」
「そういうわけには行きません。どのような不条理なご命令をされようと、デンメルングはあなたの牙となり付き従います」
迷惑な話だったが、迷惑の度合いで言えばリーセの方が大きかった。
酔っぱらいのリーセは今日もそのようなことをするつもりだったのだろうか。
ふと先ほどの話の中で、錫杖から光を出したとデンメルングが言っていたことを思い出した。
リーセは錫杖を手にする。
透明な水晶の下には翼のような受け皿があり、白い柄が伸びている。それは特殊な金属のようだった。軽く、人を何度も殴っても曲がることはないし、杖にして何日も焦熱の峡谷を歩いたが、尖端が削れたり傷んだりすることもなかった。
ふと杖に刻まれている細やかな紋様に目を移す。今まで模様だと思えていたものが、文字として読めることに気づく。
「なになに……、『金星の輝きはあまねく世界を照らし、全てに救済をもたらす』……なんのこっちゃ……」
水晶の芯の部分が、小さな火がともされたようにぽわっと弱く光り出した。
「星々の光をあつめ、今こそその扉を開き無限の輝きをもたらせ、『スターライト』」
その瞬間、水晶が眩く輝いて光を放った。
「ギャっ、眩し!」
突然、強い光を受けたリーセの目は光が焼き付き、何も見えなくなった。
なにも見えなくなった視界の中で、リーセはふらつき倒れようとしたところを抱きとめられる。柔らかな毛並みはデンメルングのものだった。
これは魔法ではないのか。リーセは魔法の素養がないため使えないはずではなかったのか。そうリーセに教えたツヴィーリヒトの姿を徐々に戻ってきた視界のなかで捜した。
「ツヴィーリヒトはどこっ?」
まだベッドに横たわっているツヴィーリヒトを見つける。彼は苦悶の表情を浮かべていた。
「昨晩、相当リーセ様の魔法を受けていましたから、これ以上、光を浴びると消えてしまうかもしれません」
デンメルングの緊張感のない落ち着いた声を聞きながら、リーセは慌ててツヴィーリヒトのもとへ駆け寄った。彼が起き上がってこなかったのは、昨夜、リーセの『スターライト』を何度も浴びていたせいなのだろう。
「ツヴィーリヒト! しっかり!」
苦悶の表情を浮かべながらツヴィーリヒトが微かに目を開く。
「……リーセ、血を」
「ごめんね、ツヴィーリヒト。早く!」
リーセは腕を差し出した。ツヴィーリヒトはその腕を掴み、前回同様にリーセの首元に噛みついた。
「ひょわわわわわっ! 裸っ! 抱きつくなら、せめて服を着てからにして!」
ツヴィーリヒトはリーセが逃げないように腰に手を回してくる。リーセは諦めて彼の背中に手を回す。温かくすべすべで触り心地の良い肌だった。その背中をなでた。
そうしていると、ノノとラメールが部屋の中に入ってくる。
「リーセ様。おはようございます。朝食の準備ができましたよ。実は私もお手伝いをした……、あっ!」
「『あっ』じゃない。誤解だから! こ、これは、ツヴィーリヒトの朝食だから!」
ノノが顔を真っ赤にしてこちらを見ている。その時、ツヴィーリヒトの吐息がリーセの首筋をなでた。
「くふんっ」
リーセが奇妙な声を出すと同時に、ノノとラメールが同時に彼女から顔をそむける。とても居心地が悪そうだ。リーセも気まずく感じる。
「そそそ、そんなことより、どうして二人は一緒なの?」
「別に一緒だったわけではありません! 扉の前で一緒になったのです」
「では、ツヴィーリヒトの食事が終わったら一緒に行きましょう」
早く終わって欲しい。そう思いながら、リーセはきつく目を閉じた。
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