39.どうして楽園は灼熱の峡谷へとかわるのか(後編)
「まあ、よい。この宮城まで来たのだ。食事でもしていくがいい」
魔王が指を打ち鳴らした瞬間、ホワイトアウトしたかのようにリーセの視界が白く包まれた。
気がついた時には目の前には白いテーブルクロスがかけられた長テーブルが置かれ、その上には銀製の食器が並べられていた。
そして、フレスコ画の壁から溶けだすように盆を持った給仕たちが現れ、食事の準備を始めた。
グラスには琥珀色の液体が注がれ、大皿の上には肉や葉野菜に果実、そしてパンが置かれ、それが生花で飾られる。さらには暖かそうな湯気をたてるスープが運び込まれた。
「一体どうなっているんだ? こんな場所に人が……」
気がつけばラメールとノノ、それにツヴィーリヒトがリーセの背後に立っていた。
「ラメール、もとに戻ったのね?」
「もとに戻るってなんだ? 俺たちは、謁見の間にいたはずだが……」
「ノノもツヴィーリヒトも大丈夫?」
「ああ、問題ない」
「私も大丈夫ですが……、だけど不思議です」
ノノはキョロキョロと周囲を見渡している。どうやら、動きを止められていたときの記憶はないようだ。
彼らが元に戻ったことにリーセはホッとする。動かなくなったまま、帰らないといけない羽目になった場合、持ち帰るのも大変だが、置き場所にも困るからだ。
「突っ立っていないで、座るといい」
魔王に促されて席に向かうと、給仕の男が椅子を引いてくれた。
「ありがと」
「……」
お礼をいうが返事はない。
「その者たちは私の命令がない限り言葉を発することはない」
リーセの心を読んだように魔王はいうとグラスを差し出した。リーセたちもそれにならってグラスを掲げる。食事の前の言葉はなかった。リーセはグラスの中の琥珀色の液体を見つめる。くすみや淀みのない液体が波打ち、葡萄の香りがリーセの鼻を刺激した。
「葡萄の匂いだけどどこか違うような。花のような香りもする」
軽く口に含むとその香りは風味となって口の中を満たし、爽やかな酸味と心地よい渋みが喉の奥へと流れていった。そして、アルコールが喉を刺激し、激しくむせる。
「コホコホっ」
隣に座っているノノが慌てて肩をさすってくれた。
彼女は一人食事前のお祈りをしていたようだ。まだ、グラスにも手をつけていない。
「私ってアルコールに強いの?」
「リーセ様はお酒を飲むととても陽気になって、枕を引きちぎりますよ」
枕を引きちぎるような力がリーセにあるとは思えなかったが、年齢のことも考え、あまりワインは飲まないようにしようと思った。その考えを察したのか給仕が直ぐに水を持ってきた。
「この肉はなんの肉だ?」
グラスを置いたラメールが呟く。
「牛の肉だ」
魔王が短く答える。
「私には楽園という能力がある。そこに一万人ほどの人間を住ませ、この者たちのように働かせている」
「楽園……ね。植民地から人をかっさらって集めたのか?」
ラメールが顔を歪める。リーセもまた重りのついた手枷をはめて手押し棒のついた巨大な石臼を回す作業をする人の姿を思い浮かべた。
「植民都市は私のものだ。そこの人間をどうしようと誰からも非難を受ける理由はない。そかし、そこから集めた者たちではない。戦争のときに捕らえた者を放り込んでいる」
「こちらは捕らえた魔物は殺しているから、そっちのほうが人道的なのかもしれないな」
ラメールは苦り切った笑みを浮かべ、ナイフで半分にしたパンの上に肉と野菜を乗せてはさんだ。
「人間はよく働く。この建物の設計を人間がした。フレスコ画や机に食器、これらは人間が作った」
魔王は深みのある皿に注がれたスープを掬って口に運ぶ。
「この食事もな」
リーセもスープを掬って飲んでみる。コクがあり味わい深い。肉や根菜類は舌で押すとほぐれてつぶれていく。
「ここにいる人々を解放するつもりは?」
「ない」
ラメールの言葉に魔王は即座に首をふる。
「勇者が魔王を討とうとしている。その戦いを止める気は?」
「ない。そもそも、勇者に力を与える教会を作ったのは私だ」
「何だって!」
ラメールが思わず立ち上がりそうになるが、ツヴィーリヒトが手を差し伸べてそれを制止する。
「私は人類を滅ぼそうと思えばいつでも滅ぼすことはできる。しかし、私にも労働力であれ食料であれ人間の有用性は感じている。お前たちは牛や豚と違い、自ら柵を作ってその中で暮らすという習性ももっている。私はより制御をしやすいように神を作りあげ、教会を通じて人間が生きていくための規範を定めさせた。魔族との対立という構図を作り、自らの暮らす境界を定めさせた。勇者の存在は一つの余興であり息抜きである。希望を与えておけば人間の不満を抑え込むことができる。ただ、彼らの能力では四天王のもとへたどり着くことも難しい」
「どうしてそれを俺に話す? 帰すつもりはないということか?」
その言葉に魔王は笑う。
「戻って好きなだけ話すといい。その場合のお前の敵は私ではない」
ラメールは奥歯をかみしめている。ノノもまた食事をとめ、目の間に並べられた食べ物の山を睨みつけるていた。食事の手を止めていないのは魔王とツヴィーリヒト、そしてリーセである。
そもそも、人と魔族では生活様式が異なるため根本的な部分で対立してる。しかし、ノノもラメールも四天王のシルダン、そして彼の配下と関わり、彼らもまた人と同じように生きていることを知ってしまったのである。そのために魔王の言葉が受け入れられなくなっているのだろう。
リーセにはどうでもよいことだった。今の人間と魔族の境界は魔王が作ったものである。それでいいのだ。魔王は必要以上に人間の領域を脅かすつもりはない。余計な戦いを避け、それぞれの境界を守って生きて行けばいい。
たしかに自身を使って魔物との仲をとりなそうとした。しかしそれは交渉の為だ。敵意のないことを示すためであり、魔族と人間の根底にあるものを書き換えようとしているわけではない。存在そのものが異なるのだ。魔王のいう楽園で労働を強いられたり魔物の食料になるのは嫌だが、互いの暮らす領域を保ってる現状はある意味で言えば理想なのである。
だけど、ノノとラメールのそのような顔は見たくなかった。
リーセは給仕が差し出したナプキンを受け取り、口元についたスープをぬぐい取った。
「魔王様はこの場所を領土とし、私が想像もつかないような時間、この地を治めてきましたね? 数千年以上ものあいだ。いえ、もしかしたら一万年という時を超えているのかもしれません」
魔王を見つめる。魔王もまた静かにリーセに眼差しを返した。
「私には感じ取ることはできませんが、世界を歪ますほどの膨大な魔力をもっていますね。その魔力によって、この地から厄災を取り払いましたね。シルダン様の住処を火山の噴火口から花畑に変えたように。しかし、この頭上にある氷の世界は別として、もともとの灼熱の峡谷は花の咲く世界だったのではないでしょうか?」
この部屋の周囲を取り囲む円柱を見渡す。全ては計算つくされた配列。それは荘厳さを醸し出すと共に、少し冷たく、寂しくも思えた。そしてその背後に描かれたフレスコ画。それはかつて魔王の支配する世界の姿であったに違いない。
魔物たちにとっては、今のような不毛な地となっても生きていくことになんの問題もないのだろう。
しかし、このような絵を描かせるのだ。魔王もまたかつての光景を美しいものであったと考えているはずだ。
「魔王様が築いたこの世界は美しく、魔族たちにとってはまさに楽園でしょう。あなたの力によってこの地は安寧と繁栄を享受してきたことは、疑いようのない事実です。しかし――」
リーセはためを作るように一呼吸をおいた。
「この変化のない安定した世界。それこそが魔王様の限界なのです」
魔王は静かに黙ったままである。リーセは魔王の金色の瞳が僅かに揺らいだように思えた。
「人は弱いです。でも、数多くいます。そして世界の隅々までたどり着いて暮らしています」
リーセは言葉を置いて魔王の様子を探る。彼女の考え違いを指摘する反論はない。転移前の元の世界とこの世界の人の広がり方には違いはないようだ。
「どうして人は増えたのか。それはこの世界の環境の変化を受け入れたのです。すべてを破壊しつくす地震や、火山活動。そして、安寧の地を奪う気候変動。それらのことが起こるたびに人々は二本の足で歩き、世界の隅々まで広がっていったのです。そしてその地で生き残るための努力をしてきました」
リーセの言葉に口をはさむ者はいない。さらに言葉を続ける。
「環境の変化は平和の破壊者だと思われるかもしれません。ですが、その破壊こそが世界に新しさをもたらし、より繁栄へと導くための仕組みなのです。考えてもみてください。海がありますね。その海から蒸発した水が風に運ばれ大地に潤いをもたらします。そして、また海へと還ります。その恩恵は誰もが知ることでしょう。この大地も、いえ、この世界そのものがその円環によって成り立っているのです」
リーセはノノとラメールに視線を注ぐ。二人はリーセの最後の言葉を待っているのか、じっと彼女を見つめている。
「人はその世界の円環を受け入れ、その流れに乗って暮らしているのです。これから先、どのような酷い災害が襲ったとしてもそれを乗り越え、さらにその数を増やしていくでしょう。今の勇者様にはその視野はありません。しかし、次の勇者はどうでしょう。次の次の勇者は? 魔王様、人は想像もつかない方法を思いつき、進化し、やがてあなたを討つでしょう。それは魔王様の想像するよりも、ずっと近い未来の出来事です」
全てを言い終わると、リーセは喉の渇きを覚えてグラスを取った。そして一気に口の中に流し込む。
水だと思って飲んだものは琥珀色の液体だった。胸を焼くような痛みに襲われ、リーセは激しくむせた。
再びノノに背中をなでられながら、リーセは顔を上げる。
「だけど、戦う必要はないのです。魔族と人間。この二つが肩を寄せ歩んでいくことが出来るなら、もっと素晴らしい世界になると思いませんか?」
「お前は……」
魔王は何かを言いかけて静かに首をふる。
「お前の祖母も、そして母親も魔族と人間の共存をうたう者だった。そして、世界教団とは異なり融和をはかる教えを広めたいと言っていた」
世界教団の魔族や魔力を持つホモ・ルミナスへの反感は魔王が意図して埋め込んだものだった。人間はそれにより強固な結束を持ち、より従順で魔族にとって都合のいい生物へと飼いならされていったのである。
祖母と母がそれに気づいていたのかは分からない。しかし、彼女たちは一歩先の仕組へと変えようとしていたのだ。
「教会での暮らしに困っているのだったな。お前には植民都市の一つを与えてやろう。その街を統治するがよい」
「へ? なんで私が街を統治しゅるのですかぁ?」
リーセは酔いがまわり真っ赤な顔になっていた。呂律も回らなくなっていた。
世界が回っているということはリーセも知識として知っている。星は自転し、太陽の周りを公転しているのだ。太陽は連なる星々を抱え、銀河という渦の中を漂っている。しかし、本当に回ってる世界を見たのは初めてのことだった。
リーセは立ち上がった。
「でも、まかせてくりゃさい!」
ドンと自分の胸を叩く。
そして、ノノの胸の中へと沈んでいった。
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