38.どうして楽園は灼熱の峡谷へとかわるのか(前編)
その部屋もまた無数の石柱に支えられていた。
その奥にはどこまでも続く花畑の庭園。リーセは首をふる。あまりに精巧に描かれて錯覚しそうになるが、それはフレスコ画であるようだ。
磨き上げられた大理石の床。その上には緋色の絨毯が敷かれている。
その先には、黄金に縁取られた台座があり、その上には黄金の玉座が置かれていた。
男はそこに腰をかけ、肘をつき、そして拳に頬を乗せている。そして、金色の眼差しでリーセたちを見下ろしていた。
「あれが魔王様? 円形闘技場でもあんな格好をしている人がいたけど」
「円形闘技場のあの格好は古代の帝国を真似て仮装をしているだけだ。普段はああいう格好をしていない。おかしな格好をしているのは、お前たち教会の関係者くらいだ」
すべてを超越するような恐ろしい迫力を感じることはない。しかし、その男は威厳に満ち溢れ、容易に近づくことができないような雰囲気であった。
ラメールの小声には微かに震えが混じっていた。リーセには感じ取ることができないなにかを男から感じ取っているようだ。
彼女は咳払いをすると、男に向き直った。
「魔王様ですね?」
精悍で筋肉質な体の上に純白の袈裟掛けのトーガを羽織っている。
金色の髪に金色の髭。どちらも艶やかで豊かに蓄えられたものだった。長く伸びた髪を後方へと流すように月桂樹の冠をかぶっている。
魔王という名が示すような陰鬱な雰囲気はなく、神々しさを感じさせるような輝きさえ放っているようだった。
そういえば、ラメールは|死の果ての迷宮《デア・パラスト・アム・エンデ・デス・トーデス》が魔王の住処だといっていた。この地はその言葉から連想する場所とは全く異なる場所だった。太陽の光こそ降り注ぐ場所ではないものの、光あふれる庭園となっていた。きっと、魔王が望まない限りそこは輝きの世界であるはずなのである。
これらは全て幻影なのだろうか。本当の世界は目に見える世界とは異なる世界なのだろうか。もしかすればこれが第一段階なのかもしれない。攻撃を受けると鬼の形相となり、そしてとんでもなく邪悪な姿へ変形していくのではないだろうか。
リーセは頭を振って、くだらない妄想を脳内から追い払う。全ての戸惑いを隠すように目を伏せ、小さく深呼吸をする。そして目を開き、周囲の景色を改めて眺め見る。しかし、その景色も魔王の姿も変わることはなかった。
覚悟を決め一歩進みだしてぺこりと頭を下げる。
「よくきた。と、言いたいところだがお前は誰だ?」
低く重厚な声が響き渡る。
「私はルセロ教会の教主リーセと申します。私の祖母が魔王様の慈悲を受け、かの地に教会を建てることができたと聞いております」
「確かに女が私と人間の仲をとりもちたいというので住処を与えた。お前には関わりのないことだ」
「いえ、ですから、私はその女の孫娘なのです」
「私を欺こうというのか。お前は私の孫であり娘の体を乗っ取り何をしにきたのかと聞いている」
魔王の言葉にリーセが喉を詰まらす。リーセの体に転移してきた者であることはツヴィーリヒトには一瞬にして気づかれている。なので、魔王がそれに気づかないはずはないと思っていた。
しかし、別の言葉がリーセの頭を占めていた。
「魔王様は私のお父様であり、お爺様なのですかっ?」
「お前ではない。お前に乗っ取られたリーセの話だ。そしてリーセは私の婚約者でもある」
「そっ、それはあまりにも危険な配合なのでは!」
リーセは思わず両手で口元を覆い、そして自分の顎の形を確認した。鏡で見たとおり小さな形をしていたので、ホッと大きくため息をつく。しかし、魔王は一体何を言い出すのだろうか。リーセは逃げ出したくなったが、走り出したところで逃げ込める場所などどこにもなかった。
とりあえず、この衝撃の事実は話がややこしくなるのでおいておく。婚約者とか訳の分からないこともとりあえず忘れることにする。
それにしても、どうしてツヴィーリヒトはこの事実を先に教えてくれなかったのか。恨みをもった視線をおくると彼は魔王に向かって片膝をついて頭を下げていた。そして、魔王の視線もまたツヴィーリヒトに注がれていた。
「ツヴィーリヒト。私はこのようなことが起こらないようにお前をつけた。お前は何をしていた?」
魔王の問いにツヴィーリヒトは頭を下げたまま微動だにしなかった。まるで石像のようだと思ったところで、リーセは背後のノノとラメールに視線を向けた。彼女たちも固まったように動かない。二人の前で手を振ってみるが、瞬き一つしなかった。リーセの背中を冷ややかな一滴の汗が落ちていく。
この空間のなかで動いているのは魔王とリーセの二人だけだった。その魔王は瞳だけを動かして周囲を眺め見る。
「デンメルングは何をしている?」
彼の視線がリーセの錫杖の水晶に寄せられる。ものすごく怒られそうな気がしたので、思わず背後に隠す。魔王はすっと片手をあげた。
リーセと魔王とは台座を含めてもかなりの距離がある。しかし、リーセにはその手に体を掴まれるような感触を感じた。慌てて逃げ出そうとする。しかし、魔王の手が握られると同時にリーセの体は消え、気がつけば魔王の膝の上に乗っていた。
「え? えええええぇっ!」
リーセはその場所から逃れるために暴れようとしたが、体は思うように動かず、かえって魔王の胸に抱きつくようなおさまりのいい体勢になる。
「魔王様、そっちの危機は想定外です! リーセちゃんはまだ幼い子供です。早まらないで! たぶんまだ始まっていませんし、なんにも知りません。私の子供は天使が運んでくるとノノも言ってましたっ」
リーセの言葉を無視するように魔王は錫杖を取り上げ、水晶に手をふれた。
その瞬間、ひび割れは消え、濁りも消えた。
その様子を、ぽかんとして眺めていると、その口の中に人差し指と中指を差し込まれた。
「ふごぅ、あがっ……」
嘔吐感がこみあげ、口の中を這う指を吐き出そうとしたが体は動かない。助けを求めるように視線を魔王に向けた瞬間、体中を電撃が駆け抜けた。
絶叫をあげ、あまりの痛みに体はのけぞり、頭の中は真っ白に染まる。魔王の指がリーセの口から抜かれた。
「ひっひゃいにゃにを……」
痛みとしびれで呂律がまわらなかった。
「我が魔力をもってしても引きはがせぬとは……。答えよ。お前はどのような術でリーセの体に入ったのだ」
「わかりまひぇん。ききゃついたらこうなってひたのれす」
リーセの言葉に魔王は僅かに眉を寄せる。リーセはしびれで自分の舌を噛みそうになりながらも自分に起こったこれまでの出来事を話した。
「ばかな……。しかし……」
魔王が悩んでいる間にリーセの体からしびれは消え、自由に動くようになった。
リーセは飛び起きると魔王の膝の上から逃れる。そして口元にたまったよだれを拭った。
「そ、それでですね。お願いがあって参ったのです」
「願いとは?」
「先ほど話したように私は人々からの信頼を失い教会の経営が難しくなりました。あの地に居座って、布教を続けることができないのです。ですが、私を信じる人はいるのです。少なくとも彼らが自立して糧を得られるようになるまで面倒をみなくてはなりません。願わくばあの教会を買い取って頂きたいのです」
「だが、お前はリーセではない。お前にとってはどうでもよい話だろう」
「今のルセロ教会は悪とされています。もちろん裁かれるべき人もいます。ですが、そこで暮らすほとんどの人は普通の人なのです。誰かが彼らを守らなくてはなりません。私以外にその役目を果たせる人がいないのです」
「それでお前はリーセを演じているというのか?」
「今は私がリーセです」
リーセの言葉に魔王は考える仕草をしてあご髭をなでた。
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