35.リーセVS四天王シルダン(後編)
ここからは、一転、下り基調の山道が湧き水のある場所まで続く。
リーセは肩を強張らせるように力を込めて、そのあと力を抜いた。そして山道を駆け降り始めた。
ゆっくりと景色が後方へと流れ始める。
基本的な姿勢は変わらない。下りの基本は脱力だ。重力に逆らわない。重心を少しだけ前に預けることが大切だ。この傾きにより速度を調整する。足で無理にブレーキをかけようとしないことだ。踏ん張ることで太ももの前側の筋肉の耐久力が一気に消費される。そうなってくると一切の踏ん張りが効かなくなってしまう。降りの着地の衝撃は大きいのだ。軽く膝を曲げて足首と腰も連動させて衝撃を分散すること、そしてバランスを保って体幹を安定させなくてはならない。
そして決して後傾になってはいけない。滑ってしりもちを突きやすくなる。なるべく重力に対して垂直か、やや前傾。その姿勢を維持する。
これらは全て降りに対する恐怖心から生まれるものである。
恐怖に打ち勝つには道程を把握することだ。視点を目の前の下りだけに集中させないことだ。全体を眺めながら、山道の形状や障害物を確認しながら全体的な最適なルートを選択する。
そして、自然を愛し、山を愛すること。自然との混淆こそが下りの全てなのだ。
リーセはさらに速度を上げて、山道を駆け下りていく。急峻な下りでは腕をだらりと下ろし、斜度が緩やかになると肘を振って肩甲骨を揺らし、それを足のスライドへと伝える。
石から石へと軽々と飛び移り、そして、軽いステップで方向を変えた。そして、登りは下りの勢いを利用して一気に駆け上がる。筋肉を使い分け、休ませることも忘れない。
すべてはラメールに叩き込まれたことである。いま、リーセの身体が彼の教えが正しかったことを告げている。
「うひょー!」
自然と一体化した喜びの声をあげる。次々と現れる障害を華麗なステップで駆け下りる。
周囲の岩肌が流れるように後方へと消えていった。
「この山猿リーセと呼ばれた走りをみよ! 下りだけだったらラメールにだって負けない!」
リーセは高揚した気分を抑えることができず、わけの分からないことを叫びながら、コースのガイドをする烏の魔物の横を駆け抜けていった。
気がつけば湧き水のある場所まで来ていた。
かなりの時間を走ったはずだが、夢中になっていたせいか一瞬の出来事のようにも思えた。
水は岩の隙間からにじみ出て、池に流れ落ちている。リーセは湧き水に手を浸し、ひんやりとした感触を味わいながら、その水で顔を洗い流した。
湧き水なら飲んでも大丈夫とラメールに言われていたので、リーセは手に掬ってごくごくと飲んだ。冷たくてさらさらとした液体が喉を下って胃へと落ちていく。
リーセは口元を拭うと、革製の水筒に水を入れた。
シルダンはどこにいるのだろうか。登りであれだけの差をつけることができたのだ。下りではさらに差を広げることができたはずだ。これより折り返しで長かった下りが、今度は登りに変わる。引き続き気を緩めない様に走らなくてはならない。
そう考えていると、リーセの頭上を黒い影がよぎった。
烏の魔物が飛んでいるのだろうかと思い視線を上げると、そこには黒い影が空を滑るように飛来していた。
「円形の物体……。まさかUFO?」
もとの世界で見られなかった物がこのファンタジーあふれる世界で見られるとは思っていなかった。
リーセが変なところで感心をしているとその物体はみるみるとリーセの所へと近づいてくる。
「もしかして、拉致をしにきたの?」
わけの分からないまま、リーセという少女の体に転移をさせられ、そして拉致までしようというのだろうか。しかしその物体は大きくなく、彼女の腕で抱えることができそうな大きさだった。
そして、それが亀の甲羅であることに気づく。
「なっ!」
ぽかんと口を開いているリーセをよそに、シルダンはリーセの隣に着地すると、頭と手足、そして尻尾を出した。シルダンは革袋の水筒に水を汲むと、再び手足をひっこめて、みょんみょんと飛び立っていってしまった。
「そ……、そ……、そ……、そんなのありなの!」
これは兎と亀の対決だと考えていた。それはその通りだった。しかし、兎はシルダンで亀はリーセだったのだ。
リーセには絶望しかなかった。
しかし、試合を放棄することは許されない。リーセに残されていることといえば最後まで諦めずに走りぬくことだった。
リーセは時間をかけて噴火口を包む山の頂きまで戻ってきた。すでに限界近くまで体力を使い果たしていたので、彼女の呼吸は正常に戻らずに肩を揺らして息を続けている。
額を流れ落ちる汗を拭き、噴火口を埋め尽くす花畑に視線を移したとき彼女は目を見開いた。
ここにたどり着くまでシルダンの姿を見ることは一度もなかった。とっくにゴールをしているはずだ。だから彼女の帰りを待つ者はノノとラメールしかいない。そう考えていた。しかし、すでに洞窟に戻ってしまっていると考えていた魔物たちはまだ残っていた。きっと洞窟に残っているのはツヴィーリヒトだけだろう。
魔物たちは稜線に姿を見せたリーセに大歓声をあげた。
彼女が花畑を駆けると、魔物たちはその道沿いに並び、声をかけ肩を叩かれハイタッチを求めてくるものもいた。リーセは半分喜びで、半分は恐怖で顔を引きつらせながらも、笑顔になってそれに応えて進む。
中には興奮して炎や稲妻を放ってくるものもいたが、リーセは死に物狂いでかわした。
そして、ゴールにはシルダンが待っていた。彼は後ろ足の二足で立ち上がり、リーセと握手をして肩を抱き合った。
「最後まで諦めず、よく頑張ったな!」
「シルダンがあんな卑怯な能力を持っているとは思わなかった!」
わきあがる魔物たちの大歓声と大地を震わすような咆哮により二人が包まれた。
リーセはだんだんと恐怖の方が勝ってきてノノに助けてもらおうと視線を送るが、ノノは涙を浮かべながら笑顔を作って手を振るだけだった。
その後、リーセとシルダンは魔物たちに胴上げをされて、大宴会へと移っていった。
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