31.リーセVS山羊の三連星
山羊たちはじわじわと間合いを詰めるように近づいて来たかと思えば、急に後方へ下がった。
「え? なに?」
リーセが不安そうに声を上げた瞬間、背後からドスンと強烈な突進を受けた。
「ひゃわっ」
前方へよろけたリーセは、間を置かず今度は正面から突進を食らった。
「うぐっ」
たたみかける衝撃に耐えきれず、リーセはその場に膝をついた。お腹を押さえて痛みを堪えていると、一頭の山羊がそっと近づいてきた。そして、彼女のフードに角を引っ掛けた。くいっと首を持ち上げるとリーセの体はいとも簡単に宙吊りになった。
その山羊は、リーセを角にぶら下げたまま崖へと向かって歩き始めた。足元の赤茶けた地面が消え、代わりに谷底の景色が視界に広がる。切り立った崖の下には細い川が流れているのが見える。小石が落ちていったが、その転がっていく音は最後まで聞こえなかった。
「ちょっ、ど、どうしてっ!」
心臓は早鐘を打ち、血液を全身に送り込もうとするにもかかわらず、体中から血の気が引いて行く。そして手足が冷や汗でじっとりと濡れた。
リーセが涙目になって谷底を見つめていると、山羊は首を振ってリーセの身体を揺らした。山羊の角にローブが引っかかっているだけなのだ。落ちればもちろん命はない。
「ひょわわわわわ! も、もしかして子供の時のこと怒っているの? これは復讐なの? ゆ、許して! お願い許して!」
それは自分ではないと叫びたかったが、そもそも山羊に言葉が通じるとも思えなかった。ノノに助けてもらおうと手を振ったが、ノノも笑顔になって手を振り返すだけである。
そのうち、別の二頭の山羊が寄ってきて、リーセをぶら下げている山羊の肩を前足でやさしく叩いた。
「……」
三頭の山羊は見つめ合った後、何かを分かり合えたのか頷き合っている。
そして、リーセの体は大地の上におろされた。
ほっと胸をなでおろしているリーセのもとにノノが近づいてくる。
「リーセ様は本当に山羊たちと仲がいいですね。イプシロンたちも再会をとても喜んでいますよ」
「どこがっ!」
リーセの叫び声が、峡谷に響き渡った。
その夜は、魔物を倒して処理をした場所から少し離れた場所で野営をした。
しかし、鼻には魔物の肉の匂いがこびりついているような気がした。その匂いは鍋からも漂っているし、干し肉用に並べられた肉からも漂っていた。
慣れるかと思ったが、指先に残っている肉を捌いた感触がそれを忘れさせてくれなかった。
「お前はやらなくても良かったんだぞ?」
ラメールがお椀を渡してきた。それには彼が鍋をよそって入れた魔物の肉がたっぷりと入っていた。その匂いを嗅ぐと周囲を満たしている野性味あふれる香りが鼻をついた。汁を飲んでみると、脂身が溶け出した野性味あふれる風味だ。赤身しかない肉を噛んでみると、やはり野性味あふれる硬さと味だった。
「私だけなにもしないのはダメだし、それにラメールが食べるっていうし、私もどういうのがいいのか本当のところはわかんないんだけど、命を粗末にするのはちょっと……」
ノノに視線を向ける。
山羊たちに見守られながらノノもまた魔物を捌くのを手伝った。リーセよりも積極的だった。
「ノノはリーセ様のお役にたつためにここにいるのですから」
彼女はやはり山羊たちに囲まれて食事をしている。とても暖かそうでうらやましく思ったが、昼間のこともあり近づく気にはなれなかった。雪解けの兆候はあるが、まだその一歩を踏み出したところなのだ。それが完全に溶けるのはまだ未来の話なのである。
山羊たちは、彼女の周囲で寝そべっている。魔物の肉を食べるつもりはないようだ。彼らの存在は心強いものだった。通常は岩陰や崖に身を隠していたが、ノノが彼らの名を呼ぶとどこからともなく姿を現わす。何より谷底から水を汲んできてくれた。それで、飲み水の心配をすることなく思う存分に水を消費することができたのである。
そして、その肉を何食わぬ顔で食べているのはツヴィーリヒトであった。彼の生態が全く分からない。
「……ツヴィーリヒトがいれば、魔物は出現しないという話はどこにいったの?」
「おそらくお前の転移が原因だと思う。私もよくわからないが、お前が本来のリーセではないことで能力が制限されているようだ。蝙蝠の姿になっているときはその力はないと思った方がいい」
リーセはちらりとラメールを見た。彼には自分が突然リーセの体に転移してきたこと、その理由も、元のリーセがどうなっているか分からないことまで話している。しかし、彼の反応は目をひそめながら顔をゆがめただけだった。全面的に信じてもらえていないのは明らかだった。リーセもいまだに自分の置かれている状況がわからないのだ。彼の反応も仕方のないことだと考えている。
「それだと、とても旅を続けられない。みんなの命をかけてまでやらなければいけないことだとは思えない。別の案を考えたい」
「魔王に会いに行くという時点で覚悟していたのではないのか?」
ラメールの存在をもとにこの計画を立てた。だから彼が首をふればこの旅はなかったのである。そして、ノノは教会に置いて行きたかった。しかし、リーセはノノの覚悟を止めることはできなかった。
「それは……、そうだけど。障壁が大きすぎる。それに魔物と戦っていたら、魔王も私たちを敵と見なすんじゃないかな?」
「魔王とて末端の魔物まで支配しているわけではない。しかし、今日の出来事は魔王も察知しているはずだ。四天王を動かすかもしれない」
「どうして、魔王がいちいち私の動きを察知するの? 変態なの?」
「それは会えばわかる」
「会うまでに死んでしまうかもしれないという話をしているんだけど!」
「この辺りだけだ。魔王のもとへ近づくほど魔物たちの統制がとれていく。襲われることもなくなるはずだ。とにかく、夜は守ってやる。昼間はラメールと山羊たちに守ってもらえ」
「むうぅ……」
リーセが頬を膨らませるも、ツヴィーリヒトはそれ以上、話すつもりはない様子だった。祖母がどのようにして魔王と会って、魔王は祖母の何を信用して教会の地を与えたのかも知らないと言って教えてくれなかった。
ツヴィーリヒトは何かを隠している。そう思わずにはいられなかった。
彼はリーセの体を元のリーセに返して欲しいと考えているのだ。決して彼女の完全な味方だということではなかった。
食事も終わり毛布を被って寝転がる。昼間の暑さが嘘のように冷え込んでいく。
「リーセ様……」
「ん?」
ノノが半身を起き上がらせていた。
「こちらへ。暖かいですよ」
彼女の寝床は山羊たちに囲まれていた。確かに暖かそうだと思い体を起こすと、山羊たちも頭を上げてリーセを見る。六つの瞳で見つめられ、リーセは思わず身をすくめる。
近寄るのには棍棒が必要だった。周囲に目を向けると魔物の足の部分の骨があった。手を伸ばそうとして強く首を振る。先ほど和解したところなのだ。最初の一歩は山羊たちが踏み出した。ならば次の一歩はリーセが踏み出さなければならない。
そもそも最初の襲撃は自分のやったことではないのだという思いは、この際伏せておくことにする。
リーセは毛布を抱きしめて立ち上がった。
そして、ノノのそばへと歩いて行く。山羊たちの反応はない。しかし、広い視野の片隅でリーセを捉えているはずだ。
「よいしょ」
リーセが山羊を踏まないように乗り越える。
ノノが微笑みを浮かべて少しにじり寄って場所を空けた。リーセはそこに毛布を広げて寝転がると山羊たちも頭を下げて目を閉じた。
視界には満天の星が広がっている。またこの景色を眺める旅が続くのだ。どこまで歩いていこうと、この星空の下なのだ。
リーセが目を閉じようとしているところに、山羊が体を寄せてきた。とても暖かく、そして魔物とは違う獣の匂いがした。リーセはその背中をなでる。硬い毛だった。
「イプシロン……」
「リーセ様、彼はソユーズです」
リーセと山羊たちの完全なる和解はまだ先のことだった。
読んでいただきありがとうございます。
いいねボタン、ブックマーク、評価、気軽にしていただけると嬉しいです。励みになります。




