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閲覧ありがとうございます。

最後までお付き合いいただければ幸いです。

昼下がりの王都は、空の青さとは裏腹に、風がひどく乾いていた。


私は噴水広場の中央に立っていた。

そこは、かつて何度も通った社交界の中心地。

そして、四年前のあの夜、すべてが終わった場所でもある。


「……見れば、何か思い出せる気がする。」


独り言のように呟くと、風が揺れて水面が煌めいた。


音もなく、記憶が流れ込んでくる。


ーー夜の広場。

ーー星のない空。

ーー淡いパステルカラーのドレスの裾が濡れ、涙が頬を伝う音。


(やっぱり、この前断片的に思い出された記憶は正しかった。あの夜……私は、ここで……)


ジュリアン・ド・リュミエール、王家の第一王子。

彼は、私の幼なじみであり、かつて、私の婚約者だった。


「貴女には、姉のような情しか抱けなかった。私はリリスと共にこれからの人生を歩みたい。」


そう言われた時の、あの静かな絶望を、今でも覚えている。


物心がついた時から、周りの期待に応えたいと思っていた。

令嬢として、婚約者として、次期国王の伴侶として、家の誉れとして、そう自分に言い聞かせてきた。


でも、言い聞かせながら、努力してきたものが無駄であったとあの夜、告げられた。


(選ばれなかった私は……)


公衆の面前で告げられた婚約破棄。

名誉ある立場から一転、好奇の瞳にさらされた。

私を庇うものなど、誰もいなかった。

あの場で、私は運命の恋路を阻む邪魔者でしかなかった。

そして、私は、魅力のない、次期国王に捨てられた元婚約者へと堕ちた。


誰もがジュリアンとリリスを祝福する舞踏会から逃げ出したくて、私は扉を開けて、会場を後にした。

走って走って、ヒールも折れて、ドレスの裾も千切れて、汚れて。

気がつけば、この噴水の前で、私は夜の静けさに身を沈めていた。


「……もう、消えてしまいたい。」


その言葉は、誰にも届かないはずだった。

絶望しながらも、明日を迎えなければならない、そう思っていた。

だが、あの夜、たった一人、私の声を拾った男がいた。


「……カティア、貴女を、幸せにしたい。」


その声に、カティアは目を見開いた。


振り返ると、そこにはセルヴァン・ファントメルが立っていた。

闇の中でも際立つ、あの白く透けるような肌。

静かに私を見つめる紅い瞳。

月夜に煌めく白銀の髪。

深く、揺るがぬ意志を表した真剣な表情。


「どうか、僕の手を取ってください。貴女の願いを叶えて差し上げます。」


「……セルヴァン。」


ジュリアンと婚約してから、他の異性と親しくしてはならないと家族から命じられ、疎遠になっていた。

十年近く呼ばなくなっていたその名を、記憶の奥から引き寄せるように呟いた。


かつて、幼い頃、ほんの一年ほどだけ交流のあった寡黙な少年。

けれど、それ以来はずっと会っていなかったはずだった。


どうして彼が、今ここにいるの?


驚きと戸惑いを抱えるより早く、彼はそっと手を差し伸べていた。


「本当は、この力を使いたくなかった。ましてや、貴女に。けれどーー。」


セルヴァンの声は、どこまでも静かだった。


「貴女が望むのなら、僕は、”能力”を使って、貴女の記憶を混濁させることができる。忘れたいと願うなら……忘れさせて差し上げましょう。僕の“噂”はご存知でしょう?」


『セルヴァン・ファントメルは吸血鬼の末裔。人間離れした能力はまだ健在だ。』


カティアは、僅かに頷いた。

セルヴァンの紅く、わずかに揺れる瞳は嘘偽りのない真っ直ぐな瞳だった。


「……知っているわ。お願い……貴方が忘れさせてくれるというなら、どうか、すべて、忘れさせて……こんな場所から、連れ去って。」


「仰せのままに……」


彼が近づき、首筋に触れた。

吐息がかかる。次いで、鈍くて熱い痛み。

あれは、やはり、吸血された痛みだったのだ。


身体からすっと力が抜けていく感覚とともに、頭がぼうっと霞む。

視界の端で、セルヴァンの唇が血に染まるのが見えた。


『カティア・グレイスベル。貴女は、僕の婚約者だ。身体が弱くて、今は僕の領地ファンティアで療養中だ……いいね?』


二重になっているような不思議な声。

波のような、声とも魔法ともつかぬものが頭に染み込んでいく。


「……はい。」


カティアは、ただ頷いた。


ーー忘れさせて。


そう願ったのは、やはり、自分自身だった。

過去のセルヴァンとの幸せなオルゴールのような淡い思い出も全て消し去って。

王都の旅で、セルヴァンがかけてくれていた魔法のベールは、ほとんど外れていた。


「……あれが、全ての始まりだったんだわ。」


水面に映る自分の顔が、じっとこちらを見返していた。

記憶が戻った今、心の奥がひりつくように痛む。


「……ごめんなさい、セルヴァン。あれからずっと、貴方を閉じ込めたままだった。」


ぽつりと独りで呟いたときーー。


「……探しましたよ、カティア。」


その声に振り返ると、夕暮れの影の中、セルヴァンが立っていた。


息を切らせ、ジャケットの裾を揺らしながらーーけれど、その眼差しはいつものように、私だけを見ていた。

そう、あの時と同じ。


「カティア、貴女……記憶を取り戻しましたね?僕は……」


「セルヴァン……」


歩み寄る彼の顔が、ほんの少し歪んで見えた。光のせいではない。

悲しみと後悔と、そして愛しさに揺れる、表情だった。


「また……記憶を消しましょうか?」


その言葉に、カティアは首を振った。


「もう、消したくないの。忘れたくないの。」


「カティア……」


「貴方との思い出を、私は、自分で取り戻したい。貴方と、ちゃんと向き合いたいの。」


セルヴァンの唇が、小さく震える。


「……あの夜の貴女の涙を、僕は一生忘れません。貴女が壊れていくのを見たくなかった。」


「私も。ただ、貴方に縋るしかなかった。あの時の貴方の目を、覚えてる。」


「貴女が幸せなら、この手を離す覚悟でした。でも、僕の中で、どこか……ずっと、希望を捨てられなかった。だから、婚約者といって叶えられない望みを幻を見ている貴女に押し付けて……」


カティアはそっと、その手に自分の手を重ねた。


「ねえ、セルヴァン。もし、私が今、ずっと貴女の隣で生きていきたいと言ったら……嬉しい?」


セルヴァンは、数秒だけ黙った。

そして、小さく、けれど確かに頷いた。

泣きそうに笑うセルヴァンに、王都で冷え切っていたカティアの心もじんわりと温かくなるのを感じた。


「……嬉しすぎて、言葉になりません。」


その手を、カティアは自ら握りしめた。

もう迷わない。もう逃げない。


「これからは、私の意志で選ぶ。そして、貴方と一緒に未来を歩いていきたい。幻じゃなくて、現実として、私と一緒に生きてくれる?セルヴァン。」


「……っ、ええ、もちろんです。僕が心から幸せにしたいのは貴女ですから。」


噴水の水音が、彼らの背で静かに響いていた。


それは、新たな物語の始まりを告げる音のようにーー。


お読みいただきありがとうございます。

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