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最後までお付き合いいただければ幸いです。
王都の外縁には、旅人や使者が利用する馬屋が点在していた。
人目につきにくい宿の裏手、埃をかぶった看板の下で、私は手綱を解いた。
「三日分、前払いで。」
馬丁に銀貨を差し出す。
男はこちらの顔も見ずに、銀貨だけを見て、それを回収すると、鍵を渡してきた。
言葉は交わさない。
名も明かさず、素性も見せず、ただ鞍袋だけを肩に抱えて石畳の道へ戻った。
ファンティアの森とは違う、乾いた風が頬をかすめる。
足裏に響く石の感触。漂う香水と花の香り。
王都は、記憶よりもずっと眩しく、ずっと遠かった。
(これが……私がかつて生きていた場所。)
一歩踏み出すたびに、失った年月の重みが全身に染みこんでくる。
けれど、その痛みこそが、ここに立つ自分の現実だった。
昔、よく通った路地裏の菓子店を目指してみる。
けれど、その場所にあったのは、金の装飾を施された宝飾店だった。
甘い焼き色も、懐かしい香りもない。
ファンティアより賑やかで、人やものが多くて、煌びやかなはずだけれど、私にはモノクロにしか見えない。
ファンティアの領地の方が自然の色がたくさんあって綺麗だった。
代わりに目に飛び込んできたのは、鮮やかすぎるポスターの数々だった。
《慈善舞踏会の記録集・特装版》
《王都の光と聖女の誓いーージュリアン・ド・リュミエール殿下とリリス・フロステリア嬢》
《未来を導く二人の肖像。白き薔薇の祝福》
足が止まった。
ポスターの中心には、豪奢なドレスに身を包んだリリスと、威厳ある笑みを浮かべたジュリアンの姿。
交わる視線、そっと触れる手。
演出のような構図が、運命という名の幕で包まれていた。
「……嘘。」
思わず唇からこぼれた声に、自分でも驚く。
けれど、それは紛れもない事実だった。
あの絵画のような世界のどこにも、自分は存在していない。
ガラス越しに眺める通行人たちの声が、背中に降りかかる。
「リリス様って本当に聖女よね。」
「殿下とお似合いすぎる……絵になる二人だわ。」
「ねえ見て、これ!手記の複写つきよ!リリス様の“心の軌跡”って、やっぱり惹かれるわ。」
その言葉の一つひとつが、皮膚を裂くように突き刺さった。
ーー私は、なかったことにされている。
私がジュリアンの婚約者として励んでいた十年間は消えてしまっていた。
誰も自分を覚えていない。
誰も、あの時、何が起きたのかを問わない。
誰も、この街に自分がいたことすら知らない。
踵を返そうとした、そのときーー。
ふと視界の端に、目に覚えのある名が映った。
『王都社交界・失われた令嬢たち』
装丁は地味で、棚の隅に追いやられていた。けれど、ページの見出しには確かに記されていた。
《カティア・グレイスベルーー悲劇の失踪劇の真相とは》
指が震える。
ページをめくると、そこには乾いた文字だけが並んでいた。
『カティア・グレイスベル嬢は、元・ジュリアン殿下の婚約者として知られ、四年前に突如姿を消した。一部では自死説も囁かれたが、家族からは「精神的衰弱による療養」と説明されている。現在の消息は不明。』
「……精神的衰弱?」
呟いた声に、隣の中年婦人が訝しげな視線を向けた。
私は慌てて本を棚に戻す。
手の中が、いや、心の中まで汚されたような感覚に包まれる。
(私の人生が、こんなふうに処理されていたなんて……)
まるで記事の脚注のように、無味乾燥に、無関心に。
名前だけ残され、中身は空白。
ーーそれで、終わらされたのか。
街に出れば、そこはもう祝福の花で飾られていた。市庁舎、書店、広場、どこを歩いても、リリスとジュリアンの肖像が掲げられている。
“光の姫君”
“民の祝福を受けた聖女”
“寛容なる慈悲の象徴”
ポスターの中の笑顔が、私に、貴女は敗者だった、と告げている。
「……ふざけてる。」
声に出した瞬間、視界が滲んだ。
誰も責めていない。
けれど、誰も覚えていない。
そして、誰も、上部だけの情報に満たされて、真相を見ようとしない。
(私がどこで、どう生きていたかなんて、どうでもよかったのね。)
人々の無関心が、何より鋭利だった。
風に揺れる紙の端が、私の頬を撫でる。
(でも、私はここに戻ってきた。)
その理由が今、はっきりと胸に宿った。
真実を語るためではない。
名誉を取り戻すためでもない。
私は、自分を、私自身を証明するために来た。
あの日、パーティー会場を逃げるように抜け出たあの瞬間から。
名を捨て、記憶も失い、それでも生きてきた自分のすべてが、この一歩に繋がっている。
ポスターを一瞥し、背を向ける。
目指すべき場所は、あの宮廷ではない。
自分を語るための場所、かつて“娘”であった家に、一度、終止符を打ちに行く。
名家の令嬢としてではない。
誰のものでもない、ただのカティアとして。
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