私でない私の家族
アリシアの母が、穏やかな微笑みを浮かべて近づいてきた。
目を見張るほど美しい金色の髪は、触れば手が溶けそうなほど柔らかさがあり、それは彼女の性格を表しているかのようだった。
風でその髪が揺れる度に、高貴な輝きを放っていた。
そして…透き通るようなブルーの瞳。
澄んだ海のように鮮やかで、見つめられるだけで心を覗かれているようだった。
すぐに…私が別の存在だと気が付かれるだろう。なら、いっそこの場で正直に話しておくのも…いや、駄目だ。そんなことを言って状況が好転するとも思えない。
追い出されるとも思えないけど、私をそのまま迎え入れるだろうか?
アリシアであって、中身は私でない存在は、決して喜びより戸惑いに支配されるだろう。
現に私でさえこの異常な状況を飲み込むのに必死で、冷静になるとあまりに非現実的で…彼女の問いかけにすら、何も言葉を紡げない。
私は、アリシアの母の顔色を伺った。
彼女は、緑を基調としたワンピースを身にまとっていた。
胸元には、色鮮やかな花びらの刺繍。
紫と白の糸が、互いに影響し合いながら、やさしく調和していた。
お母さんとはまだ言いたくない感情が私にはある。自分の親は前世の母だけ。
でも…お母さんと言わないようにするのは、この先不可能だろう。私は諦めて呼ぶ事にした。
「うん、気が付いた。へへ、心配かけてごめん。私大丈夫だから、お母さんも安心して早く寝て下さい。」
「そう…良かった。それじゃ、アリシア、おやすみなさい。でも、無理はしないでね。」
彼女の瞳が、かすかに潤んでいるようにも見えた。
胸元にそっと手を添え、まるで気丈に振る舞おうと、自分を励ましているようだった。
「もう、お母さんってば心配症なんだから。
……お父さんにも私は大丈夫って伝えてね。」
…どうだろう、私の対応は。完璧じゃないかな? けど、心の奥底に罪悪感が芽生えて、視線が自然と床へと落ちていた。
彼女が私の部屋から立ち去さる。
…娘の体を乗っ取った…そう考えると、居た堪れない気持ちになる。亡くなった後だから許されるのだろうか?
それを振り払うように…これから自分のやりたいことを考える。
せっかく生き返ったのだ。
まずアリシアは親孝行をしたがっていた。まず彼女の目標を優先的に考えよう。
それとは別に私の目標…エルフと人間が争っているなら、それを終わらせるのはどうだろう?
それが親孝行にならないだろうか?
父は人間、母はエルフ…きっと肩身の狭い思いをしてるはず…それに…エルフのハーフである私にしか出来ないと感じる。
空中都市にエルフも住むようにすれば良いかも。そして人間も地上に住めるように…その為には…王女様と交渉しないとね。
でも1番私がしなければいけないのは、人間とエルフのハーフが18歳で亡くなる奇病…これの治療法を探す。
何故なら結局この体も…18歳で亡くなってしまうのではないか…その考えが頭に何度も浮かぶからだ。
大それた目標よね…目頭が熱くなってくる。そんな事…私に出来るわけがないと悲しくなる。
でも…やらなければ…死ぬだけだ。アリシアに貰った命、最早私だけの命じゃないんだ。
どうすれば達成出来るだろう? まず知識がいる…本を沢山読むしかない。前世で読書家だったのは救いだ。
まず何を読もう?
エルフや人間の歴史、文化に関する本。魔法や医学、薬学、病気に関する本。
交渉術や心理学…これはもう既に知識としてあるから、後回しでいいわね。
やっぱり…歴史とこの病気の治療法に関する本を読むのが最も優先しないと駄目よね。
良し! そうと決まれば明日から図書館が、私の住処ね。
それじゃ寝るかな…いやその前に…私の前世の過去を思い返そう。
目を閉じると、懐かしい光景が自然に浮かんでくる。前世の記憶が穏やかに揺れて、小さな波のように優しく押し寄せ、やがて吸い込むように過去への旅に連れて行く。
あの日、私は茶色い埃が薄っすらと付いた窓の取っ手を掴み、ゆっくりと窓を開けて目を細めたのだった。
少し寒い風が吹いて、私の顔に触れ通り過ぎる。その風がどこに行くのだろうと考えて、横を向いて行方を追った。
だけど、すぐに前を見据える。それは一瞬の事だった。
外の景色を見ると、夜空の星々が光輝いて眩しい。まるで、私の友達の様にキラキラしている…人ってどうして、みんな優しいのだろう。
友達と何気ない会話が、私はとても好きだ。音楽の話、好きなアニメの話。
何気ない日常だけど、それが私には充分過ぎるほど、大切で…そんな生活が出来るのも、お父さんとお母さんのお陰でもある。
親孝行いっぱいしたいな。早く大人になりたい。
私は窓を閉めて、大きく息を吸って吐いた。
空気の入れ替えをしたばかりだと、空気が美味しい。さて、寝ますか。
私はベットに向かって歩いて、ふわふわのピンクの羽毛布団に飛び込んだ。
うーん…気持ちいい。お行儀悪いな、私。
羽毛布団を持ち上げて、中に潜り込んだ。
…あっという間に眠くなる。欠伸をしながら、明日の楽しい学校生活を思い浮かべて、ニヤリと笑みが溢れた。
小鳥のさえずりで目が覚めた。朝日がカーテンを飛び越えるように、私の目を刺激する。
手を上に伸ばして欠伸する。外が赤いカラーの目覚まし時計を見ると、時間はまだ6時30分。
二度寝出来る時間だけど、準備を考えると余裕はない。私は部屋を出て、軽やかな足取りで冷蔵庫に向かった。
冷蔵庫の扉を開くと、まるで動物の冷たい毛並みに顔を埋めるような、気持ち良さに思わず、目を閉じた。
ほっこりとする。冷蔵庫を探ると、お腹の音が鳴り、思わず苦笑する。
恥ずかしい…えへ、食いしん坊さんだな、自分。
…懐かしい…私の子供の頃…なんて良い子だったんだろ。
アリシアの記憶は…なんだか…似ている感じがする。
性格的に似ているなら、案外正体はバレないかも。
難病に侵されて、健気なままだったアリシア。
私は違う…難病に侵されて、なんで私なんだろうと絶望して…心が荒んだ。
その違い…どうして彼女は、死の淵にいても、優しくいられたのだろう?
死にたくない…と思っても、苦しみで早く楽になりたい…その狭間でもがいて疲れ切った私。
アリシア…あなたのことがもっと知りたい。心の強い貴女のこと。
どんなに辛くても、笑顔を絶やさず…みんなの幸せを願っていたアリシア…。