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ベルクへ

  神崎ローラは一五歳の読書好きの少女である。

 他人と違っていることと言えば、ハーフであることくらいだろう。

 父親は日本人だが、母親はフランス人だ。ローラの顔は母親譲りで、小さな鼻は高く小顔である。眼は深みを感じさせるほど黒く、漆黒のまつげはスッと伸びている。

 かわいさと美しさを共に感じられる、少女なのだ。

 「ママ―おはよう、父さん行ってきまーす」

 つまり、両親の呼び方も自然にこうなった。

 

  ローラは読書が趣味で、父親の買う漢字ばかりの本も父より早く読破する。

 その日も書庫を探検し、面白そうな本を見つけた。家族全員が読書好きであり、総合して五千冊を超える本があるので、物置を書庫に改築したのだ。埃が舞う薄暗いその空間が三人とも好きだった。

 「父さん、この本っ。読んでもいいかな」

 休みの日の朝、朝食のブレッドを食べようとした父は手を止めて答えた。

 「見せてごらん。ふむ『ベル・サーガ』か。よく見つけたな。これは母さんの本だよ。珍しくファンタジーの本を買ったんだよな」

 「じゃ、ママにきいたら読んでいい?」

 待ちきれない様子でローラは尋ねる。父は苦笑して言った。

 「本当に本が好きだな。僕から言っておくから読みなさい。今日は休みだしな」

 「ありがとおっ」

 

  早速庭に飛び出したローラは、垣根の抜け穴から裏の森へとはいって行った。長い髪が木にかからぬよう、用心して進む。一回くもの巣が口元にかかったが、ローラは気にせず笑顔で払った。

 お気に入りの場所はそこから三分ほど歩いた場所にある、明るい空き地だ。一本の高い木を中心とした円場の芝生、自然の産物であり、そこには調和が生まれていた。鳥がさえずり、野花が咲き乱れている。

 ここは昔公園になろうとしていた、と父から聞いた。広場の端にある木から吊り下げたブランコは、その名残かもしれない。ローラは中央の木の根元に座りこむと、分厚い本をしげしげと見つめた。

 表紙は油絵であろう美しい絵。大樹と淡い服を着た少女が描かれている。少女の胸元ではまぶしいくらい輝く赤い石が揺れている。写真のように丁寧で、それ以上に存在感の大きい絵であった。ほんのりと書庫の香りがする。 

 本を開いてからローラは気が付いた。

 「読めない…」

 丁度木の影となっていたため、文字を読み取るのは至難の技だった。上を見ると、綺麗な葉っぱが隙間なく空を埋めつくしていた。

 「早く読みたいのにぃ…ベル・サーガ」

 ローラは不満そうにつぶやくと立ちあがった。 


 ため息をついて、木に手を引っ掛けそのまま重心を掛けて回る。ポンチョが揺れ、同時にワンピースが円を生み出した。春の陽光が照らしたその光景は、木の精にも見て取れただろう。

 足を着いたところが悪かった。ローラは木の根にバランスを崩し、前に傾いたのだ。

 慌てて木を掴もうとした手には本が握られていた。虚しく本だけが宙に浮かび、ローラは倒れた。

 辺り一帯に、巨大なものが高速で回転する音が鳴り響く。どさりと本が落ちる。

 ページは名残惜しそうに空をかき、風を潰す音と共に閉じられた。

 しかし、倒れるべき者はその空間から消え失せていた。空き地の短な草が一斉に揺れ、風が吹く。苔むしたブランコは淋しくその身を木にぶつけた。


  地面が近づいてくる。咄嗟に腕を前に出そうとするが間に合わない。

 反射的にローラは眼をつぶった。次の瞬間顔が何かに埋まり息が苦しくなる。

 「ふっ、はあ」

 何とか髪をなびかせ顔をあげると、冷たさが走った。顔を埋めていたものは雪であった。

 「今春だよね…というより何処?」

 改めて見回すと、あの居心地の良い空き地は消え冬の森が広がっていた。幹は白で飾られている。遠くの枝で雪の落ちる音がする。ローラは片腕をつき、寝転がったまま固まってしまった。

 「ふあぁぁふ…ああ」

 自分ではない欠伸の音。心臓を何とかコントロールし音のほうを見る。

 意外に近くにいたのは、銀色の髪を持つ少年であった。ふさふさとした毛の襟の長袖を着け、黒い糸で織られたズボンをはいている。

 驚いた事に雪の中裸足だった。状況も忘れてローラは心配する。

 「あの…」

 開いた口は木の棒で遮られた。少年が差し向けたのだ。細い木の枝には一枚の葉が付いていて、ローラの鼻をくすぐる。

 「僕ほシルバ。君ほ誰?」

 とりあえず名を告げるべきだと判断し答える。寒さのせいで声が震えた。

 「あ、あたしはローラ。神崎ローラ…」

 シルバという少年は一瞬首をかしげ、ニッと笑った。白い歯が周囲の白より際立つ。可愛い、と思わされてしまいローラは反応に遅れた。

 「よろしく。ローラン」 握手のつもりか、差し出された木の棒が少し下げられた。小さな間違いは気にしないことにした。『ローラン』はあだ名でもあるのだ。

 「よ、よろしく」

 かじかむ人差指で木の棒に触れると、赤い顔でローラも笑った。シルバは反対の手を伸ばしてローラを立たせてやる。

 雪に囲まれた世界、ローラは本の中みたいだと嬉しくなっていた。

 

 少女の失踪を知る者はまだいない。 

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