憂鬱な夜
柱が一つ崩れる音がした。
ラリアは血まみれの右手をぼんやりと見下ろす。
「お帰りなさいませ、ラリア様」
ヴィシェは周りの燦々たる状況を一瞥して声を掛けた。その眼には何の感情も宿ってはいない。
ラリアは今しがた自分の手によって打ち砕かれた柱に足を掛けて、自嘲気味に嗤った。
「クク…、奴に会ってな」
ヴィシェは報復魔法で柱を復元しながら相槌を打つ。細工の細かいものなので難儀な作業である。
そんな彼女を後ろ目にラリアはつぶやき続ける。
「あやつも随分変わっていたもんだなあ…光みたいに笑う少女だったのに」
視線を感じてラリアは顔を上げる。風が絶え間なく吹きすさぶ宮内は、奇妙な調和を感じられる。かけた足元がゆるりと崩れ、高くなりゆく柱の一部となる。
ヴィシェは真っすぐに主人を見ていた。
尖ったフードに覆われた顔は口元ほどしか認識できないが、長年の付き合いからかラリアには彼女の深緑の眼が見えるようだった。
「無理、なさらないでください」
一言だけそうこぼすと、また柱に集中し始めた。顎に手をつき女王は嗤う。感情の欠けた乾いた息は風と競争するかのごとく城中に響いた。
「流石お前だな」
カチャカチャと石が積みあがる。美しく彫られたエルフによる模様が蘇る。愛おしげに二人はそれを撫でた。 ヴィシェはラリアの言葉が何に対するものかあえて訊かなかった。
城の主は感慨深い表情を携えている。その横顔を見上げながら彼女も何かを感じていた。
「二十年、早かったな」
雪を集めたようなドレスがふわりと揺れる。
「そうですね」
ヴィシェは自分の年齢を知りはしなかった。元々この島で生まれ、島の国家が滅亡した時過去と別れを告げたのだ。そうしてラリアの下へ就いた。
「もし予言通りになったらお前はどうするんだ、ヴィシェ」
少し間が空いた。小さな手が柱からそっと離れる。ラリアも合わせて離し、彼女を見た。
「…また過去を捨てて、どこかへ行くだけです」
忠義や服従を超えた関係がそこからは読み取れた。
出会った当時からヴィシェは何も持っていなかった。そして今、彼女が持つのはラリアとの関係だけだ。
「そうか」
ラリアは爪の長い手を唯一の信頼者に載せた。
フードをなぞり、彼女の背に落ちつく。
しばらくして、ラリアは紅炎色のショートドレスに着替えた。
大陸の者ならだれもが知る、彼女の戦闘着だ。白金の髪をかき上げながら寝室から出てきたラリアにヴィシェはスカーフを手渡す。
紅と良く映える紫のそれは、光を浴びるたびに艶やかに輝いた。さっと肩に巻き付けると、ラリアはヴァルコニーへ闊歩する。
「今度はどこの国だ?」
「大体の位置はお見通しでしょうが、ベルクの隣国イラクエラにて反乱が起きました。首謀者は村長エギ・ティンクトの息子エギ・グレンです。国内は二つの派に分かれ、貴方の味方につくのは北軍です。彼らの服装は特殊で、国民全員が橙の着物を纏っています、北軍は銀の簪を着けているので判別できるでしょう」
骨が鳴る音がした。
ヴィシェの前でラリアは首を回している。
「いっそ壊滅させちゃった方が反発するかなあ」
その口元には歪んだ笑みが現れていた。
「やめた方がよろしいです。イラクエラは古来、精霊信仰を継いできた種族の集まりで成り立っています。ありのままの運命を受け入れる彼らには、たとえ滅ぼされても報復と言う概念がありません」
髪の毛を一本引きぬくと、それで髪を束ねる。
「だったら反乱なんかしないだろう」
ヴィシェは一呼吸置いて続ける。
「反乱分子と言うのはどの国にも生まれてくるものです。エギ・ティンクトも息子を止めようと必死でしたが、若い力と言うのは絶大ですね」
ラリアは灰色の空を見上げて囁く。
「若い…ねぇ」
失言に気付いたヴィシェは繕いが不可能と言うことを知っていた。気まずい沈黙が流れる。二人の脳裏にあるものは同じ、忌々しい予言のフレーズだった。
風を切る音に気付いたところまでは記憶がはっきりしていた。次に目を開けた時ヴィシェは城の玄関まで吹き飛ばされ、咄嗟にかばった頭以外を強く打ちつけたようだ。
遠くで主の声がする。
「お前は悪くないさ…お前はな」
痛む体を引き起こして、彼女はヴァルコニーへ戻ろうとした。
けれども途中でその目的を失った。ラリアは辿りつくのを待たずに空へと駆けだしてしまったのだ。
「…行ってらっしゃいませ」
緑の眼に映る者はすべてがぼやけていた。優しい色がフィルターとなった。その中で、ラリアの姿だけが毒々しいほど鮮やかに浮かび上がる。
彼方の空を飛んでいく紅いシルエットに、ヴィシェは膝を折り曲げ礼した。
ノックの音がしてドアを開けると、王家一紋の二人が立っていた。部屋で休息中だったベストシルバは矢のように走り寄ってくる。
「こんな夜中に失礼な訪問なことね?」
ダルガは眉にしわを寄せながらも冷静に答える。
「我々を見るたびに嫌悪感を隠しませんね、ベス嬢」
黒いネグリジェに着替えていたベスは、侮蔑の証しに頬を中指でなぞる。その仕草を見てもダルガは血管を浮き上がらせるのみだった。
二人のやり取りにはらはらせざるを得ない二人は、もう一人の王家一紋に声を掛ける。
「あの…ナッツさんでしたよね?」
近くで見ると余計に銀髪と黒の前髪が対比されて目に映る。
「ええ、ぺリアで構いません。先程の説明では不足していた部分がありましたので失礼いたしました」
ダルガとベスを殴り飛ばした女と同一人物とは信じられなかった。彼女は優雅に部屋に入ると、慣れているのか付け方の判らなかったライトを灯した。
「部屋の説明もすべきでしたね…」
窓の遮光魔法を打ち消し、ベッドを壁から取り外して広げながらナッツが言う。
「本当にそうね」
何が癪に障ったのかベスは喰ってかかった。
「さてと、ダルガこっち来い」
突然低くなった声に全員が鳥肌立つ。ナッツの眼は漆黒だが、今までは光がさしていた。この瞬間にそれは闇と化したのだが。
ダルガは身長は百九十はあろうか、この時だけは随分と小さく見えた。彼も王家一紋のはずだが、先刻から一度も威力を魅せられたことがない。
彼が近づいた途端にナッツは組み伏した。いきなりのことなので、二人が倒れたのかと思った。続いて重い音が鳴り響く。
ダルガを羽交い絞めしたままナッツはにこりと笑う。
「ミリア王女様居らっしゃったときの無礼では飽き足らず、今この場でもさっきの様な一撃が欲しいのでしょうか?」
嫌な音が聞こえる。
「ちょっと…骨折れるんじゃないの?」
ナッツはベスの忠告を耳に入れなかった。
「…っ待て待てナッツ…悪かったって」
ギリと一度鳴ると、ナッツは満足したように立ちあがった、かのように見えたが次は美しい靴を纏ったその足でダルガの背中を踏みつける。
流石にローラは震えざるを得なかった。
「ぐうっ」
にこりともう一度笑った彼女の眼には、殺気が宿っていた。
「あんたがそんなだ・か・ら、仕事がないのよ私たちは」
言葉が切れるたびに足を振り上げるナッツに、ダルガは為す術もなくやられていた。
「血でてるって、血でてるナッツ!」
「知るか!」
床が落ちたかと錯覚するほどの衝撃が走った。
ダルガが悶絶する。ナッツは静かにそこから離れてローラのほうへ来た。
「お見苦しい所すみません、彼は名義上私の兄となりまして、無礼を正すのは私の役目なのです」
小刻みに震えていたローラはこくこくとうなずいた。
「あんた…、ッ最高ね!」
ベスは眼を輝かせながら同士の到来を喜ぶ。
「ダルガさん…手当てすべきじゃ」
シルバの困った声を突き破り、返事が聞こえた。
「…心配ないですよ、あばらが二本折れただけですから」
今度こそローラは気を失わなかった自分を褒め称えた。
ふらふらと立ち上がったダルガだが、ローラの下へ就いた時は既に直立を保っていた。妙なところで王家一紋の意地を感じ、苦笑いしてしまう。
「ナッツは、多分ベルクじゃ最強の戦士です…」
「ダルガは、多分ベルクじゃ最弱の戦士ですね」
ベスは勝ち誇ったようにダルガを堂々と見下した。
髪を整えたナッツが早速話を始める。
「一応ダルガが私の兄と言うことに関係するのですが、ベルクは今ビグぺロと一触即発の最悪な状態です。月夜に一度は砲撃が始まり、応戦することとなります。しかし、我らが王女ミルル様は戦いを嫌悪していますため、この戦争は長く続けるわけにはいきません」
座り心地がいいとは言え、一つのソファに五人が座るのはどうかと思いつつローラは頷く。
「私とダルガがあなた方一行の護衛を引き受けました。必要とあらば、ラリアの城までお供いたしましょう。ですが今は、ビグぺロ国の襲撃に備えなければなりません」
「予言一つで、そこまでやりますか…」
ローラのつぶやきに全員が顔をしかめた。
「予言は絶大な効果を発揮いたします。ある時は国の決まりなどさえ消してしまうほどの」
「だから地下街が政府を打ち砕くとか予言が出ればいいんだけど」
「そうなれば、難民が溢れかえるでしょうけど」
ベスの横やりをするりとかわしてナッツは口を開く。
「多分伝達では今日襲撃が…」
爆発音が部屋の外からした。合わせたように五人が立ち上がる。
ダルガとナッツは眼を細めて音の出所を見当づけると、個々の武器を取り出して応戦状態に入った。
「ダルガはローラ様達を」
「わかった」
「このハゲと!?」
ナッツは軽やかに廊下へ飛び出して行った。両手にはさんだ魔球を壁に空いた穴から放つ。
まさに、最強の戦士にふさわしい姿だった。
「こっちへ」
ローラはダルガの手を頼りに、歩き出した。