王女の願い
「お呼びしましたか?」
扉の開放魔法の光と共に、見覚えのあるシルエットが浮かび上がる。シルバとベスが反応した。
「あんたあっ」
スキンヘッドとしか呼びようのない頭を揺らさずに男が近づく。怪訝そうにベスを見下ろすと、低い声で言った。
「おや? どこかで見た顔ですね」
ベスはその挑発をまっすぐに受け取り、飛び出すように立ちあがった。男の前まで踵を鳴らしつつ行くと、最大の侮蔑を含めて怒鳴る。
「あんたみたいなはげには優秀な記憶力が備わっていないようねえ!? 一国民なんざ覚えてませんですってか、いい御身分で。こんな奴が王家一紋なんて、ビグぺロ国の方がましじゃないかしら」
ダルガと呼ばれたその男は、冷静な態度を少しずつ崩していた。
「ええ、ええ。あなた方はこの仕事のすべてを知っているわけではありませんからね。疲れていたら人の顔も忘れてしまうんですよ。それより…誰がはげですか?」
ナッツが音を立てずに二人の後ろへ回り込む。肩を怒らせているのにローラは気付いた。
「鏡を見て頂きたいわ。あなたの頭は立派なそれよ」
ベスは優雅に口に手を添えながら意地悪く笑った。
「私の実力が見たいのなら正直に決闘を申し込めばよろしいのでは?」
その台詞にシルバが震えた。ベスの魔法を垣間見て、その実力は知っているものの相手は国一番の兵士である。何故か、彼が吹っ飛ばされたところを目撃したのだが。
「受けて立つわよ」
ベスの唇が閉じた途端三人が同時に動いた。
ベスとダルガはお互いに手を振り上げ攻撃を構えた。彼らの後ろに立つナッツは、その二人を全力で殴り飛ばした。
もう一度王家一紋が飛ぶのを見たシルバは、ただ口を開けているのみだった。
こもった音が二つ響き、二つの影が倒れる。
彼らを追い打ちするかのごとくナッツの冷たい声が突き刺さる。
「神聖な皇室を乱すなんて下賤な真似よく出来るわね」
ローラは危うく吹き出すところだった。
落ち着いたところで、ミリア王女が静かに声を紡ぎだす。
「ここにいるダルガとナッツは私が最も信頼している兵力です。彼らはラリアへの対抗策を知っていらっしゃいますし、魔法も武力も保証できます。まず、ダルガに今の戦況を説明させましょう」
ダルガは頬に手を当てることもなく無表情だったが、職務を与えられ厳しい顔つきに変えた。ローラは自分へ視線が集中したのを感じ、身構える。
「先程ベスお嬢からも出ましたが、我が国は今ビグぺロ国と対立しています。長らく続いているため和解は難しく思われます。彼らの要求についてはお話ししましたか」
「してないわ」
ナッツが返事をする。彼女は見張るようにダルガの後ろにいた。
「予言の話もまだですかね。まあ、聞いていたとしても詳しくお話ししましょう。二〇年前、影のラリアの正体が大陸全体に勢力を伸ばした頃です。クエンセル島の魔術師が予言を告げられたのです。正確な内容はこうです。『太陽が告げる訪れ。異国を渡りし少女が現る。少女を守るは幾多の兵士。赤き石が割れる時、死者は紅の中生を得る。母体へ戻るは少女たち』。この予言にいち早く反応したのがビグぺロ国でした。ビグぺロはラリアの率いるラスディアと協定を結んでいたのです。ビグぺロ国の王家一紋は例の魔術師を探し出し、更に詳しい予言を得たようです」
「拷問を用いてね」
ベスが苦そうに口をはさんだ。ダルガは彼女を一瞥すると、話を再開する。
「そうですね、ビグぺロ国は太古から非道さが有名でしたから。とにかく予言の続きはこうでした。少女はベルク国のどこかに舞い降りる、と。彼らとしては、ベルクを手に入れ異国の民も手中に収めるつもりだったのでしょう」
ローラは顎に手を掛け悩んでいたが、強い眼で質問した。
「判らないんです。予言では、私が何をするとは明確に出ていません。何故そうまでして私を探し出そうとするのですか?」
答えたのはナッツだった。
「予言と言うものは捉えようがいくらでもあります。ビグぺロ国はただ赤き石、紅玉を破壊されるのを恐れたのでしょう。ラリアと手を組んでいる以上、それだけは阻止したいはずですからね」
「紅玉?」
ナッツが片眉をあげた。
「存じませんか? ラリアの力の源です。その力がなければラリアは一介の魔術師に成り下がると言われるほど絶大な力を秘めています。忌わしい石です。ラリアが願いをかなえるという噂はお聞きですか?」
ローラとシルバ、ベスが頷く。
「その噂は私たち政府側から見れば、悪しき植物の罠と同じ。甘い匂いで誘われたものはすべて…あの石の魔力の一部になるのですよ」
「どういうことですか?」
ナッツが優しく微笑んだ。
「知識欲が大きいことは嬉しいことですね。しかし知らなくてもよいことを聞くことになりますよ」
おとなしく座っていたベスから声が上がる。
「知りたがる者の前では如何なる者も拒めないわ」
ナッツは軽く指を鳴らしたが、ベスに攻撃的な態度を示すことはなかった。一つの沈黙を超えると、ゆっくりと話を再開する。
「多分ベスさんに誘われここまで来たんでしょうね。だから、嫌な説明は我々に押しつけますか。流石です。御望みどおりお話しいたしましょう」
ベスと似ているかもしれない、ローラはそっと考えた。ベスは歯ぎしりせんばかりの顔でナッツを睨みつけている。
「紅玉は思えば二一年前、完全なラリアによって発掘されました。闇と光に人格が分かれる前のラリアです。そのラリアはハルと言う一人の少年と共に元の世界へ帰る方法を探していました。あなたのように。旅路の果て、ラリアは紅玉に辿りつきその力を持って帰ろうとしました。誤算は一つだけでした」
口をつぐむと、空白が続いた。
様子を見守っていたダルガが引き継ぐ。
「紅玉の力が暴走したのですよ。幸か不幸か、紅玉のあったのは大陸から離れた無人島でしたから、巻き込まれた者はいませんでした。しかし、それによってラリアは人格を二つに分けられ、光のラリアは元の世界へ、影のラリアは此処の女王となったのです」
息をのんだのをローラは悟らせまいとした。シルバの視線が横から刺さる。
「今紅玉を手にしているのは勿論影のラリアです。ビグぺロ国を手を組むラリアです」
ひとところ伝えたいことは終わったのか、ミリア王女が口を開いた。
「そこで、ローラさんにやって欲しいことは…」
「命令でなく、対等なお願いとしてよね?」
押さえつけるようにベスが横槍を入れた。王家一紋の二人は無礼を制さんと構えるが、ミリア王女はにこりと応じる。
「私には異国の民と話すだけの権利しかありませんわ」
前に乗りだしていたベスが引き下がった。見かけによらないわね、と囁いたのが聞こえた。
「ローラさん、ラリアの出す命を掛けたクイズゲームに答えられるのはラリアと同じ異国の民だけだと伝えられています。我が国から、何人もの勇敢なものがそれを覆そうとラリアの城へ向かい、紅玉の一部と化してしまいました。王女として、暖かな血を持つ一族として、私はあなたにお願いします。ラリアのゲームに勝ち、戦争を止めるよう頼んでいただきたいのです」
がくんと視界が揺れた。勢いよくそばの二人が飛びあがったらしい。
「ローランに負担を掛けさせる気ですか?」
「ローラを戦争の手ゴマの一つにする気?」
王家一紋は今にも飛びかかろうとしている。ミリア王女は、ただ二人を見つめていた。 一人ソファに取り残されたローラは、小さく決意ある声を絞り出した。
「引き受けましょう」
もう一度視界が揺れる。二人の腰が抜け、落ちてきたようだ。