王女の部屋
女王は目的もなしに空を飛んでいた。大陸を見渡せる高度で。
今一度見てみると、つまらぬものだった。何処にも狂気はなく、ただ従う心が漂うのみだ。
「お前はどう思うよ」
腰の下で獣が唸る。
「ああ、そうか。こんな世の中でも解放されたいのか」
ラリアは無表情で笑った。髪をすきながら、ベルクを見下ろす。
大きな国だった。それは過去の話だ。今見えるのは、虚栄と幼い権力に納められた弱小国。
「つまらぬ、つまらぬな…なあ、貴婦人。早く私を楽しませてくれ」
先程見失った彼女の顔を思い浮かべた。こみ上げてくるのは憎しみのみ。彼女にやられたことを忘れたことはない。
心の古傷が疼き、ラリアは獣に手を突いた。息が荒い。
もう一度下界を見下ろすと、少し活気づいて見えた。
「私も弱くなったものだ、だから、誰か倒しに来い」
その声を空は静かに聞いていた。
宮殿についたベス一行は、否応なしに広間へ連れられた。ベスが始終抵抗したせいで、清めのために用意された風呂や、着替えが大変だった。
「ふざけないで。こちとら生活に困ってないんだから、こんなドレスなんざいらないわよ」
宮中の女たちはその度に冷静な対処を施す。
「では、後ほど返して下されば構いません」
言いながら、ベスの腕にそでを通す。
「誰がそんなことするものでしょうかね、地下街のやつらにあげたげるわよ」
「ええ、どうぞ」
ようやく腰のリボンが結び終えた。
シルバは、真っ白なドレスを着せられそうになり、必死で拒絶した。
「ぼく、僕ほ男だよ…」
手入れされていない彼の髪は肩ほどで揺れ、生まれつき長い睫毛の所為で少女にしか見えなかったのだ。なんとか納得してもらい、黒い背広を手に入れたが丈が合わず、結局元々来ていた服で許可をもらった。
一番の難関はアリグルだった。
おそらく、王家一紋のスキンヘッド男は気付いていただろうが、女達に判るはずもない。宮中にいる犬に激しく違和感を覚え、事があるたび追い出そうとしていた。
「足が泥で汚れていますわ」
「庭の噴水場でお洗いしましょう」
「体が濡れていません事?」
「きっと病をお持ちよ」
その度度シルバが弁解し、何とかローラの下へたどり着いたのは太陽が傾き始めたころだった。
ローラは扉から入ってきた影に、歓声の声を上げた。
「シルバ! ベスさんっ、アリグルさん…」
自分の声が予想以上にむなしく響いたので、ローラは遠慮がちに音を下げた。呼応したのはやはりシルバであった。
「ローラン、ローランっ。よかったあ、ぶじだったんだね」
朝より美しくなり、良いにおいのするシルバが、ローラを抱きしめた。
「ちょっと、ちょ…シルバ痛い痛い」
ローラは顔が真っ赤になるのを感じながら、シルバを引きはがそうとした。シルバもそれに気付き、あどけない笑顔でローラを見る。
「元気?」
「元気よ」
「よかった」
にこりと。周囲の視線が刺さっていることが辛くなり、ローラは周りに注意を向けた。
とくに、ついさっきまで一緒に話していた王女がくすくすと笑っているのに顔が熱くなった。だが、それに怒りを覚えた人物が一人。
「あらあらあらあらー。オルスターニ家の王女様ではございませんかぁ。随分とお元気ですね。前回のビグぺロ国との対談に御欠席なさったようで、心配しておりましたわ」
丁寧な口調とは裏腹に、彼女の顔に笑みはない。
「こちらが、ベスさんね」
そんなベスに何の躊躇も抱かず王女が振り返る。王女の姿を見て、シルバは口に手を当て、ベスは眉をあげた。
王女、ミリア・オルスターニには、両の腕がなかったのだ。
皇室であろう部屋に導かれ、ローラ達は柔らかいソファに座っていた。
ローラが真ん中に、シルバとベスが左右にいる。アリグルはどこかに消えていた。シルバの耳打ちによると、皇室に仕掛けられた護術の所為で気分がすぐれないようだ。
「では、ローラさんの友人が揃ったところで本題に入りますわ」
ミリア王女がまっすぐにローラを見据える。空気を止めたのは右隣の女性だった。
「ねえ、あんたの手はどうしたのよ」
シルバはさあっと血の気が引くのを感じた。
「べ…べスさん、仮にも相手は王女様ですよ」
「答えなさいよ」
ベスは怖じ気と言うものを持っていない。深紅のドレスをまとっているので、さらにすごみが増している。黒髪が目にかかるのも気づいてないようだが、それがさらに美しい。
ミリア王女は、静かに目を伏せると、誰かを呼んだ。
ナッツと言う声の後に入ってきたのは、ローラに話しかけたあの女性だった。銀髪で前髪だけが黒く染まっている、若い女性だ。澄ました顔で入ってくると、王女の側にひざまづいた。
「何でしょうか」
「紅茶を頂けます?」
ナッツは素早くカップと取ってくると、慣れた手つきで王女に飲ませてあげた。
「では、失礼します」
ナッツが去ると、ミリア王女は強気に微笑んだ。
「お話しましょう。この国の今の危機を」
ベスが鼻を鳴らす。ローラは背中を伸ばした。
皇室内は、暖かな光に満ちているが、何処にも灯りがない。絶えず空気が揺れており、音楽が流れているようだ。全てエレクトで管理されているのだろう。
「この大陸は、約九二〇五年前に海の中から浮かびあがりました。その時住んでいたのはドラゴンと小人族のみです」
「あたしが歴史学者だって、先に言っとくわ」
ベスが口を挟む。
「そうでしたか、では私の話をしましょう。私はミリア・オルスターニ、オルスターニ家の四代目です。ご存知かもしれませんが、ベルクはラリアによって作られ、私の一族も支配下にあります。しかし、直接的にラリアに指示を出されることもなく、ただラリアを攻撃しなければよいという協定があるだけです」
「そうなんですね」
ローラは知識を整理しながら真剣に聞いている。
「ラリアが猛威をふるい始めたのは、オルスターニ家第一代ヒェンリア・オルスターニが戦争に勝った時です。あれは二〇年前でした」
「ちょっと待って、私はずっと疑問なんだけど、何で二〇年で四代目にまで下りてきちゃったわけ?」
ベスのこの口調が、既に皇室に慣れ始めている。
「疑問に思うのも不思議ありません、わが一族はわずか二〇年の間に勢力を争いすぎたのです。隣国のビグぺロと」
シルバが、テーブルに置かれたケーキをつまむ。桃色のクリームで飾られたそれは、見慣れない波型だった。
「ビグぺロ国との戦争のきっかけは、知っていますね?」
ローラ以外の全員がうなづいた。
今気付いた事だが、部屋の中にはローラ一行とミリア王女、少し後ろにナッツと五人だけだった。よほど信頼されているのだろうか。随分警備が薄い。ローラはぼんやり考えた。
「あのキク少年がラリアの城に忍び込み、ラリアを刺したと言うことでしたね。色々な仮説もありますが、私はこれが真実だと思って話を進めます。ビグぺロ国が勢力を着け始めたのは五年前。何が原因なのか知る者は少ないでしょう。私も知り得ません。ベスさん」
「あたしも知らないわよ」
「あなたは先ほど私の欠席を責めましたね。ええ、私は怖いのです。六年前、わずか八歳の時に王女に即位し母もいないまま動くこの身が怖かったのです」
「ビグぺロの新兵器よね」
「はい、我が国の部隊は壊滅に追い込まれ、わずかに生き残ったのは王家一紋たちでした」
王女がナッツを顧みる。
「ミリア王女、ダルガを呼んでまいりましょうか?」
そのアイコンタクトが何を意味していたのか、ナッツはそう言うと部屋を出て行った。扉の前で、一分魔法を唱えてから。
扉からエレクトの光が消えると、ミリア王女は話し出した。
「今、あなた方に必要な知識を持つものを連れてきますわ。そして、ローラさん。あなたに今、正式に依頼します。ベルク国の王女としてです。この国を救って頂きたい」
わずか一四歳の彼女の眼には、王女の風格が宿っていた。