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お手伝いしても良いかしら?

 レネシュ城へ嫁いで数日。驚くべきことに――とても暇だ。

 何もしなくて良いとの言葉は、本当にそのままの意味だったらしい。炊事も掃除も洗濯もしなくていいのに、食事はきちんと提供されるなど信じられない。

 ……と感動を伝えたルーチェに対し、メリルは珍しく難しい顔で額を押さえたのだった。


 初対面以来、夫の姿は見かけない。どうやら食事の時間も合わないようだ。

 悲観的な思いはなかった。レネシュに来なければもっと辛い生活が待っていたはずだから。城も美しいし、人々は親切だし、それに夫は聡明な人物のようだったし……格好いいし。

 嬉しい誤算だ。たとえ契約でも、尽くすなら好ましい相手の方が良いに決まっている。小鳥の騎士様とはまるで違えど、昔から、騎士というものには惹かれてしまうのかもしれなかった。聞いていたほど冷酷な人物にも見えない。


「はあ……」


 部屋で鏡を見ては落胆する日々。艶のない赤毛、何の変哲もない造形の顔立ち。痩せた体はドレスに着られているかのようだ。いくら本人が気にしないと言っても、見た目は到底釣り合わない。


 ふと見た机には小さな瓶。中身は軟膏だ。エリオットからの命令だと言って、侍女が置いていったもの。

 手の、ひびやあかぎれの痕を見下ろす。せめて役立たずと思われないため、懸命に努力する以外ルーチェに道はないのだ。



 昼間はメリルを伴い、道を覚えるついでに城内をよく散歩する。

 彼女が少しずつ心を開いてくれている気がするのは、ルーチェにとって嬉しい変化だった。どこへ行くにもついてくることに関しては、やや過保護にも感じるが。


「こんにちは」

「あっ……お、奥様!」


 城内で働く人々へ声をかけると、毎回なぜか驚かれた。というか、怯えられた。

 中庭の渡り廊下ですれ違ったのは、台車を押す若い騎士達だ。


「何をされているのですか?」

「ええと、訓練で壊れてしまった木の剣を、薪割り場に運ぶところで」

「これを全部? すごい量ね」

「ああっ、そんなに近付かれると我々まだ汗を流していませんから……!」

「え?」

「いえそのっ、臭いが」

「別に気にならないけれど……?」


 箱の中を覗き込むと、大量の折れた剣。単にひび割れたものから真っ二つに折れたものまで様々だ。訓練の厳しさが窺えた。魔物を相手にするだけのことはある。


「エリオット様もこうした剣を使われるの?」

「はい……あっいえ、決して乱暴な方では!」

「それはわかっていますが……?」

「へ?! あ、あー、そうですよね!」


 なんだか様子が妙だった。彼らはあからさまに胸を撫で下ろす。ルーチェは単に、夫が怪我をしないといいなと思っただけだ。

 初対面の時、壊れ物のように指先を掴んだ手の感触を今でも覚えている。体格は立派だが、乱暴だと思うはずもなかった……あの噂はともかくとして。


「……なあ。怪しい動きなんてするようには俺にはとても……」

「シッ。内緒にしろと団長に言われただろ!」

「あの……?」


 何やら言葉を交わしていた騎士達は、慌ただしく直立の姿勢をとる。


「ああいえ! 団長はですね、剣もお得意ではありますが、特に槍の名手でいらっしゃるんです!」

「槍の? さぞ勇ましいのでしょうね。一度でいいから見てみたいわ」

「奥様がご覧にならなくても良いようにするのが我々の務めですけど。あの方は一騎士を庇うために身を呈するくらいお優しくて、勇猛な方なんですよ!」

「そうなのね。ふふ、エリオット様がとても愛されているのがわかるわ」


 頬を上気させながら捲し立てる様が微笑ましく、つられてルーチェも小さく笑んだ。


「皆さんが命懸けで守ってくれるから、レネシュの人達も、もっと向こうにあるわたしの故郷の人達も、安心して暮らすことができるのね。ありがとう、これからもよろしくお願いします」

「は――はい! ありがとうございます、奥様!」


 改まって敬礼されては恥ずかしい。適当にその場をとりなし、照れくさいのを誤魔化すために最後に小さく手を振って、半ば逃げるように離れる。


「ねえメリル」

「はい」

「わたし、変じゃなかったかしら?」

「変、ですか? どういったところがでしょうか」


 熱い頬を両手で挟む。ルーチェの中では失敗の記憶が増えるばかりだ。


「ちょっと調子に乗ったというか、えらそうだったかと、思って……!」

「そんなことはありません。それに実際えらいのですから、気にされなくても良いのです」

「そ、そう?」

「ああでもそういう小動物みたいなところも最高に萌えまゲッフンゲフン!」

「あの、メリル……?」

「いえ、なんでも。さ、次の場所へお付き合いいたします」

「メリル、ええとね? あなた、鼻血が……」

「……失礼を」




 今度は談話室で、ひとりの侍女が皿や花瓶を並べて磨いていた。この一部屋だけで壮観ともいえる調度品の数々だ。


「お城の中が清潔で気持ちがいいのは、こういった細かい掃除のお陰なのね」

「わ、お、奥様?!」


 屈んでテーブルの脚を拭いていた彼女は、慌てて背中に何かを隠す。

 衝動的にルーチェがひょいと覗き込むと、体勢を崩した拍子にそれを落としたらしい。絨毯に当たる鈍い音がした。


「あっ!」

「あら?」

「これは、ち、違うんです!」


 ゴロンと転がったもの。怯える彼女が必死で隠そうとしていたのは……瓶に入った、白い粉。


「これは何か、訊いても?」

「……灰です」

「灰?」


 傍らの容器に貯められた水は、確かに布巾の汚れにしてはかなり濁っている。


「灰を混ぜて拭くの?」

「そうすると汚れがよく落ちるので……も、申し訳ありませ――」

「まあ! そんなやり方があったなんて」


 早くに知っていたら、多少は義姉からの叱責も軽く……は、ならなかったかもしれないが。


「全然悪いことはしていないじゃない。驚いちゃったわ」

「お、お叱りにならないのですか?」

「どうして?」


 か細い声で訊ねる侍女の顔色は真っ青だ。今度はルーチェが驚く番だった。


「その、ゴミを塗りたくるなんて汚い、ですとか……」

「まさか! 効率よくお掃除するのは素晴らしいことでしょう。灰なんて、暖炉の側にいたらいくらでも飛んでいるし」


 がっかりさせないためにも、少し前まで自分が煤まみれだったことは口にしないでおく。

 と、並べられた品の中に錆びた燭台がある。血が騒ぎ、堪らずに手を伸ばすと、固まっていた侍女は思い出したように肩を跳ねさせた。


「錆をとるのには塩がいいのよ」

「え……塩……ですか?」

「ええ、普通にいつも食べているお塩。表面を削る感じね。やりすぎると傷だらけになってしまうけど」


 掃除は嫌いではなかった。こういう細かいものを磨く作業はむしろ好きだ。といっても、ローレンス家にはここまで値が張りそうな品物はなかったが。


「そうだわ。お手伝いしても良いかしら?」


 ぱん、と手を打ち合わせる。年若いその侍女は目を白黒させた。


「もちろんお邪魔なら控えます。けどこんなに広いお部屋だもの、少し手分けをと思って」

「いえ、でも、そんな……!」


 窺うようにメリルを見る。彼女は無表情のままに頷いた。


「奥様が望まれるのなら構いません。自由にお過ごしいただくことがエリオット様からのご命令ですので。ただし、くれぐれもお怪我などのないように」

「気を付けます。ドレスは汚れてしまうけど……あっ自分で洗うから大丈夫よ?」

「いえ、お構い無く」


 メリルが目線で促すと、まだおどおどしたままの侍女は両手で布巾を差し出した。


「よしっ」


 できることを見つけても安心はできなかった。レネシュの使用人達は誰もが真面目に、そして楽しそうに役目を果たしている。

 ずっと務めてきた彼らに、余所者のルーチェは敵わない。それはわかっていても、行動しない理由にはならなかった。


「あ、あのっ」


 両方の袖を思い切り捲り上げたところで、ようやく若い侍女はぎこちない笑みを見せる。


「ありがとうございます、奥様!」



「メリル。もし別の予定があったのならごめんなさいね、付き合わせてしまって」

「私の務めは、奥様にご不便をおかけしないようにすることですから」


 散歩を終え、夕食と入浴を済ませる。部屋で寝る支度をしていると、いつものようにメリルがお香を持ってきた。環境が変わったことに対する気遣いらしい。よく眠れる効果があるそうだ。


「ありがとう。ところで、エリオット様って遠征にお出かけなの? 今日も一度もお見かけしなかったのだけど」

「いえ、領内にいらっしゃいますよ。昼間はちょうど砦に行ってらしたかもしれません」

「そう……本当にお忙しいのね」

「何かご用があればお伝えしますが」

「用事、ではないのだけど」


 少しだけ言い淀む。感謝を伝えたいし、もっと話をしてみたい。でも、それよりも。


「興味、かしら? エリオット様の生態が謎すぎるんですもの」

「生態が謎……ンンッフ」


 メリルの不自然な咳払いにルーチェは数度、瞬くだけ。共に過ごすうち、たまに彼女の様子がおかしくなるのには慣れてきた。


「そうね、良いことを思い付いたわ。明日はエリオット様と同じ時間に起こしてくれないかしら? 朝なら確実にお会いできるでしょう。どんな一日を過ごしていらっしゃるのか、この目で確かめてみたいの」

「それは構いませんが」

「もちろんお邪魔になるようなことはしないわ」

「承知いたしました。ですが、かなり早いですよ?」

「頑張って早起きします……!」

「さようでございますか」


 ルーチェの決意表明に、侍女はほんの少しだけ微笑んだ。

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