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働きものの少女と働きすぎな領主 ~死相を見られる令嬢は、夫に長生きしてほしい~  作者: 笛吹葉月


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もっと君を理解したい

 駆けてくる足音が聞こえた。

 ――通りすぎないで、どうかお願い、気付いて……!

 神様に祈りが届いたその瞬間、薄暗い倉庫に光が射す。口に布を噛まされ後ろ手に縛られている少女のもとへ、駆け寄ってきた顔は青ざめている。


「奥様ッ!」


 急いで縄を解いてくれる騎士は必死の面持ち。ルーチェは涙が溢れそうになったのをぐっと堪える。これ以上の心配をかけたくはなかった。


「……っ、ロディ!」

「ご無事で良かった! 痛いところは? お怪我はありませんか?!」

「大丈夫、大丈夫よ、ありがとう! 迷惑をかけてごめんなさい……!」

「やめてください。ああ良かった、本当に……」


 彼はそのまま座り込んでしまう。よく見れば汗だくだ。はあっ、と大きく息を吐く姿に、申し訳なさと嬉しさが入り交じる。

 いつものように、空色の目が悪戯っぽく細められた。


「まあ、ね。こうして格好良く登場しても、あなたの心は得られないのでしょうけど?」

「ロディ」

「はは、なーんて顔をなさってるんですか。冗談ですよ冗談」


 むに、と片頬を軽くつねられる。驚き固まっていると彼はまた笑い、その切なげな眼差しに、なんとも言えない感情が込み上げる。


「それが奥様の気持ちなんですから。どうか大切にしてあげてください」


 見つけてくれたのが彼で良かったと思う。でも、ルーチェが今すぐに会いたいのは。


「行きましょうか。団長が心配のしすぎでまた倒れてしまう前に、ね?」



 広間の扉をそっと開けると、どうにも妙な静けさが満ちていた。まさか終わってしまったのではあるまいし、と二人で身を滑り込ませる。果たして、パーティーはまだ続いていた。

 ひとりふたりが振り返ったが、大半の視線は中央にいる男女に釘付けだ。


「私はルーチェを心から愛している」


 背伸びをして覗き込む……


「エリオット様?!」


 向き合っているのは先ほどの女性。真っ赤な顔を歪め、彼を睨み付けている。


「わお、熱烈」


 隣でロディが呟くと同時、エリオットが踵を返す。ウォルガー伯爵が懸命に汗を拭っているが、誰も一言も発しない。招待客がそそくさと道を開けたせいで、棒立ちしていたルーチェ達にもすぐさま気付いた。


「あ……」


 どかどかと足音も荒く寄ってくると、ロディに対して小声で礼を述べる。表情は険しく、数刻前とは別人だ。鷹のような眼差しは一向にルーチェの方を見ない。


「悪い。恩に着る」

「あーあ、派手にやったみたいですねえ。ま、後はうまいこと片付けておきますから」


 目を合わせることもなく、ぐっと手袋の上から手首を掴まれる。まるで容赦がない。


「帰るぞ」

「まっ、待ってください……!」


 返答も聞いてもらえず力強く手を引っ張られる。助けを求めて振り返ると、極寒の空気の中、ロディだけが場違いなほどの笑みで手を振っていた。


 会場を出てもエリオットは立ち止まらない。何も言わずにずんずんと進んでいく。


「あの、エル……っ」


 あまりの早足に転んでしまいそうだ。大事なパーティーを、途中で辞してきて良かったのだろうか。しかも向かっているのは馬車の乗り場ではないらしい。


「待って、どこへ――」


 建物の影、誰もいない暗がりへと連れ込まれたかと思うと、ルーチェは唐突にがばりと抱きすくめられた。


「エル……?」


 怒られるものだと思っていたから、思わず目を白黒させた。のしかかるような重さが少しだけ息苦しかったが、しばし彼はそのまま動かない。

 大切な衣装に化粧がついてしまうと、そんな言葉を口にすることもできなかった。身を屈めて頭を首筋に埋め、ず、と鼻を啜った音。


「怖かった」


 くぐもった声が小さな子供のよう。大きな体が震えていることに気付き、胸が痛くなる。


「くそ……っ。頼りなくて、すまない。怖い思いをしたのは君のほうなのに」


 応えるように、ルーチェもかたい体へと精一杯に両腕をまわした。少しでも安心してほしくて。


「ロディにも何度も謝られました。……そもそもわたしに自覚が足りなかったのがいけないのです。ごめんなさい、いつも迷惑をかけてばかりで」

「迷惑だと、君に言ったことがあるか?」

「いえ、そんなことは」

「俺の気持ちを決めつけるな」


 叱責というより懇願だった。思わず口を噤む。


「君に我慢をさせているのかもしれないと思うと恐ろしかった。魔物の群れを相手にする時よりも、ずっと」

「……」

「俺は優れた夫ではないし、この先どれだけ時間がかかるかわからないが。もっと君を理解したい。君を幸せにしたいんだ」

「エル……」


 そんなことを言われたら、化粧だけではなくて、涙や鼻水まで服につけてしまいそうだ。


「もし君が、音楽が好きなら楽隊を招こう。読みたい本があるなら取り寄せる。旅行に行きたいなら供を工面するし……あまり遠出されると困ってしまうが」


 表情を窺うことはできないが、彼はきっと少しだけ渋い顔をしているのだろう。愛おしくて愛おしくて、ルーチェは幸せを噛み締める。


「どんなことでもいい。ルーチェ、望みを教えてくれ。俺に何ができる?」

「わたし――」

「気を遣わなくていい」

「ま、まだ何も言っていません」

「君は自分のことを後回しにしがちだ」


 不機嫌そうな早口の後、なだめるように背を軽く叩かれた。「俺は」と改めて切り出した声は優しい。


「きれいな景色に遭遇したら、君に見せてやりたいと思うし、うまい果物に当たった時は分かち合いたいと思う」


 腕の中でルーチェは頷く。


「わたしも、同じ気持ちです」


 これまでずっと他の人に喜んでもらうことが幸せだと思ってきた。役に立たなければ価値はないと。

 だが今は、生きているだけで喜んでくれる人達がいる。

 ルーチェはもう自由だ。なんだって手に入るのかもしれないが……望みは一つしか思い付かなかった。


「もっとお話をしたい。です」

「……俺と?」

「他に誰がいますか!」


 泣きながら思わず笑う。外ではあれほど堂々としているのに可笑しな人だ。この期に及んで彼以外を見たりしない。


「うん……うん。容易いことだ」


 生真面目に約束を。彼は少女の願いを嘲笑ったりしなかった。


「ふふっ」

「ルーチェ?」

「いいえ。エリオット様って、本当に真摯な方だなと思って」


 小さな頃からとっくに知っていたことだ。誠実で愛情深く、困っている人を放っておけない。


「そういうところが大好きです。心から」


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