表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/41

おいしい……!

「お疲れのところ申し訳ありませんが、先に城内をご案内させてください」


 領主を見送った後、メリルに促され立ち上がる。知らないうちに握りしめていた両手が汗ばんでいた。


「大丈夫です。親切にどうもありがとう」

「……務めですから」


 彼女は一瞬だけ言葉を探すように瞬いた。


「こちらは後ほどお部屋までお運びいたしますね」


 軽すぎる鞄を持ち上げ、壁際へと移動させる。ルーチェは思わず声を上げた。


「あ、よかったら!」


 少ない荷物から取り出したのは砂糖菓子。アンヌが餞別にと用意してくれた小さな土産だ。


「少しですけど、セシリアのお菓子を持ってきたの。お近づきの印に……!」


 ウサギの形をした菓子をひとつ、手のひらにのせる。侍女は色のない視線でそれを見下ろしたが、突き返すようなことはしなかった。


「ありがとう、ございます」

「こちらこそ。受け取ってくれてありがとう」


 ルーチェは顔を綻ばせる。ひとまず門前払いはされなくて良かった。好意を受け取ってもらえたことにも安堵する。


 ぐうう……。


 一息をついたところで、情けない音がお腹から鳴った。はっとしたように目を向けられ、一気に顔を赤くする。


「……お返ししたほうが?」

「いいえ! いい、いいの! ごめんなさい」


 端正な顔立ちが、かくんと傾げられている。なんとも間が悪かった。


「失礼しました。もうお昼を過ぎていましたね。お食事のご用意をいたしましょう」


 優秀な侍女はもちろん笑わなかったが、返す謝罪の声は小さくなる。来たばかりで卑しいと思われやしないか。見られない隙に顔を手で扇ぐ。



 少しだけ落ち込みながら、言われるがままに城内を歩く。

 明るい雰囲気だ。華美な装飾品は少ないものの、隅々まで清掃が行き届いている。


 ルーチェは領主の配慮を思う。最初の通路は裏口か何かだったのかもしれない。あんな風に人目に触れない状況なら、契約を断って帰っても支障はなかっただろう。


「あの、すみません」

「はい」


 恐る恐る声をかけると、メリルは律儀にもその場で立ち止まった。


「失礼なことをお訊きするのですけど、領主様って、その……ご病気だったりしますか?」

「いえ? 健康とは言い難い生活をなさってはいますが、大病を患われたようなことはございません」

「そっそうですか」


 怪訝そうな返答には曖昧な笑みを返す。

 ともかくあの濃い『影』が心配だ。嫁いですぐに未亡人にはなりたくない。不健康な生活とは、どの程度のものだろう?



「着きました。お食事はこちらで」

「わあ……!」


 当然わかってはいたが、ローレンス家の広間よりもずっと立派な食堂に目を瞠る。

 テーブルには清潔なクロスが敷かれ、飾ってある花も瑞々しくよく手入れされていた。恐らく領主の席であろう上座。背にした大きな窓からは、たっぷりの光が射し込むに違いない。


「――は? えっ? 今からですか?! そんな急に」

「エリオット様のご命令です」

「だ、だって、好き嫌いもまだ教えていただいてないんですよ? また水をかけられでもしたら!」

「文句は後でいくらでもエリオット様へ。さあ早く」


 厨房に向かったメリルと、ひょろりとしたコック帽の若者が何やら押し問答をしている。彼はルーチェの視線に気付くと、「ひっ?!」と小さく飛び上がり、慌てて中へと引っ込んだ。


 首を捻りながらも、勧められるままに着席。しばらくすると、使用人が次から次に皿を運んでくる。


「ちょうど昼食が終わったところでして。大したものをお出しできず申し訳ありません」


 声をかけてきた料理人は先ほどの若者ではなく、もっと大柄な男性だった。

 湯気の立ち上る豆のスープ。見るからにふわふわの白パンは豊かさの象徴だ。隣には、鏡のように磨かれた器に入ったジャムとバター。焼いた肉は切れ端のはずがなく、彩りのよいサラダまで添えられている。


「ああ、もう、どうしようかしら……!」


 鮮やかな色に香ばしい匂い。たれと脂が焦げる香りに思わずごくりと唾を飲み込んだ。大したものではないなんて、まったくとんでもない!

 皿はすべて運ばれたようだが、大きなテーブルに着くのはルーチェひとりだけだ。


「どうかなさいましたか?」

「他にどなたかいらっしゃるのでしょうか?」

「え? いえ、そちらは奥様のためにご用意したお皿ですが」

「こんなに?!」


 きちんとした食事はいつ以来か。体がびっくりしてしまいそうだ。

 というか……食べきれるだろうか?


「全部? わたし一人で食べて良いのですか?」

「もちろんです。お気に召さなければ無理はなさらず」

「いいえ、とってもおいしそうです! あまりに豪華で……ありがたく頂きますね」


 食前の祈りにも、いつもより熱が籠る。

 まずはスープを一口。温かさが体に染み渡り思わず涙ぐみそうになる。


「んん、おいしい……!」


 遠慮という言葉をローレンス家に忘れてきてしまったのかもしれない。はしたないと頭でわかっていても、隠れて食事をしていた名残で、いっぺんに頬張る癖は抜けなかった。

 喉に詰まらせないように、懸命に顎を動かして胃袋に納めていく。ナイフとフォークの使い方は辛うじて覚えていたが、ソースを肉に載せるのが難しい。


「このお肉にかかっているものは何ですか?」

「プラムのソースでございます。お嫌いでしたらお下げしますが」

「いいえ! すごく、すごくおいしいです! 初めての味だわ」

「お口に合ったのなら何よりです」


 さっぱりと甘酸っぱくて、力強い味の香辛料とも相性がいい。手が止まらない。


「レネシュの特産なんですよ。庭で育てているんです。……ふふ、そうもおいしそうに召し上がっていただけると、作った甲斐がありますな」


 はっとして手を止めたルーチェは、見守る料理人の笑顔に気付く。

 仮にも領主の妻となるのだから、上品に食べなくては!

 しかし目の前の皿は既にほとんどが空。もっと味わって食べれば良かったと、ほんのり後悔しながら口を拭う。鼻に抜ける青豆の香りすら惜しい。


「ごちそうさまでした……!」


 これほどおいしい料理が食べられるだけで、レネシュに来て良かったと思う。

 叶うならアンヌにも食べさせてあげたい。残してきた彼女のことを思うと胸が痛む。家を出る寂しさは皆無でも、それだけが心残りだった。辛い目にあっていないだろうか。


 家のことを思うとどうにも気が滅入る。想像を振り払い、使ったカトラリーを皿の上に載せた。


「おいしかったわ。お皿はそこに運べばいいでしょうか?」


 立ち上がりまとめた食器を手に取ると、慌てた料理人や侍女が近寄ってくる。


「奥様、そのような真似はなさらなくても!」

「私達がやりますから!」

「あ、そ、そうよね」


 自分で洗うつもりが、彼らをとても驚かせてしまったらしい。きっと、義姉のように振る舞わないといけないのだ。謝罪の言葉を呑み込んで、食器をそうっと差し出した。


「ありがとう。お願いします」


 変な時間に食事を用意してくれた上に、後片付けまで手間をかけさせる。とても偉そうにはできなかった。

 恐縮しながらお礼を言えば、彼らはまたしても一様に固まり。それからいそいそと持ち場に戻っていった。


「……常識がないと思われてしまったかしら?」


 早速、二度目の失敗にまた落ち込む。領主様に恥をかかせないためにも、言動には気をつけなければ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ