お招きいただきありがとうございます
たまたま工期が一段落したのか、このまえ倒れたことで少しは自分のことも気遣うようになったか。
後者であれば嬉しいが、とルーチェは近頃の夫の様子を思う。あちこちへ疾風のように顔を出す必要はなくなったらしく、このところは、多少ゆっくりお茶を楽しむ領主様の姿を見ることができた。相変わらず食事するのは素早いが。
茶会は城の皆への労いも兼ねているらしく、領主と話ができる貴重な機会と好評だった。相手がすっかり緊張しているのはさておき、若い騎士や侍女見習いともこだわりなく席を並べている。
だから、夫婦が二人だけでお茶をするのは、少し久し振りだ。
ルーチェはひとり、厨房で鼻歌を歌いながら準備を進める。ラジーとディアムが焼いてくれたおいしそうなスコーンをお皿に並べ、軽食のサンドイッチには愛情をたっぷり込める。
「ここにいたか」
準備の最中、エリオットが足早にやってきた。頬や鼻の頭が赤らんでいるから、外出から戻ったところだろうか。鋭い瞳がほんの少しだけ和らぐ。
「お帰りなさい。どうかしましたか?」
「前から君の乳母を招く話をしていただろう。こちらが出した手紙に返事がきた」
よく見れば彼は三通の封書を手にしている。うち二通は開封済みだ。
「夫君と共にレネシュへ居を移すそうだ」
「まあ……!」
「返信は君から書くか? きっと安心するだろう。城に住むかどうかは任せる。部屋は余っているし、いつでも受け入れると伝えてくれ」
急いでエプロンで手を拭い、手紙を受けとる。紛れもなく、懐かしい彼女の字だ。辺境伯に宛てた丁寧な文面の中にも、ルーチェのことを心配する言葉を見つけ思わず涙ぐむ。早く会って元気な姿を見せてあげたかった。
「で、これは招待状」
渋い顔でひらひらと振られたのは、三通の中で最も派手な、濃紅の封筒に金色の蝋があしらわれた手紙。これもまた、中身は既に確認されている。
「ウォルガー伯爵を知っているか? 彼の誕生日祝いだ。やり取りのある相手だし、しばらくこういう場には顔を出していなかったから、俺は出席するつもりでいる」
何となく、聞き覚えがある名前のような気がする。それもたぶん、レネシュに来てからではない。ルーチェの困惑を見透かしたように、エリオットはひとつ頷く。
「君のお父上も参加されるかもしれない。領地も近いから、何かと付き合いはあっただろう」
彼の言葉で腑に落ちた。件の伯爵に会ったことはないが、道理で。
その場に、父も……
「気乗りしなければ無理しなくていい。二人で招かれてはいるが、事情は適当に説明しておく」
「い、いいえ。どうか一緒に行かせてください」
気遣わしげな表情に甘えたくなるのを堪え、きっぱりと口にする。
いつかは向き合わないといけないことだ。それにルーチェはもう独りではない。社交の場での振る舞いについては、あまり自信はないが。
「……わかった。それと最後に」
もう一通の封書も差し出される。唯一、開けられた形跡のないもの。招待状とは対照的に、堅苦しい雰囲気の紙が使われている。
「先日の試験結果通知だ。封は開けていない。君が読むべきだと思って」
「ついに、ですね……!」
待ち遠しいような怖いような。心の準備はできていないが、確認せずにこのあとのお茶会を楽しめる気もせず、ルーチェは傍のペティナイフの背を使って慎重に封を切った。
ぱっと顔を上げると柔らかい微笑に応じられる。何度も読み返し噛み締めていると、大きな手が優しく頭に載せられた。
「お祝いをしないとな。ラジーに頼んで、今夜は君の好きなものをたくさん作ってもらうとしよう」
◆
辺境伯とその夫人。位は上から数えた方が早い。大抵の貴族にとってみればルーチェ達は、どちらかというと接待相手に当たる。
伯爵の誕生日パーティーだとしても同じこと。貴族の会食はほとんどが繋がりを得るための場だ。主役を立てるなどという習慣はないらしく、彼らはメリル達の手によって存分に着飾って会場を訪れた。
エリオットは結婚式と似た礼服姿だった。髪を編み込むと、竜による襲撃での傷痕が顕になる。「元から怪我なら数えきれないほどしている」と本人は笑っていたが、ルーチェは内心、少しもったいないと思っている。
供としてロディもついてきていた。装飾品は控えめだが、彼もまた、華やかな美男子然としていて改めて感嘆する。
連れだって広間に足を踏み入れるや、既に団欒していた令嬢達がざわつく。次いでちらちらと視線を向けては声を落とし、扇の向こうで囁きを交わす。
「気にしなくていい」
何を口に出したわけでもないのに、エリオットが小声で言いながら眉をあげる。空気の変化には気付いただろうに、まるで動じる素振りもない。
「自分に恥じる行いをしていないのなら堂々とすべきだ」
「は、はいっ」
「なに。どうせ、甲斐性なしの辺境伯に関する、三度目の噂話を期待しているんだろう」
まさかそんな自虐を軽妙に繰り出されるとは思いもよらず、失礼ながら噴き出してしまった。本当に場馴れしていることだ。
「さて。先に挨拶をしに行こうか。――ロディ」
今は領主に従う騎士である彼は、にこやかに頷く。すっとルーチェの近くに寄ってきたかと思えば、耳元で楽しげに囁いた。
「奥様。こういう場ではたくさん偉そうにしてくださいね? 僕に気安く話しかけるのも、今日は無しです」
初めてではないのだろう。上手に片目を瞑ってみせる。
「騎士を従えた女主人の図、を見せましょう!」
「演技力が試されますね……」
「その辺は団長をお手本にしてください。といっても、僕も知り合いが少なくはないので、あまりいじめられると困ってしまいますが」
「そんなことしないわ!」
二人のお陰ですっかり気を楽にできている。セシリアにいては一生触れることもなかった煌びやかな空気に、緊張しながらも少なからず気分は高揚していた。
すたすたと進むエリオットの一歩後ろを、ロディを伴いながらついていく。声をかけた紳士をルーチェは知らなかったが、どうやら主催者である伯爵らしい。
「お招きいただきありがとうございます、ウォルガー卿」
随分と歳上であろう伯爵に対しても、エリオットは一切の気後れを見せなかった。伯爵の側もそれを当然として受け入れている。
「おお、これはこれはランヴィール卿! こちらこそお越しくださり感謝します。しばらくこういった場ではお見かけしませんでしたからなあ、何時ぶりでしたでしょうかな?」
「ええ、まあ。少しばかり事情が」
前妻とのことが原因で、エリオットがパーティーに参加するのは久しぶりだ。笑顔で説明を拒絶してそれっきり。伯爵もさして気にした風はない。
「ま、レネシュとの交易を望む者にとっては、今日この場に居合わせたことは幸運でしょう」
「皆さんが本来の目的を忘れなければ良いのですがね。これは我々からの祝いの品です。よろしければ」
「ほう、なんと!」
ロディが恭しく差し出す贈り物は、少し前に二人で選んだ誕生日祝いだ。どうやら喜んでもらえたらしく、ほっと一安心。
「お気遣い感謝します。奥方様共々、今後ともどうぞ懇意にしていただけますと」
「こちらこそ」
慌ててドレスの裾をつまんで礼をする。妻として認識されたことが恥ずかしく、それ以上に嬉しくて堪らなかった。
「緊張するか?」
挨拶を終え、尋ねられた。立食形式らしく、周囲の人々は思い思いの場所で歓談している。
ルーチェは、つい先ほど給仕から受け取ったグラスの脚を両手で握りしめたまま、余裕の表情へと正直に頷いた。
「それはもちろん……! わたしの振る舞いで、エルに恥をかかせてしまってはいけませんもの」
「心配することはない。人前に出られないような人物は連れてこないから」
「でも、皆さんとてもお綺麗で――」
ひそひそと会話を交わしていたら、
「エリオット様!」
高い声が彼の名前を呼んだ。
ぞろぞろと寄ってきたのはどこかの令嬢が五人ほど。当然知らない顔だ、ルーチェやロディは見向きもされなかった。若く見えるし、誰も伴っていないことから、独身者とは推測できる。
「またお会いできて嬉しいですわ!」
「最近お見かけしないので心配しておりましたの!」
「今日のお召し物もよくお似合いです」
口々に向けられる称賛の言葉に、エリオットはまったく照れた素振りを見せない。グラス片手に優雅に微笑んでいる。
「ありがとう。私には勿体のない言葉だ」
穏やかに返せばそれだけで黄色い声が上がった。
「ねえちょっと、噂に聞いていたのと全然違うじゃないの?!」
「だから言ったでしょ、あんな噂は大嘘! とっても素敵な御方なのよ」
結構な声量の囁き合いすら笑顔で聞き流している。
ルーチェは愕然とした。普段とはまるで別人だ。もちろんモテるのはわかっていたが!
「この場が華やかなのは貴女達のおかげだろうな。特にその髪飾り、淡い色の石は近頃の流行りだと耳にしている」
「まあ! さすがですわね、お気づきになるなんて」
「ねえエリオット様、向こうにおいしいチーズがありますよ」
「うん、後で頂くとしよう」
うまい具合にやり過ごし、振り向き振り向き離れていく集団を見送る。
彼は離れた場所に呆然と立つルーチェを見、訝しげに眉をひそめた。そう、その表情のほうが見慣れている。
「どうかしたか?」
「いえ、あの……別人のようで、驚いたというか」
戸惑っていると、本人よりもよっぽど察しの良いロディがくつくつと笑う。
「これでもあの『噂』のおかげで減った方ですよ。団長は学生の頃から外ヅラが良いですからね。そりゃ数多と求婚されもします」
「あら、中身も素敵よ?」
「……だそうですが?」
先ほどまでの余裕はどこへやら、エリオットは口許を押さえてどぎまぎと目を逸らす。
「君は本当に……っ」
思い起こしてみれば、親しくなるほど彼は挙動不審になった。初対面の時などあれだけ堂々としていたのに。本当に正直な人だ。一気にルーチェまで恥ずかしくなってしまう。
いえ、と呟いてネックレスをいじる。彼の耳元で揺れるのと同じ、虹色の魔石のアクセサリーは贈り物。帰ったら少し……甘えたい気分だ。
「ランヴィール卿!」




