あーあ泣かせた
隙間があれば仕事を詰め込んでしまうのは悪い癖だと、エリオット自身も頭ではわかっている。思い返せば極端に忙しい日が続いていた。
誰に迷惑をかけているわけでもない、自分のことは後回しにしてでも先へ進みたかった。
最近は特に。モヤモヤした気持ちを忘れてしまいたくて、とにかく忙しくしていたかったのだ。
「……ああ」
医務室であることに気付き、寝返りをうちながら大きく息を吐く。誰もいない。窓から射し込む光のおかげで空中に塵が舞うのが見える。まだ、日は暮れていないらしい。
今日は朝から頭痛がひどくて、薬で誤魔化した。それでアーサーの呼び出しに応じ……。嘘とわかった時点で休むべきだったが、何を置いても彼女と話す機会を逸したくはなかった。このところ避けられている気がしたから余計に。
どうにも記憶が曖昧だ。明るいうちに彼女と散歩に出て、それから……
エリオットは飛び起きた。そうだ、謝らなければ。みっともない姿を見せ、せっかくの時間を台無しにしてしまった!
打ち付けたのか、半身が鈍く痛む。脚に絡まる毛布がもどかしい。
急いで自室に戻り着替えて、彼女を探す。
何やら食堂の方向が騒がしく、足を向けた。
「奥様、確認をお願いいたします」
「ありがとう。ここの数字は……うん、大丈夫そう。司祭様のところに持っていってください」
「商会からの荷馬車が到着したようです」
「それじゃあ出迎えをお願いします。重たいから何人かで行くようにね」
務めを代わりに捌く皆の様子に、それまで仕事を忘れていたことに驚いた。
エリオットがもっと愕然としたのは、いつもは遠慮がちな少女が、拙いながらも数々の仕事を取り仕切っている光景を目の当たりにしたからだ。彼女の努力がここまでとは知らなかった。当然、強いたおぼえはない。
てきぱきと指示を出していたはずの妻が、エリオットに気付き、固まる。拒絶される可能性が彼の頭をよぎったが、失態を取り返したい気持ちが勝った。
「ルーチェっ」
足早に近寄ったはいいものの、それきり言葉が続かない。
「すまない、本当に……!」
そうこうしているうちに彼女は目の前で泣き出してしまった。どうしよう、どうしたら? はらはらと涙を流す姿に対し、ひたすら謝罪を口にするしかない。
「その、迷惑をかけてすまなかった。俺から誘っておきながら」
ルーチェは首を振り、目を擦っている。だが、何を言えどもしゃくりあげるばかりで一つも言葉を発してはくれない。
周りからの「あーあ泣かせた」などという声も気にしていられなかった。情けなくとも構わなかった。必死に感情を読み取ろうとする。
「ルーチェ――」
「起きていらしてはいけませんエリオット様」
ところが、そこへ割り込んできたのはメリルだ。
「先にお医者様に診ていただきませんと」
「しかし」
「いいから後にしてください」
平素からは考えられない力強さで方向転換させられる。無理やり引き剥がされ、後ろ髪を引かれる思いで医務室に戻るしかない。
「いいですか。領主が倒れるなんて異常事態です。城の者の不安を煽ります」
「……返す言葉もない」
「また連日の徹夜をされたのじゃないでしょうね?」
「違う! ……それは、違う。本当に」
診断は過労。数日の安静を言い渡される。大した病でなくて良かったとうっかり口にした彼は、医師にかなりの剣幕で怒られる羽目になった。
自室へ戻ることは許されたが、睨みをきかせたメリルが有無を言わせずベッドを指差すものだから、大人しく毛布を被るしかない。
「奥様が裸足で駆け込んで来られて、それはもう大騒ぎになったんですよ」
「俺は夫としても領主としても失格だ……」
大きなため息を吐くメリル。エリオットが体を小さくしていると、彼女は珍しく自分から傍らの椅子に腰かけた。それなりの付き合いとはいえ、寝姿を見下ろされるのは何とも言えない恥ずかしさがある。
「そんなに根を詰めずとも、エリオット様は充分に責任を果たされておりますよ」
「……あの日、工事を後回しにしたのは俺だ」
額に入れた新聞記事へ目をやる。侍女の整った無表情のうち、眉だけがひくりと動いた。
領主になりたての頃、初めて休暇をとった日、中心街へ続く橋が崩れ落ちる事故が起きた。老朽化のため改修を予定していたが、そう急ぐことでもないと後回しにしたのは彼の判断だ。もし被害者が出ていたらと考えると未だにぞっとする。
「まだ仰いますか。奥様も仰っていたでしょう? 仕方のないことです。あの日は天候も良くなかった」
「だが、誰かの命が失われていたかもしれないと思うと、怖くて……っ」
手で顔を覆う。今でも夢に見るくらいだ。血相を変えて宿に飛び込んできた使用人、祈るような気持ちで揺られた馬車、不在の間も必死に対応していたであろう騎士達の姿。
「俺は本当は大した器ではないのに」
「思い上がるのも大概にしてくださいませ。そのようなこと、元より存じ上げています。でなければ二度の離婚など経験されなかったと思いますし」
辛辣な言い回しに思わず顔をあげると、メリルは不機嫌そうに唇を尖らせていた。
まだ彼らが遊び仲間だった昔、口喧嘩でエリオットに負ける度、彼女はよくそんな顔をしていた。懐かしさに自然と笑んでしまいそうになると、「何が可笑しいんですか」と更に冷たい声が降ってきて、慌てて否定を返す。
「貴方が幼い頃より努力を重ねられてきたことも、人一倍に責任感が強い御方であることも、皆よく存じております。エリオット様」
彼女は笑わない、だが。
「見くびられては困ります。その自律の精神と優しさが失われない限り、我々は貴方を信頼し続けることでしょう」
レネシュは領主だけのものではない。口では民のものだと嘯きながら、そんな簡単なことさえいつの間にか忘れていた。
「メリル。おまえは母親に似た」
「勘弁してください、私には乳母など務まりません。……今だって早いところ壁か天井になってお二方を見守りたいと考えてますし」
「ん?」
「いいえ何でも」
立ち上がり、侍女服を手で払うような仕草をする。
「敢えて過ぎた言い回しをしますが。主人が無能だったなら、寝首をかく絶好の機会となったことでしょうね」
目線だけで見舞い品の山を見る。たかだか数刻だというのに、嬉しいような申し訳ないような。
「もっと御自身を大事になさってください」
「良い薬になった。ありがとう」
「でなければ困ります。今日はお休みくださいませ。これらの品は後で運んでおきます」
「何から何まで面倒をかける」
「できればあと数日はゆっくり過ごしていただきたく」
「ああ……あ、そうだ、明日は北西の洞窟へ魔石狩りに行く予定が――いや、わかった、わかったから、そう睨むな。他の団員に任せることにする」
キッと睨まれ、エリオットは急いで訂正の言葉を口にする。自身では否定するが、彼女は怒ると本当に母親似だった。
「……なんだ?」
用は済んだはずが、メリルは帰らない。不思議に思い、ベッドの上から見つめ返す。
「まあ、もう少しだけなら、起きていてもお体に障ることもないかと思いますが」
彼女は、かくんと無表情のまま首を傾げた。
「たとえば、お話しするだけとか」
「……敵わないな」
言わんとしていることをすぐに察する。
「部屋で待っていると。彼女に伝えてくれるか?」
「御意に。エリオット様が落ち込まれたままでは、私達も悲しいですからね」
「そんな風に見えたのか……」
呟くと「はあ?」と侍女とは思えぬ声が上がる。無表情のまま、ずいと差し出したのは。
「手鏡、要ります?」




