契約には含まれないはずですが?
王都から戻った日の夜。どれだけ感情がささくれだっていても仕事は仕事だ。エリオットはアーサーと話し合いながら事務処理を進める。
「お顔の色が優れないように見えますが。戻られたばかりですし、今日は早くお休みになってください」
「移動で少し疲れただけだ」
体が怠いような気もしたが、無視する。多忙な時期に城を空けるなど、国王直々の呼び出しでなければ断っていたところだった。
「支障ない。彼女がいくらか片付けてくれたようだし」
「であればこれ以上は申しませんが、どうかご無理はなさらず。……それはそうと、メイ姫様のご様子はどうだったんです?」
「どうもこうも、陛下があそこまで世話を焼いてくるとは思わなかった」
「と、仰いますと?」
動作が雑になるのも仕方がなかった。思い出すだに苛立つ。
「紹介する女性と結婚しろと! 最初からそっちが目的だったらしい」
「なんですって?」
メイ姫を侍女に預けた後、告げられたのは新たな縁談と『取引』だった。
エリオットは一枚の書面を広げてみせる。上質な紙には、この国で最も効力のある印が刻まれている。
「リノール家を知ってるか? 王都の商会を取り仕切っている」
「もちろんです。しかしあそこは代々、王家と婚姻を結んできたはずでは? そのためにあれだけの人脈や交通網を得たわけですし……え、まさか?」
「そこの三女だそうだ。婚約破棄したばかりなのを良いことに、擬似的に俺を王家へ組み込もうという算段だろう」
「婚約破棄?」
「偶然にも、な。どこからどこまでが当人の意思かは知らん。別に興味もないが」
人の顔と名前を記憶するのは得意なエリオットだが、まともに会話したこともない相手をそらで思い浮かべられるほどではない。
「くそ……見合いだけでは飽き足らずに、とうとう婚約を強要されるとは」
面倒なことになった、と呟く。王はレネシュへ目をかけても、絶対的な味方ではない。国の長としては正しい在り方なのだろうが。
「陛下も結婚されたことはご存知なんですよね?」
「ああ。契約結婚であることもな」
小さく鼻を鳴らす。まったく、おもしろくない気分だった。
「……どうされるおつもりです? まさか、」
アーサーの言葉には首を振る。安堵の表情に対し、指でトントンと書面の一部を示した。
「迷ってる」
ため息が出てしまうのも仕方がなかった。王都への通行税を下げることなど、レネシュにとって魅力的な条件が並ぶ。魔石のこともあるし、砦や騎士団も併せて手に入るとなれば、無謀な投資でもないのだろう。
「なるほど、陛下もお人が悪い」
アーサーですら参ったと言わんばかりに肩をすくめた。下手に断れば角が立つ。敵対は避けたいが、貸し借りも作りたくなかった。
土地の一部を失うのはさほど惜しくはない。まずいのは、王家側に立場を完全に傾けてしまうことだ。王とて人間だから過つことはある。いざとなれば反乱を起こし得る家があるという状態こそが重要なのだ。
そんなことは国王自身も承知だろうに。
「身分について突かれれば弱い」
「あそこの家は確か、侯爵家ですものね」
「ああ。――ん?」
何か物音が聞こえた気がして廊下へ目を遣る。
少しだけ耳を澄ませたが、しんとした空気は動かない。猫か何かか。
「……それでも、俺はルーチェがいい」
アーサーは息を呑む。エリオットは拒否の旨を記すべく、一文字ずつ祈るようにペンを滑らせた。
「大体、身分違いというなら、王家とランヴィール家だって同じことだ」
「麗しき辺境伯殿でも?」
「ハッ、まるきり結婚の長続きしない?」
「これはこれは。失礼いたしました」
恭しく腰を折るが、おもしろがる表情は隠せていない。
「このことは彼女には報せないでくれ。気に病むに違いないからな」
「御意に」
領地の繁栄は大事だが、そのために去るなどと申し出られたら……困るのだ。
連ねられた条件は将来どうとでもなる。レネシュが今より力をつければ、多少の無理でも一蹴はできないはず。
否定されなかったことにわずかながらエリオットは緊張を解き、残りの仕事を片付けていく。
「そうですよ、聞いてくださいエリオット様」
「どうした」
「奥様がかわいすぎるんですが!」
「お前もか」
「も?」
彼らは毎日いがみ合っているが、本当は趣味が合うのではなかろうか?
それにしても彼女は次々に城の者を虜にしているらしい。騎士団の仲間からも人気のようだ。
「我々にありがとうを言ってくださるんですよ。それにごめんなさいも!」
「なんというか、人として当たり前だと思うが」
「その当たり前もできない女性を連れてきたのは誰ですか」
そう言われると何も返せない。前妻達にも悪いことをしたと、今となっては理解できる。
「コホン。いえ、居ない方を悪く言うのはやめましょう。とにかくですよ、奥様のことは手放したらいけません」
「そうは言っても、彼女は務めを果たしているだけだ」
「お仕事の手伝いは契約には含まれないはずですが? 魔物から城を守ることも」
「……」
「そこに居さえすればいいと言われたら、普通は甘んじてしまいますよ。言われたことだけやっていれば、追い出される心配もないんですからね」
「それは、そうかもしれないが」
アーサーは大げさにため息をついた。
「毎晩のようにお部屋に通われて、楽しくお話しもされているじゃありませんか」
「な、んで知って……!」
「侍女達の間ではすっかり噂になってますよ」
堪らず立ち上がると、あっさりと衝撃の事実を言い渡される。あれほど気をつけていたのに!
一気に脱力感に襲われ、再び椅子に深く身を埋める。眉間を揉みながら息を吐き出す。
「彼女だって雇い主に言われて断れるはずがないだろ」
立場が有利なのをいいことに、無理をさせている可能性には気付かない振りをしている。
「やはり目は合わないし、それに指輪もしてくれない」
「ま、自業自得ではありますよね」
歳の離れた兄のような部下を、形だけは睨んでおく。幼い頃からこの執事は、最短で正解を教えてくれたりもしないのだ。
「また怖がらせるようなこと仰ったんじゃないですか?」
「してない……と、思うが……」
あれだけ怯えられてしまっては自信がない。ロディやアーサーと違って愛想がない自覚はある。
例の騎士が気にかかるなどと、素直に口にすれば揶揄されるに違いなかった。器の小ささを認めるようで癪だ。
「……まったく、世話の焼ける御方だな」
「何?」
「いいえぇ」
ふう、と息を吐いたのはアーサーの側だ。
「では、お気持ちを伝えたことは?」
無言で首を振る。
どうでもいい相手への世辞ならいくらでも言えた。仕事と割りきりさえすれば容易い。
だが、この感情をどう言葉にすべきか、彼にはわからなかった。気の利いた言い回しが思いつかない。贈るなら、完璧な言葉でなければならないのに。
「何もしなくても元気でいてくれたら……ただ傍に居てくれたらと、思うが」
「そのお気持ちをそのまま伝えたらいいじゃありませんか。きっと喜ばれると思いますけど」
「そんなことで、か?」
「もし奥様からそのような言葉を贈られたら嬉しいでしょう?」
「まあ……」
内心を晒してしまうのは、疲労のせいで判断力が鈍っているだけだ。そう言い聞かせながら、少しでも苦しさが紛れるようにとシャツの胸元を握りしめる。
「俺から何かを言えば恐らく気を遣ってしまう。彼女は別にそういう意味では、俺のことをなんとも思っていないのだろうし」
「……本気で仰ってます?」
普段は目にすることのない唖然とした表情を見て、彼は自分がおかしなことを口走ったのだと気付いた。アーサーはみるみる顔を歪めていく。
「なんッでそっち方面に関しては勘が働かないんですか?!」
ばんっ、と両手を机について迫る。エリオットは思わず身を退いた。据わった目のまま、「いいですか坊っちゃん?」と切り出す。
「まずは一歩を踏み出すことです」
「坊っちゃんは――」
「話は最後まで聞く!」
「あ、ああ」
「過去の結婚だって、彼女達の身辺を少し調べれば考え直すべきだとわかったはず」
唸る。悔しいがアーサーの言う通り。その場限りの相手でないからこそ頭を悩ませているのだ。
「出会いを探す暇がないのは承知しています。極論、ルーチェ様を選ばなくてもいいのです。気が合うかは別問題ですからね。でもその判断はきちんと向き合ってみてからでも遅くはない。それに、恋することで仕事が捗るということもあるんですよ」
「今は仕事が手につかなくなってるんだが……」
「相手の気持ちがわからずやきもきしてるからでしょう。さっさと確かめてしまえばいい」
「だって」
「だってもまってもありません。貴方は、どうしたいのですか?」
エリオット自身がどうしたいか。
何度か口を開き、閉じ、彼は執事を見上げた。
「……アーサー」
「はい」
「教えてくれ。おまえが結婚を決めた理由は何だ?」
「それはまあ、色々とありますが」
縋るような問いかけに、かつて常識を語る周囲の声など意に介さず、己の愛を貫いた男は晴れやかに笑う。
「強いて一つを挙げるなら。この人は私のどんな姿も絶対に否定しないという信頼を、互いに積み重ねたからです」
◆
きっかけがないと嘆けば、持ち出されるのはやはり今度の祭りのこと。有能な執事長は、領主の尻を蹴るかのように城を追い出した。
花祭りで女性へ渡すためのガラスの花を、彼は一度も買ったことがない。大の男が繊細な工芸品を選ぶのが恥ずかしかったのもあるが、失敗するわけにいかないと思えばなおさら気乗りしなかった。
しかし買ってくるまで城の門を開けないとまで言われる始末。わざわざ会議の予定までずらしたらしい。
それで渋々、店に足を運んでいるわけだが……
「あら、領主様!」
大半の者はとっくに選び終えているのだろう。祭りの日は近いのに店内は閑散としており、店主はその目立つ姿へとすぐに声をかけた。
「いらっしゃいませ。今日は視察か何かでしょうか?」
「いや、まあ、そうだな。そんなところだ」
「いつもお疲れ様です。気になる点がございましたらお声がけくださいね」
まめまめしく贈り物を選ぶような柄でもないのは周知のこと。当然、務めの一環と思われてしまう。
肝心の花はといえば、売り切れていないかという心配は徒労に終わった。実際に目にすると何とも美しい。
幼い頃の記憶に比べ、精巧さも増している。複数の色が混ざっているのも珍しくなく、木や銅線など異なる素材と組み合わせたものも。花弁や葉の先など紙のように薄く、力加減を間違えればすぐに割ってしまいそうだ。手に取るのさえ憚られる。
他の商品に興味があるふりをしながら、何度か通りすがりざまに横目で盗み見る――などと時間をかけていると、段々と客も増えてきた。
「こんにちは! まさかお休みですか?」
「休み……ではないな、うん」
「ははは、領主様が休暇をとられたら、嵐がくるかもしれませんね!」
かなり困ったことになっている。このままうろうろし続けるのも変だ。かといって、何でもいいと選んでしまうのは自尊心が許さない。ただでさえ初めて贈るのだ。絶対、彼女に相応しいものが良かった。喜んでもらいたい。他の男のことなど忘れてしまうくらいに。
「すまない。少しいいだろうか」
小さな店を三周ほど歩き回ったところで、とうとう理性が羞恥心をねじ伏せた。店主の不思議がる顔をなるべく意識しないよう努め、死にそうな心地で勇気を振り絞る。
「今度の祭りで花を贈りたい相手がいる。良かったら、その、選ぶのを手伝ってくれないか?」
彼女のためなら、一時の恥など些細なことだ。
冷静に判断したつもりのエリオットだが……この行動が後に町で噂になると思い至らないくらいには、まるっきり余裕を失っていたのだった。




