受け入れられていると思っていた
領主不在の間、城の執務を取りしきるのは執事長であるアーサーだった。しかし今回は仕事に前向きな女主人がいる。すぐにうまくはできないまでも、ルーチェは毎晩のように大量の書簡とにらめっこをしていた。
「ええと、このお手紙は……うん、わたしの署名でもよさそう。メリル、申し訳ないのだけど、返信用の封筒を用意してくれないかしら?」
「……」
「メリル?」
いつも冷静な侍女は、はっとしたように腰を折った。
「失礼いたしました。ただいまお持ちします」
「あまり体調がよくないなら先に休んでいていいのよ?」
呼び止めたルーチェの眉が下がる。竜の襲撃があってから、どうにも彼女の様子が妙だった。もともと多くはない口数も減り、作業の手が止まっていることもある。
主の不安そうな声に、とうとうメリルは観念したかのように口を開く。
「……私、奥様に謝らなければいけないことがあるんです」
「謝らなければいけないこと?」
うつむき、目をさ迷わせる。ルーチェはごくりと唾を飲んだ。
「私、ずっと奥様の近くにおりましたよね」
「え、ええ」
「確かに私は奥様のお世話役を仰せつかっています。しかしお側についていたのは、その……監視も兼ねていたからなのです」
「監視……」
「騙すような真似をしてしまい、そして身勝手にも謝罪をし、申し訳ありません」
頭を下げる侍女を前に、ルーチェは数度、瞬きをした。
「メリル」
「はい」
「えっと、謝りたかったことって、もしかしてそれだけ?」
「はい。……はい?」
どっと脱力する。領主が領主なら侍女も侍女だ。もっと恐ろしい裏切りの懺悔が待ち構えていると思っていた。レネシュの人間というのは全員がこうも生真面目なのだろうか?
立ち上がり、彼女の両手をとる。
「あのね、謝ることなんて何もないわ。わたしはメリルが一緒に居てくれて、本当に心強かった。前のご結婚で起きたことはお聞きしたもの、警戒されるのは当たり前よ」
人形のような顔立ちの、頬にほんのりと赤みがさした。
「……先日の、あの襲撃の時」
「ええ」
「奥様が屋上で戦っておられたと聞いて」
「大したことはしてないわ。騎士の皆さんのおかげよ。みんなだって、近くに住む人たちを避難させてくれたのでしょう?」
「後悔したくないと、思ったのです。エリオット様だけでなく奥様にも誠実でありたいと」
誰もいないのをいいことに、ルーチェはこのいじらしい侍女に抱きついてしまおうかと思った。だが、握り返された手をほどくのも惜しい。メリルは再度、「申し訳ありません」とうつむいた。
「な、なんだかしんみりしちゃったわね?」
わざと明るい声をあげる。
「でも、そうね。あなたがもし気にしてくれるなら……今度のお休みの日に一緒にカフェへいきましょう」
「カフェ、ですか?」
「わたし、もっとあなたと仲良くなりたい」
ここでは誰もがルーチェに「大丈夫」と言ってくれる。卑屈になる必要はもはやないのだ。
「レネシュでは嘘と不誠実は大罪なのでしょう? 罰としてこの約束、絶対に守ってね」
メリルはぱちぱちと瞬き、やがて固くうなずいた。
「死んでも休みをもぎ取ります」
「死なないで?!」
「冗談ですよ。うちの福利厚生はしっかりしてますから」
真顔のまま、またしても鼻から血を流す侍女のため、ルーチェは慌ててハンカチを取り出すのだった。
◆
夫が王都から戻ったと聞いて、ルーチェは浮き立つ気持ちを抱えながら自室への廊下を早足で進む。書庫で調べものをしていたら遅くなってしまった。休む前に一言くらいは交わせるだろうか。
試験も先日終わったばかりだし、これからはまた彼のために時間を割けるはずだ。会うのがこれほど待ち遠しくなる日がくるとは、少し前まで思いもしなかった。
だから、談話室の前を通りがかった時、わずかに開いた扉の隙間から聞こえた声に、反射的に足を止めてしまった。
「――見合いだけでは飽き足らずに、とうとう婚約を強要されるとは」
エリオットの声だ。聞き違えるはずもない。あからさまに機嫌が悪かった。狩猟協会との交渉が難航した時のような、取り繕いのない棘が含まれている気がした。
「陛下も結婚についてはご存知なんですよね?」
「ああ。契約結婚であることもな」
どうやら会話の相手はアーサーらしい。契約結婚、という言葉に思わず聞き耳を立てる。
「……どうされるおつもりです? まさか、」
「迷ってる」
「なるほど、陛下もお人が悪いですね」
国王陛下。婚約の強要。迷ってる。
「身分が違う点を突かれれば弱い」
「あそこの家は確か、侯爵家ですものね」
血の気が引くのが自分でもわかった。よろめいた拍子に、花瓶の載ったテーブルにぶつかり音を立ててしまう。
咄嗟に声をあげそうになった口を押さえ、逃げるようにその場から離れる。すれ違った使用人達は、少女の顔色の悪さに気付くと心配そうに振り返った。
いつの間に自室へ戻ったかはよく覚えていない。
入るやすぐ鍵をかける。そのままベッドに飛び込み、枕に顔を押し付けた。絶対に外へ声が漏れてはいけないと思った。
「ふぐ、ううっ……ぐすっ……!」
レネシュの人々に、彼に、受け入れられていると思っていた。
どろどろした感情が湧いてきてルーチェは戸惑う。自分はこんなに醜い人間だったのか。
子爵家の生まれでなければ。もっと可愛らしく淑やかであれば。いい学校を出て、社交界でも顔が広くて、きちんと魔石に精通しているような、役立つ人間だったなら。
たらればにはキリがない。どれも手に入らないものばかり。
彼が自分だけを見てくれたらいいのに。身を退くなんて約束、しなければよかった。
「う、ああ、……」
いくら涙を流しても、黒い感情は消えてくれない。
小鳥の騎士様にも祈ってはいけないと思った。だって自分はあの人が言うような、優しくて強い人間ではなかったのだから。




