お嫁さんにしてくれないの?!
エリオットが王城を訪れるのは二人目の妻と離婚して以来だ。馬車を降り、今のうちにと思い切り伸びをする。天気は良く、堀の水に光がきらきらと反射していた。いつ見ても立派な跳ね上げ橋は、巨大な城を間近で見上げられるとあって、歩いて渡る観光客も少なくはない。
意味もなく襟元をさする。着替えの際、もらったスカーフ留めを着けたいのだと言えば、侍女達は彼をそっちのけにする勢いではしゃいでいた。
恥ずかしさを堪えて良かったと思う。これほど小さな装飾品に心強さを感じてしまうのだから、何をもらうかより、誰からもらうかが重要だとよくわかる。
「さて」
重厚な門の前、衛兵に用件を告げればすぐさま案内の者が現れた。息を切らして駆けてきた使用人は、辺境伯がたった一人で来訪したことに驚いたらしかった。見栄えのためだけの従者など彼には不要だ。
◆
「息災だったか。ランヴィール卿」
彫りの深い精悍な顔つきに、五十を超えても威厳ある風体。どこか気だるげに玉座へ腰かけた国王の前で、エリオットは片膝を着き最敬礼の姿勢をとる。
「陛下もお元気そうで何よりです」
「モラン嬢の活躍も素晴らしいと聞いておる」
「は。恐れ入ります」
「顔を上げよ、どうか楽に。ほれ、そこに椅子がある」
「いえ、私はここで」
「相変わらずお堅いの」
豊かな髭を揺らし笑う様を見上げる。鷹揚に頷いた後も、声には笑みが混じっていた。
「『騎士』としては立派なのであろうな。それはそうと、前に会った時より痩せたのではないか?」
「……以前も同じことを言われた気がします」
「仕事熱心もよいが、ほどほどにな。献身は美徳だが、体を壊してしまえば意味のないことだ」
「お気持ちは有り難く」
「ま、そなたの場合は、痛い目を見なければわからないのかもしれんが」
鍛練する暇がなく、筋肉が細ったせいでそう見えるのかもしれない。確かにこのところ目眩に悩まされてはいるが、前にも時々あったことだ。
何より、早く帰りたかった。無駄な相槌や世間話で会話を引き延ばす気は微塵もない。
「それで、今回はどのようなご命令ですか?」
「そう焦るでない」
居ずまいを正せば、王は悪戯っぽく目を光らせる。
「聞いたぞ。そなた、また結婚したらしいな?」
平静を装おうとしたが失敗した。レネシュの民ですらほとんど知らないだろうに。
「くく。その顔、隠しおおせるとでも思っていたか! 我が従者が暮らすのは何も王都だけではないぞ」
「さすが、陛下はお耳が早い」
この調子では、劇場でのモランとのことも聞き及んでいるかもしれない。敢えて触れる気もないが。
「そなたの父君からも頼まれておるからな、気にかけるのは当然のこと。それで、だ」
茶目っ気たっぷりに片方の眉を上げる。
いつもの話だ。三度目ともなれば続く言葉の予想はついた。彼はため息を呑み込み、今度こそできる限り表情を変えないよう努める。
「かわいい孫が部屋から出てこなくてのう?」
「……かしこまりました」
◆
金髪の幼い少女が自分を見た途端、顔を輝かせてくれるのは悪い気はしない。
「お兄さまッ!」
ふわふわとしたドレスの丈は短く、淑女としてはまだお転婆すぎるのだろう。
駆けてくるのはあっという間だ。そのまま脚にしがみつかれてしまっては、入り口から動くこともできない。案内してくれた侍女には軽く頷いてさがってもらう。
「メイ様。せっかくのお召し物に皺がついてしまいますよ」
「お母さまみたいなこと言わないで!」
国王陛下が溺愛する孫娘。そして、なぜかエリオットと結婚すると言って憚らない少女。
少女の母親……つまり王の娘と会ったのは数度だが、夫君よりしっかり者だった記憶がある。何かと厳しくされているのかもしれない。
――さあ、一国の姫をきちんとエスコートしなければ。
ふっと自分の人格が変わるような感覚は、パーティーであまりに声をかけられるために習得した、身を守るための仮面だ。これは仕事だと言い聞かせる。
失礼、と言い置いてふっくらした頬に触れると子供特有の体温の高さがあった。びくりと顔を上げたところで、無垢な瞳に語りかけるように。
「私がきちんとお顔を見て話したいのです。お許しをくださいますか?」
「お、お兄さまがそう言うなら……!」
こうすると照れて気勢を削がれることも、これまでの経験から確認済みだ。
「メイね、お勉強もお歌の練習もがんばってるのよ。この前はね、ノーチルとフォルダンよりも上手って、レニィ先生もほめてくれたの」
「素晴らしい。よく努めていらっしゃるのですね」
当然、登場人物はわからない。だが気持ちに舌が追い付かない様子は、純粋に可愛らしいとは思う。
床にぺたりと座った少女の横で、なるべく穏やかな声音を意識しながら相槌を打っていると。
「そうだわ、聞きたいことがあるのよ!」
「何なりと」
身を乗り出してくるのに微笑みを返す。とうとう来たかと覚悟を決める。
「お兄さまったらまた結婚したの?! メイがいながら、ひどいわ!」
「そのようなお言葉をいただけて光栄です。しかし、あなたはこの国の姫で、私は一介の地方貴族に過ぎない身ですので」
「身分や歳の差なんて関係ない。おじいさまがそう仰ってたもの」
――陛下!
エリオットは心の中で悪態をつく。どうにもあの王は孫娘に甘すぎる。
「もっと立派な男性はたくさんいらっしゃいますよ。ほら、少し前に隣国の王太子殿下が一家で来られたのでしょう?」
「ティールのこと? お子ちゃまで、お話も自慢ばっかりで、ぜーんぜんおもしろくなかったわ」
「美男子と噂の公爵家のクローヴィス様も、メイ様を慕っておられると聞きましたが」
「お兄さまのほうが、ずっとカッコいい」
あれこれと選択肢を挙げるほど、少女はなおさら意固地になるようだ。エリオット自身には、懐かれる理由に思い当たる節はない。
「嫌よ、絶対、ぜーったいにお兄さまがいいの。お兄さまはメイのことがきらい?」
「まさか!」
「なら問題ないじゃない。どうしてお嫁さんにしてくれないの?!」
「メイ様、あまり私を困らせないでください」
ため息が出た。好きとか嫌いとかそう単純な話ではないのだが、どうしたらこの年齢で理解してもらえるのか。
大体、何かを教えられるほど結婚や恋愛に習熟しているわけではない。明瞭な理屈があるというなら、むしろ知りたいのはエリオットの側だ。
「……そうですね。メイ様がもっと大きくなって、もしそれでもまだ私がいいと仰ってくださるなら」
少女はすっかりむくれている。彼には今を凌ぐための言い訳しかできない。苦い心地で小さな体を抱えあげ、あぐらの上にのせてやる。とても軽く、折れそうだ。
「その時は、ありがたく申し出をお受けいたしましょうか」
「ほんとう?!」
「メイ様が陛下を説得してくださったなら、あるいは」
「おじいさまを? それなら大丈夫よ、メイが好きな人と結婚しなさいっていつも仰るもの!」
ころころと表情が変わる様に、彼の顔にも自然と笑みが浮かんだ。公務で養育施設を訪ねることもあるし、子供は嫌いではない。金糸に軽く指先を通す。
「さ、本でも読んで差し上げましょう。今日はメイ様のために時間を作りましたから、せっかくなら笑ってくださったほうが私も嬉しいのですが」
「うんっ、わかったわ」
……読み聞かせをすること暫し。気付けば少女は膝の上で眠ってしまっていた。このまま黙って帰れば後で泣かれるかもしれない。
「私は本当に、夫としてはまったくだめなんですよ」
眠る幼子の髪をゆるやかに撫でる。
外で紳士らしく、領主らしく振る舞う度に、どうしてこれが妻にはできないのかと自己嫌悪に陥った。契約なら仕事としてうまく出来ると思ったのだが、やはりだめらしい。
と、控えめなノックに思考から引き戻される。
「どうぞ」
慌てて返答してからこの状況はまずいのではと思い至る。が、入室してきた侍女は、膝で眠るメイ姫を見て好意的に微笑んだ。
「いつも姫様がお手を煩わせてしまい申し訳ございません」
「いえ。慕っていただけるのは幸せなことです」
「何日も前から楽しみにしておられて、昨日もなかなかお休みになってくださらず……どうかご容赦くださいませ」
「構いませんよ」
もっと大きくなったら、などと話したが、実際いつまでこうして懐いてくれるだろうか。いざメイ姫が結婚するとなれば、もしかするとエリオットの側が寂しく感じるかもしれない。
ふと。子供か、と思う。
「ランヴィール卿?」
「い、いえ!」
ぶんと銀髪を振るエリオットに、侍女は怪訝そうにしたものの。気を取り直したように部屋の外を手で示して促した。
「陛下からお話がございます。謁見室へお戻りになっていただけますか?」
「ええ、わかりました」
また孫娘の自慢でもされるのだろうか。面倒だが、目をかけてもらえるのは幸運だし、王家との仲が良好であると周囲に知らせておくに越したことはない。辺境伯というのはそういう立場だ。
乱れた衣装を整える。早くレネシュへ帰ることができればいいが、とため息にもならない息を吐いた。




