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要するに、君は売られたわけだ

 重たくないのかと問いたくなるほどの黒いモヤを背負いながら、青年は眉間に皺を寄せた。


「……私の顔に何か?」

「いっ、いえ!」


 やはり小鳥の騎士様とは別人だ。ルーチェは少しだけがっかりした。あの人はもっと、こう、朗らかな大人になっていそうな気がする。奇跡はおとぎ話の中だけらしい。

 ただ、想像よりずっと貴公子らしい姿に思わず見惚れたのも事実だ。鋭くも優美な顔立ちと、乱れなく着こなした衣装。屋内だというのになぜか手袋まで。背は高く肩幅もあるが、狩人や熊というよりは美丈夫という言葉が似合う。少なくとも、血まみれではない。


「君がルーチェだな? ローレンス卿のところの」


 少女が急いで立ち上がろうとするのを片手で制す。着席しながら言い、落ち着く間もない。


「そのままで。ようこそレネシュ領へ。私はここの主をやっているエリオット・ランヴィールという。体調は?」

「ええと、つつがなく……?」


 頭を占める混乱に蓋をして、ルーチェは小首を傾げた。喉元まで出かける――わたしより、あなたの体が心配ですけども!


「セシリアからの道では馬車も揺れただろう。大して広い城でもないがくつろいでもらえると嬉しい」


 不安を余所に、彼は小さく鼻をすすった。

 国とまで称されるレネシュ領の主人。軽薄とは対極の雰囲気のせいで、聞いていた二十四という年齢よりも上に見える。

 猛禽類のような瞳はきれいな葡萄色。少し長い銀髪をリボンで束ねている。


「まずは来てくれたことに感謝する。早速だが、君には私の妻となってもらいたい」

「は、はいっ」

「既にお父上から話は聞いているかもしれないが、俗に言う契約結婚だな。身の安全とある程度の自由は保障するから安心してくれていい。部屋ももう用意してある。小遣いその他、資産の利用については改めて相談しよう。ここまでで君の想定と齟齬は?」

「いえ、ええと、たぶん?」


 スラスラと述べる様に気圧されながら、なんとか頷きを返す。

 洒落た返答ができる自信もない。だが、父親のように貴族然とした回りくどい言い方をされないのは、むしろ好ましいと思った。


「何よりだ」


 腕組みをして頷くものの、愛想笑いの一つもない。まるで役人と対峙しているような気分にさせられ、ルーチェの思考は焦って空回るばかりだ。噂通りだとしたら、妙なことを言わないよう細心の注意を払わなければ。


「では次に質問を二つさせて欲しい。一つ目、私の結婚が初めてではないということは?」

「ええ、その、お噂では」

「そうか。知っているのなら話は早い――」

「エリオット様」


 よく通る涼やかな声は、壁際に控えた侍女のもの。


「そのように威圧的に捲し立てられるのはいかがなものかと。ルーチェ様も戸惑ってしまわれるでしょう」


 まったく臆さず、こちらも顔色一つ変えずに言ってのける。ローレンス家の侍女長ですらもう少し遠慮があった。

 流れるように言葉を紡いでいた領主が初めて、ほんのりと渋い表情を見せる。


「そんなつもりは」

「愛のない粗雑な振る舞いは、ツンデレではなく単なる無礼者です」

「ツン……何?」

「市井での娯楽小説の分野ですよ、ご存知ないですか?」

「おまえはまた妙な言葉を」


 固まっている少女に気付き、ばつが悪そうに銀色の頭を掻く。手袋から覗く手首はインクで汚れていた。わざわざ仕事を途中で抜けてきたのだとしたら、慌ただしい様子も納得かもしれない。


「……あー、失礼。せっかちなのはよくない癖だと、自分でも思っているんだが。必要なことを、ちゃんと伝えられているだろうか? 無茶な要求を突きつけている自覚はあるし、心細く感じるだろうことも、理解しているつもりだ」

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 あからさまに速度を落とした口調に、ルーチェは緩みそうになる表情をなんとか引き締める。根はいい人なのかもしれない。責めたり急かしたりする気はなさそうに思えた。


「わからないことや心配なことがあれば、遠慮なく言ってほしい」

「あ、では……一つお訊ねしても?」

「もちろん」

「もし差し支えがなければで良いのですが、以前に奥様となられた方とは、その……」

「ああ。当然気になるだろうな、それは」


 実にあっさりと頷かれ、拍子抜けする。


「せっかく良い素材をお持ちなのにもったいないですよね」

「メリル」


 唸るような声。偶然にもルーチェは、侍女が無表情でチロリと舌を出すのを見てしまった。


「離縁の原因は相手が起こした、んん、ちょっとした事件で。私自身は何もしていない……いや、それが悪かったのだろうが。だから向こうばかりを責める気もないし、済んだこととして話はついている」

「何も?」

「仕事と結婚すればいいと言われた。二度ともな」

「まあ……」

「だからその、なんだ。私にも非があるというか」


 途端に歯切れが悪くなる。仕事熱心なのは違いないらしい。

 黙っていると彼は所在無さげに腕捲りをした。がっしりと質量のある筋肉に、義姉の言葉を思い出して身を固くする。


「とはいえ、だ。この立場で決まった相手がいなければそれだけで縁談が持ち込まれる。いちいち断るのも煩わしいが、妻がいないとなれば外交に響いてしまうのも事実」

「……つまり、信用を得るために書面上は既婚としておきたいと。そういうことでしょうか」

「呑み込みが早くて助かる」


 エリオットは端正な顔を歪めた。


「要するに、君は売られたわけだ。察しがついていないほどの馬鹿にも見えないが」

「エリオット様」


 壁際の侍女が咎めるように主人を呼ぶ。ルーチェは否定の言葉を口にしながら首を振った。


「気にしておりません。社交には不馴れなものですから、率直に仰っていただいたほうが嬉しいのです」


 飾られた言葉の裏を読むのは疲れる。それに、彼の言うことは間違っていない。


「お話ししてくださり、ありがとうございました。二つ目の質問とは何でしょうか?」

「これらのことを踏まえて、ここに残ってくれるかどうか。君自身の意思を知りたい」


 思わず目をまるくする。


「なんだ。そう驚かれるとは思わなかった」

「すみません。で、ですが、選択の余地があるのですか?」

「奴隷を買う気はない。君が嫌と言うなら故郷へ送り届ける手筈も整っている。お父上に渡した契約金も回収するつもりはないから、その配慮も不要だ」


 一方的に損をしようが構わない、と。そこまで言いきるとは、ルーチェの実家の領地運営を思い出せばうらやましいと言うほかなかった。


「私と君は雇用関係。それ以上でも以下でもない」


 少しも寂しい気持ちがないと言えば嘘になる。だが贅沢を言えるはずもない。本来、もっとずっと良家のご令嬢と親しくなっていておかしくないのだ。

 それに、どのみち家にはもう戻れない。いくら構わないと言葉をもらっても、父親からどのように扱われるかなど想像もしたくなかった。


「問題ありません。わたしには心の支えとなる人もいますので」


 だから気遣いは不要だと、ルーチェとしてはそう伝えたかっただけなのだが。

 青年はたっぷり数秒、そのままの姿勢で固まった。


「……そこまで堂々と浮気を宣言されると、いっそ気持ちがいいな」

「うわき?」

「アーサーの奴、何を考えている……?」


 呆然とした風の呟きにようやく大失態を悟る。ぽかんとした顔さえ格好いい……ではなくて!


「ち、違うんです領主様! ええと……!」


 思ったより悪い人ではなさそうだという安堵に、ついつい気が弛んでしまった。

 慌てて全力で否定を連ねる――怒られませんように殴られませんように、追い出されませんように! ああ助けてください、小鳥の騎士様……!


「幼い頃に一度だけお会いした、名前も知らない騎士の方がいて! その方がくれた言葉が今でも心の支えで、空想上の友人みたいなものというか、その、人生の師匠といいますか……っだ、だから、領主様が思われているようなことではないのです!」

「あ、ああ」

「殿方とは無縁の人生を送ってまいりましたッ!」


 自分で悲しくなるが、事実なので仕方がない。

 彼はまだ複雑そうな表情をしていたものの、とりあえず納得はしてくれたらしい。気が変わらないうちにと急いで質問を投げかける。


「しかしそのっ、わたしは何をすればよろしいのでしょうか?」

「特に何も。妻としての役割を負う必要はないし、代わりに私にも夫の務めを期待しないでくれればそれで」

「務め、ですか?」

「子作りはしない。君も、好きでもない男とは願い下げだろうと思うが」


 うっかり聞き流すところだった。事務仕事のような口調にまじまじと見つめてしまうが、意に介した風はない。


 この人は生涯、契約結婚を貫くつもりなのだろうか?

 あまりに濃い『影』に視線を遣りながら、ルーチェは自分がやるべきことについて考える。ただの地方貴族ならいざ知らず、これだけ大きな領地の辺境伯だ。縁起でもない話だが、もし本当に時間が残されていないとしたら跡継ぎの問題は急を要するはず。


「えっと、他に愛人ですとか、妾の方をお迎えになるということですよね?」

「……なぜそんなことを?」

「この先に奥様としてお迎えしたい女性がいらしたら、わたしは身をひかなければと」


 実家から出られる上に、こんなに格好いい男性を近くで眺めていられて、これ以上は何を望むことがあるだろう? せめて役に立てるよう、来るべき時に備えなければ。


「しっかりとご縁が結ばれるようお手伝いを――」

「不要だ」


 言葉は短くも確固たる意志が込められていた。ルーチェは思わず口を噤み、瞬く。


「私にとって結婚はレネシュを豊かにする手段の一つに過ぎない。これまでも、利益をもたらす家と関係を結んだだけ」

「実際は害をもたらされましたけどね」

「メリル!」


 叱責の声が飛ぶ。主人のしかめ面に構わず、侍女はそっぽを向いた。

 ローレンス家から与えられる利益は何も無い。妻であるだけでいいなら、もっと素敵な女性はごまんといる。だが、明確に機嫌を損ねた様子に、これ以上を訊ねる勇気はルーチェにはなかった。


「君がどこで何をしようと勝手だが。一応は妻の立場になるのだから、他所の相手に恋慕するならせめて隠すふりくらいはしてくれ」


 他所の相手? そんな失礼なこと、端からするつもりはない。黙って頷けば、彼は小さく鼻を鳴らした。首をすくめて次の言葉を待つ。


「身の回りのことはそこのメリルに頼んである。望みがあれば叶えられる範囲で力になろう」


 自由。いちばん望んだもののはずが、唐突に降ってきたそれをどうしたらいいのか途方に暮れてしまう。

 沈黙をどう受け取ったか、不意に彼が片手を伸ばした。


「失礼――」

「っ?!」


 びくりと身を震わせたルーチェの手を、指先を、そっと掬い上げる。


「あ、あの……?」

「……」


 彼はつまらなさそうな顔でそれをじっと見下ろした後、そのまま何も言わずに解放した。戸惑うルーチェの目の前で、また落ち着きなく椅子に座り直す。


「……何でもない。最後に一つ約束してほしい。用がある場合は事前に言ってくれ。時間をつくることは可能だが、職務の予定を変更したくない」

「わ、わかりました」

「伝えたかったことは以上だ。他に質問は?」

「いえ、今のところは」

「何より。急で申し訳ないが婚儀は十日後としたい。客は呼ばずに形式的なものとするつもりだが、もし招きたい者がいれば待つこともできる」

「……特には」


 少し悩んで首を振る。思いつくのはアンヌくらいだったが、またレネシュ側に面倒をかけるのは気が引けた。


「では予定通りに執り行うとしよう。メリル、必要な品の手配を。商会には話を通しておくから、噂を聞きつけて他の商人が来たら断ってしまって構わない。返礼も面倒だ」

「承知いたしました」

「それから……そうだ、くれぐれもモランには報せるな」

「よろしいのですか?」

「いい。あの子に仕事の話はしたくない」


 目を伏せ言い捨てる。拗ねたような声を出させたのは、苛立ちとはまた違う感情のようにルーチェには見えた。友人だろうか?


「はあ……御意に。念のため、前回の式次第を司祭様にお渡ししておきます」

「頼む。この後は砦へ向かうから」


 季節の話題だとかお世辞や褒め合いだとか、そういうものが飛び交う父達の会話とは性質がまるで異なる。

 ルーチェがすっかり驚いていると、彼は来た時と同様、慌ただしく出ていってしまった。乱暴者には見えないが、なんだか気難しそうな人物かもしれない。


 何はともあれ、せっかく迎えてもらったのだから、役立たずと思われないように頑張らなくては。

 でも……と膨らむ大きな不安。自分にできることはあるのだろうか?


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