ご自分に厳しすぎます
店に入り、水を飲んだところで、ようやくルーチェはひと息をついた。席が向かい合わせなことには緊張するが。
「好きなものを頼むといい」
エリオットがメニューを向ける。当然、ルーチェが財布を出すことは許されない。またしても試練の時間だった。
――こういう場面では何を頼むべき? 時間がかかるものを選んでお待たせしたら申し訳ないし、安すぎても失礼かもしれない。大皿料理を分け合うのは有りかしら……
「……迷ってしまいますね」
「……そうだな」
「……」
「……」
「……この、おすすめの品にするか」
「そ、そうしましょうっ」
やがて運ばれてきたのはぼってりと膨らんだおいしそうなミートパイ。ナイフを入れると軽やかに崩れるパイ生地も、皿に拡がる金色の肉汁も、香辛料の香る湯気も、城で出されるものとほとんど変わらない。
だから味の想像はつく。たとえ、緊張のせいで砂を噛んでいるようだったとしても。
「デザートでも食べるか? どこか、喫茶店にでも入って」
店を出てすぐ、ぎこちない様子でエリオットが言う。ルーチェも男性と出かけるのは初めてだしどうしたらいいのかわからない。それに。
「ありがとうございます。わたしはお腹がいっぱいになってしまったので、飲み物だけで」
「あ、ああ、そうだよな。であればやめておこうか」
絶対に恥をかかせまいと言葉を探す。成功したかは定かでなかったが、彼は明後日の方向へと顔を背けてしまう。
「すまない、気が利かなくて。女性は甘いものを好むとばかり」
「いえっ、こちらこそすみません、不甲斐ない胃袋で……!」
「ゲホッ」
慌てて返せば噴き出す音。頬を赤らめたエリオットが、可笑しそうに目元を緩めていた。
「そんなことは、ないだろう。では腹ごなしがてら、歩いて次の場所へ向かおうか。時間に余裕はあるし、寄りたいところがあれば言ってくれ」
「はい!」
部屋でのお茶会と同様、ルーチェは彼と向かい合うのではなくて、隣に並んでいたほうが落ち着く心地がした。先ほどまでの緊張が嘘のように、穏やかな気持ちで会話できる。
あれやこれやと質問を重ねても、嫌な顔ひとつせずに答えてくれる。町の歴史も細かい制度も、それから市井の暮らしについても。領主の立場で熟知することの難しさは、ルーチェも知っているつもりだ。せっかちな領主様にしてはずいぶんと遠回りしているらしいのが、少しだけ不思議だった。
さて、目当ての香水屋は外観からして華やかで、賑わう町の中でも存在感を放っていた。確かにこれは、男性が一人で入るのは少し勇気が要るかもしれない。
だから今回は同行させてもらえたのか、と納得していると、エリオットはいっこうに扉を開けようとしない。入口で、難しい顔で固まっている。
「どうかなさいましたか?」
「……あ、いや。何でもない」
早口で言うと、ふっと短い息を吐き。まるで戦場に赴くような決意に満ちた表情でドアを開ける。
そんなに緊張しなければいけないのだろうか? ルーチェも気を引き締めて入店する。
「あら、領主様! それにお連れ様も、いらっしゃいませ」
若い女性店主の、ふわりとした笑顔に出迎えられ拍子抜けした。店内も別に変わったところはないし、手狭ながら、清潔感のある内装。棚にはたくさんのかわいらしい瓶が並んでいる。
「きれい……!」
「ありがとうございます。よろしければお試しされますか?」
「いいのですか?」
にこやかに提案されたルーチェが隣を見上げると、エリオットはなぜか口許を覆ったまま何度も頷いた。
「取引の記録を見せてくれるか。直近の数ヶ月だけで構わない」
楽しくてつい仕事であることを忘れそうになる。ルーチェが口を開くより先に彼は「気にしなくていい」と押し殺したような声を発した。
「俺は試せないから。それも大事な役割だ頼む」
「わ、わかりました」
店主から帳簿を受け取るや、しかめ面で頁を捲り始める。しかも、立ったままで。
疑問に思いながらも店の奥で香水を二、三、試させてもらう。説明の間も店主の物腰はやわらかで、変に気を遣われなかったのが嬉しかった。
柑橘系よりも、少しだけ甘い草花の香りが好きかもしれない。そういえばメリルはよくお香を用意してくれるが、彼女自身はどんな香りが好みか、今度聞いてみようなどと思う。
しかし、やはり彼の様子が気になり落ち着かない。早めに切り上げて戻ってみると、なんだか顔色が悪いような……?
咄嗟に彼の代わりにと挨拶をする。
「お――お忙しいところ、ありがとうございました! 今日はこれで失礼しますね」
「ええ、こちらこそありがとうございます。またぜひいらしてくださいね」
急いで辞する間も彼は言葉を発しない。口を覆いながら目礼だけをする様は、明らかに只事ではなかった。
「エリオット様?!」
外に出るや、とうとうその場にしゃがみ込んでしまう。問題ないとでもいうように空いた手をひらひらと振るが、どう見ても問題は大有りだ。ただ、『影』は別に濃くはなっていない?
もはやよろよろとした足取りの彼を、なんとか川沿いのベンチへと導く。たどり着く頃にはとっくに顔色は蒼白だった。大きな体を丸め、ずっと口を押さえている。
「うっぷ……」
「だ、大丈夫ですか?」
「みず……」
「お水ですね? 待っていてください!」
近くの屋台でもらってきたグラスを差し出せば、蚊の鳴くような声でお礼が返された。
飲み、深呼吸、深呼吸。はあっ……と長いため息と共に、すっかり頭を抱え込んでしまう。再び声をかけると、心底ばつの悪そうな上目遣いが腕の間から覗いた。
「申し訳ない。もう、平気だ」
「どうされたんですか? お体の具合でも」
「……苦手なんだ」
「苦手?」
「香水が。あの人工的な匂いは、どうにも慣れない」
「まあ?!」
慌てて立ち上がり自分の服の匂いを確かめていると、ようやく彼は力なく笑う。
「さすがにこれだけ開けた場所にいれば気にならない。座ってくれ」
「は、はい」
「はあ。しかし君に倣うなら、俺の鼻はとても不甲斐ないな」
「そんなことはないと思いますけど」
苦笑しつつ、そっと隣に座り直す。「香の類いも効きすぎる。昔からだ」と言い訳のように付け足された。顔色はだいぶましになったようだ。
連れてこられた理由はこちらだったのかもしれない。だから普段の身支度でも香水は控えめにされていたのだろう。ルーチェは料理に変な匂いが混じるのが嫌だし、むしろ使わないことに慣れていたが。一般的な貴族の女性は香りもドレスの一部と考えるものだから、これまで苦労したに違いない。
「もしもわたしが来なかったら、お一人で?」
「アーサーの都合がつかなければそうしたかもしれない」
「エリオット様はご自分に厳しすぎます」
「耳が痛いな」
先ほどまで真っ青な顔をしていたのに、小さく笑う姿を見るとつい甘くなってしまう。ルーチェは一生、アーサーやメリルのようには振る舞えなさそうだった。
「領主が城に籠ってばかりでは、領民の信頼は得られないだろう」
「だからこうして視察を?」
「ああ。俺自身がそう思うからしていることだ、自己満足でいい」
生き急ぐような危うさは決して褒められたものではない。だが、レネシュの若き領主の信念は、絶対に人々にも伝わっている。
たとえ契約でも隣にいられることが誇らしかった。返す言葉を持たないルーチェは、固く頷くことしかできない。
「独りではレネシュを守れないと、両親はよく俺に言ったものだが」
ぽつりと溢す横顔が、夕陽に照らされてほんのり赤い。
「素晴らしい使用人も騎士団の面々もついている。……だが、近頃考えるんだ。両親はそういう意味で言ったのではなかったのかもしれないと」
エリオットは葡萄色の目を閉じ、息を吐いた。夕焼けの光の中で見るそれが、なぜか懐かしいような気がした。
――懐かしい? 変ね。
ルーチェは首を傾げる。きっと、一日のおしまいが寂しいせいだ。
「余計な時間をとらせてすまなかった。暗くならないうちに帰ろう」
「何事もなくて安心しました。それと、今日は楽しかったです。連れてきてくださって、ありがとうございました」
「こちらこそ助かった。……さっきの失態はアーサー達には黙っておいてくれないか」
「わかりました。ふふっ、わたしたちだけの秘密ですね」
「んんッ……」
「ああ、どうかご無理は……!」
珍しいお願いに笑って頷くと、彼は何やら呻き、そそくさと馬車を呼びに通りへ向かってしまったのだった。




