ただ一人として扱われたのなら
「視察に同行?」
「ええ。私の代わりにお願いしたく」
ニコニコ顔のアーサーから、ルーチェが提案されたのはつい数日前のこと。
いつも領主へ秘書のように従っている彼は、有能なだけでなく、やり取りは家族のようですらあった。だからとても信頼されていることも伝わるのだが、その役割を任されるとなると、どうしても戸惑いが先んじる。
「お願いしたいのは商業施設などの視察でございます。奥様にとっても良い経験になるかと」
……実は、一緒に仕事をしているのがほんの少しだけ羨ましかった。バレていたとしたら恥ずかしい。
「お嫌でしたら断っていただいても」
「嫌では! ……ないわ、ないけど」
拳を握って俯く。視界には上等な布地のスカートと靴。
「わたしみたいな余所者が、そんな大切なお役目」
「何を仰ってるんです? 奥様はレネシュの方じゃありませんか」
はっと顔を上げる。アーサーはわざとらしく肩をすくめた。
「と、勝手に思っておりましたが。ご迷惑でしたか?」
「……いいえ、いいえアーサー。ぜひ、わたしに行かせて!」
覚悟を決める。卑屈になっていては申し訳ない。それに、彼と一緒にいられるのと、何より認めてもらえたことが嬉しかったのだ。
◆
エリオットは普段通りの様子で、同行する妻を見ても特に表情を変えなかった。
目的地は遠いため、城からは馬車で出発する。体に伝わる振動もどこか小気味良い。
「悪いな。ついてきてもらって」
「いえ!」
少女はぶんぶんと首を振った。メリルと乗る時はまったく平気だっだが、大きな体と向かい合うとやや窮屈に感じる。
彼は頬杖をついて車窓へと顔を向けながら、眉間に軽く皺を寄せていた。同じ二人きりでも部屋で話す時とは違う、領主様の顔だ。
美しい姿を目に焼き付けようとしていると、ふっと注意が向いた。一瞬きょとんと仮面が剥がれる。が、すぐに小さく咳払いを。
「ああ……そういえば詳しい話がまだだったな。今日の予定は午前と午後に一件ずつ。前から懇意にしている美術商のところと、最近レネシュの外から移ってきた香水屋の店舗に行く。いずれも単なる視察だから、基本的には先方の案内に従っていればいい」
「わかりました」
「あともしかすると、道中でモランの支援者に刺されるかもしれん……」
「さ、刺される?!」
慌てて『影』を凝視したが、昨日から大して変化はない。もはや注視しなければわからないほどの薄さだ。
モランはまた、次の町へと公演に旅立った。また半年も経たずに戻ってくると言いながら、エリオットに思いきり抱きついて別れを惜しんでいたのを、少しだけ複雑な気分で見送ったのが数日前のこと。
「それは、あー、冗談としてだな。昼はまあ、適当にどこかの店で食べるとしようか」
「本当に、一日ずっとエリオット様と居られるのですね」
ルーチェが嬉しさにぼうっとしていると、彼は落ち着かない様子で腕を捲った。
「それで、その……俺と共に居るのを見られたら君にとって都合が悪いだろう? 領の外に話が広まる可能性だってあるし」
「わたしにとって?」
「そうなったら例の――いや、ともかく! 妻とは明言しないよう気を付けるから」
それだけを言うと、どことなく不機嫌そうにまた窓の外へ視線を向けてしまう。
いくら親しくなれた気がしていても、やはり自分のような貧乏人を連れ歩くのは恥ずかしいだろう。
気づいてほしい、でも、望んではいけない。溢れそうな感情をもて余す。一人でぐるぐる考えながら思わずため息をつくと、ぎょっとした顔がルーチェを見た。
「どうした? 慣れない仕事はやはり不安か?」
「いっいえ!」
慌てて下を向く。恋煩いだなんて正直に言えば、軽蔑されてしまいそうだ。
◆
まずは美術商のところへ向かうと聞いていたが、到着したのは街から離れた丘の上。
木こりでも住んでいそうな小屋だ。入口脇には薪が積んであり、奥には煙の出ていない煙突がある。
「領主様、こちらです」
見るからに上等な身なりをした壮年の男性と、恰幅の良い青年。若者のほうは煤に汚れた服を着ているし、恐らく前者が昔から取引があるという商人か。
「ご足労いただきありがとうございます。そちらは……ふふ、領主様のお気に入りですかな?」
「しっ親戚だ、遠縁の。珍しくレネシュに来ているから、観光がてら連れてきただけで」
宣言通り、エリオットは急いで否定する。
会話を聞くに、どうやらここは工房らしかった。商人と共に出迎えてくれたあの大柄な男性は職人だそうだ。
「見事でしょう?」
商人が鼻を膨らませつつ見せてくれたのは、まるで夜の深い紺碧を固めたような大振りの魔石。
「先日、狩猟協会から持ち込まれたものです」
「この純度の高さ……まさか竜か? 久し振りに見た」
エリオットは顎に手をあてる。外れていることを願うような声音は、あまり望ましいものではないと如実に示している。
「ご明察でございます。翼竜の雛から得たと」
「翼竜の雛だと? この時期に?」
「そのようでございますな。まあ我々としては出所はどこでも――」
「一緒にするな」
初めて職人の青年が口を開き、吐き捨てる。憮然とした態度に商人は肩をすくめた。
「『我々』だって? 知っていたら研磨の仕事は請けなかった」
黙したままのルーチェをエリオットはちらと見た。
「魔石は魔物の命の結晶ともいえる物質だが、翼竜の遺骸から採取できるものはとても貴重なんだ。竜種というのは魔力量が桁違いだからな。が、雛となると……」
口ごもり、再び目をそばめる。
「まずいかもしれないな。巣を荒らしたか」
ルーチェにもようやく事の重大さが理解できた。魔物が普通の動物と同じかはわからないが、無用心にも巣に立ち入って雛を狩ったのだとしたら。
どことなくぴりついた沈黙を破ったのは、奥から聞こえた金属を打つような甲高い音。石の加工中なのだろう。
職人は気を取り直したように、夫妻を別の作業台へと案内する。
「領主様。お見せしたかったのはこちらなんです」
「新作か?」
「はい。ああ、この石は『まっとうな』手順で採取されたものですから」
さりげなく商人を睨む。台に載っていたのは……
「虹色の魔石……?」
こんな色は見たことがない。エリオットも感嘆のため息を漏らす。
「見事だな。熱でこの色が?」
「ええ。高温下で強い衝撃を加えると、稀にこういった複雑な模様が現れるんです。力加減が難しいのですが」
「動力源としての能力は?」
「なくなります。完全に装飾用で」
遠目には無色透明。あまり大きくはない石の中に、よく見ると虹色の縞模様が閉じ込められている。
「きれい……」
「ああ。すごいな……」
夢中になって覗き込んでいたら、やけに声が近く聞こえた。驚き隣を見ると、ぶつかりそうな距離に顔がある。
「っ、す、すみません!」
「いやっ、こちらこそ!」
互いに急いで姿勢を正したものの、真剣な面持ちはばっちりと記憶に刻まれてしまった。
「いかがです? こちらの虹色の石、魔石を特産とするレネシュの領主様に相応しい品では?」
「商売上手なことだ」
手揉みしながら近づく商人のたくましさに、エリオットは嘆息しつつも、何やら差し出された書類にその場で署名をした。
「あとで城に届けてくれ。言い値で買う」
「資格をお持ちの領主様に価値を誤魔化そうだなんて、誰も思いませんよ!」
資格という単語に、ルーチェの背筋も自然と伸びる。もうすぐ試験の日を控えていた。
エリオットは少しだけ考える素振りをし、今度は職人へと目を向ける。
「この石。まだ素材は残っているのか?」
「小ぶりなものなら多少は」
「それも買おう。あとで図面を送るから、その通りに加工してほしい」
さらっと大金を支払う約束をし、そのまま工房を後にする。彼の判断ひとつで、あれだけのお金が動くのだ。
ルーチェはほうと息を吐く。この買い物もきっと彼らのためだった。優れた技術には対価を。同じだけのお金があればもっと贅沢な暮らしも出来るだろうに。
「歩くのは平気か?」
次に向かうのは香水屋。しかし、その前に昼食を。町へ向かうゆるやかな坂道を並んで歩く。
「はい。お散歩は好きです。エリオット様にご用意いただいたこの靴も、とても歩きやすいですし」
レネシュの町はいつ来ても明るくて素敵だ。スカートの裾をつまみ、片足を軽くあげて見せる。
「ん。それなら良かった」
優しい眼差しを見留め、ルーチェはさらに嬉しくなった。
大通りに差し掛かると一気ににぎやかさが増してくる。好きな店を選んでいいと言われ、キョロキョロと辺りを見回した。たくさんの人が行き交う中でよそ見をしていると……急にぐっと肩を抱き寄せられた。
「おっと」
固まる。すぐ頭上から、声? たくましい体と密着していると理解するまで、数秒。
「あっ……すまん?! つい」
「いっ、いいえぇ?!」
バッと離れたエリオットは、慌ただしく両手を広げた。
通行人とぶつからないよう庇われた。それはわかる、頭ではわかっている。お礼を言わなくてはいけないのに、思考は空回りするばかりで言葉が出てこない。
あのほんの一瞬。動作に逡巡も遠慮もなかった。体のかたさ、ふわりとした指先の優しい力加減。触れ合った箇所がひどく熱い。
彼に抱き締められたら。想像すると体の奥が熱くなるようだった。この人にただ一人として扱われたのなら、どんなにか幸福なことだろう?
「あ、ええと――そこの店でいいか? ちょうど客が出てきたところだし、待たなくても良さそうだ」
早口の提案に、ルーチェは俯いたままコクコクと頷くことしかできなかった。




