お節介と言われようとも
「あ! おはよー、ルーチェちゃん」
ルーチェが食堂へ向かうと、満面の笑みのモランが待ち構えていた。衣装はランヴィール家のものか、落ち着いた色合いの上等な布地。
昨日よりも貴族然とした姿は、黙って座っていればきっと美しい絵画のようだろう。
「モラン様?! ずいぶんと早いのですね?」
「お散歩してきたんだ。もうおなかペコペコだよー。朝ごはん、一緒に食べよ?」
「まま、まさか、お待たせしてしまいましたか……?!」
わたわたと席に着く間にも、ラジーや侍女達と笑顔で言葉を交わしている。兄とは正反対だ。
食事中も話しかけられ続け、ルーチェは口が一つしかないのをもどかしく思うほど。
やがて、廊下から使用人達が挨拶する声が聞こえてくる。
「おはよう」
「んぐっ……おはようございます、エリオット様」
「や、立たなくていい」
首もとにはタイを着け、ベストの前もしっかりと留めている。艶やかな腰の線にルーチェはひそかに頬を染めた。
「おはよう、モラン」
次いで妹の方へ妙に緊張した表情を向けるが、返事はない。彼女はツンとそっぽを向き頬を膨らませている。エリオットは眉根を寄せたが、それ以上は何も言わず厨房へ向かった。
どうやら、わかりやすくきょうだい喧嘩らしい。たった一晩で何が……?
「エリオット様がモラン様に振り回されてらっしゃるのは、別に珍しいことでもありません」
「メリル」
いつの間にかつつっと寄ってきていた侍女が囁く。
「我々としては、もう少し大人になっていただきたいのですが」
肩をすくめる彼女へどんな顔をしたらいいのか迷っていると、
「ラジー。今日は一日外出だから、食事も外で済ませてくる」
「かしこまりました」
「そういうわけだからルーチェ、困り事があればメリルに」
「は、はい」
ちらりと気にするも、モランは相変わらず無視を貫いている。眉間の皺を更に深くしただけで、エリオットはそのまま出ていってしまった。
完全に姿が見えなくなってから、少女は廊下に向けてベエッと舌を出す。
「兄さんのわからずや! 仕事人間!」
「はは……」
残念ながら否定できない。
膨れっ面もまた可愛らしいが、これも演技か? それとも素顔?
どことなく気まずい朝食を終えてからも、モランは何が面白いのか、ルーチェのあとをついてまわっていた。手を出すわけでもなく、ただニコニコと作業を眺めている。期せずしてエリオットと同じ気分を味わうことになるとは。
休憩時間にとお茶を淹れると、ようやくモランは、衆目も憚らず、ソファーに弾むように座るのだった。
「いーっぱい、やることがあるんだねえ。ルーチェちゃんも働くのが好きなの?」
「ええと、好きとかではないのですけど」
「ふうん。ボクも賢かったら良かったなぁ」
曖昧に笑う。ルーチェにはモランのような才能はないし、飛び抜けて賢いわけでも美人でもない。
水仕事の傷がうっすらと残る両手を見た。ただ、できることをするしか道がないだけだ。
「ルーチェちゃんさ」
「はい」
「もしも兄さんがお金持ちじゃなかったとしたら、それでも好きになった?」
「え……?」
「や、あーんなマジメすぎる人間のどこがいいのかと思って」
爪先に靴を引っかけてぷらぷらと揺らす。それすら愛嬌に見えてしまうから不思議なもの。
「あまり、想像がつきませんけど……でも」
「でも?」
「お、畏れ多いですけど。もしお話しができる関係だったなら、きっと惹かれていただろうとは思います」
ふうん、と再び応じ、猫のようにごろりとソファーに寝転がる。
なんなのだ、これは。肉親の前で恋心を暴露しなければならないなんて、恥ずかしいにもほどがある。
ルーチェはためらいがちに切り出した。
「あの、差し出がましいことは承知していますが……エリオット様と喧嘩でもなさったんですか?」
「ふん、あっちが悪いんだよ」
ぶすくれながら吐き捨て、乱暴に寝返りをうつ。靴はとうとう両方とも絨毯に転がってしまった。
「いっつもそう! 昔っから兄貴ヅラしてさ。ボクが落ち込んでたら、どれだけ大変でも絶対に傍から離れてくれなかった。大丈夫、自分がついてるから、って……お喋りも下手なくせに」
ルーチェは小鳥の騎士様のことを思い出す。初めて会った時には程遠いと感じたが、根っこの部分の優しさと頼もしさは彼も共通するように、最近では思う。
「でも父さんと母さんがいなくなって、兄さんは変わっちゃった」
潤んだ翡翠の瞳が虚空を睨む。端正な顔立ちで眉間に皺を寄せる様は、血の繋がりがなくても少しだけ似ている。
「領主様になってからは仕事、仕事ばっかり。……約束も守ってくれなかった」
「約束?」
「挙げ句に変な女に引っ掛かってさ、馬ッ鹿みたい!」
「モラン様、あまりそんな風には」
反射的に周囲を見回したが、行き交う侍女達は気にも留めない。この件に関しては、たとえ耳に入っても咎めたかどうかは怪しいが。
「ボクがいなかったら、ううん、ボクが家を出ていかなかったら、兄さんは自分がやりたいことをできたはずなのに」
それが単なるわがままでないことに、ようやくルーチェも気が付いた。
多くの場合、領地運営は家族で行うもの。ランヴィールの姓を持つ人は――自分を除けば――この城に一人しかいない。
「……エリオット様はきっと、」
言葉が続かなかった。彼のことを目の前の少女より知っているはずがないのだ。
「ルーチェちゃんは、兄さんを信用できる男だと思ってるの? 本当に世界でいちばん好きで結婚したの? この先もし、もっと素敵な人が現れても……兄さんと一緒にいられる?」
「……」
「モラン様!」
戸口から投げられた声にルーチェは思わず飛び上がった。入室してきた使用人が「失礼しました」と頭を下げる。
「モラン様、こちら速達でお手紙が」
「んー? なになに」
彼女はといえば、使用人が寄ってくる頃にはきちんと座面に収まり、すっかり笑顔を表していた。先ほどの湿っぽい気配は小指の先ほども見当たらない。
恭しく差し出された封筒を開け、わ、と小さく声を上げる。
「えー大変! 急いで戻らなくちゃ」
「どうなさったのですか?」
「明後日からやる演目の主演の子が、熱を出して倒れちゃったって。さすがに主役が不在はまずいでしょ」
使用人に馬車を用意するよう言い付け、跳ねるように立ち上がる。
「代役が必要だから、行くね!」
「え?! 明後日からって……ま、間に合うのですか?」
「いけるいける。台詞のことなら心配ないよ、台本は憶えてるし」
さらりととんでもないことを口にする。緊急事態だろうに、準備をする表情はどこか愉しげですらあった。
「ボクらには何回かあるうちの一公演でも、お客さんにとってはそうじゃない。台無しにはできないでしょ? ちぇっ、もうちょっとゴロゴロしたかったなぁ……。あ、よかったらルーチェちゃんも観にきてね!」
一気にまくし立て、出ていく間際に一瞬だけ廊下を振り返る。視線の先が誰の部屋か気付いたのは、使用人に囲まれた慌ただしい姿が去ってしまってからだ。
モランからの最後の問い掛けが心に重くのし掛かる。ため息が震えた。
きちんと肯定すれば良かった。肝心な場面で引け目を感じてしまう自分が厭になる。
「だって、仕方がないもの」
何を主張しようとも、ルーチェの気持ちに応じる義理は彼には無いのだから。
◆
その日の晩。勉強のために談話室へ向かうと、珍しく既に灯りがついていた。
そっと入ってみると、やはり先客。本棚の前に立つ大きな体は穏やかな灯りに包まれている。背負う『影』も薄かった。
彼は懐かしそうに目を細め、一冊の大判の本を眺めている。
「こんばんは?」
「ああ……こんばんは」
横目でルーチェを見、ふと窓の外へと視線を移す。
「もうこんな時間か。すぐに出る。気にしないでくれ」
「そちらは……」
「……別に、面白いものではないだろうが」
エリオットは少しだけ迷う素振りをしながら、机の上にその頁を広げた。
「子供の頃にもらった絵本だ」
絵と簡単な文章が並ぶ。その上から、木炭によるものか、人間とおぼしき姿が四人、横並びに落書きされていた。
両端は大きく、挟まれた二人は小さく。
周りには字を練習したような形跡と、拙い筆跡だが民謡の一節が豪快に描かれている。
「モラン様ですか?」
「すごいだろう?」
誇らしげなような呆れたような声音。普段なら書物への書き込みを好ましく思わないに違いないのに、その苦笑はやわらかい。
「モランは一度聴いた歌はすぐに覚えてな。これは子守唄、こっちは旅芸人の歌、……ああ俺の名まで書いてある」
紙をなぞる長い指。擦ってしまわないよう慎重に、愛おしそうに。疲れた様子でぼんやりと紙面を見つめたまま、彼はなかなか立ち去ろうとしない。
「あの子は、その」
「はい」
「まだ怒っていたか?」
「……約束を守ってくれなかったと。そう仰っていました」
嘆息し、丁寧に閉じた本を棚へと戻す。
「憶えているのは俺だけだと思っていた」
独り言のような言葉が零れる。背中を向けられ、表情はわからない。ルーチェは息を潜めて続きを待つ。
「モランが家を出ていった日の、ちっぽけな口約束なんだ。必ず舞台を見に行く、と」
本当にちっぽけだとは思っているはずがなかった。声にも後悔が滲んでいる。
「当時は本当に忙しかった。寝る間もなく領主の仕事を必死に覚える毎日で、そうこうするうちに彼女はあっという間に人気者になってしまって。今さら俺ひとりが足を運んでも意味はないと……いや、これも言い訳だな。わかってる」
再度のため息は重々しかった。
ルーチェは気になっていたことを恐る恐る訊ねてみる。
「先代の領主様は、その」
「七年前に事故で」
淡白な返答に、はっと口許を押さえる。ごめんなさい、と落ちた言葉にエリオットは首を振った。
「そんな顔をしないでくれ。俺は愛されて育ったと自分で思っている」
「でも」
「好機だと領地を狙う者もいた。彼らにとって俺達兄妹はさぞ邪魔な存在だっただろうな」
「……」
「正直、土地も家もさっさと売り払っても良かったんだ。だがモランは二度も両親を失くした。たとえ父親にはなれなくとも、俺はあの子が帰る家を守りたかった」
ルーチェは今、彼がその覚悟を決めた時とほぼ同じ年齢。並大抵の努力ではレネシュをここまで発展させることはできなかっただろう。
「……こんな話をするつもりじゃなかったんだが。すまない、勉強の邪魔をしたな」
そう一方的に告げ、エリオットは出ていってしまう。
ひとり残され立ち尽くす。不意の独白に思考は追いつかない。しかし確実なのは、このままでいいはずがないということ。
「きょうだい揃って、まったく不器用で頑固なんだから……!」
視界が滲む目を擦る。たとえお節介と言われようとも構わない。レネシュの人たちのために、自分にできることをしたかった。




