やはり紳士でございますね!
夜食と手紙が運ばれる日々は続く。いつの間にかエリオットも毒味の有無を疑わなくなった。
今日のように茶菓子が添えられることもしばしばだ。薄い紙包みを指先で開く。
手紙には、町へ出掛けた際に買ったという旨。バルグ諸島の銘菓とあるから、クッキーの表面に見える粒はポピーシードだろう。各地の特産物についてはもちろん頭に入っている。
昼間は少し蒸したからか、夜食はプラムとトマトの冷たいパスタだった。
彼女が作る料理は素朴ながら、いつも細やかな配慮が見てとれる。翌日に響きそうな脂っこい品は避けられ、嫌いな食材は一度も出てこない。当然ながら本人に伝えたことはないから、ラジー達にでも訊いたのかもしれない。
食事を運ばせ、仕事を手伝わせ、これではまるで侍女の扱いだ。改めなければと、理解しているつもりなのに。
もうじき花祭りがあるのも悩ましかった。
先日、町へ出かける用事のついでに少しだけ雑貨屋に立ち寄ったのだ。時期が近いからか、ガラスの花が並ぶ一画は目立つところに設けられていて、男性達がこぞって最も相応しい一輪をと吟味していた。結局はほんの一時だけ遠目に眺めて帰ったのだが。
恐らく挨拶の場では、彼女のことを領民達にも紹介しなければならないだろう。そうしたら……彼女の想い人の耳にも入ってしまうのでは?
本心ではその人物と結ばれたいのだとしたら、横から奪う形になるのは本意ではなかった。
「くそ……」
できることなら仕事のことだけを考えていたい。がしがしと頭を掻いて立ち上がる。
部屋で食事を摂るようになってから、紅茶くらいは自分で用意するようになった。甘いものは特段好きではないが、もちろん嫌いなわけでもない。
ゆっくりとお茶をしなくなったのはいつからだったか。父が気に入っていた茶器一式は、まだ売らずに残していただろうか。
夜中に菓子を食べる背徳感は大人になった証のような気がして、高揚しながらも少しだけ寂しい。勉強を頑張った時に母親が焼いてくれたクッキーを思い出した。
花祭りで妹と一緒に買ってもらった飴細工。帰省の度に食卓に並んだプラムの砂糖漬け。初めての遠征で持たせてくれたサンドイッチ。
――あの日も。
両親が亡くなった、忘れもしない事故の日。無惨に散らばった荷物の中には、やはり兄妹への土産の菓子があった。
酒も飲んでいないのにエリオットは泣きたい気分になる。昔から、気を抜くことができたのは家族の前だけだ。
◆
インクで汚れた手を擦りながら、皿を厨房に運んだついでに侍女を探す。少なくともこの城の中で手袋をする理由は、もうなかった。
「メリル」
廊下の向こうに小柄な人影が見え、足を早めた。
「あ、エリオット様。よかった」
「よかった?」
「いえ、こちらの話です」
小走りで近付いてくる。彼女もどうやら誰かを探している様子だったのだが。
「どうなさいましたか?」
「いや、この手紙を彼女に……つ、妻に、渡して欲しくて」
「は」
「っ、絶対に中を見るなよ? 変なことは書いていないから」
口が乾いてうまく喋ることができない。
メリルは風情のない封筒を受け取ると、いつもの無表情で主人を見上げた。
「このメリル、感動にうち震えております」
「ああ、何よりだ……」
「まあ『団長受け過激派』はしばらく落ち込むかもしれませんけど」
「なんだって?」
「ご安心を。私は生まれてこのかたずっとエリオット様が『攻め』派ですので」
「また娯楽小説の話か?」
エリオットは眉をひそめる。何をどう安心したら良いのか知らないが、深入りしないほうが良さそうだ。
「いいか、絶対に開けるんじゃないぞ」
「わかってますよ。そう何度も念押しされると逆に見たくなります」
「う」
彼女は微かに目を細め、大切そうに封筒を押し抱く。
「必ず。必ず、奥様にお渡しいたします」
「そうだな、頼んだ……」
自分でもよくわからない言葉を口走り、ひどく汗をかきながら足早に別れる。この先の談話室に用があるわけではなかったが、容赦のない『女帝』と道中を共にするのはとてもではないが堪えられない。少し落ち着いてから部屋に戻ることにする。
はあ、と吐いたため息は即座に引っ込めざるを得なかった。
談話室にルーチェが居たのだ。
テーブルに突っ伏して眠る姿に、思わず辺りを見回した。メリルが気付かなかったことに首を捻る。
こういう時に限って誰も通りがかってはくれないらしい。どくどくと痛む心臓を落ち着かせるため深く呼吸をし、慎重に近寄る。
見たこともない無防備な表情。枕にした両腕の下には数冊の本が開かれていた。調べものかと覗き見ると。
「これは……」
かなり前のことだが彼自身も解いた問題集だ。まだ捨てられていなかったことに驚く。
「試験を受けるつもりなのか……?」
少なからず狼狽していると不意に涼しい風が頬を掠めた。なんと、窓が開いている。
急いで風の吹き込む窓を閉め、眠る少女を見、廊下を見、もう一度だけ彼女を見下ろす。
エリオットは散々に迷って迷って、自分の上着をかけてやった。肩に触れてしまった手を慌てて引っ込め、起きる気配がないことに胸を撫で下ろす。小柄な少女はすっぽりと覆われるような形になってしまったが、風邪をひくよりはましに違いない。
しっかりしているが、まだ十八歳だ。幼さの残る寝顔は、だいぶ健康的な肉のつき方をしてきた気がする。
「君は俺より先に、自分の体を気遣うべきだろうに」
レネシュへ来たばかりの時より顔色も良くなったことに、ただ安堵する。
きっと窮屈な思いをしているはずだ。領主の妻としての役目をこなすだけでなく、使用人へも気を遣わなければならない。町での買い出しが少しでも息抜きになればと、メリルへは毎回寄り道をさせるよう頼んでいるが、試みが成功しているかはわからない。
厨房での出来事を思い出す。腹の奥が疼くような、妙な心地がした。あんな風に潤んだ瞳で見上げられては――
「……っ」
思考を振り払う。
恐らく、自分が起こせばまた萎縮されてしまう。誰か使用人でも捕まればいいが、と祈るような心持ちで談話室を後にする。果たして、廊下の角を一つ折れたところですぐに料理人の兄弟に出くわすことができた。
「旦那さまこんばんはー!」
「ラジー、モール、いいところに」
ぱたぱたと駆け寄るのはモール。ディアムの姿は見当たらない。
「お仕事? お仕事ですかっ?」
「ああそうだ。ラジー、少し頼まれてほしいことがある。向こうの部屋に、その、妻がいるんだ。もう遅いし自室に戻って休むよう伝えてくれないか」
「え? それはお安い御用です、けど……?」
視線が廊下の先を見る。同じ方向に寝室があるのだから、彼自身が連れていけばいいと思うのも当然だった。
正直に白状するのも気恥ずかしい。不仲を疑われないために言い訳を絞り出そうとしていたら。
「あっ、ぼくわかった!」
モールがにこにこしながら口許を押さえる。
「あのねっ、旦那さまと奥さまが話す時にそわそわしてるのはね、おそいたくな――むぐぐっ」
「あーッ! わーッ! なんでもありません旦那様!」
「ぷはっ。だってアーサーさまがそう言って」
「モール!」
言いかけた内容を理解しエリオットは顔を一気に赤くした。
「……アーサー! あの馬鹿!」
どうやら悪態は聞こえなかったらしい。大きな手で必死にモールの口を塞いでいたはずのラジーですら、何やらしみじみとした様子で頷く始末だ。
「あー良いんです、良いんですよ、みなまで言わないでください旦那様。お疲れの奥様に配慮されるなんて、やはり紳士でございますね!」
「おまえ達、ディアムがいないとこうなるのか……?!」
咎める気すら起きず、ふらふらと自室に戻り呆然としたまま寝台に腰を落とす。なぜこれほど動揺しているのか、自分でも説明がつかなかった。
彼女とは契約上の付き合いだと理解しているのに。何より自ら最初にそうやって線を引いたのに。先ほど触れてしまった手がなんとなく熱い気がして、ぎゅっと握り締める。
彼女の心の支えとなった相手とは一体どんな人物なのだろう。少し前からひどく気になって仕方がない。
同じ騎士として、誰かが強く在るための手助けができたのは素晴らしい。だが、恐らく……その人物が騎士でなくとも苦しかったのだろうと、彼は既に気付いている。




