表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
働きものの少女と働きすぎな領主 ~死相を見られる令嬢は、夫に長生きしてほしい~  作者: 笛吹葉月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/41

おやすみ

 嫁いでからひもじい思いはしていないというのに、ルーチェの休息は変わらず安眠とは言いがたい。

 捨てられたらどうしよう? いつもベッドに入る度にぐるぐると考えてしまう。

 役に立たなければという焦り。空回りしているかもしれない、取り返さなくては……

 大きな音を立てる心臓を、抱くようにして身を丸めること暫し。


「……眠れない」


 泣きそうになりながら身を起こす。

 ローレンス家に居た頃、こんな晩は諦めてホットミルクを飲んでいた。誰にも気付かれないよう小さな明かりを灯した台所の一画で、獣や虫の声に耳をすましていると不思議と落ち着いたものだ。

 ガウンを羽織り、念のために燭台も手にして、そっと廊下に顔を出してみる。夜番の使用人達もいるはずだが、静寂が耳に痛い。だが暗い道は怖くとも、生きた人間の方が恐ろしいことは充分に知っている。


 当然、厨房は無人だった。自らランプをつける。

 牛乳と蜂蜜を探してごそごそとやっていたら突然、背後から大きな声が聞こえた。


「何をしている!」


 思わず飛び上がる。慌てて振り向くと、なんと入り口にいたのはエリオットだ。しかも、ピザ生地を延ばす用の大きな麺棒を片手に。

 ルーチェと目が合うや彼は思いきり眉根を寄せ、深い息を吐き出す。


「君か……てっきり賊か何かかと」

「も、申し訳ありません」


 体を熱くする少女に構わず、いや、と何事かを呟いたのち、麺棒を視線から隠すようにする。


「構わない。ここは君の家だ」


 会議に向かう時のような上着も、タイやスカーフもない簡素な服装。襟元から見える素肌にあの裸を思い出しそうになり、ルーチェは慌てて頭を振り思考を払った。


「どうした?」

「いえ邪念が」

「邪念」

「なっなんでも!」


 痛いくらいに鼓動する胸を押さえる。

 二人きりだ。メリルもアーサーもいない。


「まだ起きていらしたんですか?」

「君こそどうしたんだ? 一人か? こんな夜中に」


 疑問には疑問が返る。エリオットは未だ警戒する素振りを見せながら、厨房内に視線を走らせた。机の上に準備したカップにも気付いたらしい。


「その、眠れなくて、温かい飲み物でもと……」

「それだけか?」

「それだけですっ」


 ナイフのような念押しに何度も頷く。まさか彼と会うとは思ってもみなかったのだから、万が一にも何かを仕込むはずがない。


「エ、エリオット様は? まさか今までお仕事を?」

「まあ。寝付けないから少し夜風にあたるため出てきただけだ」

「そんな薄着で?! 逆に目が冴えてしまいます。体を暖めた方がよく眠れるかと」

「そう……だろうか?」


 勢いで口をついた言葉だったが、意外なことに機嫌は損ねられなかった。顎に当てた手は無骨で傷痕も多く、まさしく騎士のもの。初めて、手袋をしていないところを見た。

 いつもルーチェを気遣ってくれる青年は、自分自身については無頓着らしい。

 ええいままよと思いきってカップを指差した。声が裏返ったのも仕方がないだろう。


「よろしければ、ご一緒にいかがです?!」



 またもや予想に反して頷いた領主様は、なんと準備すら手伝う気のようだ。おろおろと見守るしかないルーチェを放り、蜂蜜の瓶を棚からひょいと取って渡してくる。


「探していたのはこれか?」


 あれだけ高い位置にあったなら、ひとりでは絶対に見つけられなかっただろう。お礼を述べるより早く、彼はさっさと牛乳の入った壺を持ち上げにかかっている。

 受け取る時に触れてしまった固い指先。開いた掌にもはっきりと肉刺が見え、思わずルーチェは声をかけた。


「あ……その、剣ダコというのでしょうか? すごいですね」


 今まで触れたことのない感触。瞠目したエリオットが動きを止めるまで、ルーチェはあの噂のことをすっかり忘れていた。


「こ、これは……!」


 彼はさっと手を背中に隠し、珍しく視線を泳がせ口ごもる。


「その、違うというか」

「ちがう?」

「……」

「……」

「……っ、すまない、きれいな手でなくて」


今度はルーチェが驚く番だ。


「ど、どうして謝るのですか? 働き者の手だと……男らしくて大きいなとは、思いますけど」

「……怖くないのか?」

「何が、でしょう?」

「何が、って……私が騎士団の所属なのは知っているんだろう?」

「もちろんです。それがどうかしましたか?」


 彼が困惑する理由がまったくわからなかった。傷がないことがきれいだと言うのなら、ルーチェの手だって大概だ。


「あっ。蜂蜜はお嫌いではないですか?」

「……ああ。我が家でも、入れていたから」


 我が家、という言葉にルーチェは内心で首を傾げた。そういえば彼の両親はどこに? 紹介の機会もなかったからこれまで気にしなかった。早くに隠居というのも珍しくはないが。


 それきり会話は続かない。初対面の時に捲し立てるように話されたのが嘘のようだ。どうか気まずさが紛れればと、少しだけ雑に音を立てて鍋を火にかける。焚き付けに使う綿は、雲のようなウサギの魔物から採取したものだと、ラジーが教えてくれた。

 警戒が解けないのか、エリオットは座ろうとしない。腕組みして立つ彼の視線を背中で感じながら、ルーチェは鍋の中身へと必死に集中した。小さな鍋で牛乳を温め、蜂蜜をひとまわし。アンヌに習った通り、ブクブクと煮立てないのがコツだ。

 細かい泡が弾けてきたら、頃合いを見て二つ分のカップに注ぐ。


「そうだ、匙があった方が良いですね。確かこの下に……」


 かき混ぜるためのティースプーンを探すべく、下の棚に潜り込んだのだが。


「こちらを――あ痛ッ!」

「お、おい」


 頭をぶつけ、目の前に火花が散る。エリオットは近寄ろうとした姿勢のまま固まっていた。


「大丈夫か? すごい音が」

「へ、平気です、すみません……。こちらをどうぞ?」

「え、ああ」


 涙目で見上げどうにか笑顔をつくると、エリオットは狼狽えたように目を逸らした。またしても失敗してしまった。


 肩を落としながらも彼と間をあけて並んで座り、カップに口をつける。ちょっと熱くしすぎたかもしれないが、それだけ長く一緒にいられるなら悪いことばかりでもないだろう。

 頭は……まだ少し痛んだ。


「……先日の、あれは」


 ルーチェが挽回の機会を窺っていると、小さな水面に向けて語るようにエリオットが口を開く。


「よく考えられていた。淡雪石は安いし、寒冷地への遠征に使えるかもしれない」


 あれ、というのが夜食だと気付き思わず笑みがこぼれた。


「召し上がってくださったのですね」

「た、食べ物を粗末にするわけにはいかない」


 ごほん、と咳払いをする。もう手を隠す様子はなかった。


「厳しい行軍中にあたたかいものを食べられたら、きっと皆も嬉しいだろう」

「持ち歩く時間が長くなると、適温を保ち続けるのは難しそうですが」

「食事の直前に石を濡らせば問題ない。先に温めてしまうと恐らく腐敗も進むだろうし。すぐ効果が出るように石は細かく砕けば、その方が携帯性も良くなるから……」


 ぶつぶつと思考に沈みかけたのは一瞬、はっとしたように口をつぐむ。


「あ……申し訳ない。つまらない話を」

「いえ。皆様のお役に立てるなら、少しはここへ来た意味がありますから」


 謝罪が欲しいわけではない。胸の苦しさは見ないふりをして精一杯の淑女らしさをと笑む。

 ルーチェが黙っていると、またしても話題を振ったのはエリオットの側だった。


「この前フェリシア……侍女に、医者へ行くよう勧めたそうだな」

「あ……」


 ロディと話していた時のことだ。そういえばあれから姿は見ていない。

 硬い声音に否が応でも緊張した。故郷での奇異の眼差しを思い出して――


「君は彼女の命の恩人だ」


 ため息を吐かれ、瞬く。


「幸い、知人に良い医者を紹介してもらえたらしい。病を早期に発見できたと。静養が必要だというから、すぐに田舎へ帰した」


 やっと理解が追い付いた。と、いうことは……


「彼女は無事なのですね……?」

「ああ。代わって礼を言う」

「良かった……!」


 カップをぎゅっと両手で包んだまま俯く。こんな場面に笑顔なんて不謹慎かもしれない。ああでも!

 誤魔化すように牛乳を一口飲んだ。もうすっかりぬるくなったせいか、甘さが口の中に残る。


 ちらと隣を盗み見ると彼はとうに飲み終えていたらしい。手持ち無沙汰にカップをもてあそぶ様子は、せっかちな領主様にしては珍しかった。

 モヤモヤとした『影』越しの横顔。整った目鼻立ち、長い睫毛。首筋には無造作に結った銀髪の残りが垂れる。きれいな人だとつくづく思う。もっとくっきり見えたなら。


「もし、の話だが」

「はっ、はい!」


 ふっと葡萄色の視線が向き、ルーチェは受け止めきれずに慌てて目を逸らした。


「レネシュを出ていきたくなったらいつでも言ってほしい。こちらは自由と貴重な時間を奪っている立場だ。絶対に咎めたりしないと誓う」

「……わかり、ました」


 出ていってほしい、ということだろうか? 気に障ることをしてしまったか、それともやはり……気持ち悪いと思われたか。

 本来は辛く感じる資格もないのに。


 彼は立ち上がると流し台にカップを置く。


「早く休むといい。食器は朝になったら片付けてくれるだろう」

「すぐなのでこちらで洗ってしまいます」

「君は侍女ではないんだぞ?」


 呆れ顔で振り返ったかと思うと柳眉をひそめる。


「まあ、任せるが。厨房での決まりごとについては君のほうが詳しいしな」


 何も言えずにいると、沈黙に耐えかねたかのように早口な言葉が続いた。


「その、さっきは大きな声を出してすまなかった。……おやすみ」

「は――はいっ、おやすみなさい!」


 逃げるように出ていく背中をずっと目で追った。


「おやすみを言ってくださった……?!」


 たんこぶを作った甲斐がある。少しだけ心の距離が近づいた気がするのは、さすがに自惚れかもしれないが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ