小鳥の騎士様に顔向けできない
夫の行動はいつも迅速で、ルーチェは毎回驚かされる。靴擦れしたとうっかり侍女に漏らせば翌日には職人が足を測りに来たし、気に入った銘柄の紅茶はいつの間にか大量に仕入れられていた。
半ば混乱しながらメリルにお礼を伝えると、「エリオット様のご指示ですので」と返されるばかり。本人とはまともに話す機会がないままなのに。
ロディのような気安さもアーサーに似た柔らかさも彼にはない。未だに緊張からうまく話せないが、それでも、その優しさを疑うほど恩知らずではないつもりだった。
「エリオット様……!」
だから、廊下でばったりと出会うと、名前を呼んだきりどうしたらいいかわからなくなってしまう。
気を利かせたメリルが一歩下がる。多忙な彼の手間は取らせたくないが、かといってそのまま通り過ぎるのはあまりに可愛げがないように思えた。
「あ、あの――」
「先週分の出納整理だが」
単刀直入な問い。あっと思わず顔を上げると、微かに眉根が寄る。
「やはり君か」
散々につけ回したことで生活の型は掴めていた。帰りが遅かった日、毎週作成している帳簿を代わりに記載したのだ。
「家のものと似ていたので……アーサーに許可は取ったのですが、ご迷惑だったでしょうか?」
「そういうわけじゃない。……少し驚いただけだ。誤りもなかったし」
長い指が鼻の下を擦る。今日も彼は手袋をしている。
「おかげで早く終わらせることができた。ありがとう」
「は……はい! お役に立てたなら良かったです!」
主人が足早に立ち去ったのを確認し、メリルは無表情のまま力強く親指を立てた。
「やりましたね、奥様」
◆
夜食は定期的に差し入れている。夫の部屋に入るのは本当にそのためだけ。机に向かう背中越しに礼が寄越されるのみで、会話はない。忙しいのだろうと、ルーチェも長居はしなかった。
けれど「いつも器はきれいに空になっていますよ」というメリルからの報告には、こっそりと嬉しさを噛み締めるのだ。
そんな夜食を運んで廊下を歩く時間帯は、騎士達が入浴を終えて戻ってくるのと被ることが多い。宿舎側には温泉があるらしい。
夜伽に向かうためでないと知るや、彼らは少女へと気軽に声をかけるようになった。まだ多少どぎまぎしてしまうが、少しは男性と話すのにも慣れたかもしれない。
最初こそ不思議と怖がられていたが、今となっては城内の大半が親しげに接してくれる。
たまに侍女達からは「頑張ってください!」と応援をもらうことも。その度、懸命に働かなくてはとルーチェは決意を新たにするのだった。
「明日も早いんでしょう、ロディ?」
「慣れてますから。いつもくっついてる『女帝』もいない、絶好の機会ですしね」
慣れという意味ではロディのお陰によるところも大きかった。
この若い騎士は気さくで頭の回転も速く、あっという間に人の警戒を解いて懐に入ってしまう。メリルがそんな呼ばれ方をされているのも、彼との会話で初めて知ったことだ。
「相変わらず手際が良いですねえ。辺境伯夫人としておくにはもったいない!」
「ありがとう。でも気を遣わなくていいわ」
ラジーやディアムとも和解し、厨房は問題なく使わせてもらっている。せめて片付けはと、使う前よりきれいにするくらいでしか返せないが。
「奥様の立場じゃ普通はあり得ないことかもしれませんね。でも団長相手の場合、その作戦は最高に効きますよ」
「作戦? 別にエリオット様に仇なしたいわけではないのだけど……?」
ロディは行儀悪くも後ろ向きに椅子へ座り、背もたれに腕と顎を載せてニコニコ笑っている。毒見と言いつつ、実はルーチェもこの時間が楽しみの一つだった。
「もっとお役に立ちたいな」
パンを切り分けながら呟く。自分でなければならないことを増やしたらきっと、易々とは追い出されないだろうから。
「はいはーい。そんな奥様にオススメの資格があります」
「資格?」
おどけた様子で片手を挙げて、騎士は悪友のような笑みを見せる。
「魔石加工管理者、ってご存知ですか?」
「魔石……かこう、管理者?」
冗談ではなかったらしい。聞いたことのない名称に首を傾げる。
「魔石を扱う許認可を与えるための資格です。大きな力を持つ物質ですからね、工房や店舗には知識を持つ監督者の名義が必要なんです」
「なんだかすごい資格ね……。エリオット様はそれを?」
「もちろん上級を」
「まあ」
「ちなみに僕も持ってます」
「まあ!」
「ちょっと奥様!」
「ふふっ、ごめんなさい」
肩をすくめ、棚から皿を取り出す。こんな風に笑える日がくるなんて、ローレンス家にいた頃は思ってもみなかった。
「もし興味がおありなら、まずは初級から目指してみては?」
「エリオット様の負担を減らせるかもしれないのよね? 何年かかるかわからないけど、やってみたいわ」
「では後で参考図書をお持ちしましょう」
「ありがとう」
「こちらこそ」
それが動機の全てでなくても、返せる恩は返したい。
夜食だってそのためだ。ルーチェは用意した皿を二枚、台の上で重ねる。
「ねえロディ。淡雪石ってあるかしら?」
「淡雪石ですか? 欠片でいいならすぐに出せますが。何にお使いになるので?」
冬の空のような灰色の石は、水に濡れると熱を持つ性質がある。安価なので雪山などで暖をとるために使われるという。
「お皿を二重にして、下には石を敷いておくの。そこにグラスのお水をかけたら、料理が温まらないかなと思って」
エリオットが帰る時間は日によってまちまち。居室で温かい料理を食べてもらうため、どうにか考えた案だ。
「へえ、おもしろいですね。……はい、どうぞ」
ロディはベルトに提げた袋から、ごそごそと小さな欠片を取り出してルーチェの手にのせた。お礼を述べ、早速と実験の準備をしていると。
「奥様って団長が初恋なんですか?」
「なッ?! ――わわっ!」
せっかく受け取った石を盛大に散らかしたルーチェを見て、彼は声を上げて笑った。
「な、何を言い出すのロディ!」
「あはは! すみません、そんなに慌てられるとは思わなくて。奥様は正直者だなあ」
初恋、という言葉を口の中でころがしてみる。言われてみれば、あの小鳥の騎士様がそうだったのかもしれない。
一方で、夫に心惹かれていることも否定できなかった。噂はともかく、未だに彼の後ろ暗い話は耳にしない。気難しくて厳しくて、けれど裏表のない誠実な人物なのだろうと思う。顔を見る度にドキドキしてしまうのは緊張のせいだけではない。
だが認めれば苦しくなる。彼にはそんなつもりは絶対にないのだから。
唐突にロディはピッと指を二本たてた。
「それは……?」
「過去、団長が既婚だった期間の合計です」
「二年……ですか」
「二ヶ月ですね」
「二ヶ月?! わたしの前に奥様はお二人いらしたのではなかった?」
「ええ。だから、今回はかなり長続きしてるんですよ」
愕然とするルーチェの前でわざとらしく額に手をあてる。
「離婚なんて経験をすれば傷つきます。でもそれすらも仕事だと言い張って、どうにも認めたがらない。というより、諦めていらっしゃる」
ルーチェもずっと引っ掛かっていた。毒を盛られたなどという事件があれば、契約ですら結婚は避けたいはず。
ひょっとしたら彼は、自分自身に対してはあまり優しくないのかもしれない。
「本人にも課題はありますが。つくづく見る目がないというか、地雷にばかり突っ込むというか」
「地雷?」
「おっと今のは忘れてください」
「あっ」
ひょいと伸びた手が、咎める間もなくナッツを一粒盗んでいった。本当にこの騎士は深刻な空気を払うのがうまい。
「あの人ね、パーティーとかではまるっきり別人のような振る舞いをするんですよ。そのせいでよく一目惚れされてますけど」
「一目惚れ……」
「ちょっと一時期、そういう社交の場を控えてまして。噂でしか知らなかった厳しいレネシュの領主様が、実際はあの貴公子っぷりでしょう? 若いお嬢さん達はそりゃもうコロッと」
身に覚えがあるルーチェは何も言えなかった。
「それが仕事じゃなくなった途端にダメなんです。いっそ演劇の才能があると思いますね」
「ロディってエリオット様に対してまるで遠慮がないのね」
「ああすみません。昔からの癖で、つい」
彼らは学生時代からの友人だ。地方の騎士になるのは平民の生まればかりだと思っていたが、どうやらロディの家はそうではないらしい。
実家の仔細が話題に上ることはなかった。その方がルーチェにとってもありがたい。
「昔から責任感の強い人ではありましたけど、あそこまで仕事人間ではなかったんですよ」
「そうなの?」
「はい。学生の頃はよく一緒にやんちゃをしたものです」
ロディの微笑みはどこか切ない。
「領主になって間もない頃、運悪く休暇中に橋の崩落事故が起きたんです。幸いにも人的被害はなかったんですが、以来、休みを取ることを怖れているようで」
「あ……もしかして、それで治水工事に予算が回されているのかしら?」
帳簿を見れば力を入れている事業はわかる。道理で、雨が多い土地でもないのに橋や堤防の工事を念入りに行っていたわけだ。
他に積極的にとり進めているのは、劇場の改修だった。彼自身の印象とはまったく結び付かないが、アーサーが話してくれた通り、単に好きというだけかもしれない。
「気になっていたことだけど、エリオット様には町に出てのお務めって結構あるのね。わたしの親はほとんど家から出ずに仕事をしていたから」
「書面上は不要らしいですよ。単にあの人が義理堅いだけというか。店舗に立ち退きを依頼しなければならない場合も、直接出向いて頭を下げるくらいです」
「それは……お忙しいに決まってるわね。本当に気遣いのお方だわ」
「団長も、ですね」
首を傾げても彼はくすくすと笑うばかり。こういうところがロディとアーサーは似ているな、と時々思う。
何か言おうと口を開きかけた時、軽やかな足音が厨房へと近づいてきた。
「もうっ、待って、待ちなさいったら――あらま! 失礼をいたしました」
そう言って戸口で頭を下げたのは三つ編みの若い侍女。何度か見かけたことはある。
彼女は腕の中に猫を抱いていた。城の中にはたまに猫や犬が入ってきて、その度にこうして侍女や使用人が追いかけ回しているのだった。
ともかく、ルーチェは驚きのあまり呼吸を一瞬忘れた。
彼女が入ってきたことにではない。その『影』がとても濃かったから! エリオットもかくやと……ああ、うーん、まだ彼のほうが濃いかも?
猫のものではないのは明らかだ。もしそれが見えるなら、あの小鳥にも、もっとしてやれることがあっただろう。
「あ! ロディ様、ちょうどよかったです。お探ししておりました」
「どうしたの?」
「旦那様が、砦の修繕に関して相談があると。談話室にてお待ちです」
「ありがとう、すぐに行くよ。……ああでも、団長はせっかちだからな。もうしばらくしたら行く、と伝えておいて」
「ふふ、わかりました」
彼がきれいに片目を瞑るのに笑みを返し、侍女はその場を立ち去ろうとする。
「あ……」
『影』が見えたからといって、何が起こるのかまではわからない。濃いと危険度が高い、という漠然としたことの他に知る術もないのだ。
どくどくと心臓が痛い。気色悪い、死神のようだと、レネシュの人達にまで罵られるのは絶対に嫌だ。
しかしいざ何かが起きたら、自分をゆるせないだろうという確信もルーチェにはあった。
「あの!」
祈り、勇気を振り絞る。
「はい? あ、奥様からも旦那様へ何か伝言があるのでしたらお預かりしますよ!」
「いえ、あなた自身について……変なことを聞くけれど、最近、具合が悪いようなことはありませんか?」
「私、ですか? ええと、特には……?」
「ど、どこかが痛いだとか、なんだか疲れやすいとか……小さなことでも!」
予想通り彼女は面食らったようで、困惑一色の表情でルーチェとロディを見比べている。隣のロディがどんな顔をしているのか、それを確かめることまではできなかった。
「そういえば」
ふと、呟く。
「なんだか前よりも心臓がどきどきすることが増えたような気がします。気のせいかもしれませんけど……」
「お、気になる殿方でもいるのかい?」
「嫌ですよ、ロディ様ったら!」
「あのっ。どうか一度、お医者様に診ていただいてもらえませんか? お願いです」
「え、ええ、わかりました。奥様がそこまで仰るのなら……?」
勢いに圧されるかのように、どうにか彼女は頷いた。
奇妙な、いっそ恐ろしい依頼であるのはルーチェ自身もわかっていた。両手を握りしめたまま立ち尽くす。鼓動がうるさい。
ここまで言っておきながら何もなかったら……
最低な考えを頭から追い出す。
本当は波風なんて立てたくはなかった。だが、他の誰も信じてくれなくても、自分だけは正しいことをしたと知っている。出来ることをしないのは怠慢だ、小鳥の騎士様に顔向けできない。
「うーん。奥様はやっぱりお節介ですね」
肩をすくめながらそれだけを言うと、ロディもさっさと行ってしまった。たぶん、エリオットにもこのことを報告するのだろう。
――彼も自分を気持ち悪がる、だろうか?
それを想像するのがルーチェにはいちばん辛くて怖かった。




