はだか……っ?!
山の麓に大きな壁が見える。ルーチェは壁としか形容できないが、あれこそがレネシュの砦だ。
城の背後に連なる山々は、晴れているのに遠くが霞むほど。緑よりは岩肌の面積の方が多く、白いものは雪だろうか。山頂付近を飛ぶ影は……ひょっとすると魔物かもしれない。
城と騎士団の宿舎は渡り廊下で繋がっており、互いによく出入りもある。あの砦まで行くのはさすがに気が引けたが、宿舎を訪れるくらいなら、と足を運んだ。中庭にも薫り高く、瑞々しい青葉が生い茂っている。この厳しい土地の貴重な景色だった。
騎士団も領の資産だから把握しておかなければ、というのは建前。夫の、騎士としての一面が知りたかった。彼はいつ見ても机に張り付いており、団長であると話に聞いてはいても想像がつかなかったから。
「常に私が一緒では息が詰まるでしょうから」と珍しくメリルは遠慮した。彼女はそれこそ騎士のように四六時中ルーチェの傍にいるから、てっきりついてくるとばかり思っていたのに。
「あ、奥様!」
「本当だ! おおーい」
年若い騎士達が大きく手を振る。応えるように軽く会釈をして、早足で近寄れば。
「こんにちは。団長をお探しですか?」
「そ、そういうわけじゃないのだけど」
領主の妻が宿舎まで訪ねてきたら、そう思われるのももっともだろう。モゴモゴと言葉を探す。彼に会えたらもちろん嬉しい。でも、会いたいのに会いたくないような、話してみたいのに眺めていたいだけのような。
どちらにしろ、今日はそれだけが目的ではない。意を決して騎士達を見上げる。彼らは皆、どうにも背が高い。
「あの、この前、ここの食堂にと誘ってくれたでしょう? 騎士の皆さんがどんな生活をされてるのかなって……もし良かったら、この辺りの案内をお願いできませんか? お務めの邪魔だったら出直すわ」
勇気を出したお願いに、彼らはすぐ朗らかな笑顔を見せた。
「もちろんです。我々に興味を持ってくださること、喜ばしく思います!」
「……ありがとう!」
思い返せば、ルーチェはレネシュに来てから困ったことがほとんどない。受け入れられる喜びは幼い頃以来だ。
「いやあ、それにしても。あの生真面目な団長も、ようやくちゃんと奥様を迎えられる気になったんだな」
一人がウンウンと頷けば周りからも同意の声があがる。
「良かった良かった。まっ、団長はカッコいいですもんねえ」
「え?! えと、そうね、そう思います……」
彼らはこの結婚が契約であるとは知らない。プスプスと煙を出しながら両頬に手を当てる少女は、単にからかい甲斐があるというだけだ。
「宝の持ち腐れだったんですよね、ほんと」
「よく私達にも奥様と何を話したのかって訊いてきますよ」
「うう、そんなに信用されていないのね……」
ルーチェは肩を落とした。厨房での出来事も響いているかもしれない。好き勝手に色々と動き回っているし、怪しまれているのだろうか。
「信じていただけるように、もっと頑張らないといけませんね」
小さな拳をぐっと握る。妻としての務めを果たさなければと決意を新たにするルーチェの背後で、騎士達は互いに顔を見合せた。
「……こりゃ前途多難かもしれないな」
「まったくだ。団長もあれでからっきしだからなぁ」
◆
彼らはルーチェを武具庫へと案内する。簡素な、どちらかというと納屋に近い小屋だ。
「魔物が相手だと錆びることもほとんどないので、武器の大半は砦のほうに置いているのですが」
魔物は命が尽きると黒い炎を噴き出す。そのあとに残るのが魔石だというのは、ルーチェも知識としては知っている。
小屋の中には興味深いものがたくさんある。箱に無造作に刺してある木製の剣は訓練用らしい。
「台車で薪割り場に運んでいたもの?」
「そうです。消耗品なんですよね」
何かで殴られたような凹んだ痕のある防具や、弦の切れた弓も転がっている。
「最近はしょっちゅう竜種が飛んでるので、他の魔物はあまり姿を見せませんけど」
「竜?」
「ええ。翼を持つ上、射落とすのが困難で厄介な相手ですよ」
ルーチェは小鳥の騎士様の言葉を思い出す。昔、温泉の匂いがすると言っていた。
――実はまだ、彼のことは諦めきれていない。
同年代の騎士と話す時にそれとなく訊ねている。だが残念ながら、セシリア領を訪れたことがあると言った者はなかった。
「繁殖期が近くて。まあ彼らは賢いので、滅多に人里には来ませんが」
「だからって気を抜くと、団長にこっぴどく怒られるんですけどね!」
「あはは……」
こちらはなんとなく想像がついた。ルーチェにとって夫の印象は初対面から変わらない。
再び向こうの山を見る。この土地で人が暮らすために、どれだけの努力が積み重ねられたのだろう。
「砦ではどういったお仕事を?」
「あそこは見張り場というか、観測所を兼ねてまして。採掘者や商人の護衛をしたり、ごく稀にですけど、迷い込んだ魔物を保護することもあります」
「魔物を保護?」
「ええ、幼年期の魔物ですけど。薬で眠らせて、親に見つからないうちに山へ戻すんです」
「狩るだけではないのね」
「貴重な資源ですから」
レネシュでは魔物と共存しているらしい。互いの領分を侵さないようにしていると言った方が正しいか。
「ま、最悪の場合は時間稼ぎ用ですな」
ルーチェにも意味はわかったが、彼らに合わせて曖昧に笑う。『影』を無理やりに見ようとは思わなかった。
ふと目に入ったのは、壁に立て掛けられている長い槍。模擬剣に比べて数は多くはない。
「ああ、そちらはほぼ団長専用で」
「こんなに大きいの?」
「驚きますよねえ。幼い頃に教えてもらったと仰ってましたが、あれだけうまく操るのはなかなかありませんよ」
エリオット本人の背丈と同じくらいの長さがあり、相当に重たそうだ。
ルーチェは文官のような彼の姿しか知らない。きちっとした衣装に身を包み、経理や司法の務めをこなす。体は大きいが沈着に見え、ロディをはじめとした騎士団の気さくな空気とは真逆だった。
「そうだ! 奥様は馬はお好きですか?」
騎士の一人が明るい声で提案する。
「苦手じゃないと思うけど……あまり近くで見たことはないの。どうして?」
「向こうで手入れをしているので、良かったら見て行かれませんか?」
「あら、ぜひ!」
胸を高鳴らせながら案内に従って裏手にまわると、泥くさいような獣の臭いが風に混じった。それと共に笑い声も。
遠目に見ると、騎士達と何頭かの馬が集まっているのは、庭を流れる小さな川のそばだ。裸足になって裾を捲り上げ、桶で水をかけたりブラッシングしたり。干し草を抱えて運ぶ人も。
「あれ、団長もいらしてたんですね」
隣の騎士が呟いた。モヤモヤとした黒い『影』がまとわりついた、背の高い人物が混じっている。なるほど、よくよく見れば確かに銀髪だ。さすがに服装も普段とは違うらしい。
彼は周りと同じように手を動かし、水や泥も気にしない。袖を捲りズボンの裾を上げ、領主も騎士も関係なく、誰もが泥だらけのびしょ濡れだ。
衝撃的な光景だった。セシリアとは全然違う。
それに、いつも気難しそうな顔をしている領主様が思い切り笑っている姿も初めてで――あれ?
「あ、わわ、笑ってる……?!」
「ははは、奥様は団長をなんだとお思いですか!」
騎士達は笑ったがルーチェにとっては大事件といっていい。冷たくてちっとも笑わない恐ろしい人だと、あれほど聞いていたのに!
少年のような笑顔を見せているのは紛れもなくエリオットだ。思わず目で追ってしまう。水をかけられてやり返したり、汚れた馬具を外して地面へ放り投げたり。普段の姿からは想像もできない。
と、急に彼がシャツを脱いだ。
「ひゃっ?!」
先から雫を滴らせる髪をかきあげ、服をぎゅうと絞る。
引き締まった腹にたくましい腕。岩のような体つきは周囲の騎士と比べても遜色ない。
己の誤解に気づいたルーチェの顔に血がのぼる――夫は、ちゃんと武人だったのだ!
「は、はだ、はだかっ……?!」
「どうなさいましたか?」
「ああっ、えっと、ええと、用事を思い出しました! 失礼しますねッ!」
「え? お、奥様?!」
「わたしは何も見てない、見てないですからー!」
全速力で回れ右。
その晩、まるっきり寝付くことができなかったルーチェは翌朝、理由を知らないメリルに寝不足を心配される羽目になった。




