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猫(好きな子)を拾った。

 見苦しいところしかないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

 キーワードの付け方もイマイチわからんので、それも違ってたらすみません。

 6/3 ちょいと修正しました。


「あつ~」


 そう独り言ちながら炎天下を力なくダラダラと歩く。

 今は絶賛夏休み中で、ストックしていたアイスやらジュースやらが無くなってしまったから仕方なく買い出しに出た帰り道だ。

 でもこれも長くは保たないんだろうな、と右手に提げた袋の中をチラッと見やり、早くも次の買い物の事を考えて嫌な気分になる。


「はあ」


 年々増してくる夏の暑さに辟易しながら、早速食べてしまった60円アイスの爽やかなソーダ味が欠片もしなくなった棒を意味もなく奥歯で甘噛をする。

 一人暮らしをしているマンションまでの距離を途轍もなく遠く感じでいると、視界の端、電柱の影に何か橙色の小さいものがいるのに気づいた。

 体力を奪ってくる湿度80%の39度に負けじと目を凝らして見ると、その正体は茶トラの猫だった。それに妙に不安気にキョロキョロと辺りを気にしている。


「あ、猫だ」


 思わず呟いてしまうと、声が聞こえたのだろうその猫は驚くほど素早く僕の方に首を向けた。

 目が合うと、猫は数秒間驚いたように目を見開いてから、怖ず怖ずと言った風にゆっくりと口を開いた。


「にゃ、にゃ~」


 ご飯が欲しいのだろうか? でも僕はそんなもの持ってないぞ。

 僕が何も反応しなかったからだろうか、猫はもう一度開けかけた口をギュッと閉じて、妙に人間臭い動きで悲しそうに首を横に振った。

 その後、猫は僕に向けていた視線を地面に落としてトボトボとした足取りで僕の横を通り過ぎようとした。


 その姿がさっき見つけたときの、今にも泣き出してしまいそうな迷子のような雰囲気も相まって、あまりにも不憫に感じてしまった僕は気付くといつもならしないようなことをしていた。


 「……君、どうしたの?」


 言ってから少し恥ずかしくなった。動物に話しかけるなんて、傍から見たら馬鹿らしいことをした。周囲に人がいないのが唯一の救いだと思った。


 声をかけられるとは思ってなかったのだろう、猫は力なく垂れていた耳をピンと立たせ、ゆっくりと僕に振り返った。


 しばし無言で見つめ合う一人と一匹。

 どうしよう、声をかけたは良いものの、その後の行動を決めてなかった。

 取り敢えず、警戒心を抱かせないように思いつく限りの事をした。


 まず袋をその場に置いてからゆっくりとその場にしゃがみ込んで、ジリジリと猫に近づいた。ギリギリ腕が届かないくらいのところまで来ると、手をゆっくりと下の方から差し出した。

 猫は僕の右手を数秒見つめると、僕の顔を一瞬見てから右前足を怖ず怖ずといった風に僕の手の平に乗せてきた。ちょうどお手のような形だ。

 犬かよ。僕は内心でツッコミを入れた。が、そんなことはおくびにも出さない。

 警戒はそこまでされていないらしい。


「取り敢えず、家来る?」


 思わずチャラ男みたいなセリフを言ってしまった。と少し後悔していると、猫は考えるかのように少しの間目線を横にずらすと一言。


「……にゃあ」


 見た感じOKのようだ。

 人間臭い動きもあって、どうやらこっちの言っていることがわかるくらいには頭がいいらしいことに少し驚きつつ両腕で抱きかかえる。

 手が触れるときに少しビクッと体を震わせたが、抵抗する気力も余裕もないのだろう、猫は大人しく僕に抱かれた。

 幸いにも僕のマンションはペット禁止ではなかったので、一先ずは家に連れて行くことにした。

 動物に慣れてないせいで四苦八苦しながら袋も拾い上げると気づいた。


「あ、アイス」


 すっかり忘れていた。

 もうダメかもしれない。










「ただいまー」


 誰もいない部屋に向かって言いながらドアの鍵を閉める。

 予想通りの蒸し暑さだ。

 リビングに入り、机の上に無造作に袋を置く。

 いつの間にか眠っていた猫を綺麗なタオルで包み、良さげな箱にそーっと置く。

 見た感じ目を覚ます様子はなく、一定のリズムで寝息を立てている。

 多分、こういう時は動物病院に連れて行ったほうが良いのだろうな、と思いながら買ったものを冷蔵庫にしまう。

 案の定アイスは夏の猛暑にやられた僕のようにやる気のない有様になっていた。

 カップ系は兎も角、棒アイスが特に酷い。

 食べるときが楽しみだよ、なんて空笑いしながら冷凍室にてきとうに放り込む。


 猫を見ると未だにぐっすりと眠っている様子だったから、これ幸いとばかりにさっさと近くの動物病院に行くことにした。

 物わかりは良さそうだったけど、抵抗でもされたら面倒だからね。


 で、行ってみた結果。

 先生曰く、疲れているだけだろうとのこと。別に怪我とかはなかった。

 注射するときに目を覚ましたけれど、驚くほど大人しくて特に問題もなかった。

 その後はキャットフードとかトイレやらなんやら先生が教えてくれた物を買って帰ってきた。

 そうこうしている内にまた眠ってしまった猫を台所から見えるところに置き、夕飯を作る。

 自分で言うのもあれだけど、アニメの影響で小学生の頃から始めた僕の料理の腕は結構良いと思う。実家にいた時は家族のウケもなかなかに良かったし。


「にゃあ」

「うわっ」

「にゃ!?」


 音か匂いかはたまた両方のせいか、寝ていた猫がいつの間にか足元にいて僕は驚いてちょっと飛び跳ねた。そんな僕に逆に驚いたのか、猫もひっくり返っていた。

 かわいい奴め、ばかなん?


「あっぶな。

 もうすぐ終わるから離れて待ってな」


 保護した時のこともあって思わず話しかけてしまったが、流石に分からないか、と思って視線を向けると、猫はキッチンの出入り口までスタスタと歩いていき、そこにちょこんと座って僕をじっと見上げた。

 お利口さんじゃないか。いや、賢すぎん?


 出来上がった料理を机に持っていき、忘れずにキャットフードを用意する。


「食べていいぞ」


 そう声をかけると、猫は僕とキャットフードを何度か交互に見やってから、


「にゃあ」


 っと一声鳴いて、僕に何か抗議するかのような目を向けてくる。


「……」


 じー。


「……嫌なのか?」

「にゃあ」

 間髪入れずに鳴く猫。おまけに首を縦に振っている。


「はあ。しょうがないな」


 猫のご飯なんか作ったことないけど、調べたらなんとかなるでしょ。

 そうやって冷蔵庫の余り物でなんとか作ったご飯はお眼鏡にかなったのか、目の前に差し出すとすぐさま食べ始め、しかし周りは汚さず綺麗に食べていた。

 僕がご飯を食べ終わる頃には既に猫も食べ終わっており、満足したのかぐっすりと眠っていた。

 よく寝るな、なんて思ったけど今日は僕も限界だ。いつもより早いけどお風呂入ってからすぐ寝ることにした。


「おやすみ」







 誰かに体を揺すられている気がした。


「にゃー! にゃー!」


 うるさい。目覚ましは切っていたはずなんだけど。

 仕方なしに音源に手を伸ばすと、手の平にはモフモフとした感触がした。音も止まった。

 ハッとして目を開けると、目の前にはさっきの元気な声が嘘のように大人しくなった猫。

 そうだ。昨日、猫を拾ったんだった。


「おはよう」

「……にゃ」


 取り敢えず挨拶したけど、猫は短く鳴くと身を翻してリビングへ駆けていった。


 朝食を食べ終えて前足をペロペロしている猫を見ていると思った。

 

「……お前の名前考えないとな」


 なにか言いたげな猫と見つめ合う。

 そうだなー。


「……葉月」


 猫は目玉が飛び出るんじゃないかと思うほど目を見開いた。


「やっぱなし。流石に好きな人の名前はね」


 ペットに付けるとか恥ずかしい。

 知り合いにバレたら何言われるか分かったもんじゃないし、もともと無い脈が更に無くなりそうだ。

 苦笑いを浮かべながら言うと、猫はさらに口をあんぐりと大きく開いてかわいい舌を丸見えにしていた。

 その妙な反応を変に思いながら別の名前を考える。


「じゃあ、リーンで」


 我ながら安直だとは思うけど、案外悪くないのでは。


「にゃ、にゃー!」


 猫、もといリーンは首を横に振ると、何かを訴えるかのように僕の目を見つめながら大きな声で鳴き出した。


「もしかして、この名前が嫌なの?」

「にゃー!」


 激しく頷く猫。


「そ、そう」


 ちょっとショックだった。


「にゃー!」


 じゃあどうしよう、と考えていると今度は静かに僕を見つめているのに気がついた。

 もしかして、と聞いてみる。


「葉月が良いの?」

「にゃ!」


 短い返事が返ってきた。


「いやでもそれは……」


 と、僕が渋っていると、猫はゆっくりと近づいてくると僕の膝の上に前足をのっけて目で主張してきた。

 もう、葉月で良いかもしれない。

 いや、だめだ。


「ちょっと待ってて、今良いの調べるから」


 そう言って携帯を取り出して検索サイトを開いた瞬間、


「にゃ!」


という掛け声と共に僕は猫に襲われた。まあ、僕がと言うか携帯が、だけど。


「え、ちょっ!?」


 油断していた僕の手から携帯は飛んでいき、無造作に置いていたクッションの上にポスッという音を立てて落ちた。

 ホッと安心したのも束の間、猫は僕を踏み台にして携帯の方へ飛びかかった。


「……え」


 飛びかかった猫はクッションの手前のカーペットも何もない床に鈍い音と共に顔面から不時着した。

 何とも言えない沈黙が僕らを包み込み、居た堪れない空気が漂う。

 猫はもっと居た堪れないのだろう、数秒ほど可愛いお尻をぷるぷると震わせていた。


 お尻を震わすのをやめた猫は、気を取り直したのかすぐさま携帯に飛びついた。

 それと同時に我に返った僕は、携帯を奪還すべく猫を後ろから羽交い締めにしようとした。


「え、あ、ちょっと!?」


 しようとしたけど、猫の抵抗は凄まじかった。全身を使いどうにか僕の拘束から逃げ出そうとし、おまけに僕の顔に何回も猫裏拳を飛ばしてきた。結構痛かった。


「はあ、はあ……」

「フッ、フーッ」


 数分後、僕らは息も絶え絶えに床の上に寝転がっていた。

 なんでこんなに抵抗するんだ、と思いながら残り滓のような体力を振り絞って右手を携帯に伸ばすと、先に元気になった猫が邪魔をするかのように僕の手の上に体を下ろしてきた。

 少し憎たらしく思いながらそいつの小さなお尻を見つめていると、携帯からフリック音が出ているのに気づいた。


「……はあ?」


 どうやら猫は携帯で何か文字を打っているようだった。

 いや、携帯を使う猫とかなんだそれ。

 こっちの言葉を理解している節はあったが、猫ってそこまで頭がいいものなのか?

 頭が混乱していると、音が止まった。

 恐る恐る猫を両手で持ち上げる。


「おもっ」


 さっきの奮闘と寝転んでいるせいで猫が重たく感じたから思わず声に出てしまったけど、そう言うと猫は力の入っていないダランとした体はそのままで、目だけを動かしてキッと僕を睨みつけてきた。

 そういえば君、メスだったね。


「ごめんごめん」


 そう言いながら猫を仰向けになっている僕のお腹の上に乗っける。

 多分今は動かない気がするけど、念のため左手で軽く抱きしめるようにして捕獲しておく。

 しばし何となく猫と見つめ合ってから携帯に手を伸ばす。


「え? 嘘でしょ」


 チラッと猫を見る。


「ガチ?」

「にゃ」


 どうやらガチらしい。

 携帯の検索欄にはこう書かれていた。

『わたしはづき』

 文字数の割に時間がかかっていたのはプニプニの肉球で打っていたからだろう。

 いや、今はそんなことどうでもいい。

 もう一度確認してみる。


「私、葉月?」

「にゃあ! にゃあ!」


 目を輝かせて元気良く頷く猫。


「私はヅキ、じゃなくて?」


 それはそれで意味わからないけど。


「にゃ”あ”?」


 こっわ。どこからそんな声出してんだ。


「マジで?」

「フスッ」


 こいつ何回聞くねん、と言った風に見てくる自称葉月さん。


「秋風高校の?」

「にゃあ」

「二年二組の?」

「にゃ」

「楓さん?」

「に」


 猫は自分のことを僕が絶賛片思い中の楓葉月(かえではづき)さんだと(のたま)う。


「……うっそだー」


 そう言うと胸を何回か猫パンチしてきた。


「痛い痛い。分かったからやめて」


 口ではそう言いつつも本当はわかってない。

 だって意味がわからない。

 僕が拾った猫は実は人間で、しかも僕の好きな人だと? 何だこの状況。

 猫という部分だけ目を瞑れば、僕は女の子を拉致監禁していることになるじゃないか。


「いやいやいや」


 じーっ。


「いやいやいやいやいやいや」


 仮に本当だとしても、僕は本人の連絡先をしらないから確認のしようがない。


「……あ」


 それにこの猫が楓さんだとすると、僕は楓さんを抱きしめていることになるじゃないか。

 そう思うと反射的に万歳をするように手を上げていた。


「……にゅ」


 楓さん(仮)も今の状態を思い出したのか、少々間抜けな声をあげるともう一撃猫パンチを僕に放ってからスタッと床に飛び降りた。そこでキッと僕を軽く睨みつける。


「えっと、ごめん」


 ぷいっと顔を背ける楓さん(仮)。

 未だに納得はできないけど、現に言葉は通じるし、本人(本猫?)もそう主張しているわけで否定のしようがない。

 取り敢えず色々聞いてみようと口を開いた瞬間、携帯の通知音が鳴った。反射的に携帯の画面を見るとどうやら、僕のクラスのグループチャットからだった。

 これでクラスの皆に楓さんのことを聞こうか一瞬悩んだけど、どうやって聞いたら良いかわからないし、猫になったとか言ったら頭がおかしいと思われるのが落ちだと思った。

 そうこうしている内に話はどんどん加速していたようで、”まじ!?”とか”……うそでしょ?”なんていう返信で、なにか衝撃的な話題だと予測できた。

 でも僕にとって楓さん以上に衝撃的で大事な話題はないのであとで見返そうと思って目を離そうとすると、


”オレの葉月ちゃんが……”


 なんてものが飛び込んで来たせいで、この話題の渦中の人物が楓さんだということを知った。

 てか、なにがオレのだ。脳天カチ割るぞこのタコ! そう思ったのは僕だけでは無いようで、無駄にハイテンションな軽率ウザ野郎は皆からの総攻撃を食らっていた。

 少し溜飲を下げた僕は恐る恐るチャットアプリを開いた。

 発端になったメッセージを見てみると、どこかのニュースサイトのリンクが貼り付けてあった。

 楓さん(仮)を横目に見てみると、まだ、私セクハラされたこと怒ってます! みたいにプリプリとした雰囲気を漂わせていた。

 深呼吸を一つして、そのリンクをタップしてみた。


「あぁ……」


 思わず声が出た。若干そんな感じの記事だろうとは薄っすら思っていたけど、やっぱりショックだった。

 内容としては、秋風学園の女子高生が二日前の夜から行方不明に。名前は楓葉月さん、16歳。具体的なことはなにもわかっていないらしい。顔写真も貼ってあった。不謹慎だけど、やっぱり可愛かった。


「楓さん」


 そこに本人がいることだし、先ずは色々聞いてみることにした。






 楓さんは”にゃー”しか言えないから結構な時間がかかってしまった。

 簡潔に言うと、二日前の昼過ぎに近くの小さい山にある人気のない神社に一人でいたら気付くと猫になってたらしい。

 うん。簡潔すぎてわからない。

 午前中の部活で顧問の先生に強く言われて凹んでしまったから、一人で頭を冷やしたくて帰りに神社に寄ったらしい。

 そこでゆっくりしていると、気づいたら寝てしまっていて起きたら猫になっていたと。うーん、急。

 しかも日は暮れてしまっていて、怖がりながらも数時間かけてなんとか家に帰ったんだけど、そこでは警察と家族がなにやら話し込んでいた。頑張って自分が楓葉月だと主張したけど誰も気づいてくれず、おまけに追い払われる始末。仕方なくその場を離れて、疲労困憊になった体を休めるために安全な場所を探して見つけて、でも眠るのも怖くて寝て起きてを朝まで繰り返して、朦朧とした意識で街を歩いていたところで僕に会ったらしい。

 結構ハードな内容でしばらく言葉が出なかった。

 他にも聞きたいことはあるけど、


「よし! その神社に行こう」


 そう言って立ち上がると、楓さんはびっくりした顔で僕のことを見上げてきた。まるで信じてくれるとは思ってなかった表情だ。現に猫と意思疎通ができるんだから認めるしかないでしょ。


「……にゃ!?」


 呆けた楓さんを抱っこして爆速で家を出た。









「……にゃ」


 ムスッとした表情の楓さんは山の麓に止めた自転車の籠から音もなく飛び降りた。

 さっき家を出る時に抱き上げたことをまだ怒っている様子。たしかに僕も軽率だった。見た目が猫のせいで距離感が少しおかしくなっているようだ。

 ここに来たことがなかった僕は楓さんに先導されて階段を登る。

 人用の階段だから猫が登るのは大変そうだけど、抱えたらまた怒られそうだし、と思いつつ、頑張って階段を上がる楓さんのお尻を見ていたらすぐに着いた。


「ここか」


 鳥居をくぐった先は意外と良さそうな場所だった。

 そこは周りを木に囲まれていて、暑い夏の日差しも葉っぱの屋根で受け止められ、少し涼しめな風が緩やかに吹いていた。空気もあまりジメジメしてなくて息がしやすい。

 拝殿へ向かう楓さんの後ろを少し遅れながらついていく。

 申し訳程度に置いてある小さな賽銭箱に小ぢんまりとした拝殿。どっちかと言うと、人より幽霊とかのほうが出そうな雰囲気で、でもその割には綺麗で、定期的に手入れがされているように見えた。


「これって……」


 左手側の縁側には楓さんの物だろう、カバンやテニスのラケットが置きっぱなしになっていた。


「楓さんのやつ?」

「にゃ」


 当たりのようだ。

 他に何かないかと境内を隅々まで調べてみたけど、手がかりになりそうなものはなかった。

 そういえば、楓さんはそのまま猫になったのか、猫と中身が入れ替わったのか言ってなかったから、分からないだろうなと思いつつもダメ元で聞いてみた。

 曰く、多分入れ替わったような気がするらしい。

 随分と曖昧な言い方だけど一応理由はあって、眠ったときは縁側にいたけど起きたときは地面だったからだと。それだけだと理由としてはちょっと弱いとは思う。

 あとは、目が覚めた時には制服は消えていたとも。これは服ごと猫になった可能性もあるからなんとも言えない。

 どっちも理由としては成り立ち難いと正直に言ったところ、身も蓋もないがホントのホントの理由は直感らしい。逆に見方によってはそういう根拠のない理由のほうが適している気もする。

 ちなみに、猫になりたいなー、と意識を失う前に薄っすら思ってしまったからこんなことになったのかもしれないと、落ち込みながら教えてくれた。傍迷惑な神様もいたものだな。

 ということは、だ。元に戻す方法はわからないけど、目下のところ中身が猫になった楓さんの体を見つけないといけない。

 そういうわけで早速山中を這いずり回って猫を探してみたら、巣のようなものが拝殿の下にあった。これが猫の巣かどうかはわからないけど、猫だとするとここら辺を根城にしているのだとは思う。当の本人(本猫?)は欠片も見当たらなかったけど。

 でも、もう暗くなってきたしお腹も空いた。いくら涼しいといっても走り回ったら汗とドロまみれですこぶる汚いしで、今日はこれで切り上げることにした。

 忘れずに楓さんの荷物を持って帰る。帰りの間も周囲に目を配って猫、というか見た目的には野良の楓さんを探すが流石にいなかった。

 あと、帰りも自転車にのっていたら大量の虫が楓さんに飛んで来たので、途中から自転車は押して帰ることになった。


「ただいまー」

「にゃー」

「おかえり……、ではないね」

「……にゃ」


 汗でベタついた服を鬱陶しく思いながら部屋の扉を開けると、風呂場に直行して湯をはる。ついでに手も洗う。

 その間に晩飯の準備を軽く済ます。

 お風呂ができたからすぐ入ろうと思って移動すると、脱衣所の前に楓さんが可愛く足を揃えてお座りしていた。


「にゃー」


 なにかを懇願するように僕の目をじっと見つめる。


「にゃ」


 風呂場をチラッと見てからまた鳴いた。


「もしかして、楓さんもお風呂入りたいの?」

「にゃ!」


 たしかに今日は動き回ったし、それでなくても女子なんだ。猫の体なんか関係なしに入りたいに決まっているか。

 だからといって今の楓さんでは一人で入れないと思って、手伝おうか? と尋ねてみたけど楓さんは一人で入るといって聞かなかった。当たり前だけど。

 だから一人で入ることを渋々了承し、できるだけ一人でも大丈夫なように準備して僕はリビングでゆっくりすることにした。

 あの楓さんが僕の家でシャワーを浴びていると思うと変な気持ちになりそうだったので、深呼吸して気持ちを落ち着けていると楓さんの悲鳴っぽい鳴き声が僕の耳を劈いた。その後すぐに何かが倒れる音。

 驚いて血の気が失せた僕は机や壁に体をぶつけそうになりながらお風呂場まですっ飛び、浴室のドアを壊れそうな勢いで開く。


「……にゃぁ」


 ひっくり返った風呂桶や倒れたシャワー、シャンプーのボトルとかに囲まれている楓さんは僕を見ると、申し訳無さそうに情けない声を出した。


「……怪我は?」


 シャワーを止めながら聞くと楓さんは高速で顔を横にふった。ちょっと水が飛んできた。

 経緯を尋ねてみると、浴槽のようにお湯を張った風呂桶から出ようとしたらひっくり返りそうになり、それに驚いた楓さんは猫の脚力で飛び跳ねてしまい、こんな有様になってしまったと。

 まあ、何はともあれ楓さんが無事で良かった。

 それはそれとして僕は楓さんの体を洗う事になった。

 楓さんにも異論はない。というか、何を主張しても説得力がないから諦めたようだ。散らかした負い目もありそうだし。

 ついでに猫用シャンプーを使うことにした。念のために買っておいて良かった。

 猫どころか自分以外の生物を洗うのは始めてだし、しかもその初めてが楓さんだとますます緊張してしまうな。気合を入れて励むとしよう。

 

 そういえば猫って水が嫌いだと聞いたことがあるけど、楓さんは平気らしい。さっきのはあくまでも驚いただけとのこと。体が猫だからと言ってそっちに引っ張られたりするわけではないみたいだ。驚き方も猫っぽいとは言わないであげた。


「うわ!?」

「にゃっ!?」


 最悪だ。蛇口からお湯を出そうとしたら、シャワーが勢いよく飛び出して僕と近くにいた楓さんをビシャビシャにした。もともとお風呂に入るつもりだったからそこまで最悪でもないけど、さっきシャワーがでていたからバカっぽい。ちょっと恥ずかしい。


「にゃー」


 控えめな抗議の鳴き声。


「ごめんごめん」


 平謝りしつつ蛇口から桶にお湯をため、少しぬるくなるまで待つ。

 その間に色々と調べてからいざ実践。の前に、Tシャツを脱ぎ捨てる。やっぱり体にへばりついて鬱陶しかった。


「にゃ……!?」


 驚いて固まる楓さん。数秒口元をアワアワさせると、急に我に返ったかのように勢い良く顔を背ける。なんてウブな反応をするのだろうか。こっちまで恥ずかしくなってくるが、気にせずいこう。

 男の体、特に上半身なんて見られて何か減るもんでもないし。


 やっぱり初めてということもあって結構難しかった。

 楓さんも男にこんなことをされるのは初めてだったんだろう、猫パンチや噛みつき攻撃がとんでくる予想は外れて、最初の方はすごく大人しかった。僕と同じかそれ以上に緊張していたように見えた。

 それでも四苦八苦しながら僕の全神経、全集中力、全てを楓さんに注ぎこんだおかげか、ガチガチに固まっていた楓さんの緊張は解れていき、少しずつ気持ちよさそうに鳴いてくれるようにまでなった。

 喜んでくれたのは良かったけど、猫なのに思わずムズムズしてしまう声で鳴くのはやめてくれませんか。


 前足で顔を覆って突っ伏していた楓さんをドライヤーで乾かし終わるとすぐさま立ち上がり、風のようにどこかへ走り去っていった。

 さてと、僕もお風呂に入るか。


 いつもより長めにお風呂に浸かり、うっかりのぼせそうになったところで脱衣所に出て、僕は愕然とした。

 着替えを忘れた。下着すら持ってきていない。

 楓さんを洗ってからそのままお風呂に入ったせいで、そのことをすっかり忘れていた。

 楓さんに持ってきてもらおうかと考えたけど、好きな子にパンツ取ってほしいと頼むとか持って来てもらうとか恥ずかしすぎて死んでしまう。

 かといって、洗濯機に入れた汚いズボンやパンツを身につけるのは嫌だ。

 となるとこれしか無い。

 僕はアホみたいな覚悟を決めた。


 扉をゆっくりと開く。

 おちゃらけた感じで、いやー、ちょっとパンツ忘れちゃったんだよねー、といこうか迷ったけど、漢らしく堂々とすることにした。

 胸を張り、落ち着いて歩を進める。

 寝転んでいた楓さんが僕を一瞬だけ見て目をそらすと、首が取れるんじゃないかという勢いで二度見してきた。

 僕は自身に満ちた微笑みを顔に浮かべて楓さんに手を振る。タオル一枚を腰に巻いた状態で。

 後退る楓さん。

 僕は彼女の目の前を何事もないかのように通り過ぎていき、寝室の扉を開けて中に入る。


 ぼくはパンツを手に入れた!


 ボウギョリョクが上がったような気がした…………。






 楓さんの猫パンチは防御貫通持ちだったのか、僕の上昇したはずの防御力を物ともしなかった。

 痛む被害箇所を抑えながらなんとか晩ご飯を食べ終えた僕は、テレビを見ながら色んなことを話した。好きなものや嫌いなこと、学校のことやプライベートのこと。少ししんみりしてしまったけど、今までの会話ベストスリーに入るくらいには楽しかった。

 ちなみにさっきのことは真剣に謝ると許してくれた。優しい。

 名残惜しかったけど、明日のために早めに寝ることにした。


「楓さん。おやすみ」

「にゃあ」


 あ、寝床はちゃんと別にしている。楓さんには今まで使ってなかった貰い物の上等なタオルで簡単なベッドを用意した。良かったことに使い心地は悪くないらしい。








「にゃー、にゃー」


 楓さんを拾って三日目の朝。

 僕は昨日よりは抑えられた楓さん目覚ましで目が覚めた。

 いつもなら二度寝するところだけど、今日はそんな気にならなかった。

 朝食を食べ終わり、早速楓さんの体をした猫を探すことにした。

 お弁当でも作ろうかと思ったけど、そんなに遠くないからお昼になったら一回帰ってくることにした。

 あ、でも食材がそろそろ無くなりそうだからついでに買って帰ろう。


 で、午前中の成果はゼロだった。神社にも一度行ったけど案の定もぬけの殻。

 周辺も探してみたけど尻尾は掴めず。今は楓さんの体だから文字通り尻尾は掴めないはずだけど。

 なんか長期戦になりそうな予感がチラつく。楓さんの雰囲気もちょっと暗そうだった。

 ので、気を取り直してお昼ご飯に。ちゃんと材料も買ってきたから、ちょっと良いのを作ってあげた。


「楓さん」


 食後のコーヒーを飲み終えた僕は、ぼーっとテレビを見ていた楓さんに声をかけた。


「あれ、使ってみよう」

「にゃ」


 そう言って取り出したのは手の平サイズの電子ゲーム機のような物、”自動翻ニャク機器にゃうりんがるMk‐Ⅲ”。

 白黒の妙にリアルで威圧的なメカメカしい猫を平たくした見た目をしているそれは、さっき買い物のために寄ったショッピングモールでたまたま見つけた。

 子供だましの玩具だと思ったけど、携帯を通して会話するのが少し面倒だった僕たちは試しに買ってみたのだ。値段もそんなに高くなかったし。

 実はこれ、首輪に付けて使うものらしいのだけれどそのまま使うことにした。首輪自体は持ってるけど着けていない。楓さんも嫌だろうし。


「楓さん。なにか喋ってみて」

「……にゃー」


 一瞬遅れてから、


『ご飯美味しかった!』


 と、多分機械音声だと思うが、”にゃうりんがる”から驚くほど流暢で可愛らしい音声が流れた。

 楓さんを見てみると勢いよく首を縦に振っている。

 どうやら合っているらしい。

 その後も色々と喋ってみると、多少の差異はあったけれど特に問題なくスムーズに会話ができた。

 あまり期待はしていなかったけど結構使える。意外と良い掘り出し物だった。

 一頻り試した僕たちは探索を再開することにしたが、午後も手掛かりは掴めなかった。


「……にゃふっ」


 家に帰ってきた僕たちは、昨日と同じく体の汚れを落とした。

 二回目だからか、コツが掴めた僕は昨日よりも効率的に楓さんを洗うことができた。

 その楓さんは絶賛うつ伏せ状態で、体も口も軟体動物のように弛緩している。


『ご主人さま好き~』


 思わずといった感じで吐き出された楓さんの声に一瞬遅れて、お昼から常に起動していたにゃうりんがるMk‐Ⅲが発した声で緩んでいた雰囲気は破砕された。

 僕は驚いて楓さんを見ると、彼女はギョッとした表情で元凶を見ていた。

 僕と目が合うと残像が見えそうな勢いで首を横に振って否定する。いや、そんなに必死にならなくても……。

 恐らく誤翻訳だったのだろう。むしろ今まで何事もなく会話できていた方がおかしいのだ。だからもう、首振るのやめていいよ楓さん。


 一人、少し熱めの湯船に浸かりながら頭を冷やす。

 そりゃそうだ。そんなうまいことがあるわけない。

 好きな子(猫だけど)と共同生活とか文字だけ見たらおいしいけど、別においしいのは僕だけで、楓さんが好きで同級生とは言えよく知らない男の家に転がり込んでいるわけではないのだ。

 あくまでも楓さんが元に戻るための一時的な措置であって、元に戻ったら僕なんかお役御免なわけだ。

 こんな状況でうっかり好きになってもらえる余裕も理由も彼女にはない。

 なんなら今思うと、僕は弱みに付け込んでいる最低な奴だ。こんな奴と仲良くなりたいとは普通思わない。

 こうなる前から僕は楓さんに片思いしていたけど、そもそも告白する気もなかったし付き合えるとも思ってなかった。それどころか近付く気すらなかったのだ。

 楓さんの方もこれが終わったら、わざわざ僕と関わるつもりは毛頭ないだろう。楓さんは毛先まで綺麗だけども。

 もともとなかったものがこれからもないことに戻るだけだ。気にすることはない。

 ただ今だけ、僕は楓さんのために全力を尽くせばいい。


 身体の汚れと共に心の膿も洗い流した僕は、気持ちを入れ替えて楓さんとは程よく距離をおいて接することにした。

 少し失敗したのだろうか、今日の晩ご飯はあまり美味しくなかった。






 楓さんを拾って四日目。

 今日は楓さんに起こされる前に目が覚めた。というか楓さんはまだ寝ていた。僕が早く起きすぎたのだろう。現在朝の五時五十三分。早すぎ。

 二度寝をする気にならなかったため、あまり良く眠れなかった脳みそを叩き起こして布団から這い出る。くっそ眠い。


「にゃー」

「ああ、楓さん。おはよう」


 いつの間にそんな時間になっていたのか、楓さんが起きていた。

 どうやら一時間くらいの間、ソファに座ってぼーっとしていたようだ。

 少々重たい身体をソファから引っ張り上げ、充電していたにゃうりんがるの電源を入れる。


『ご主人さま、おはようにゃん!』


 目の部分が赤く光ると無駄に元気の良い起動音声が流れた。

 朝食を食べ終えてから楓さんの身体を探しに行く。

 昨日の手掛かりがゼロだったというのもあって、今日は捜索範囲を拡大してみた。探したことがないところを重点的を調べてみたけど残念ながら今回も成果はなし。

 こんなにヘトヘトになりながら探しても何もないとなると、このまま楓さんは元に戻れないのかもしれない、なんて少しネガティブな考えも出てくる。昨日の夜から僕らの雰囲気が悪いのもあると思う。一方的にそっけなくしている僕のせいだけど。


 夕方頃になると、僕らの気持ちと肩は太陽と同じくらいに沈んでいた。

 楓さんが猫になった神社を基点にして目ぼしい所、僕らが入れそうな所は軒並み調べた。

 これ以上調べる所がない。ほとんどお手上げ状態だった。


「……ん?」


 トボトボとした足取りで帰り道を歩いていると小さな公園に差し掛かった。

 ここも前調べたけど猫の毛一本見つからなかったのでそのまま通り過ぎようとしたら、鳩に餌をあげながら談笑しているお爺さんとお婆さんが目に入ってきた。

 その二人を見ると、一つだけやってないことがあるのに気付いた。

 探せるところは探したけど、それは僕らがほとんど場当たり的に見つけた所だ。もしかしたら他の視点から見ると別の場所があるのかもしれない。

 要は聞き込みだ。

 僕の頭は今、疲労と睡魔で微かにしか働いていない。なので、気付いたら僕はベンチに座っている二人に向かって歩を進めていた。


「あの、すいません」

「……なんじゃい?」


 訝しげにしながら返してくれたのは男性の方。


「えーっと、ここらへんって野良猫とかいますか?」


 疲れた頭で考えたド直球な質問を投げかけた。

 不審な顔をしながらも二人は答えてくれた。


「ここいらで野良猫といったらあれしかおらんよな? 婆さん」

「ええ、そうですね。あの子しか見たことありませんね」


 どうやら二人は夫婦のようだ。

 てか、早速手掛かり発見か!?


「え? そ、その猫ってどんな見た目ですか!?」


 思わず大き声が出てしまったが、二人は嫌な顔せずに答えてくれた。


「茶色っぽい感じの……、ほれ、ちょうどあんな感じじゃ」


 そう言って顎を向けた方向を見ると、そこにはゆっくりと近づいてくる楓さんがいた。


「あんな感じというか……、きっとあの子ですよ。お爺さん」

「んん? ……おおっ、ほんとうじゃ」


 え? 楓さん?

 僕が困惑している間に楓さんは僕の横まで来た。

 キョロキョロと僕と老夫婦を交互に見る楓さん。


「あら、こんなに懐いて」

「良い人に拾ってもらって良かったのぉ」


 しみじみと言う二人。

 えっと?


「どういうことですか?」


 話がわからないので聞いてみた。

 どうやら楓さん、というか楓さんと入れ替わった猫は元々家猫だったらしく、その時の飼い主に虐待されていたらしい。で、ある日その飼い主が病気かなんかで急死してしまい、その拍子に人のいないあの神社に逃げて野良になったと。

 虐待されていたせいか人間に対して強い警戒心を抱いていて、滅多に人に近付かないしゴミも漁らない。

 お爺さんたちも気になっていたらしく、遠目から見守っていたそうだ。というか警戒心が強すぎてそれしかできなかったみたい。

 そんな子が僕と一緒にいるのを確認できて安心できたんだと。

 まあ、中身が人間の女の子と入れ替わっているから本猫じゃないんだけど、意味が分からないのでそんなことは言わないでおいた。


「ああ、そう言えば……」


 とお爺さん。


「三日前くらいからかの? 散歩をしていると、たまに変な女の子を見かけるんじゃ」


 僕が楓さんを拾った日くらいからだ。お爺さんが日課の散歩をしていると、よく猫を見かけていたところで猫の代わりに制服を着た四つん這いの女の子を見かけたとかなんとか。

 えっ!?


「もう、きっと見間違いですよ」


 お婆さんはそう言うが、楓さんの可能性が高そうだ。


「その話、もっと詳しく!!」


 僕がさっきよりも大きな声を出したからか、二人は驚いてしまった。ごめんなさい。


 色々教えてもらった。

 どこらへんで見かけたとか、猫がよくいた場所、巡回コースなどなど。僕が知らない所もあった。

 明日からはそこを重点的に探してみようと思う。

 で、これまた微妙な雰囲気が続いている帰り道。

 ちょうど神社がある山の西側を歩いていた時に楓さんが口を開いた。


「……にゃー、にゃー」

『……えっとね、何かあったの?』

「何かって?」


 我ながら酷い返しだ。


『今日……ううん、昨日の夜から様子が変だよ』

「……普通だよ。いつも通り」

『全然違う。初めて話したのが三日前、……四日前? あれ、どっちだっけ』


 どうでもいいところで躓いてる。

 このまま有耶無耶にならないかな。


『そんなことどっちでもいいの!』


 まあ、ならないわな。


『この数日一緒に過ごしただけだけど、何かを我慢してるのはわかるよ』

「……」

『もしかして、嫌になった?』


 この会話もそっけなくするつもりだったのに、そんな悲しそうな雰囲気出されたらさ……。


『そうだよね……。いくらクラスメイトだと言っても、こんなことに付き合わされるの嫌だよね』


 心なしか機械音声の方も震えているような気がする。


『ごめんね。ありが……』

「いや! じゃ、ない……」

『えっ?』

「嫌じゃない」


 嫌な訳がない。


「そっけなかったのは別の理由。ごめん」

『あ、そう、なんだ……?』

「うん……」

『良かったぁ。嫌われちゃったのかと思った』

「……楓さんを嫌うことなんてないよ」

『え、あ、うん。ありがとう……? ちょっと照れちゃう』


 ああ、つい本音が出てしまった。恥ずかしい。


『それで、どうしてそっけなかったの?』

「あー」


 それ聞いてくるのか。そりゃ聞くか。


「えーっと」


 仕方ないか。

 覚悟を決めろ。そんな気がなくても一回言ったのだ。なんてことはない。


「す……」

『す?』


 あ、これ結構勇気いるな。緊張する。言いたくねぇ。


「す……」

『す?』


 あ、一回深呼吸しよう。

 僕はチキった。


「……ん?」


 より深く深呼吸しようと思って楓さんに向けていた視線をずらすと、なにか人影のようなものが見えた気がした。

 公園で随分話し込んでしまったから今は結構暗いのだ。

 もっとよく目を凝らしてみる。


「……あ」

『どうしたの?』


 見つけちゃったかもしれない。


「あそこ」


 そう言って野良の楓さんらしき人影の方に指を向ける。

 楓さんもそっちを見るが、いまいちわからないらしい。

 猫って夜目が効くんじゃなかったっけ。


「楓さんっぽい人がいる」

「にゃっ!?」


『話を逸らそうとしてない?』


 なんて疑われるけど嘘じゃない。


「ぅにゃ……!」

 

 楓さんを説得し、押していた自転車を一旦止めてから少しづつ楓さんらしき人影の方へ近づいていくと、楓さんもわかったのか、少し驚いているような声が出た。

 すると、楓さんの声が聞こえたのか、その人影は何かゴソゴソとしていた動きを止めて、背中まで伸びた黒髪をゆっくりと揺らしながら僕らの方に振り向いた。


 僕は思わず息を呑んだ。

 その顔は土やら何やらで汚れているが、紛れもなく楓さんの顔だった。

 彼女(?)は最初、楓さんを見ていたが、今気づいた、というふうに僕の方へ視線を向けると、すぐさま後ろに飛んで距離を取った。


「シャー!」


 四つん這いで威嚇された。

 まあ、さっきの話を聞いたら当然の反応だとは思うけど、その顔で明確な拒絶をされると些か以上にショックを受けてしまう。


 取り敢えず、敵意がないことを知ってもらおうと思い、目を見ながら両手をあげて無害アピールをしてみる。

 少しづつ後ろに下がる楓さん(野良)。

 だめか。

 今度はゆっくりと腰をおろして目線を合わせてみる。

 まだ下がる。

 このまま距離を取られると逃げられそうだけど、かと言って少しでも近付くとすぐに逃げられそうだ。目を離しても同じ気がする。

 万事休すかと思っていたら、それまで隣で静かにしていた楓さんが口を開いた。


「にゃ、にゃ~」 


 あ、ヤバい! そう思ったときには遅かった。

 楓さん(野良)が一瞬だけ僕の隣の楓さんをみやった瞬間、にゃうりんがるが、出番が来た! と言わんばかりに機械音声を発した。


『わ、わたしたち……』


 そこまで聞こえた瞬間、野良楓(のらえで)さんはすぐさま身を翻して駆け出した。猫らしく四つん這いで。


「あ、ちょ……!?」


 反射的に僕も駆け出した。


「……にゃっ?」


 後ろで楓さんの困惑したような、気の抜けた声が聞こえた。

 距離が空いていたからか、にゃうりんがるは喋らなかった。






「はあっ、はあっ……」


 どのくらい経ったのか、僕はまだ野良楓さんを追いかけていた。

 僕は体力があまりないから、走り出してすぐに息が切れた。

 それに、草むらや木々の間を走ったり、前にいる野良楓さんの脚力による砂利の雨や妨害行為で身体中が傷だらけ、泥だらけだ。あと汗も。

 逆に楓さん(野良)の方はまだまだ体力に余裕がありそうだった。

 人間の体で走っているからか、速度はそんなになかったから後ろまで追いつくことがてきたけど、それだけだった。僕の体力はすぐになくなり、野良楓さんの後ろをちょろちょろするだけになった。


 酸素が足りない。

 手足の感覚が希薄で、頭も靄がかかったかのようにはっきりしない。目も上から垂れてきた汗が入って開けているのが辛い。

 それでも走るのをやめない。

 今すぐにでも倒れ込みたいほどしんどいのに、どうしてだろうか。

 楓さんが好きだからというのは勿論だけど、焦っているのだろうか?

 次に見つけるのがいつになるか分からない。もしかするとずっと先になってしまうかもしれない。

 それもあるかもしれない。でもそれだけじゃない気がする。分からない。


 酸素が足りない。

 頭がはっきりしない。今、どこを走っているのかすら分からない。

 はっきりしているのは、視界の中央に映る楓さんのお尻がボロボロのスカート越しでも形が良いということだけ。それ以外は全部ボヤケている。

 もしかしたら、走るたびにこの楓さんの可愛いお尻が揺れるのを見たいから僕は走っているのかもしれない。

 なんだかそんな気がしてきた。


 好きな子のお尻を永遠に追いかけているというこの現状は、物凄く幸福なことではないだろうか。

 お尻を見ながらそんなくだらないことを考え始めていると、あることに気付いた。

 走り方の問題なのか、スカートがヤバい。

 その奥の神秘が見えてしまいそうなのだ。

 僕は思わずそこに注視した。してしまった。

 するとそこに、タイミング良くというか悪くというか、光が差した。

 その光は、運が優しく手を差し伸べているかのように見えた。いらない優しさだった。


「……ぶへ」


 バッチリと見えた。いや、見えたというか見当たらなかったというか……。

 兎も角、動揺に足を取られた僕は無様に盛大に転んだ。

 すぐに起きて追いかけようとしたけど、身体に力が入らなかった。

 限界を超えて走っていたからだろう。身体を仰向けに倒すのがやっとだった。


「はあ、はあ……」


 しばらく目を瞑って息を整えたら、今度は睡魔が襲ってきた。

 抵抗しようと思って目を開けるが、薄っすらとしか開かなかった。

 ぼんやりとした視界には、なぜかポツンと一本だけ置いてある街頭が自慢気に僕を照らしているように見えた。


 楓さんはノーパンだった。






「……ぁ、……ゃあ」


 なにか聞こえる。

 それと同時に胸に何かが軽く当たっているような感触がする。

 でも、強い眠気と倦怠感ですぐにその感覚は鈍くなっていった。

 すると、今度は頬にザラザラとした、それでいてねっちょりとした感触がした。

 二度も眠りの邪魔をされた衝撃で、固く閉じていた瞼を少し持ち上げる。

 開いた隙間から光が突き刺さって一瞬ひるむが、それもすぐに慣れた。


「にゃあ!」


 猫の鳴き声だ。

 ぼんやりした頭でそう思うと、スリープモードだった脳は瞬く間に現状を思い出した。


「……楓さん!」


 声だけは一丁前、身体の方はてんで駄目。鉛でできたかのように重たくて動けなかった。

 なんとか頭を楓さんの声が聴こえた左に向けると、鼻と鼻がくっつきそうな程の至近距離に楓さんがいた。

 目を潤ませて心配そうな顔で僕を見つめている。


 こういう状況の時はどうしたら良いのだろうか。


「えーっと、おはよ?」


 目は覚めても依然として働いていない僕の脳ではなにも考えられなかったのでこう言うと、


「にゃっ」

「……ぐへ」


 楓さんはより一層、綺麗なお目々をうるうるさせながら勢いよく僕の顔に抱きついてきた。

 口に毛が入った。


 少しばかりそうしていると、楓さんの動きが止まったのに気付いた。

 もうすぐ僕の呼吸もヤバそうだったので、楓さん、そろそろ退いて……、そう言おうとしたら、


「……ふがっ」


 喋れなかった。口を開いたら楓さんの毛が口の中に入ってくるのだ。

 でもそれだけでわかったのだろうか、楓さんは静静と離れてくれた。そして気不味そうに目をそらす。

 あ、そうか。楓さんを人の身体にしてさっきの体制にすると、僕の頭を自分の胸に押し付けているような格好になるな。

 実に気不味い空気が漂った。


「……ゴホンッ」


 咳が身体に響いたけど、気を取り直そう。


「楓さん、ごめん。逃げられちゃった……」


 声に苦渋を滲ませてそう言った。

 本当に申し訳なく思っている。折角楓さんを元に戻せるチャンスだったのに、僕はそれをフイにしたのだ。

 僕は殴られるのも甘んじて受け入れるつもりだったけど、楓さんはそんなことしなかった。


 楓さんはゆっくりと首を横に振ると、優しげな表情を浮かべて僕の頭をポンポンと軽く撫でた。

 ほんとにごめん。

 楓さんの優しさで溢れそうになる涙を僕は必死に抑えた。


 その後、僕が動けるようになるまで、暫くの間二人でその場に寝っ転がった。

 月は隠れていたけど、星が綺麗だった。あ、街頭はちょっと邪魔だった。


「そういえば、楓さんって、パンツ履いてないの?」


 何度も転びそうになる身体と忘れそうになった自転車を引きずりながらの帰り道で、気になったので思わず聞いてみた。

 普段なら絶対聞かないけど、この時の僕は疲労やらなんやらで、完全に頭が逝っていた。


「にゃ゛あ゛?」


 般若のような顔で睨まれた。どうやってるんだそれ。

 ちょっと怖かったので、何も考えずにさっきの経緯を事細かく説明したら、殴られた。

 履いてるに決まってるでしょ! と言わんばかりに脛を強く殴られた。思わずしゃがみ込む程痛かった。


「ムフーッ」


 楓さんは荒い鼻息を立てると、そこで何かに気づいたかのように固まった。

 僕を親の仇かのように睨みつけてくる目を見て、僕も気付いた。


「あ、いや、うそうそ。ほんとは何も見えてないから。ほら、暗かったし、ね?」


 咄嗟に絞り粕のような意識で拙い言い訳を考えたが、意味はなかった。

 じりじりとにじり寄ってくる楓さんに為す術もなく、ちょうどいいところにあった僕の顔はボッコボコに猫殴りにされた。

 どういうことか、あの前足には成人男性並の力が込められていた。


 満身創痍を超えて瀕死状態になった僕はなんとか家に着いた。

 楓さんは未だにそっぽを向いたまあ、ぷりぷり怒っている。何度も謝ったけど、許してもらうには当分かかりそうだ。

 それはそれとして今すぐに寝たいけど、僕のは兎も角、楓さんのご飯を作らないといけないし、お風呂に入らずに布団に入るのも憚られる。


「んにゃ」


 取り敢えず充電が切れていた”にゃうりんがる”に充電器をぶっ刺し、いつも通り料理の準備をしようとしたら、楓さんにズボンを噛まれて止められた。


「どうしたの?」

「にゃう」


 首を横に振る楓さん。

 えーっと、ご飯いらないってことかな。

 いや、でもなー。流石にな。


「にゃ」


 渋っている僕を見て、楓さんがどこかに指、というか前足を指す。辿っていくと、そこにはいつぞや楓さんに拒否られたキャットフード。

 いや、女の子にそんなもの食べさせるのはなー、とまたも渋る僕。

 痺れを切らしたのか、楓さんは自分で取りに行き、それを咥えて戻ってきた。


「にゃう」


 キャットフードを前足でペシペシと叩く楓さん。

 それから、体力も精神力も思考力もなかった僕は楓さんに言われるがままに動いた。

 楓さんにご飯と水を用意したら、頭でソファまで押されて、気付いたら眠っていた。






 瞼越しに暖かな光を感じて、目を開ける。

 光の元を横目に見ると、丁度カーテンの隙間から僕の目元に光が差していた。

 眩しさから逃げるように横向きに寝ていた身体を起こそうとすると、腕のなかになにかいるのに気付いた。

 丸まっている楓さんだった。心地よさそうに寝ている。

 楓さんを一撫でしてから起こさないように起き上がると、楓さんが掛けてくれていたのだろうか、タオルケットが肩からずり落ちた。

 そうだった。あまりハッキリ覚えていないけど、昨日は帰ってきてすぐに眠ってしまったのだった。

 お風呂も入ってなかったのだろう、体中が汗やらなんやらでベトついて気持ち悪い。あと臭い。

 同じく汚れて少々酸っぱい臭いがするソファから目をそらし、座ったまま軽く伸びをすると、体中からバキバキと音が鳴った。

 昨日、身体を酷使しすぎたからか、それともソファで寝ていたからか、多分その両方だと思うけど、身体が凝り固まっている。なんなら筋肉痛もあるし、身体中に小さな傷がいくつもある。今日はあんまり動きたくないな。

 取り敢えずシャワー浴びよう。


「にゃ、にゃ~」

「あ、起きたんだ。おはよう」


 しっかり目にシャワーを浴びていた間に楓さんも起きたのか、昨日の汚れを落としてリビングに戻ると、楓さんが朝の挨拶(多分)をしてきた。ただ、何故かぎこちなかったけど。

 その後、楓さんの汚れも落としてから朝食の準備に取り掛かろうとしたら、キャットフードでいい、と言われた。


「え、本当に?」

「にゃ」


 どうやら、昨日食べたのが意外と美味しかったらしい。ちょっと高いものを買った甲斐があったと言うべきか。

 いや、でも、見た目が猫とは言え、女の子が、特に好きな人がキャットフードを食べているのを見ると何とも言えない微妙な気分になった。

 食後のコーヒーを飲み、ダラっとしそうになった気持ちを抑えてソファを掃除する。

 それが終わるとまた一息つきたくなったけど、再起不能になりそうだったので、野良楓さんを探しに行くことにした。


『本当に行くの? 今日くらい休んでも良いんだよ』


 優しい楓さんにはそう言われたけど、僕は断固として意志を曲げなかった。

 いや、ちょっと揺らいだけど。ちょっとだけだから。

 昨日の勢いのまま行くと、今日も見つかる気がしたのだ。


 で、案の定見つからなかったわけだけど。なんでさ。

 お爺さんたちに教えてもらった場所も探したけど、どこにもいなかった。

 昨日の今日だから野良楓さんも警戒心を高めているのだと思う。

 あ、でも一つだけ見つけた物がある。


 女性用下着だ。


 見つけた時は気が動転してしまって、思わずズボンのポケットのなかに仕舞ってしまった。まるで楓さんから隠すように。

 これどうしよう。

 場所的に楓さんの物だという可能性が高いので、捨てるのも忍びない。

 かと言って楓さんにバレたら変態の烙印を押されてしまう。

 そういう意味でもどうしよう。

 結局、入浴前の一人になった時に洗濯物に紛れ込ませることにした。

 ガチでどうしよう。


 お風呂でさっぱりしたあとは夕食をとった。

 楓さんはキャットフード少々と、僕の作ったご飯を食べた。

 朝はキャットフードに負けたのかと思って少し凹んでいたのだけど、どっちかというと僕の料理の方が美味しいらしい。そう言ってもらえて嬉しいは嬉しいけど、僅差だったのがなんとも言えなかった。料理頑張ろう。


 ご飯の後は楓さんの爪を切ることにした。

 今までしようと思ってすっかり忘れていたのだ。

 猫は爪切りを嫌うっていう記事が多かったけど、やっぱり中身が人間だからか、初めての爪切りで僕がおっかなびっくりで行った事以外は特に問題もなく、スムーズに終わった。

 でも、それはそれとして、他人に爪を切られるのは怖かったと思う。なんせ、爪を切る度、手を持ち替える度にビクビクしていたから、我慢してくれていたのだろうと思う。優しい人だ。


 その後は昨日の疲れも残っているから寝るつもりだったのだけれど、変に目が冴えてしまって眠気が来なかったのでもう少し楓さんと戯れることにした。

 それで、今更だけど楓さんの意識が猫と人間のどちらに引っ張られているのか軽く検証してみることにした。


 まず1つ目、猫じゃらし。

 ソファの下で寛いでいる楓さんの前に猫じゃらしを揺らしてみた。


「ほれほれ~、You 素直になっちゃいなYO」


 楓さんはその姿勢のまま、目だけで猫じゃらしを二往復くらい追うと、アホみたいな顔で猫じゃらしを振っている僕の方に振り向いて、


「にゃあ?」

『で?』


 冷たい声と目を僕にくれた。はい、ごめんなさい。

 他の玩具も使ってみたけど、勿論興味なし。


 次はマタタビ。

 多量の接種は危険らしいので、ほんの少しだけあげてみた。


「うにゃ~ん。ゴロゴロ~」


 するとベロンベロンになった。聴いたことのない声も出してるし。

 なにこれヤッバ。


『ご主人さましゅき~。なでなでしてにゃ~ん』


 そう言いいながら僕にすり寄ってきて、頭を擦り付けてきた。

 え、可愛すぎるんだが……!

 だがしかし、毎日身体洗っといてなんだけど、女の子の身体を無闇矢鱈と触りちゃんこにするのは駄目でしょ。流石に。うん。我慢我慢。


「にゃにゃ~ん」

『ね~え、なでて~?』


 いやでも、楓さんもこう言ってるし、少しくらい良いのでは? いや、ダメだダメだ! ここで触ったら、まるで女の子を酔わしてお持ち帰りする糞野郎と一緒じゃないか。


「うにゃ~」

『ごしゅじんしゃま~』


 楓さんはそう言って僕の指先をチロチロと舐めながら上目遣いで見てきた。

 あ、もう無理だ。

 僕は諦めて糞野郎になった。

 感想、すごく良かった。






 六日目。


「にゃ!?」


 昨夜の変な勢いのまま楓さんを抱きしめて寝ていた僕は、楓さんのビッグボイスと顔面猫パンチで起こされた。


「いたっ!?」


 良いのが入った。


「にゃにゃにゃ!? うにゃー!」

『にゃんで一緒に寝て……、……もう電池がにゃいにゃ、おやすみにゃさーい!』


 昨夜から起動しっぱなしだった”にゃうりんがる”の充電が切れて、途中までしか翻訳されなかったけど、だいたいわかった。


「けえでしゃん……」


 惜しいけど、僕の顔を踏んづけていた柔らかな足をどけてもらった。

 ついでに上体も起こす。


「楓さん、もしかして、昨夜のこと覚えてない?」

「……にゃ」


 こくんと頷く楓さん。

 どうやらマタタビ辺りから記憶が曖昧らしい。

 へーほーふーん。


「別に、変なことはしてないよ?」


 うん、してない。撫でただけだ。


「……にゃぁ?」


 本当に? とでも言いたげな表情。


「本当だよ。マタタビで酔った楓さんを介抱してたら一緒に寝ちゃってただけ」

「……」


 あと一息っぽいな。


「それに、元の人間の姿だったらまた話は違うけど、今の楓さんにどうやって変な事するのさ」


 そう言うと、楓さんは複雑そうな表情をしながらも納得したのか、布団から降りてリビングに行った。

 ……さっきのは流石にデリカシーがなかったな。後で謝っておこう。


 ちなみに、楓さんがマタタビでベロベロになっていた時に3つ目の検証をした。

 尻尾の付け根辺りを軽くポンポンしてみた。

 なんというか、うん、変な話なんだけど、すごくえっちだった。

 でも、今後はそういうことはしないようにしよう。酔わせるのも。

 僕が可怪しくなる。

 まあ、もうそんな機会ないと思うけど。





 場所は変わって神社の麓に着いた。

 なんとなく、毎回ここを最初に探すことにしている。

 案の定いなかったけど。


『それで、結局あれはなんだったの?』


 その話題は突然だった。


「あれって?」


 最初は気づかなかった。


『一昨日、私を避けてた理由』


 え、それ今聞く? こんな河川敷で草むらをかき分けてる時に?


「あー」


 てっきり忘れたと思っていた。

 昨日も特に話に出なかったし。


「今聞く?」

『うん。さっき思い出しちゃって」


 たいみんぐ。


「……私のこと嫌になったわけじゃにゃいんだよね?』

「……うん」


 そんな可愛いつぶらな瞳で見ないでくれ。


『じゃあ、なんで?』


 結局ゲロった。

 こんな状態で話すのは嫌だったので、橋の下の影になっている所に座って、ついでに休憩することにした。


 楓さんの前に水を入れた水筒のコップを置いて、互いに一口飲んで一息つくと、楓さんがじっと見上げてくる。


「……」

「……」

『……』


 言い出しづらい、というか緊張する。心做しか、”にゃうりんがる”も僕が話し出すのを待っている気がする。

 これから言う事を考えれば、ほぼ告白になるから仕方ないけど。


 深呼吸を一つすると、楓さんの目を見て言った。


「好き、なんだ。楓さんのことが」

「……にゃ」

『……うん、知ってる』


 ですよね~。


『……でも嬉しい』


 は?

 ギョッとすると、楓さんもギョッとした表情で”にゃうりんがる”の方へ振り向いた。

 あ、これ見たことあるわ。また、”にゃうりんがる”が誤作動を起こしたのだろう。

 気にせず続けることにする。


「……だからさ、嫌になったとかじゃなくて、その逆というか」


 楓さんも意識を僕に戻すと、首を斜めに傾けた。

 うん。何が言いたいのかよくわからないのだろう。


「楓さんが元に戻ったら、今のように僕と話す必要もなくなるでしょ? それで、また前みたいなただのクラスメイトに戻るんだと思うと仲良くなるのが怖くなっちゃって」

「……」

「まあ、それだけ。自分でも女々しいとは思うけどね」


 あと、振られるのが嫌だったとは言わないでおいた。

 軽く自嘲すると、楓さんが首を横に振った。


『折角ご主人さまと仲良くなったのに、元に戻ってからわざわざ距離なんか取らないよ。それに、恩人だしね』


 そんなに器が小さい人間じゃないよ、と続けて。


『あ、でも告白の返事は人間に戻ってからね』


 ちょっと湿っぽい話になったので、空気を変えるようにして楓さんが少しおどけるようにそう言った。

 それに、今僕をフッてそっぽ向かれたら大変だしね。


「できればそのまま取っていてよ。もともと良い返事は期待してないし」


 僕も合わせておどけるように言った。


『……ふーん』


 嘘だ。怖いもの見たさか、一縷の希望を信じているのか知らないが、本当は少し気になる。

 まあ、いいや。この話はこれで終わり。日が暮れてきそうなので、もう少し探してから今日は帰ることにした。


 で、妙に気合が入って残り時間を捜索し、これまた妙に気合が入った帰り道。

 神社がある山の麓を通りかかると、少し神社の方、もっと言うと神社にある猫の巣が気になった。

 なんて言えばいいのか、そう、これは勘だった。

 予感というか、野良楓さんがいる気がしたのだ。

 楓さんを先頭にして、できるだけ音を出さないようにしてゆっくりと階段を登る。

 境内に着き、周りを見渡すが、何かいる気配はない。


「楓さんっ?」


 いつも通り静かだ、そう思っていると、僕と同じように立ち止まっていた楓さんが急に走り出した。

 急いで追いかけると、楓さんは神社の縁側のようなところに潜り込んだ。

 僕もすぐに下に潜り込んで、楓さんが向かったであろう巣の方へ頭をぶつけないように注意して進むと、案の定見つけた。

 眠っているのか、野良楓さんは体を丸めて横になっていて、その横で楓さんが必死になってなにか喋っている。

 僕が近づいても、野良楓さんは特に起きる気配はない。というか、そもそも気付いてすらなさそうだ。


『ご主人さま早く! この子、様子が変!』


 えっ? と思って、僕はゆっくりと近づいていたのを止め、急いで向かった。


「ハア……ハア……」


 見ると、野良楓さんは目をきつく閉じ、赤くなった顔を苦しそうに歪ませて、荒い呼吸を繰り返していた。また、服や髪の毛が身体にへばり付く程の尋常ではない量の汗もかいていた。


「これは……」


 どうみても風邪っぽい。

 そう思って野良楓さんの額に手を当てる。


「あっつ……!」


 これまた尋常ではない熱さだった。

 でも、手を当てたからか、きつく閉じられていた瞼が薄っすらと開いて、僕を見るとさらに大きく開き、その汚れた綺麗な顔をさっきとは違う苦しそうな表情に歪めた。

 僕は刺激しないように距離を置こうと思い、焦って勢いよく腰を上げると、野良楓さんも急なことで驚いたのか、魘されていたのが嘘のような勢いで飛び上がった。

 でも、ここにはそんなスペースはない。

 僕たちは仲良く頭を強打した。


「いったあ」

「ウ、ウゥ……」


 しばし痛みでのたうち回る。

 先に復帰したのは僕で、野良楓さんは体調が悪いせいか、まだ頭を抱えながら倒れ込んでいた。


「えーっと、大丈夫?」


 心配になって少し近づいて声をかけると、動きが止まった。


「シャッ」

「……えっ?」

『ご主人さま!?』


 野良楓さんが素早く起き上がり、僕に向き直ったと思ったら、僕は気付くと背中から倒れていた。

 何が起こったか分からなかったけど、顔に走る痛みで引っ掻かれたのだと分かった。ついでに突き飛ばされたのだろう。


「痛ぅっ」

『大丈夫!?』

「一応は」


 楓さんが走り寄ってくるのを視界の端に収めつつ、野良楓さんのいた所に目を向けると、たった数秒の間にいなくなっていた。

 何処に行った? と辺りを見回すと、形の良いお尻が外に逃げようとしていた。

 ただ、やっぱり身体が弱っているためか、結構遅い。

 急いで追いかけると、自分でもビックリするくらいのスピードが出て、野良楓さんが外に出たのとそう変わらないタイミングで外に這い出た。


「ニャ!?」


 立ち上がってすぐさま野良楓さんを見つけると同時に、野良楓さんは足をもつれさせて勢いよく倒れ込んだ。

 起き上がるのに梃子摺っている間に近づいて腕を掴む。


「捕まえた……!」

「ッ……、ニャア!!」


 と思ったら、女の子とは思えない力で振り払われた。

 これは、手加減ができそうにないな。

 元々は野良楓さんの事情も考えて、少しづつ距離を詰める作戦だったけど、諦めよう。

 こんな状態で逃げられたら、死んでしまうかもしれない。そうなると、楓さんはこのまま猫で生きることになるかもしれない。

 正直、楓さんと二人で過ごすのは楽しかったし、少し寂しいけど、楓さんは今も可愛いけど人の時のほうが万倍は可愛いから。

 何が何でも今捕まえる。


「逃がすか!」


 起き上がってそのまま逃げ出そうとした楓さん(猫)の胴体を両腕ごと抱きしめる。

 思っていたより身体が細く、それでいて柔らかな感触に力を込めるのが怖くなるのを無視して、足がつかないくらいに持ち上げる。


「……シャー!……ニャアーー!!」


 すると、狂ったように身体を動かして、どうにか拘束から逃れようとする。

 足も何回も蹴られて、時間が経つごとに動きは激しくなり、体勢を保つのが難しくなる。


「こんっの……! いい、加減、に……」


 立っていられるのも限界が来て、前に倒れそうになるのを踏ん張り、後ろに倒れ込んでお尻と背中を強打した。


「……ガッ」


 それでも腕の力だけは意地でも緩めない。


「ニャーー!!」


 この体勢は結構きついかもしれない。

 足が地面に着けるからか、左右に揺れたり、身体を持ち上げようとしたり、足も強く踏まれるしで、さっきより抵抗が強くなっている。


「フッ!」


 息を入れて上体を起こすと、すぐさま僕の両足を野良楓さんの足の間に滑り込ませて膝を立たせる。そして、一気に開く。

 変な格好だけど、結構楽になった。

 あとは我慢勝負だ。

 僕の筋肉に力が入らなくなるか、野良楓さんが諦めるか。


「フーッ、フーッ」

「はあ、はあ」


 しばらくそうしていると、野良楓さんの動きが落ち着いてきた。

 そして、抵抗もなくなり、力なく頭を垂らした。

 諦めたのか? そう思った途端、目の前にところどころはねた黒が迫っていた。


「ウグッ!?」


 頭突をされた。

 項垂れていたのは諦めたわけではなく、力を溜めていたということだろう。

 思わぬ衝撃で腕が力を込めるのを一瞬忘れ、拘束が緩む。

 すぐに力を込め直したけど、その隙を突かれてまんまと両腕が自由の身になった。


「ンニャーーー!!!」


 さっきより抵抗が激しくなり、自由になった腕も遺憾なく使われて、僕の身体をどんどん傷つけていった。

 振り回された腕が身体のあちこちを叩き、ボロボロの伸びた爪で顔は勿論、腕も引っ掻かれ、髪の毛も引っ張られる。


「ッ……」


 挙句には、さっきの頭突きで額が切れたのだろうか、血が垂れて視界が赤く染まってきた。

 すっかり形勢は逆転され、僕は楓さん(猫)の身体に縋り付くようにして逃げられないようにすることしかできなかった。


「んにゃ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」


 すると、急に物凄い鳴き声が聴こえてきて、楓さん(猫)の動きが嘘のようにピタッと止まった。

 いつの間にか閉じていた瞼を少し開いて前を見ると、そこには赤く染まった猫(楓さん)がいた。

 赤いのは僕の視界だった。てか、え、君が出したの?


「にゃあ!!!」


 楓さん(猫)が動き出そうとすると、すぐさま楓さんが叫んで止まる。


「にゃー、にゃにゃあ」

「シ……」

「にゃあ!!」


 会話? なのだろうか、楓さん(猫)がなにか喋ろうとするとそれを一喝して黙らす楓さん。

 なんかちょっと怖い。


「にゃあ、にゃにゃ?」


 楓さんがなにか言うと、楓さん(猫)がうなじに顔を埋めかけている僕を数秒見る。


「ニャ……」

「にゃあ!」


 また遮った。何言ってるかわからないけど、理不尽すごそう。


「にゃ、にゃにゃー?」

「……」

「にゃあ、にゃあ」

「ニ、ニャア」

「にゃあ、にゃにゃにゃあ、にゃ」

「ニャアッ」

「にゃあにゃあ」

「ンナ……」

「にゃにゃ? にゃあ?」

「ッ……!?」

「にゃあ」


 相変わらず何を喋っているのかわからないけど、さっきまでの楓さんの憤怒の目が、今は慈愛の瞳になっているのはわかる。

 そして、安心させるかのように野良楓さんに抱きついて、僕にウインクした。

 言いたいことは分かる。僕も気持ちは同じだから。

 左手をゆっくりと持ち上げて、野良楓さんの頭に乗せると、一瞬ビクッと身体を震わせて、身体を強張らせた。

 安心させるようにゆっくりと頭を撫でると、気持ちが伝わったのか、徐々に力が抜けていき、


「……ゥ、……ヒック、…………ウニャア、ニャアアアアア……」


 涙をボロボロ流して泣き始めた。

 しばらく泣くと、泣きつかれたのもあるのだろう、身体の力が抜けてスヤスヤと寝息を立て始めた。

 僕も力が抜け、野良楓さんを胸に抱いたまま仰向けに寝転んだ。


「楓さん」


 楓さんも僕の横まできて、目を合わせると、僕の頭を優しい足付きで一撫ですると、今まで見たことない、何が言いたいのかよくわからないのにやけに魅力的な表情を浮かべた。

 見とれていたら、いつの間にか顔が近くにまで寄っていて、


「ちゅっ」


 頬にキスされていた。え、キス!?

 いや、でも、きっと感謝の印だろう。それも猫の姿だからいつもよりハードルが低かったのだろう。うん。そういうことにしておこう。でもカウントはしておく。

 恥ずかしさから目を逸らす。

 なるほど、どうりで妙に明るかったのか。

 今日は満月だった。


 でもまあ、そのままゆっくりできるはずもなく、体調不良者が一人(一匹)いることだし、疲労困憊、でも気合は十分の身体に鞭打ってさっさと帰ることにした。

 自転車は明日取りに来よう。

 あ、荷物も忘れた。






 幸いなことに帰りを誰かに見られることはなく、無事に家についた。

 お風呂に入りたいとか、お腹が空いたとか、早く寝たいとか色々あるけど、目下の最優先事項は絶賛僕の背中で魘されている野良楓さんをどうするかだ。

 取り敢えずこの家に唯一ある僕のベッドで寝かすのは決定事項だとして、この怪我や汚れをそのまま放っておくと、更に体調が悪化しそうだし、楓さんとそこのところを少し話し合った。

 結果、体を拭いて傷の手当をして、着替えもさせることになった。

 僕の必死の説得もあってか、楓さんは渋々、本当に渋々だけれど許可してくれた。

 決して、僕が好きな人を裸に剥きたかったわけではない。断じて。

 なので、目隠しをすることになった。どうやれと?


 なんかすごかった。

 視界が遮られていた分、触覚が鋭敏になったのか、感触がより鮮明だった。

 鼻血が出ないか心配だったけど、どうやら僕の血管は丈夫だったようで安心した。

 で、案の定変なところとか触ったらしく、楓さんからいっぱい猫パンチを頂いた。

 僕の部屋着を着させて目隠しを取ると、野良楓さんはさっきよりも苦しそうに息を荒くしていた。

 なんかごめんなさい。

 楓さんは僕をなんとも言えない表情で見つめていた。怒りたいけど怒れない、感謝したいけどしたくない、そんな感じで。

 ちなみに熱を測ってみたら三十八度五分もあった。

 家にあった冷却シートを貼り、ベッドに寝かす。

 できれば薬も飲ましたいけど、この感じだと無理そうだ。

 僕は妙に元気になった身体で楓さんをひっ捕まえ、お風呂に行くことにした。

 急に活き活きしだした僕を見て、楓さんはちょっとビビっていた。


 お風呂でさっぱりして、軽くだけどご飯も食べて、寝る前にもう一回野良楓さんの様子を見ることにした。

 扉を開けて中に入ると、音で気付いたのか、薄っすらと目を開けた。


『調子はどう?』


 楓さんに頼んで聞いてもらう。


『最悪』


 野良楓さんはそう素っ気なく返した。

 薬が飲めるか聞いてもらうと、渋られたが、体調が良くなると聞くと飲んでもらうことになった。

 風邪っぽいけど、百パーセントそうとは言い切れないのでこの薬が効くがどうかはわからないけど。


「じゃ、おやすみ」

『……フン』


 薬を飲んでもらえたので、部屋を出るために立ち上がろうとしたら、布団から出た手で服を掴まれていた。

 顔を見ると、目を閉じてそっぽを向かれていた。寝た振りなのだろうか。

 楓さんを見ると、肩をすくめるような動きをした。

 風邪を引いたりすると一人じゃ心細いからね。

 僕も肩をすくめると、眠るまで付き添ってあげることにした。

 その場に座りなおして可愛い寝顔を見つめていると、野良楓さんはすぐに寝息を立て始めた。

 時計を見ると一分も経ってなかった。

 おやすみ。

 ソファに寝転び、さっきの感触を思い出しつつ眠りについた。

 ちなみに楓さんは僕が作った専用のベッドで寝た。





 パッと目が開くと同時に脳も覚醒する。

 ソファで寝たにしてはスッキリとした良い目覚めだ。

 内容は覚えていないけど、なんだかいい夢を見た気もする。そのおかげかも知れない。

 ふと、お腹の上に重みを感じて目を向けると、そこには楓さんが丸まって寝ていた。

 えーっと? たしか昨日は別々で寝たんじゃなかったっけ。

 ま、いっか。

 楓さんの安心しきったような可愛い寝顔を見てそう思う。

 思わず一撫すると、楓さんの目がパチっと開く。


「……あ」


 やばい、ぶたれる! と思ったら、


「……ふにゃぁ」


 と、大きなあくびをすると、とろんとした目をして僕の手に頭を擦り付けてきた。

 あれ、もしかして寝ぼけてる?


「あ、ちょ……!?」


 しまいには僕の顔にも擦り付けてきた。

 何だこれ可愛すぎる!

 衝動が抑えきれない。

 両手をワナワナと震わせて楓さんを愛でまくろうとしたら、目が合った。

 さっきとは違い、楓さんの目には意識が戻っていた。

 今度は楓さんがワナワナと震えだし、にゃあにゃあと何か喚きながらどこかに走り去っていった。

 そうですか、そんなに僕が嫌でしたか。かなしくなんかないやい。


 それはそれとして、野良楓さんの様子を見てみたら、ちゃんと息をしていた。安心。

 それに、薬が効いたのか昨日よりは息も落ち着いていていた。

 朝食を取ってからまた来るとしよう。

 さもさっきのことは気にしてない風に楓さんと一緒にご飯を食べていると、それはそれで不服、みたいな顔をされた。解せぬ。


 一応、ご飯も食べれたら、と思って野良楓さん用に軽くおかゆでも作ってみた。

 楓さんと一緒に部屋に入る。


「シャー!」


 いきなり威嚇された。

 元気になったようで何より。

 と思ったら、バツの悪そうな顔で目を逸らされた。

 すると、楓さんが布団の上に飛び乗った。

 野良楓さんはそれにビクッと身体を震わせると、汗をダラダラと流しながら必死に楓さんと目が合わないようにしている。

 後ろにいる僕には楓さんの表情はわからないけど、そんなに怖い顔をしているだろうか。

 たっぷり五秒くらい無言の時間が続くと、二人してにゃあニャアと話しだした。

 でも安心。”にゃうりんがる”を持ってきているので、ちゃんと会話の内容が分かる。


『……なんで威嚇したの?』

『……つい、癖で』

『ふーん、なら許してあげる。……次はないけどね?』


 楓さんコッワ。ブチギレにゃんにゃんじゃん。そんな怒らんでも。


『それで、体調はどんな感じ? ご飯は食べれる?』

『……おかげでだいぶ良くなった』


 僕をチラッと見て、


『メシはいら……』


 ”ぐう~”

 と、喋る途中でお腹の音が鳴った。犯人は言うまでもない。


『……食う』


 素直なのはいいことだ。

 でも、その前に体温を測ることにした。


『はい、腕上げてー』

『……ん』

『脇締めてー』


 やっぱりまだ人間が怖いのだろう、僕が動いたり声を出す度にビクビクして、常にチラチラと僕の様子を伺っていたが、何事もなく終えた。

 体温は三十七度七分だった。だいぶ良くなってる。

 何事もなければあと一日二日で治るだろう。医者じゃないので勘だけど。


「よくできました」


 そう言ってついつい頭に手を置いてしまうと、野良楓さんは身体を硬直させて目をギュッと瞑った。

 すぐさま手を戻そうとしたけど、やっぱりやめて優しく頭を撫でることにした、


「いい子いい子」


 一瞬、もっとギュッと瞼に力を込めると、薄目を開けて僕を見てきたので、僕の出来うる限りの優しい笑顔を向けてやった。


『……ン』


 少し緊張は解れたみたいだけど、そっぽを向かれた。

 まあ徐々に慣らしていけばいいか。


 では、お待ちかねのご飯タイムだ。


「ふーふー。……はい、あーん」

『……ん』


 見た目人間でも中身が猫だから、スプーンとか使えない。

 よって僕が食べさせることになった。


『……んみゃい』

「それは良かった」


 それを見る楓さんは口をもにゅもにゅして、なんとも言えない表情をしていた。

 そりゃそう。そういう意味で好きでもない男にあーんされている自分を第三者目線で見ているのだ。妙な気持ちにもなる。


『……寝る』


 そう言うと、ご飯を食べ終えた野良楓さんはすぐに目を瞑って、寝息を立て始めた。

 おう、はよ治せ。

 その日一日は自転車と荷物を回収した以外は野良楓さんのお世話に奔走した。

 その甲斐あってか、次の日には熱も下がり、元気になっていた。


「おはよう、リーン。楓さんも」

『ニャア』

『にゃ』


 いつまでも野良楓さんと言うのもなんだったので、昨日のうちに名前をつけた。

 楓さんには名前の意味を聞かれたけど、なんとか誤魔化しておいた。

 リーフ(葉)とムーン(月)でリーンなんて、本人に言えるわけがない。


「そういえば、なんで元に戻らないんだろう?」


 三人(?)で朝食を取っている時に気付いたので聞いてみた。


『……なんでだろう?』


 ふたりとも首を傾げる。本人本猫たちもわからないみたいだ。


『でも、いーじゃん。大好きなゴシュジンサマと一緒にいられるならなんでもさ』


 と、僕に食べさせてもらいながら言うリーン。

 昨日、甲斐甲斐しく看病したおかげか、リーンは一晩で人間嫌いの”に”の字も見当たらないくらいに僕に懐いていた。

 いや、チョロすぎん?


『良くにゃい! 私の身体返してよ!』

『そんニャコトいわれてもニャー』


 がみガミ言い合う二人を尻目に食後のコーヒーを一口。


『そんなことよりさー、ゴシュジンサマ。オッパイなでて?』

『……はっ?』

「ぶふぉっ!? ……ゴホッゴホッ」


 思わぬ発言で盛大にむせた。

 朝起きてから、意味わからんくらいにリーンの好き好きアピールがすごい。

 その場は頭を撫でて終わったが、その後も妙に距離が近かった。

 寛いでいるときは当たり前に引っ付いているし、料理しているときとかにも抱きついたりしてきた。

 なんならトイレやお風呂にも付いてこようとした。

 色々柔らかくて死にそうだった。天国と地獄を一緒に体験しているかのような気分だった。

 もちろん、その度に楓さんは激怒して言い合いになる。そして僕に飛び火する。

 僕も引き剥がそうとしたんだけど、あの顔で今にも泣きそうな悲しげな表情をされると無理だった。

 そんな調子で2日が経った。

 未だにふたりは戻らない。


『ゴシュジンサマー』

「なに?」


 咄嗟に身構える。


『子作りしよーぜ!』


 僕に正面から抱きついてきて、唇と唇が触れそうな近さで言う。

 心臓が止まるかと思った。

 頭の中で、YOUしちゃいなYO、と悪魔がささやく。

 ガチでやっちゃうか?

 とリーンの身体に手が回りそうになると、リーンの動きがピタッと止まる。

 同時に得も知れぬ威圧感が僕らを襲った。

 案の定楓さんから放たれていた。


『……いい加減に』


 さっきの発言で楓さんの堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 激怒を超えて激昂している。

 リーンは滝のように冷や汗を流している。


『……しなさい!』


 命を掛けた鬼ごっこが始まった。

 楓さんが言い終わる前にドタドタと音を立ててリーンは逃げ出すが、その身体で動き回れるほど広い場所ではない。


「ぶへっ」


 飛びかかった楓さんは、リーンを追いかけるために僕の無防備な顔面を踏み台にした。

 その跳躍で先回りしてテーブルに飛び移ると、目の前に走って来たリーンに飛びかかった。

 楓さんがテーブルを蹴って跳び上がると、それに気付いたリーンは方向転換しようとするが焦るあまりに足をもつれせてしまう。


『え!?』

『アッ!』


 狙いがズレてしまった楓さんは、体制が崩れたリーンの頭に吸い寄せられるかのように飛んでいき、ゴンッと鈍い音を立ててふたりは崩れ落ちた。

 静かになった部屋の中で、床にぶつけた後頭部を抑える僕のうめき声だけが響いていた。






 で、ありがちな展開といえばそうなのだけど、ふたりは元に戻った。

 リーンはそのまま僕の家で飼うことになった。

 相変わらず好き好きオーラとアピールがすごい。

 猫に戻ったことで僕も我慢する必要がなく、たっぷりと愛でることができるのは良かった。

 夏休みが終わり、今日から学校に行くことになったので、めちゃくちゃ引き止められた。もしこれが続くようなら、僕が学校をずる休みする日が来るかもしれない。

 楓さんの方と言えば、家に帰ったきり一度も会っていない。風の噂では、夏休みが終わるまで、要は昨日までは何処かの病院に入院していたとかなんとか。

 ということは、今日、学校で会えるかもしれないのだ。


 ちょっとソワソワしながら学校に着く。

 途中、友人たちと合流して教室へ向かう。

 緊張が増していく。

 友人に続いて僕も教室に入ると、いた。

 友達と談笑している楓さんはやっぱり綺麗で可愛くて、見惚れてしまった。

 たくさんあった小さな傷はすっかり治っていて、ボロボロだった爪も綺麗に整えられている。黒色の長髪にも艶が戻っていて、サラサラと風に揺られていた。

 すると見られているのに気付いたのか、僕の方を見ると、目を少し見開いてからニコッと微笑んだ。


「おはようにゃん、ご主人さまっ」


 教室内の空気が凍りついた気がした。


 お読み頂きありがとうございます。

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