博士と発明品
ようやく完成した。長年の悲願がついにここで叶ったのだ。山奥で外部からの情報を遮断し、日々素粒子について寝る間も惜しんで研究している博士は、目の前にあるポケットに入るくらいの立方体の上に赤いボタンが付いている装置を見つめ、ニヤリと笑った。
「どんな高さから飛び降りようとも死なない装置の出来上がりだ!」
どうやらその装置は素粒子の思い込みの性質を利用することで落下時の衝撃を無くしてくれるものらしい。
「試しに外にトランポリンをひいて家の屋根から飛び降りてみよう」
博士はそう言うとせっせと準備を行い、あとは飛び降りるだけとなった。
「よしいくぞ......思い込むんだ。理論的には上手くいくはず。よーし......」
装置についているボタンを押しポケットにしまうと、飛び降りた。
「ゆっくりと包み込まれるように着地する...」
そう思い込むと――二階から飛び降りたにもかかわらず着地するころには段々と速度が遅くなっていき、最終的にはトランポリンにバウンドしないほどの衝撃となった。
「おぉ!成功したぞ!!」
博士は歓喜してしばらく一人ではしゃいでいた。
「よし!次は......トランポリン無しだ!!」
前回と同様二階から飛び降りるが今度はトランポリン無しで行った。
「大丈夫大丈夫......一度成功してコツは掴んだ。トランポリンがあろうがあるまいが関係ないだろう」
博士は飛び降りると、また同じように思い込んだ。するとまたもや着地する直前に速度が遅くなり、衝撃を感じることなく地面に足が付いたのである。
「おぉ!なんという事だ!!もう一度やってみよう!」
それから博士は一度ならず二度三度と繰り返し行い、すっかり楽しんでいた。
「生涯をかけて研究に没頭したかいがあるな......。というかこの技術を応用すれば衝撃を無くすどころか空を飛べるんじゃないか?ただ飛べると思い込むのはなかなかに厳しいがな......」
博士は今度は空を飛んでみたくなったらしい。しかし人間は生まれつき重力の概念のもとに生きている。それを忘れるというのはかなりの難易度ではあるだろう。
「よし、今度はマンションの五階から飛び降りてみよう!その高さなら浮遊している時間が長い分もしかしたら脳が飛んでいると錯覚して、装置で本当に飛ぶことが出来るかもしれない!!」
博士はそう思いマンションの五階まで上がると、その装置のボタンを押してポケットにしまった。
「二階だろうが五階だろうが些細な違いだろう。この装置がある限りもはや私の中に恐怖心は微塵もない!」
そう言うと手すりを乗り越え躊躇いなく飛んだ。
「大丈夫大丈夫、思い込むんだ......」
するとまた地面に接触する直前、急に速度が減速して、なめらかに地面へと着地した。
「おぉ!素晴らしい!!やはり完璧だ!だが飛べると思いこむ余裕はなかったな。今度は飛ぶことに重きを置いてみよう」
そう言うとまた博士は五階に上り、そこから飛び降りた。
「くぅっ......!高さが足りないのか、思い込むのに時間がかかって気づいたら着地に意識が集中している......。」
それから二、三度繰り返してみたがやはり飛ぶことは出来なかった。
「よし、ならば今度は十階から飛び降りてみよう!」
博士はそう言うと十階に上り、飛べるかどうか試した。今までよりも高い分、思考時間も長くなりより集中できると思ったのだろう。しかし――
「クソッ!まだ足りないかっ......!だがこれでもう分かった。地面との距離が近くなればなるほど衝撃軽減に意識が行ってしまって、まともに飛行について考えられない事。そして落下に対する思考時間の間隔は自分が思っている以上にずっと短いという事。おかげですっかり前者の方はマスター出来たがな」
地面が脳裏にちらついてしまって、多少の高さでは飛ぶことが出来ず、より思考する時間の間隔を広げる必要がある。それが博士の出した結論だった。つまり――
「もっともっと高いところ――そうだな、こうなったら高層ビルの屋上にするしかあるまい」
博士は知人で経営者をしている人間にそのビルの屋上のカギを開けてもらい、屋上に入ることが出来た。
「今度は何をするつもりなんです?こんな屋上にまで来て」
知人は博士に尋ねた。
「いやぁ素粒子の実験でね。ようやくその装置が完成したところだから試したくて。そうだ、せっかくだし君も見ていくかい?きっと度肝を抜かれるだろうけどね」
「へぇ~そうですか!何やら面白そうですし、ここで見ていることにします!」
博士は知人を尻目に赤いボタンを押し、ポケットにしまった。
「それがおっしゃっていた装置ですか。本当に何をなさるので?」
知人は訝しげに尋ねた。
「ふふ、まあ見ていたまえ。今から君は歴史の目撃者となるだろう」
博士はそう言うと、小さな柵を勢いよく飛び越え、宙に舞った。高さが前とは比にならない。ゆえにこの高さなら確実に飛ぶことに成功するだろうという自負が彼にはあった。
「思い込め、そして信じろ。私は飛べるんだと!!」
しかし重力という名の覆らない概念が彼の思考を邪魔する。
「くっ!まだまだ地面とは距離がある、地面を意識せずに飛ぶことに集中するんだ!!」
いつしか博士は未だ生身で経験したことがない程の猛スピードで地面に向かって落下していた。その最中もきっと飛べると、そう思い込もうとしていたに違いない。
――プツン――
気付けば、彼は飛んでいたのだった。




