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短編・童話集

ぼくはチョコが嫌い

 高校一年生の冬、バレンタインデーの朝。

 ぼくは通学に使っている電車に揺られていた。

 やがて電車が止まり、空気が抜けるような音を立ててドアが開く。


 電車の中に入ってきたのは、クラスメイトの水本絵里みずもとえりだ。

 彼女は中学校のときもクラスメイトで、その駅から電車に乗ってくるのもよく知っていた。


 絵里は座席に座るぼくを見つけると、いつものように笑顔を浮かべ、近くに寄ってくる。


「よっ、おはよ、梶浦かじうら


 梶浦一馬かじうらかずまというのがぼくの名前だ。

 そして彼女がその車両に乗り込んできたのは、ぼくにとっては幸運だった。

 もし彼女の姿が見当たらなければ、他の車両まで探しにいく必要があった。

 彼女とは昔から、それなりに仲がいい。


「……なあ、絵里。助けてくれないか」


「なに、藪から棒に。真剣な話?」


 ぼくはうなずいた。

 絵里は、いつものような興味を秘めた丸い目で、ぼくの顔をのぞきこむ。

 面白がるような笑みを口元に浮かべながら、彼女はぼくの隣に座った。


「お前って、白村しらむらさんと仲、いいだろ」


「うん」


「ぼくのチョコ嫌いの話、白村さんにしたことがあるか?」


「うん?」


 絵里はこめかみに人差し指をあて、しばらく考えた後に言った。


「覚えてない」


「大事なことなんだ」


「どうして?」


 その理由をどこまで説明すべきか、一瞬、ぼくは迷った。

 だけど、言わなければどうにもならないと判断した。

 それに相手は水本絵里だ。

 今さら、隠しごとをする仲でもない。


「昨日、白村さんがチョコを買っているのを見た」


 絵里はぼくを見つめ、にんまりと笑ってみせた。


「なんだ、ずいぶん面白そうな話だね。わたしに聞かせてみなさい」



   ※※※



 ぼくの片思い中の相手であり、クラスメイトでもある白村あずさが、チョコを買っているのを見てしまったのは、昨日の夕方のことだった。

 その日は日曜日で、ぼくはこのあたりでもっとも栄えている高校の最寄り駅近くで、夕方まで友達と遊んでいた。

 白村さんを見つけたのは、友達と別れた後だった。

 電車に乗ろうと駅へ向かっていたとき、駅そばの百貨店の入り口を抜ける白村さんの姿を見かけたのだ。


「それで、梶浦、後をつけたわけ?」


「いや、そこまでじゃないけど……何をしてるのかな、って思って。百貨店に入ってみた」


「うん、いやあ、話の腰を折るようだけど、キモいね」


「……百貨店の中には、結構、人がいてさ。バレンタインデー特集コーナーがあって、チョコが売ってた。白村さんが、どこにいるのかなんて、わからなかった」


 もちろんぼくには、白村さんの後をつけまわそうなんて気はなかった。

 ちらりと見て、そもそも白村さんだったのかな、なんて考えながらその場を去ろうとした。


 だけど、百貨店の扉を出る間際に、レジの前にいる白村さんの姿を見かけてしまった。

 彼女は高級そうなチョコの箱をひとつ、胸に抱えていた。


「……それで?」


「だから、それ、いいチョコだろう。誰かにあげる気なのかなって」


「そうかもね。あずさ、ああ見えて、料理とか苦手だし。手作りとかできない」


「そうなんだ」


「それで梶浦も、そう見えて、あずさのこと好きだったんだ。全然わかんなかった」


 ぼくは好奇心丸出しでそう聞いてくる絵里に、しぶしぶながらうなずいた。


「ね、どこが好きなの? やっぱ、顔?」


「顔もあるけど、性格かな。話してると、その、楽しい」


「フワっとしてるねえ。だけど、ついうっかり、後をつけてしまうほど、お好きなんだ?」


「……話を戻すけど、だからその、絵里が白村さんにぼくのチョコ嫌いの話をしているかどうかが、重要になってくるんだ」


「なるほど。つまり、チョコ嫌いだと知っていて、チョコを渡すことはないだろう、ということね」


「事情は、そういうこと。だから、もう一度よく、思い出してくれないか」


 絵里はうなずき、目を閉じるとうつむき、しばらくじっと考え込んだ。

 やがて顔をあげると、彼女は満面の笑みを浮かべて言った。


「やっぱ、覚えてない」


 ぼくはため息をつく。

 そうして絵里は、言葉を続けた。


「仕方がない、あずさにそれとなく聞いてきてあげる。今日はチョコの日だもんね、チョコ関連の話題なんてお茶の子サイサイよ。任せてくれたまえ、チョコ嫌いの梶浦一馬よ」


 水本絵里は昔からこんなヤツである。

 そしてぼくには他にとれる方法もなかった。


「任せる。なるべく、早いと助かる」


「ああ、昼休みまでには」



   ※※※



 チョコを嫌いだ、という男子は珍しいかもしれない。

 だけど、甘いものが苦手だ、という男子なら、そう珍しくもないだろう。


 だけどぼくは、甘いものが苦手なわけじゃない。

 チョコに限って苦手で、その原因は、幼少期までにさかのぼる。


 その当時、感染症が流行っていた。

 未知の病気だと言われ、みんなマスクをしていた。

 風邪に似ているけれど、感染力が高く、その割に致死率も結構あって、数年後に治療薬が開発されるまで恐れられていた。


 幼少時のぼくは、その感染症にかかった、最初の方の一人だった。

 たぶん。

 検査したわけじゃないから、確証はないけれど。


「一馬、今日はバレンタインって言ってね、女の子からチョコをもらう日なのよ。それで、あなたにはわたしから、プレゼントをあげよう」


 十年以上前のバレンタインデーのその日、母はそう言って、ぼくにチョコをくれた。

 ガーナの、赤い板チョコだった。


 子どもはふつう、甘いものが好きだ。

 その日までぼくにも、チョコが苦手だった記憶はない。

 ただ、その日のことはよく覚えている。


 やや体調が悪く、鼻水を垂らしていたぼくは、母のプレゼントに喜び、そして赤いパッケージと銀紙をはがして、板チョコを口にした。

 そしてしびれるような味覚を舌先に感じ、口にした板チョコを吐き出した。


「一馬、どうしたの?」


「……苦い」


 それはいまでも記憶に残っているほど、痛烈な苦さだった。


 その後すぐに治ってしまったけれど、たぶんそのときのぼくは、あの世間を騒がした感染症にかかっていたのだ。

 そしてしばしば、その病気は味覚異常を引き起こすという。


 チョコは苦い。

 その日まで、絶対に紐づかなかったその感覚は、その日を境にぼくの記憶に刻み込まれた。


 体調が戻った後も、ぼくはチョコを口にしなかった。

 要するにチョコが、食わず嫌いになったのだ。



   ※※※



 水本絵里が再びぼくのそばに寄ってきたのは、約束していた昼休みのことだった。

 昼食を食べおえると、彼女は招くように手を振ってぼくを呼び寄せた。

 絵里に付きしたがい、教室を出ると、周りに誰もいない廊下の隅で彼女は言った。


「あずさ、知ってたわ。梶浦のチョコの件」


「マジか」


「マジよ」


 ぼくは窓の外に目を向けた。

 ガラス窓の向こうには、のどかさを感じさせる白い雲が、ゆるやかに青い空をバックとして動いていた。

 その空では小鳥が羽を広げ、自由きままに羽ばたいていた。

 この世界は広く、ぼくらはなんてちっぽけな存在なのだろう。

 なんてことを考えはじめたぼくに、絵里が言った。


「コラ、現実逃避しない」


「したくもなるよ。チョコが嫌いな男子に、チョコを贈る人はいない。じゃあ白村さんがチョコをあげるのは、ぼくじゃない、別の誰かだ」


「いいえ、まだ方法はある」


 水本絵里はなぜか、そう力強い声を出し、言葉を続けた。


「ねえ、梶浦一馬。白村さんについうっかり、軽いストーキング行為まで働いちゃう、あなたの想いはその程度なの?」


「……絵里はちょくちょくひどいよね」


「これは、チャンスよ」


 ぼくには、その言葉の意味がすぐには飲み込めない。


「梶浦に与えられた、最後のチャンス。白村あずさ、はっきり言ってモテます。そんなあずさが告白するんだから、成功の確率は高い。つまり……」


「つまり?」


「今日しか、梶浦が自分の想いを伝えられる日はないってこと。ムリだって思ったとしても、やらなきゃ、確率はゼロだ」


 パン、と絵里が平手で背中を叩いてきたのは、その直後だった。


「やったれ」


 真剣な目をして言う彼女の口元が緩んでいるのには、そのときはあまり気にならなかった。



   ※※※



 絵里はぼくの性格をよく知っていた。

 そのとき彼女は巧妙に、ぼくのやる気が出るような言葉を選んだのだ。


「あずさは放課後にチョコをあげるつもり、っていってた。だから、放課後に入った直後までが、梶浦のタイムリミット。もしやるんなら、手伝おうか?」


 少し考え、ぼくは首を横に振った。


「いいよ。何をどうするかも、決めてないし」


「そっか。ま、後悔だけはなさらないように、ね。明日以降、あずさの隣に誰かがいるのを見たとしても」


 絵里はそう言って、教室に戻っていった。

 ぼくはしばらくその場にとどまったまま、絵里の言葉をよく考えた。

 とりわけ彼女の最後の言葉が、ぼくの中に鮮やかなイメージを生み出していた。


 いつもどこかのほほんとしていて、柔らかな笑顔を浮かべている白村さん。

 明日の帰り道で、そんな彼女の隣に誰か、ぼくではない別の男子が並んで歩く。


『これは、チャンスよ』


 つい先ほど、絵里にかけられた言葉がよみがえる。


『梶浦に与えられた、最後のチャンス』


 教室に戻ってから、ぼくはそれとなく白村さんへ目を向けた。

 白村さんはすでに教室に帰っていた絵里と話をしていた。

 彼女はかわいい。

 きっと告白はうまくいくだろう。


「それはそれで、な……」


 例え相手がぼくじゃなかったとしても、彼女が幸せなら、それでいいのだ。


 なんて考えたそのとき、ふと、白村さんと目が合った。

 なぜか数秒、視線があったままの時間があり、それから白村さんの目は下に向いた。


 その表情は、どこか浮かないもののように見えた。

 なぜだろう?

 ぼくにはその意味がわからない。



   ※※※



 放課後がやってきたとき、ぼくの心はすでに決まっていた。


「で、どうするの?」


 チャイムが鳴った後で、そばに来た水本絵里が、小声でそうたずねてくる。


「決めたよ。ダメだったとしても、白村さんに言ってみる」


「何を?」


 わかってるくせに、絵里はそういってニヤニヤする。


「自分の気持ちを。白村さんが誰かに想いを伝えて、うまくいくんなら、それはそれでいい。だけどそれで終わりじゃ、ぼくの想いがかわいそうだ」


「男だねえ。……グッドラック」


 絵里はそう言うと、ぼくのそばから離れていった。

 白村さんは、まだ自分の席にとどまっていた。

 ぼくはまっすぐ彼女のそばに向かった。


「ね、白村さん。いま、少し、時間ある?」


 この放課後に、彼女には予定があるはずだった。

 ぼくと同じく、誰かに想いを伝える、という予定が。

 だけど白村さんはうなずいてくれた。


「あるよ。どうしたの、梶浦くん」


 まだどこか浮かない顔をしていることを気にしつつも、ぼくは彼女を教室から連れ出した。


 ぼくらが向かった先は、昇降口と校門の間にある、いわゆるアプローチと呼ばれる通路だった。

 カラフルなレンガ敷になっており、下校時に生徒同士の交流の場所にもなるよう、ベンチがいくつも置かれている。


「今日は結構あったかいよね、白村さん」


 二月中旬にしては風のない、天気のいい日だった。

 空から届く日差しを受けながら、ベンチのそばで、ぼくは立ち止まった。


「そうだね」


「それでさ、白村さん」


 ぼくは後ろを歩いていた白村さんを振り返り、それから言葉に詰まった。

 誰かに想いを伝える、つまり、告白をするなんてはじめてだ。

 何から話せばいいかわからない。


「梶浦くん?」


「……と、とりあえず、座ろうか」


「うん」


 ぼくらはベンチに腰を下ろす。

 そして軽く首をかしげながら、不思議そうな目を向ける白村さんの視線に、やがてぼくは耐えられなくなる。


 簡単だろう、梶浦一馬。

 ぼくは白村さんが好きだと、そう言うだけだ。

 その結果、ぼくはフラれる。

 それでいいと決めたじゃないか。

 言え、言うんだ。


「……そういえば、今日、バレンタインデーだね」


 ぼくがやっとのことで絞り出した言葉は、そんなのだった。

 だけどまあ、告白につなげられないわけじゃない。


 『バレンタインデーといえば、告白だね。白村さんには好きな人、いる? ぼくの好きな人は……』

なんて、続ける言葉を考えていたとき、ふと、白村さんの表情が曇ったのに気づく。


「どうしたの?」

「……ううん、なんでもない」


 視線を落とし、唇をゆがめる白村さんのその表情は、なんでもない、ってことはなさそうだ。

 彼女のその表情は、やっぱり、わからない。


「本当に、なんでもないの。そう、今日は、バレンタインデーなんだよね」


 気弱に笑う白村さんを見て、ふと気づく。

 もしかして白村さんは、これから彼女もするだろう、告白が不安なのかもしれない。

 そう考えたとき、ぼくの胸にあった不安は、不意に消えた。


 ぼくの告白は成功しない。

 わかっているのだから、固くなる必要なんてない。

 どうせ失敗するのだから、せめて白村さんを勇気づけよう。

 ぼくが惚れてしまったきみが、魅力的じゃないはずがない、なんて伝えてさ。

 軽くなった気持ちで、ぼくは白村さんに話しはじめる。


「そう、バレンタインデーなんだ。それで、実はぼく、昨日の夕方に白村さんのことを見かけた」


「え」


 驚いて目を丸くする白村さんに、ぼくは、昨日の話をした。

 白村さんを百貨店の入り口で見かけ、つい、後を追ってしまったこと。

 そうしたら、バレンタインデーコーナーで、チョコを買っているのを見たこと。


「そして今日、ぼくは絵里に聞いてみた。ぼくのチョコ嫌いを、白村さんに言ったことがあるのか、って」


 続けて今朝の話も伝えた。

 水本絵里がぼくのチョコ嫌いを、白村さんに話したことがあるかどうか、確認したことを。


 ただ、白村さんへのぼくの気持ちには言及しなかった。

 それは、話の最後に伝えるつもりだった。


 白村さんは、ぼくが話はじめたときと同じく、目を丸くしている。

 もしかしたら、こっそり後をつけるなんて気持ち悪い、と思われているかもしれない。

 だけど今さらどうしようもない。

 勇気を決めて、ぼくは言葉を続けた。


「だからさ、白村さん。キミがぼくのチョコ嫌いを知ってたのは、わかってる。チョコが嫌いな人のために、チョコを買うはずがないことも。誰か他に、好きな人がいるんだろうって思ってる。でも、だけど、……あの、その、こっそり後を追いかけたりして、気持ち悪いと思ってるかもしれないけど、……えーと」


 うまく言葉が出てこない。

 だけど、あと少しだ。

 がんばれ、梶村一馬。


 ぼくはきみが好きだ。

 その最後の言葉を絞り出す前に、驚きで目を見開いたまま、白村さんは言った。


「ね、……それ、違う」


 白村さんはぼくのそばで、ゆっくり首を横に振っている。

 違う?


「違うって、何が?」


「全部、違う」


 ぼくは白村さんと見つめ合う。


「……ぼくのチョコ嫌いの話は、知ってる?」


「うん、今は。……午前中のうちに、絵里から聞いたの」


「午前中? それまでは?」


 白村さんは、再び首を横に振る。

 話が違うな、とぼくは考える。

 白村さんは、ぼくのチョコ嫌いを知っていたはずなのに。


「それに、あの……全部、違うから。梶浦くんのこと、気持ち悪い、なんて思わなかったし」


 ぼくらはまたもや、目を見合わせる。

 それって、つまり……、どういうわけだ? 

 混乱して理解が及ばないぼくから、やがて白村さんは、恥ずかしそうに目をそらす。


 そして彼女はふと「あ」と声をあげ、言葉を続けた。


「あれ、絵里じゃない?」


 ぼくが目を向けた先には、昇降口へと続く曲がり角があった。その角の影で、一瞬、スカートがひるがえるのが見えた。


「……ちょっと、白村さん、そこにいて」


 ぼくはそう言い残すと、ベンチから立ち上がり、その曲がり角をめがけて走りはじめた。

 水本絵里は、すぐに見つかった。

 往生際の悪いことに、曲がり角で膝を抱えるように丸くなり、身を隠していた。

 ぼくの気配に気づくと、ゆっくりと彼女が顔をあげ、いたずらっぽく笑って言った。


「バレたか」



   ※※※



 その日の午前中の水本絵里と白村あずさの話の詳細を、ぼくは、少し後になってから聞いた。

 どうやら、次のような会話が交わされたらしかった。


「ね、あずさ。今日はバレンタインだね。チョコ、誰かにあげるの?」


「それは、……秘密。絵里は?」


「わたしはあげるより、もらう方が好きだもの。ところで、チョコといえば、世にも奇妙なやつがこのクラスにいるの、知ってる? ていうかわたし、話したことあったっけ?」


「ううん、初耳だと思う。奇妙なやつ、って?」


「そいつ、チョコ、嫌いなんだ。甘いものがダメ、とかじゃなくて、もうチョコなんか『ダメ、ゼッタイ』ぐらいに嫌いなの。……ていうかそいつ、梶浦一馬なんだけど」


 そのとき絵里は、じっと白村さんの反応をうかがった。

 その話をしたことがあったかどうか、ぼくのためを思い、確実に見極めるつもりだった。

 しかし白村さんの反応は、事前に想像していた、どの反応とも違っていた。


「……梶浦くんって、チョコ、嫌いなの?」


 白村さんは沈むような低い声でそう言った。

 あれれ。

 おかしいぞ、と水本絵里は思った。


「うん。信じられないけど、梶浦にとっては、チョコは苦いんだってさ」


「そう……」


 目を伏せる白村さんを見て、絵里は、とある仮説を立てた。


「もしかして、あずさ、梶浦にチョコあげるつもりだった?」


 少しの間のあとで、白村さんはゆっくりとうなずいた。


「うん」


「……まさかだけど、あずさ、それ、本命?」


 白村さんは、すぐには反応しなかった。

 代わりに顔を赤くした。

 やがて、こんな答えが返ってきた。


「その、つもり」


 あらら。

 絵里はまさかの展開に、それでも心を躍らせていた。

 これは面白い。


「知らなかったな。あずさ、梶浦なんかがいいんだ」


 白村さんは恥ずかしそうに笑い、それから、ため息をついた。


「秘密、だったのにな。……でも、梶浦くん、チョコ、嫌いなんでしょ」


「奇跡的なことに、ね」


「じゃあ、……チョコあげるの、やめておこうかな。嫌いなものをもらって、嬉しい人なんていないし。手作りでもないし。梶浦くんがチョコ、嫌いなことだって、知らなかったし。好きな人のことなのに……」


 聞いているうちに、白村さんの声は、どんどんと沈んでいく。

 ん、これはまずいかもしれない。

 そう絵里は考えた。

 だけど、どうすればいい?


 『大丈夫、梶浦だってあずさのことが好きなんだし』なんて言えっこない。

 勝手にそんなの伝えるなんて、二人に悪いし、それに、面白くない。


「ま、まあ、どうするか、放課後まで考えておきなよ。まだ、時間あるし」


 力なくうなずく白村さんを見ながら、水本絵里は、一計を案じた。

 あずさはこう見えて、結構いろんなことを気にする方だ。

 たぶんもう、告白は出来ないだろう。


 だったら、発想の逆転だ。

 梶浦の方からさせればいい。



   ※※※



 水本絵里はこれっぽっちも悪びれることなく、校舎の影から姿を現した。

 そしてぼくと共に白村さんの座るベンチのそばまで行くと、こう言った。


「それで、どこまでいったの?」


「……どこまで、って?」


 ぼくがたずねると、絵里はぼくを指さし、その次に白村さんを指さす。


「こっちからこっちは、伝わった?」


 白村さんは、目をぱちぱちとさせる。

 ぼくの心拍数は、途端にはねあがる。


「あの、それとなくは……でも実は、はっきりとは、まだなんだ」


「なんだ、情けない。それじゃ、あずさは?」


 その問いかけに、白村さんは頬を染める。


「……全部違う、とは、伝えたよ」


 その言葉に、ぼくと絵里は目を見合わせる。

 ぼくにはさっぱりわからない。

 絵里にも、それまでの会話の流れをつかんでいなかったせいか、彼女の言葉の意味はわからないらしい。

 やがて白村さんが言葉を続けた。


「梶浦くん、わたしには誰か、他に好きな人がいるとか言ってた。だけど、それ、違う」


 ……つまり?

 なんて、頭を整理する前に、水本絵里はぼくに笑顔を向けた。


「それで、梶浦は、なんでここにあずさを連れてきたの?」


 白村さんがベンチから立ち上がる。


「私、不安だった。今もまだ、少し不安だけど」


 ぼくはしばらく、彼女と見つめ合う。


「ぼくはきみが好きだ」


 その言葉は、口から自然とこぼれ出てきた。

 白村さんはゆっくりとうなずいてくれた。


 その白村さんの耳元に、ニヤニヤと笑う水本絵里が口を寄せ、何かをささやいた。

 白村さんは微笑んでうなずく。

 そしてベンチの上に置いていたバッグの中から、綺麗にラッピングされた袋を取り出した。


「嫌いなのは、もう知ってるよ。だけど、これ。梶浦くんのために買った、チョコレートだから」


 両手で差し出されたその箱を前にして、ぼくは戸惑っていた。

 チョコレートは、嫌いだ。

 幼い頃に味わったあの苦さは、今でも記憶にこびりついている。


「……まさか、いまできたばっかりの彼女からのチョコレート、受け取らない気?」


 水本絵里のその言葉に促され、ぼくは白村さんから箱を受け取る。


「ありがとう」


「梶浦、すべてうまくいったのも、そのチョコのおかげなんだよ。何しろ、今日はバレンタインデーなんだから。それでも、チョコ、嫌いなの?」


 ぼくと水本絵里の仲は、それなりに長い。

 彼女が何を言わんとしているのかは、ぼくにはよくわかっていた。


 そしてぼくは、白村さんに渡された袋をあけた。

 中に入っていたのは、固い、オレンジ色の箱だった。

 表面につやつや光る加工が施されており、高級そうだ。


 ベンチに腰を下ろし、膝の上でその蓋をあける。

 箱の中には五つ、宝石のような青いマーブル模様に輝くチョコが入っている。


「あのさ、梶浦くん、苦手なら……」


 そう口にする白村さんに、ぼくは首を横に振る。

 彼女からもらった、美しいチョコを一つ、ぼくは指先でつまみ上げる。

 目をつぶり、ぼくはそのチョコを口に入れる。


「……どんな味がする?」


 おずおずとそうたずねてくる、白村さんの声がする。

 久しぶりに食べるそのチョコの味は……、ほろ苦い。


 でも、むかし味わったほど、鋭い苦さじゃない。

 ずっと、苦手だった。

 だけど。


「……今はもう、好きになれそう」


 ぼくが目を開くと白村さんは笑った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 話の組み立てに引き込まれてしまいました。 チョコ嫌いな男の子とその理由、バレンタインのチョコに込める女の子の想い… 良いですねー♪
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