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短編・童話集

ぼくはチョコが嫌い

掲載日:2022/02/16

 高校一年生の冬、バレンタインデーの朝。

 ぼくは通学に使っている電車に揺られていた。

 やがて電車が止まり、空気が抜けるような音を立ててドアが開く。


 電車の中に入ってきたのは、クラスメイトの水本絵里みずもとえりだ。

 彼女は中学校のときもクラスメイトで、その駅から電車に乗ってくるのもよく知っていた。


 絵里は座席に座るぼくを見つけると、いつものように笑顔を浮かべ、近くに寄ってくる。


「よっ、おはよ、梶浦かじうら


 梶浦一馬かじうらかずまというのがぼくの名前だ。

 そして彼女がその車両に乗り込んできたのは、ぼくにとっては幸運だった。

 もし彼女の姿が見当たらなければ、他の車両まで探しにいく必要があった。

 彼女とは昔から、それなりに仲がいい。


「……なあ、絵里。助けてくれないか」


「なに、藪から棒に。真剣な話?」


 ぼくはうなずいた。

 絵里は、いつものような興味を秘めた丸い目で、ぼくの顔をのぞきこむ。

 面白がるような笑みを口元に浮かべながら、彼女はぼくの隣に座った。


「お前って、白村しらむらさんと仲、いいだろ」


「うん」


「ぼくのチョコ嫌いの話、白村さんにしたことがあるか?」


「うん?」


 絵里はこめかみに人差し指をあて、しばらく考えた後に言った。


「覚えてない」


「大事なことなんだ」


「どうして?」


 その理由をどこまで説明すべきか、一瞬、ぼくは迷った。

 だけど、言わなければどうにもならないと判断した。

 それに相手は水本絵里だ。

 今さら、隠しごとをする仲でもない。


「昨日、白村さんがチョコを買っているのを見た」


 絵里はぼくを見つめ、にんまりと笑ってみせた。


「なんだ、ずいぶん面白そうな話だね。わたしに聞かせてみなさい」



   ※※※



 ぼくの片思い中の相手であり、クラスメイトでもある白村あずさが、チョコを買っているのを見てしまったのは、昨日の夕方のことだった。

 その日は日曜日で、ぼくはこのあたりでもっとも栄えている高校の最寄り駅近くで、夕方まで友達と遊んでいた。

 白村さんを見つけたのは、友達と別れた後だった。

 電車に乗ろうと駅へ向かっていたとき、駅そばの百貨店の入り口を抜ける白村さんの姿を見かけたのだ。


「それで、梶浦、後をつけたわけ?」


「いや、そこまでじゃないけど……何をしてるのかな、って思って。百貨店に入ってみた」


「うん、いやあ、話の腰を折るようだけど、キモいね」


「……百貨店の中には、結構、人がいてさ。バレンタインデー特集コーナーがあって、チョコが売ってた。白村さんが、どこにいるのかなんて、わからなかった」


 もちろんぼくには、白村さんの後をつけまわそうなんて気はなかった。

 ちらりと見て、そもそも白村さんだったのかな、なんて考えながらその場を去ろうとした。


 だけど、百貨店の扉を出る間際に、レジの前にいる白村さんの姿を見かけてしまった。

 彼女は高級そうなチョコの箱をひとつ、胸に抱えていた。


「……それで?」


「だから、それ、いいチョコだろう。誰かにあげる気なのかなって」


「そうかもね。あずさ、ああ見えて、料理とか苦手だし。手作りとかできない」


「そうなんだ」


「それで梶浦も、そう見えて、あずさのこと好きだったんだ。全然わかんなかった」


 ぼくは好奇心丸出しでそう聞いてくる絵里に、しぶしぶながらうなずいた。


「ね、どこが好きなの? やっぱ、顔?」


「顔もあるけど、性格かな。話してると、その、楽しい」


「フワっとしてるねえ。だけど、ついうっかり、後をつけてしまうほど、お好きなんだ?」


「……話を戻すけど、だからその、絵里が白村さんにぼくのチョコ嫌いの話をしているかどうかが、重要になってくるんだ」


「なるほど。つまり、チョコ嫌いだと知っていて、チョコを渡すことはないだろう、ということね」


「事情は、そういうこと。だから、もう一度よく、思い出してくれないか」


 絵里はうなずき、目を閉じるとうつむき、しばらくじっと考え込んだ。

 やがて顔をあげると、彼女は満面の笑みを浮かべて言った。


「やっぱ、覚えてない」


 ぼくはため息をつく。

 そうして絵里は、言葉を続けた。


「仕方がない、あずさにそれとなく聞いてきてあげる。今日はチョコの日だもんね、チョコ関連の話題なんてお茶の子サイサイよ。任せてくれたまえ、チョコ嫌いの梶浦一馬よ」


 水本絵里は昔からこんなヤツである。

 そしてぼくには他にとれる方法もなかった。


「任せる。なるべく、早いと助かる」


「ああ、昼休みまでには」



   ※※※



 チョコを嫌いだ、という男子は珍しいかもしれない。

 だけど、甘いものが苦手だ、という男子なら、そう珍しくもないだろう。


 だけどぼくは、甘いものが苦手なわけじゃない。

 チョコに限って苦手で、その原因は、幼少期までにさかのぼる。


 その当時、感染症が流行っていた。

 未知の病気だと言われ、みんなマスクをしていた。

 風邪に似ているけれど、感染力が高く、その割に致死率も結構あって、数年後に治療薬が開発されるまで恐れられていた。


 幼少時のぼくは、その感染症にかかった、最初の方の一人だった。

 たぶん。

 検査したわけじゃないから、確証はないけれど。


「一馬、今日はバレンタインって言ってね、女の子からチョコをもらう日なのよ。それで、あなたにはわたしから、プレゼントをあげよう」


 十年以上前のバレンタインデーのその日、母はそう言って、ぼくにチョコをくれた。

 ガーナの、赤い板チョコだった。


 子どもはふつう、甘いものが好きだ。

 その日までぼくにも、チョコが苦手だった記憶はない。

 ただ、その日のことはよく覚えている。


 やや体調が悪く、鼻水を垂らしていたぼくは、母のプレゼントに喜び、そして赤いパッケージと銀紙をはがして、板チョコを口にした。

 そしてしびれるような味覚を舌先に感じ、口にした板チョコを吐き出した。


「一馬、どうしたの?」


「……苦い」


 それはいまでも記憶に残っているほど、痛烈な苦さだった。


 その後すぐに治ってしまったけれど、たぶんそのときのぼくは、あの世間を騒がした感染症にかかっていたのだ。

 そしてしばしば、その病気は味覚異常を引き起こすという。


 チョコは苦い。

 その日まで、絶対に紐づかなかったその感覚は、その日を境にぼくの記憶に刻み込まれた。


 体調が戻った後も、ぼくはチョコを口にしなかった。

 要するにチョコが、食わず嫌いになったのだ。



   ※※※



 水本絵里が再びぼくのそばに寄ってきたのは、約束していた昼休みのことだった。

 昼食を食べおえると、彼女は招くように手を振ってぼくを呼び寄せた。

 絵里に付きしたがい、教室を出ると、周りに誰もいない廊下の隅で彼女は言った。


「あずさ、知ってたわ。梶浦のチョコの件」


「マジか」


「マジよ」


 ぼくは窓の外に目を向けた。

 ガラス窓の向こうには、のどかさを感じさせる白い雲が、ゆるやかに青い空をバックとして動いていた。

 その空では小鳥が羽を広げ、自由きままに羽ばたいていた。

 この世界は広く、ぼくらはなんてちっぽけな存在なのだろう。

 なんてことを考えはじめたぼくに、絵里が言った。


「コラ、現実逃避しない」


「したくもなるよ。チョコが嫌いな男子に、チョコを贈る人はいない。じゃあ白村さんがチョコをあげるのは、ぼくじゃない、別の誰かだ」


「いいえ、まだ方法はある」


 水本絵里はなぜか、そう力強い声を出し、言葉を続けた。


「ねえ、梶浦一馬。白村さんについうっかり、軽いストーキング行為まで働いちゃう、あなたの想いはその程度なの?」


「……絵里はちょくちょくひどいよね」


「これは、チャンスよ」


 ぼくには、その言葉の意味がすぐには飲み込めない。


「梶浦に与えられた、最後のチャンス。白村あずさ、はっきり言ってモテます。そんなあずさが告白するんだから、成功の確率は高い。つまり……」


「つまり?」


「今日しか、梶浦が自分の想いを伝えられる日はないってこと。ムリだって思ったとしても、やらなきゃ、確率はゼロだ」


 パン、と絵里が平手で背中を叩いてきたのは、その直後だった。


「やったれ」


 真剣な目をして言う彼女の口元が緩んでいるのには、そのときはあまり気にならなかった。



   ※※※



 絵里はぼくの性格をよく知っていた。

 そのとき彼女は巧妙に、ぼくのやる気が出るような言葉を選んだのだ。


「あずさは放課後にチョコをあげるつもり、っていってた。だから、放課後に入った直後までが、梶浦のタイムリミット。もしやるんなら、手伝おうか?」


 少し考え、ぼくは首を横に振った。


「いいよ。何をどうするかも、決めてないし」


「そっか。ま、後悔だけはなさらないように、ね。明日以降、あずさの隣に誰かがいるのを見たとしても」


 絵里はそう言って、教室に戻っていった。

 ぼくはしばらくその場にとどまったまま、絵里の言葉をよく考えた。

 とりわけ彼女の最後の言葉が、ぼくの中に鮮やかなイメージを生み出していた。


 いつもどこかのほほんとしていて、柔らかな笑顔を浮かべている白村さん。

 明日の帰り道で、そんな彼女の隣に誰か、ぼくではない別の男子が並んで歩く。


『これは、チャンスよ』


 つい先ほど、絵里にかけられた言葉がよみがえる。


『梶浦に与えられた、最後のチャンス』


 教室に戻ってから、ぼくはそれとなく白村さんへ目を向けた。

 白村さんはすでに教室に帰っていた絵里と話をしていた。

 彼女はかわいい。

 きっと告白はうまくいくだろう。


「それはそれで、な……」


 例え相手がぼくじゃなかったとしても、彼女が幸せなら、それでいいのだ。


 なんて考えたそのとき、ふと、白村さんと目が合った。

 なぜか数秒、視線があったままの時間があり、それから白村さんの目は下に向いた。


 その表情は、どこか浮かないもののように見えた。

 なぜだろう?

 ぼくにはその意味がわからない。



   ※※※



 放課後がやってきたとき、ぼくの心はすでに決まっていた。


「で、どうするの?」


 チャイムが鳴った後で、そばに来た水本絵里が、小声でそうたずねてくる。


「決めたよ。ダメだったとしても、白村さんに言ってみる」


「何を?」


 わかってるくせに、絵里はそういってニヤニヤする。


「自分の気持ちを。白村さんが誰かに想いを伝えて、うまくいくんなら、それはそれでいい。だけどそれで終わりじゃ、ぼくの想いがかわいそうだ」


「男だねえ。……グッドラック」


 絵里はそう言うと、ぼくのそばから離れていった。

 白村さんは、まだ自分の席にとどまっていた。

 ぼくはまっすぐ彼女のそばに向かった。


「ね、白村さん。いま、少し、時間ある?」


 この放課後に、彼女には予定があるはずだった。

 ぼくと同じく、誰かに想いを伝える、という予定が。

 だけど白村さんはうなずいてくれた。


「あるよ。どうしたの、梶浦くん」


 まだどこか浮かない顔をしていることを気にしつつも、ぼくは彼女を教室から連れ出した。


 ぼくらが向かった先は、昇降口と校門の間にある、いわゆるアプローチと呼ばれる通路だった。

 カラフルなレンガ敷になっており、下校時に生徒同士の交流の場所にもなるよう、ベンチがいくつも置かれている。


「今日は結構あったかいよね、白村さん」


 二月中旬にしては風のない、天気のいい日だった。

 空から届く日差しを受けながら、ベンチのそばで、ぼくは立ち止まった。


「そうだね」


「それでさ、白村さん」


 ぼくは後ろを歩いていた白村さんを振り返り、それから言葉に詰まった。

 誰かに想いを伝える、つまり、告白をするなんてはじめてだ。

 何から話せばいいかわからない。


「梶浦くん?」


「……と、とりあえず、座ろうか」


「うん」


 ぼくらはベンチに腰を下ろす。

 そして軽く首をかしげながら、不思議そうな目を向ける白村さんの視線に、やがてぼくは耐えられなくなる。


 簡単だろう、梶浦一馬。

 ぼくは白村さんが好きだと、そう言うだけだ。

 その結果、ぼくはフラれる。

 それでいいと決めたじゃないか。

 言え、言うんだ。


「……そういえば、今日、バレンタインデーだね」


 ぼくがやっとのことで絞り出した言葉は、そんなのだった。

 だけどまあ、告白につなげられないわけじゃない。


 『バレンタインデーといえば、告白だね。白村さんには好きな人、いる? ぼくの好きな人は……』

なんて、続ける言葉を考えていたとき、ふと、白村さんの表情が曇ったのに気づく。


「どうしたの?」

「……ううん、なんでもない」


 視線を落とし、唇をゆがめる白村さんのその表情は、なんでもない、ってことはなさそうだ。

 彼女のその表情は、やっぱり、わからない。


「本当に、なんでもないの。そう、今日は、バレンタインデーなんだよね」


 気弱に笑う白村さんを見て、ふと気づく。

 もしかして白村さんは、これから彼女もするだろう、告白が不安なのかもしれない。

 そう考えたとき、ぼくの胸にあった不安は、不意に消えた。


 ぼくの告白は成功しない。

 わかっているのだから、固くなる必要なんてない。

 どうせ失敗するのだから、せめて白村さんを勇気づけよう。

 ぼくが惚れてしまったきみが、魅力的じゃないはずがない、なんて伝えてさ。

 軽くなった気持ちで、ぼくは白村さんに話しはじめる。


「そう、バレンタインデーなんだ。それで、実はぼく、昨日の夕方に白村さんのことを見かけた」


「え」


 驚いて目を丸くする白村さんに、ぼくは、昨日の話をした。

 白村さんを百貨店の入り口で見かけ、つい、後を追ってしまったこと。

 そうしたら、バレンタインデーコーナーで、チョコを買っているのを見たこと。


「そして今日、ぼくは絵里に聞いてみた。ぼくのチョコ嫌いを、白村さんに言ったことがあるのか、って」


 続けて今朝の話も伝えた。

 水本絵里がぼくのチョコ嫌いを、白村さんに話したことがあるかどうか、確認したことを。


 ただ、白村さんへのぼくの気持ちには言及しなかった。

 それは、話の最後に伝えるつもりだった。


 白村さんは、ぼくが話はじめたときと同じく、目を丸くしている。

 もしかしたら、こっそり後をつけるなんて気持ち悪い、と思われているかもしれない。

 だけど今さらどうしようもない。

 勇気を決めて、ぼくは言葉を続けた。


「だからさ、白村さん。キミがぼくのチョコ嫌いを知ってたのは、わかってる。チョコが嫌いな人のために、チョコを買うはずがないことも。誰か他に、好きな人がいるんだろうって思ってる。でも、だけど、……あの、その、こっそり後を追いかけたりして、気持ち悪いと思ってるかもしれないけど、……えーと」


 うまく言葉が出てこない。

 だけど、あと少しだ。

 がんばれ、梶村一馬。


 ぼくはきみが好きだ。

 その最後の言葉を絞り出す前に、驚きで目を見開いたまま、白村さんは言った。


「ね、……それ、違う」


 白村さんはぼくのそばで、ゆっくり首を横に振っている。

 違う?


「違うって、何が?」


「全部、違う」


 ぼくは白村さんと見つめ合う。


「……ぼくのチョコ嫌いの話は、知ってる?」


「うん、今は。……午前中のうちに、絵里から聞いたの」


「午前中? それまでは?」


 白村さんは、再び首を横に振る。

 話が違うな、とぼくは考える。

 白村さんは、ぼくのチョコ嫌いを知っていたはずなのに。


「それに、あの……全部、違うから。梶浦くんのこと、気持ち悪い、なんて思わなかったし」


 ぼくらはまたもや、目を見合わせる。

 それって、つまり……、どういうわけだ? 

 混乱して理解が及ばないぼくから、やがて白村さんは、恥ずかしそうに目をそらす。


 そして彼女はふと「あ」と声をあげ、言葉を続けた。


「あれ、絵里じゃない?」


 ぼくが目を向けた先には、昇降口へと続く曲がり角があった。その角の影で、一瞬、スカートがひるがえるのが見えた。


「……ちょっと、白村さん、そこにいて」


 ぼくはそう言い残すと、ベンチから立ち上がり、その曲がり角をめがけて走りはじめた。

 水本絵里は、すぐに見つかった。

 往生際の悪いことに、曲がり角で膝を抱えるように丸くなり、身を隠していた。

 ぼくの気配に気づくと、ゆっくりと彼女が顔をあげ、いたずらっぽく笑って言った。


「バレたか」



   ※※※



 その日の午前中の水本絵里と白村あずさの話の詳細を、ぼくは、少し後になってから聞いた。

 どうやら、次のような会話が交わされたらしかった。


「ね、あずさ。今日はバレンタインだね。チョコ、誰かにあげるの?」


「それは、……秘密。絵里は?」


「わたしはあげるより、もらう方が好きだもの。ところで、チョコといえば、世にも奇妙なやつがこのクラスにいるの、知ってる? ていうかわたし、話したことあったっけ?」


「ううん、初耳だと思う。奇妙なやつ、って?」


「そいつ、チョコ、嫌いなんだ。甘いものがダメ、とかじゃなくて、もうチョコなんか『ダメ、ゼッタイ』ぐらいに嫌いなの。……ていうかそいつ、梶浦一馬なんだけど」


 そのとき絵里は、じっと白村さんの反応をうかがった。

 その話をしたことがあったかどうか、ぼくのためを思い、確実に見極めるつもりだった。

 しかし白村さんの反応は、事前に想像していた、どの反応とも違っていた。


「……梶浦くんって、チョコ、嫌いなの?」


 白村さんは沈むような低い声でそう言った。

 あれれ。

 おかしいぞ、と水本絵里は思った。


「うん。信じられないけど、梶浦にとっては、チョコは苦いんだってさ」


「そう……」


 目を伏せる白村さんを見て、絵里は、とある仮説を立てた。


「もしかして、あずさ、梶浦にチョコあげるつもりだった?」


 少しの間のあとで、白村さんはゆっくりとうなずいた。


「うん」


「……まさかだけど、あずさ、それ、本命?」


 白村さんは、すぐには反応しなかった。

 代わりに顔を赤くした。

 やがて、こんな答えが返ってきた。


「その、つもり」


 あらら。

 絵里はまさかの展開に、それでも心を躍らせていた。

 これは面白い。


「知らなかったな。あずさ、梶浦なんかがいいんだ」


 白村さんは恥ずかしそうに笑い、それから、ため息をついた。


「秘密、だったのにな。……でも、梶浦くん、チョコ、嫌いなんでしょ」


「奇跡的なことに、ね」


「じゃあ、……チョコあげるの、やめておこうかな。嫌いなものをもらって、嬉しい人なんていないし。手作りでもないし。梶浦くんがチョコ、嫌いなことだって、知らなかったし。好きな人のことなのに……」


 聞いているうちに、白村さんの声は、どんどんと沈んでいく。

 ん、これはまずいかもしれない。

 そう絵里は考えた。

 だけど、どうすればいい?


 『大丈夫、梶浦だってあずさのことが好きなんだし』なんて言えっこない。

 勝手にそんなの伝えるなんて、二人に悪いし、それに、面白くない。


「ま、まあ、どうするか、放課後まで考えておきなよ。まだ、時間あるし」


 力なくうなずく白村さんを見ながら、水本絵里は、一計を案じた。

 あずさはこう見えて、結構いろんなことを気にする方だ。

 たぶんもう、告白は出来ないだろう。


 だったら、発想の逆転だ。

 梶浦の方からさせればいい。



   ※※※



 水本絵里はこれっぽっちも悪びれることなく、校舎の影から姿を現した。

 そしてぼくと共に白村さんの座るベンチのそばまで行くと、こう言った。


「それで、どこまでいったの?」


「……どこまで、って?」


 ぼくがたずねると、絵里はぼくを指さし、その次に白村さんを指さす。


「こっちからこっちは、伝わった?」


 白村さんは、目をぱちぱちとさせる。

 ぼくの心拍数は、途端にはねあがる。


「あの、それとなくは……でも実は、はっきりとは、まだなんだ」


「なんだ、情けない。それじゃ、あずさは?」


 その問いかけに、白村さんは頬を染める。


「……全部違う、とは、伝えたよ」


 その言葉に、ぼくと絵里は目を見合わせる。

 ぼくにはさっぱりわからない。

 絵里にも、それまでの会話の流れをつかんでいなかったせいか、彼女の言葉の意味はわからないらしい。

 やがて白村さんが言葉を続けた。


「梶浦くん、わたしには誰か、他に好きな人がいるとか言ってた。だけど、それ、違う」


 ……つまり?

 なんて、頭を整理する前に、水本絵里はぼくに笑顔を向けた。


「それで、梶浦は、なんでここにあずさを連れてきたの?」


 白村さんがベンチから立ち上がる。


「私、不安だった。今もまだ、少し不安だけど」


 ぼくはしばらく、彼女と見つめ合う。


「ぼくはきみが好きだ」


 その言葉は、口から自然とこぼれ出てきた。

 白村さんはゆっくりとうなずいてくれた。


 その白村さんの耳元に、ニヤニヤと笑う水本絵里が口を寄せ、何かをささやいた。

 白村さんは微笑んでうなずく。

 そしてベンチの上に置いていたバッグの中から、綺麗にラッピングされた袋を取り出した。


「嫌いなのは、もう知ってるよ。だけど、これ。梶浦くんのために買った、チョコレートだから」


 両手で差し出されたその箱を前にして、ぼくは戸惑っていた。

 チョコレートは、嫌いだ。

 幼い頃に味わったあの苦さは、今でも記憶にこびりついている。


「……まさか、いまできたばっかりの彼女からのチョコレート、受け取らない気?」


 水本絵里のその言葉に促され、ぼくは白村さんから箱を受け取る。


「ありがとう」


「梶浦、すべてうまくいったのも、そのチョコのおかげなんだよ。何しろ、今日はバレンタインデーなんだから。それでも、チョコ、嫌いなの?」


 ぼくと水本絵里の仲は、それなりに長い。

 彼女が何を言わんとしているのかは、ぼくにはよくわかっていた。


 そしてぼくは、白村さんに渡された袋をあけた。

 中に入っていたのは、固い、オレンジ色の箱だった。

 表面につやつや光る加工が施されており、高級そうだ。


 ベンチに腰を下ろし、膝の上でその蓋をあける。

 箱の中には五つ、宝石のような青いマーブル模様に輝くチョコが入っている。


「あのさ、梶浦くん、苦手なら……」


 そう口にする白村さんに、ぼくは首を横に振る。

 彼女からもらった、美しいチョコを一つ、ぼくは指先でつまみ上げる。

 目をつぶり、ぼくはそのチョコを口に入れる。


「……どんな味がする?」


 おずおずとそうたずねてくる、白村さんの声がする。

 久しぶりに食べるそのチョコの味は……、ほろ苦い。


 でも、むかし味わったほど、鋭い苦さじゃない。

 ずっと、苦手だった。

 だけど。


「……今はもう、好きになれそう」


 ぼくが目を開くと白村さんは笑った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 話の組み立てに引き込まれてしまいました。 チョコ嫌いな男の子とその理由、バレンタインのチョコに込める女の子の想い… 良いですねー♪
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