祈りと懺悔
すみません、先に言っておきます。
すみません。
今回は大々的にセックスがテーマです。
なんなら作者が一番ヒヤヒヤしました。
でもなんとか上手く、まとまった、
と思う!
強敵の待つ闇闘技場4回戦の前に、
二人が絆を再確認するお話です。
よろしければお読みください。
それまで、決して見ることはなかった。否見ようとしなかった。それは彼女に対する侮辱だし、己の誓いに反することだったから。しかし見てしまった。凛々しく戦い抜く彼女の露わな肢体を。控えめな胸の膨らみを。普段は隠された茂みを。丸く引き締まった尻の形を。
微かに色づく薄紅色の胸の先端を。ほんの少し幼さを残した腹部の滑らかな丘を。ほどよく引き締まったウエストラインを。黒髪の豊かさに比べると、やや薄いと感じられる陰毛を。そこに降りかかる真紅の液体を。
彼女が他の男を殴る度に、蹴り上げる度に、曝け出された乳房が揺れる。長い脚。引き締まった筋肉が美しい脚を作り上げている。尻尾の付け根を初めてきちんと見た。丁度尾てい骨の上から豊かな尻肉の谷間に向かって、グラデーションを描くように尻尾の獣毛が生えていることを知った。素早く尾が振られる。尻の穴がもう少しで見えそうだ。
ハイキックするべく大股開きで全身を捻った瞬間、男を知らない下半身が露わになる。まろやかな恥骨の陰影、そして複雑な股間の襞の、一枚一枚までハッキリ見た。見てしまった。なんと淡い桃色だろう。見たくなかったのに。ああ、そこに。
舌を這わせたらどんな味がするんだろう。
「ッ!」
突然目が覚めた。弾かれたようにベッドの中で飛び起きる。心臓がバクバク高鳴り、一瞬何が起こったかわからなくて、荒い呼吸のまま胸を押さえた。…いや、覚えている。ハッキリ覚えている。だからこそ認識したくなかった。今まで曖昧なまま、見ないふりをしていたこの感情を。可能なら切り取ってどこかに放り出してしまいたかった。
「………。サイアク………」
いや違う。もし出来るなら、この馬鹿な下半身を切って捨ててしまいたかった。熱くなったそこをぎゅうと握りしめる。怖くて出来ない、けど、力の限り握りつぶしたらいっそ清々するんだろうか。…俺は、俺は。
「男になんか、生まれたくなかった…ッ」
上半身を折りたたんで布団に突っ伏す。この世界の創造主が「そう」と決めたあらゆるルールを捻じ曲げたい。本能なんて、こんな汚い気持ちなんて、俺は知りたくなかったんだ。
例え成り行きの結果だろうと、共に生きると決めた大切なあの子に、こんな劣情を抱いてるなんて。
闇闘技場3回戦終了後、ビッグケットに続いて湯浴み。服を汚さない設定だったからか、景品のドレスはなし。小切手を受け取り帰宅。共に着替え。荷物をざっと片付けると、「少し外を散歩してくる」と黒猫が出ていってしまった。それを見送って一人残されたサイモンは、自分の荷物から静かに聖書を取り出した。引っ越す際、前の家から運び出した数少ない荷物のうちの一つだ。窓際のソファに腰掛け、音もなくページをめくる。
「…汝求めるなかれ、さすれば与えられん。例え嵐の中にあれど、例え吹雪の中にあれど、信仰の御心さえあれば主は汝を救うだろう。信仰とは光なり。迷いの中に一筋の光をもたらす、曇りなき心なり。願い、求め、惑うことなかれ。汚れなく誇り高く生きることこそ喜びと知れ。…」
人間の社会に広く浸透している「ゼウス教」。その教えが詰まった小さな文字をひたすら読み上げる。黙々と聖書でも朗読すれば、無駄な雑念も晴れるかと思った。…ビッグケットが戦ってる最中は、あの時は、心配だったり純粋に応援する気持ちが勝って不埒な考えなど全くなかった。なのに終わったらこれだ。…もやもやする。だからって下衆な気持ちを抱えたまま眠ることも、そのまま朝になって彼女の顔を見ることも嫌だった。リセットしよう。そう思っていたのに。
ガツンと夢でフラッシュバックした。むしろ精神力で彼方に追いやってた記憶が、より鮮明な映像となって何度も再生される。それに付随する感情も。焼けるような渇望も。目を背け続けていた自分の本当の気持ちも。
(………ッ、苦しい)
午前4時。痛いくらい高鳴る胸の鼓動が彼を苛んだ。どうして、どうしてだ。神様、どうしてニンゲンを男と女に分けたんだ。ふざけやがって。
そうだ、俺は男色じゃない。人並みの異性に対する性欲くらい持ってるさ。けど、それを行動に移すのは真っ平ごめんだ。だってそれは、自分と大切な人への侮辱だから。
「……水……」
息が出来ない。浅い呼吸が苦しくて、それに抗いたくてなんとかドアノブに手をかけた。寝室を出よう。キッチンに行って水でも飲めば、少し頭も冴えるだろう。ガチャリ。ノブを捻る。
『あ?おはよう』
「ゲホッ!!ごほ、うわ!!!???」
思わず腰が抜けそうになった。今絶対会いたくなかった人間が、しれっとした表情でそこに居た。ビッグケットがキッチンに立っている。まさか一晩中外に居て今帰ったのか!?彼女は二の腕と太もも丸出しの軽装、つまり彼女における外出着を身に着けていた。
『今4時だぞ、何やってんだ』
『ソレハコッチノ台詞!!オマ、何、ヤッテッ……』
無理。顔が見れない。言葉を最後まで言い終わることが出来ず、思わず視線を逸らす。魔法の設備によるものか、薄明かりが室内に満ちている。
『………』
「……………」
ビッグケットが訝しげにこちらを見ている気配がする。でももう無理。ずっと我慢してたけど、もうホントに無理。生物学上女性。じゃなくて、小生意気な女の子。じゃなくて、「その気になれば屈服させられるはずのメス」としてビッグケットの事を見るのが心底嫌だった。頭がくらくらしてきて、自分が不審な行動をとっているのは重々わかっていたけど、繕うことも出来なくてただ急いでビッグケットの隣に立った。
「水、飲みたくて」
『水、飲むのか』
「コップ…」
『コップ探してるのか?こっちだ』
一切目を合わせないサイモンに、しかしビッグケットは冷静な様子でコップを差し出した。レバーを押す。コップを受け取って中に水を注ぎ込んだ。
(何も考えるな)
冷たい水を飲み干す。美味しい。もう一杯。コップを下に構え、再び水を注ぐ。飲み干す。…はぁ。一息ついたが、雑念はそう綺麗に消えなかった。いやもうもっかい寝室行こう。下手なことを言う前に。下手な行動をとる前に。
『…サイモン』
くるりと踵を返したサイモンの背中に、ビッグケットから声がかけられる。わかってる。様子がおかしいのはきっと彼女にも伝わってる。でも今話しかけられたら、振り返ったら俺は多分、
『…バタートースト、食べるか』
『バタートースト???』
『いや、こんな時間だけど起きたから、朝飯前におやつがてら少し腹を膨らせようと思って。お前も食うか?昨日酪農家の行商から買ったんだ』
『何ソレ食ベル…!!!!』
びっくりするくらい無心でビッグケットの方を振り返れた。バタートースト、美味そう!!!
『丸い白麦パンを用意します』
『ウンウン』
『そこにバターナイフでこーーってりバターを塗ります』
『ウンウン!』
『カマドの端っこ、程よい熱のところにパンを並べます』
『ウンウン♪』
『あとはバターがとろけてパンに染み込んでいくのを見ながらイメージする』
『…何ヲ?』
『これを食べたら、カリふわじゅわ〜ってするんだろうなぁ〜っていうイメージ』
『ウワァ〜〜〜〜最高ーーーーーーー!』
キッチンに設置された調理用のカマド。そのくり抜かれた空洞部分、赤々と火で照らされた空間を二人で覗き込む。ビッグケットの予告通り、バターがじわじわ溶けてパンに染み込んでいく。カリ、ふわ、じゅわーー…。旨味たっぷりの油がパンと一体となって奏でるハーモニー…。絶対美味い奴じゃんか。
『私、料理してる間ってわりと好きなんだ。無理に凝らなくていい。美味しい物が少しずつ出来上がってくこの、わくわくする時間が好き』
『アーーーー、イイネェ…。ソウカ、自分デ美味イ物ヲ完成サセル喜ビカ…。オレ1人ジャ気付ケナカッタナ。作ッテ食ウ、ノ繰リ返シトシカ思エナカッタカラ』
『そう思ったら料理は負けだ。どうせなら楽しくやらなきゃな』
二人が話す間に、山のようなバターが溶け切った。パンの表面がとろとろだ。そろそろ食べ頃だろうか。
『よし、出すぞ』
『ワーーーッ食ベル!!!』
長い柄のついたヘラのような調理器具でパンを取り出す(「パーラー」と言うらしい。ビッグケットが勝手に買ったようだ)。ダイニングテーブルに皿を2つ置き、パンを一つずつ乗せる。バタートースト。いーぃ香り。いそいそと椅子に座り、熱々トーストの端を持って…
『いただきます!』
「主と女王の慈悲に感謝。いただきまーす!」
カリ。ふわっ。じゅわぁ…。
『「うっまーーーー!!!!!!」』
ビッグケットの言うとおり、イメージトレーニングしてから食べた方が断然美味い。そしてこのバターが特に美味い。行商?そんなんこの街に来てたっけなぁ。いやでも美味い。美味いの前に理屈など無用。サイモンは無心でトーストにかぶりついた。
『バターノ染ミタパン最高…!』
『さすがふわふわ白麦パン、バター染み込ませたら柔らかい♥バター美味ーい!』
『チョット焦ゲタ端モ美味イ!』
『バターないとこも香ばしくていい!』
とかなんとか言ってたら、バノック(円形の平たいパン)1枚などあっという間に消えてしまった。口に残った最後の余韻を噛みしめる。ああ飲み込みたくない…でも…飲む!!最後の一口を喉に流す頃には、サイモンの心は「バタートースト最高に美味いな。」という感情で満たされていた。良かった、これでいい具合に気持ちの切り替えが出来た。なるほど、本能の欲求には別の本能で上書きする…か。覚えておこう。
『で、さっきのよそよそしい態度はなんだったんだ』
『エッ、コノたいみんぐデ聞イテクル?忘レタママデイサセテ欲シカッタナ???オ前鬼カヨ』
バタートーストが無くなった瞬間。ビッグケットはさもなんでもないことのように、さっきのサイモンの態度について言及してきた。そりゃ気になるだろうけど。言えるわけないんだよなぁ〜〜〜〜!!!
『…すごく、苦しそうな顔をしてたから。私に何か出来ることあるかな、って思っただけなんだけど…』
『ワァ、スゴクイイ子ダアリガトウ』
じゃあ一発ヤらせてくれよ。なんて身も蓋も品も大人げもないことなんか言えない。これを言うくらいなら死にたい。わりと本気だよ勘弁してくれよ。
『………イヤァ……ア、ソレヨカオ前頬大丈夫カ』
『えー、話逸らすのか?』
『ヤ、逸シテルワケジャナ…アッ』
『あ?』
そうだ。今日はあそこに行こう。ふとした思いつきが頭をよぎり、サイモンの瞳に希望の光が灯った。
『ヨシ、今日ハ教会ニ行コウ。オレノ悩ミモオ前ノ怪我モ両方解決スルゾ!!』
早朝5時前。二人は朝日が登るのを眺めながら家を出た。中央北部の住宅街から南部に向かって伸びるメインストリートを南下する。時間はたっぷりある。あえての徒歩で移動した。
二人で並んで歩くと、いつぞやの逆…東からの光で影が長く伸びた。ビッグケットは子供のように自分の影を踏み、跳ねながら進んでいく。一人遊びしつつ少し先を小走りで行くこの黒猫の純粋さを見ていると、サイモンの心に巣食った邪な想いなど綺麗サッパリなくなっていくようだった。
(…正直、もうあんな気持ちになりたくない)
息が詰まるような、醜い自分のことはもう忘れたい。
『おぉーい、見ろよ!ここ木苺の木があるぞ!採っていい?食べていいか?』
『アー、チョットクライナライインジャナイカ』
『やったー!』
ビッグケットは本人曰く山育ち。植物の見分けは得意なようだ。道の脇に植えられた街路樹の中から、目ざとく実のなった物を見つけて食べるとわめいている。
(…木苺とか食べたことないな…)
名前も植生もわかる。が、まず口に入れてみたいと思ったことがない。
(…人生エンジョイしてんなぁ)
躊躇なく街路樹から木苺をむしり取り、口に入れるビッグケット。酸っぱ甘ーい!と感嘆の声を上げている。俺もあれくらい純粋な世界に生きられたら、どれだけ幸せだろう。…いや、決して馬鹿にはしてないのだけど。
住宅街を抜け、中央南部に入る。ここは商店街が広がっているが、さすがに開いている店は一つもない。眩しい朝日に照らされて静まり返っている。そんな時間帯にどこへ行くというのか。もっともっと奥だ。
商店街のさらに南、人工物より自然が目立つエリア。そこに鎮座しているのは、ゼウス教新興派の教会。豊かな自然の中に突如現れる、文字通り尖った印象の建築。多数の柱、緻密な装飾が目立つ少し古いが豪奢なゴシック建築には、これまた贅沢なステンドグラスが煌めいている。これは勝手に住み着いた亜人獣人の家とは違う。国が威信をかけて作った物だから、他の場所とは美しさが桁違いだ。
『わぁーーー、教会って初めて見た』
『ソウダロウナ。サ、ココハモウ開イテルカラ入ルゾ』
好奇心で目を丸くするビッグケットを伴い、入り口に立つ。ギィ…。サイモンがやや重い扉を開けると、真正面…南側にステンドグラスで装飾された大窓が目に入った。真っ直ぐ伸びる通路、左右に多数の椅子。窓の前に主祭壇。ゼウス教の礼拝堂。来客を一番に出迎えるこの空間は、しんとして厳かな空気に包まれていた。
(…私、この神様っていうか神様自体信じてないけど入っていいのか)
(大丈夫。無宗教ダカラッテ怒ルヨウナ心狭イ神様ジャナイ)
こころなしか小声で話しかけてくるビッグケットに返事を返す。礼拝堂の中には誰もいない。しかしそれでも入り口が開いているのは、ここが怪我人や病人の治療院を兼ねているからだ。さすがに夜中や明け方、礼拝堂に常駐する聖職者はいない。が、何かあれば対応する担当はいる。そのうちここの気配を察して奥から出てくるだろう。…さて。
(神様に懺悔の祈りを捧げたいのは山々だけど、ビッグケットに隣に居られるのはなんか気まずいな…)
出来れば早く誰かに来ていただいて、ビッグケットの治療をしてもらってる間に祈りを済ませたいのだけど。…来ないな。早く来いよ。
『今何してるんだ?何かを待ってるのか?』
『アア。コンナ時間デモ奥ニ人ガイルハズダカラ、ソレガ来ルノヲ待ッテル』
『じゃあ呼べばいいじゃんか。すいませーん!!!』
あ、と思う間もなくビッグケットが声を張り上げた。こういう状況で聖職者を急かす人間を初めて見た。バチが当たらないかな…。内心ヒヤヒヤしてしまう。すると、いくらもしないうちに横の扉が静かに開いた。
「…はい。お呼びですか」
姿を現したのは、ベールを身に着けた老女のシスター。ここはノーマンエリアにある教会なので、務める者も当然 人間だ。老シスターはこちらに視線を寄越した後、元気に猫耳を生やした、しかも慎ましさと対極にある軽装を身に着けたビッグケットを見て、心底信じられない。という顔をしたが…その視線だけで獣人に対する差別的な態度を終わらせた。さすがシャングリラの聖職者だ。都会なら即追い出されてもおかしくないだろうに。
「…なんの御用でしょう。祈られますか。それとも治療ですか」
老シスターが穏やかな口調で問うてくる。こちらの相手を確かにする気があるようなので、
「じゃあ、まずは治療をお願いします。この子の右頬。怪我してしまったので」
サイモンは言葉を返しながら、ポケットから銀貨を取り出して見せた。これだけ金を積めば治療も手を抜かないだろう。老シスターは手の中の銀貨を見てゆっくり頷く。
「ではお嬢さん、こちらへ来てください。右頬はどうしたの?転んでしまったのかしら」
『ビッグケット、頬ノ怪我ヲ治療シテモラウカラしすたーノ前ニ立ッテクレ』
サイモンがビッグケットを振り返り、状況と指示を伝える。しかし当然と言えば当然か。老シスターはビッグケットの顔を見つめ、頬に触れようと片手を上げる。その瞬間、数歩進んだビッグケットの身体がピクリと強張った。よほど見られたくも触れられたくもないのだろう。サイモンは慌てて口を挟んだ。
「あ、いえ…その、獣人同士で揉めて殴り合ってたのを助けたんです。それで、そこに大きな古い傷があって見られたくないらしいので、とりあえず何も見なくていいです。回復の祈りだけ捧げてもらえますか」
「…そうですか。わかりました」
明らかに不自然な注文だと思ったが、老シスターは受け入れてくれた。大丈夫よ。そう言ってビッグケットに微笑み、一度手を下げる。その後改めてビッグケットに近寄り、胸の前で両手を組んで小さく祈りの言葉を唱え始めた。
「主よ、小さき者の声を聞き給え。傷つき苦しむ人々の苦悩を知り給え。我らに慈悲を。我らに光と救いを。我らに苦痛なき平穏の日々を与え給え。アーメン」
祈りの言葉が途切れると、シスターが両手を上げる。ビッグケットが一瞬身構えるも、決して触れはしない。両手をビッグケットの両頬を包むように差し出し、そのまま止めた。
『…!』
気持ちその手が光っただろうか。祈りの治療は音もなく終了した。
『ドウダ?殴ラレタ所、治ッタカ?』
『…治った。それなりに腫れてたけど、痛みも腫れも引いたよ』
『ソリャ良カッタ』
祈り。それは魔法の下位互換みたいな存在だったが、聖職者なら誰でも身につけている。神の御業、奇跡と呼ぶ人間もいる。とにかく超自然的な力であっという間に人の不調を治してしまう。上級の聖職者ならもっと高度な治療魔法も身につけていると聞いたが…まぁ、殴られた腫れくらいなら祈りで充分だろう。
『すごい!これも神様の力って奴なのか?!』
『オ、神ヲ信ジル気ニナッタカ?』
『いや!もしこれが神の力なら、ますます信じたくなくなったな!!』
『オッ、オイオイ…しすたーノ前デ言ウコトジャナイゾ…!』
相変わらず失礼な奴だ。しかし、噂に聞く限り獣人は無宗教の者が多いという。それもそうかもしれない。この世に神が居て何らかの愛と慈悲を授けるというなら、獣人は冷遇されたり苦労したりしない。獣人たちは、実体験として「神は自分たちを救わない」ことを知っている。だから信じない。ビッグケットもきっとそうなのだ。もし神がいるなら祖母と祖国の窮地を救ってほしかった。逆に本当にこの世に神がいて、例えば獣人たちに愛ある試練を与えているというなら…いや、そんなものはいらない。どちらにせよクソ喰らえだ。何も言わなくても、恐らくそう思っているのだろう。
『…マァ、信ジナイナラソレハソレデイイケド』
色々考えたあげく、サイモンはビッグケットの無礼な態度を嗜めることをやめた。ゼウス教における矛盾をつつかれると痛い想いしかしない。それなら黙っていた方がマシだ。
しょせん人間は、ある程度世界や人類に存在の尊厳を担保されたぬるい生き物だ。亜人獣人たちと深く付き合うと、それを嫌というほど痛感する。ならば神、宗教という文化もきっと、人間により多く許された、娯楽に等しいものなんだろう。仮に獣人たちにも宗教心があるとしても、恐らく“神は人類全員愛してる”などと宣言するゼウス教は信じないだろう。大きな声では言えないが、内心そう思っている。
『ふぅん。お前は神を信じる割に寛容なんだな』
『ムシロ、神ヲ信ジテイルカラダナ。ウチノ神ハソコマデ心狭クナイカラ。覚エテオケ』
『はーん。はいはい』
無宗教を自称するビッグケットは、やはり神の威信がどうのという話に興味がないようだ。存在の有無すらどうでも良さそうである。ま、その方が喧嘩しないで済んでありがたいけどな。…さて、と。
「あの。少し祈りを捧げたいんですけどいいですか?」
気づけばビッグケットの治療が秒で終わってしまった。仕方ない。腹をくくってこいつを待たせながらするか。シスターに向き直り、声をかけると
「はい。かまいませんよ」
老女は穏やかに微笑みを返してきた。こういう時の聖職者のお優しい態度って、本当に心に刺さる。自分の汚さを嫌でも自覚してしまうというか…正直言うと、今日の懺悔はサイモンの人生の中で過去イチ懺悔度が高い。罪悪感で死ねそうな気分だ。
「…その、今日は懺悔をしにきたので。席を外していただけると助かるんですが」
「…おや。聖職者には言えない罪ですか」
「言えないですね…死ぬほど言えないですね………」
ゼウス教の信徒たる者、肉欲に溺れることなかれ。この手の懺悔は恐らくポピュラーだと思うし、なんならこのシスター自身、何度も変態欲求の懺悔を聞かされているかもしれないが……少なくとも、ビッグケットの前でそれを口にするのは憚られた。唇を引き結び、それ以上の言葉を発さないサイモンを見て、シスターが頷く。
「わかりました。では何かあればまた声をかけて下さい」
シスターが退席した。扉が閉まる音が小さく響き、いよいよこの空間にビッグケットと二人きりになる。…いや、意識するな。まさかの礼拝堂でこいつに手を出した日にゃ、マジで自殺ものの背徳だ。すーーー、はーーーーっ。大きく深呼吸する。恐らくビッグケットがこちらを見ている。けど、見ない。静かに目を閉じて両手を組み、両膝をついて祈りの姿勢をとる。
『…俺、今カラチョット神ニ祈リヲ捧ゲルカラ。シバラク待ッテテ』
『わかった』
ビッグケットは素直に了承した。こちらを、見ている。けど、黙っている。あーーーーっ気まずい!けど、やるしかない!むしろ本人と神だけが見ているこの空間こそ、禊にふさわしいはずだ!
(…神よ、ゼウスよ、聞き給え。俺は慣習上成人しているとはいえ、恐らく自分より年下だろう女性に汚い肉欲を抱いてしまいました。散々優しくして信頼させたのに、その信頼を裏切る真似をしたくて仕方なくなりました)
…自分の胸の中だけとはいえ、言葉にするとけっこうエグい。焦燥感が身体を満たす。…言え。全部正直に告白しろ。そんで全部なかったことにするんだ。文字通り神に誓え。
(俺は万人を差別しない。人種、年齢、所属、性別、肩書き、信条、あらゆるもので他人を判断しない。そう決めてたのに、相手が女性ってだけで自分の行動を変えようとしました。浅はかで、愚かで、卑しい人間です。たかが性別が違うだけなのに、自分のエゴをぶつけて屈服させて、思うまま肉欲に溺れたい、相手を手に入れたいってほんの一瞬でも思ってしまいました。許して、許して下さい。もう二度とこんな一方的な想いは抱かない。神に誓います…!)
目を開けた。懺悔している間ずっと息を止めていたらしい。苦しくて息を吸った。すぅーー、はぁーーー。手が震えている。怖かった。けど、やっぱ来てよかった。こうやって神に誓えば、個人的な信条に加えて信仰心でもっと自分を律することが出来るだろう。これで少しは気持ちが楽になる…。
ふいに、ビッグケットはどうしているだろうと隣を見る。と、
「!!!」
メチャクチャ至近距離でこちらを見ていた。こ、こいつずっとこうやって俺を見てたのか!ビッグケットの艶々した金の瞳に自分の姿が映っている気がして、サイモンが身体を強張らせる。そのまましばらく無言の時間が流れた。
『…あの、もしかして。違ったらごめんだけど』
『?』
『お前、私の裸を見てごめんなさいとか神に謝ってたのか?』
『ッ!!』
ば、やめろ。当たらずとも遠からず。吐息がかかりそうな距離で詰め寄るビッグケットを前にして、動けない。
『ンン…ソレモアル。ケド、コレ以上ツッコ厶トオ互イノタメニナラナイゾ。ヤメヨウ。オシマイ』
『……。………。……………』
黒猫の眉根が小さく寄せられている。胡乱げな表情。何か言いたいんだろうけど、言うべきか言わないでおくか悩みに悩んで…
『私は、別にいいんだぞ』
『…………何ガ』
『お前なら、抱かれても』
一瞬意識が飛んだ。待って待って待って。何言ってるのこの人。もう繕うことなんて出来なかった。全身の汗が吹き出す。
『待ッテ?落チ着イテ。ヤメヨ、ココ礼拝堂。俺、ソウイウノハ良クナイッテ神ニ謝リニ来タノ。ヤメヨウマジデ』
『サイモン、優しいな。ずっと我慢してくれてたんだろ。それで昨日私の裸見て、我慢するのが限界きて、それでも手出さないためにここに来たんだ』
『ヤメ、ヤメテ』
人の思考を逐一なぞるのはやめろ。もう何を言ってるのかわからなくなってきた。本人がいいならいいのでは?いいんじゃない?もういいんじゃない?????それでも必死に上半身を逸らすサイモンに、さらにビッグケットがにじり寄る。もはや押し倒されかけている。静かにこちらを見つめる黒猫の金の瞳。それは何の感情も宿していない。嫌とも、嬉しいとも。そのただ「覚悟を決めた」顔を見て、
(…違う)
心が悲鳴を上げた。俺はもう、「繰り返さないって決めた」んだ。サイモンは慌ててビッグケットの両肩を掴む。
『…馬鹿、自分ヲ大事ニシロ。俺ガヤリタイッテ言ウカラ身体ヲ差シ出ス?相手ハ誰デモイイノカ?マダ誰トモシタコトナインダロ、ヨク考エロ』
『……どうせ初めてなら、お前がいい』
『バッカ…!!』
細い肩。人を捩じ切る腕力があるなんて信じられない細い腕。微かに俯いて呟かれる言葉に、ぐんと理性が持っていかれそうになる。なんて甘い誘惑なんだ。…でも。
『…駄目。駄目ダ、ビッグケット。オ前ハマダコレカラ沢山ノ出会イガアル。俺ヨリイイ男ダッテ沢山イル。コンナトコデ大事ナ初メテヲ捨テルナ。チャント迷ッテ選ンデ決メロ』
それは成人した男として大事な矜持だと思った。成り行きで身体を重ねたら絶対後悔する。サイモンの脳裏に浮かぶのはモモの顔だ。彼女と出会った頃。幼くて馬鹿だったばかりに、彼女の出自も性別も人格も軽んじてしまった。「それがお前の仕事だ」なんて、簡単に搾取して上から目線で金を渡してしまった。モモがサイモンの前で当時の本音を語ることはない。だからこそ、本当は恨んでいるかもと時々悔やまれるのだ。
しかしサイモンの真摯な想いと裏腹に、ビッグケットから返ってきたのは予想外の反応だった。押し返そうとする彼の両手を振り払い、逆にぎゅうとしがみつく。とっさに固まるサイモンの胸に顔を埋め、身体を震わせた。
『嫌だ!他の男なんてっ、もうどこにも行きたくない!誰かに捨てられたくない!!
いいんだ、お前が望むならなんでもやるから、私を、ずっと側に置いてくれ…!』
悲痛な声。サイモンの胸がじわりと温かくなる。ビッグケットが、泣いている。…そうか、そうだったのか。途端にこれまでの謎が解けた。恐らく、だけど。
ビッグケットはサイモンに「捨てられる」ことを恐れている。
親も祖母も自分を置いていなくなったから。
『…ビッグケット。大丈夫。俺ハオ前ヲ置イテ居ナクナッタリシナイ。オ前ガ望ムナラ一生一緒ニ居ルヨ』
『やだ、やだ、そんな薄っぺらい言葉…!お前がいい奴なのはわかってる、だからっ、』
ビッグケットが顔を上げた。目元が真っ赤だ。ビッグケットは元々表情豊かな少女だったが、こんな風に痛々しい顔をするのは初めてだ。ぽろぽろ涙が溢れる。
『身体に、誓え!女に手ぇ出したくないんだろ、経験済みの大人だから処女の子供にちゃんと選ばせてやりたいとか思ってるんだろ!そんな綺麗事いらねぇんだよ、ほらっ、したいならヤれよ!!』
咄嗟に手を取られ、胸に押し当てられた。柔らかい。だが、それに喜ぶ感性は今の彼になかった。
パンッ!
浅い平手打ちを彼女の右頬に、触れられたくないと言っていた場所に放つ。瞬間、多少の理性を取り戻したようだ。ビッグケットがバッと顔を押さえる。
『…触ッテゴメン。手ヲ上ゲテゴメン。デモ、1ツ言ワセテ』
悔しいような燃える瞳をこちらに向けるビッグケットに対して。
『男ヲ馬鹿ニスルナ。ソコマデ言ワレテほいほい手ヲ出ス奴ハイナイヨ』
『…っ、グッ…』
ビッグケットが静かに拳を握りしめた。それまで勢いでなんとかしようとしていた目論見が、尽く破れた。だがそれで終わらせる気はない。彼女の不安を蔑ろにするなんてとんでもない。
『約束スル。破ッタラ俺ヲ殺シテイイ。大丈夫…』
サイモンは薄く笑った。そして、ビッグケットをゆっくり。強く抱きしめた。この気持ちが伝わって欲しい。心臓の鼓動まで届いてほしい。…お前は一人じゃない。
『オ前ガ嫌ダッテ言ウマデ、俺タチハズット一緒ダ。ダカラ心配スルナ。俺ハオ前ヲ置イテ遠クニ行ッタリシナイヨ』
『………、本当か?絶対か?』
サイモンの腕の中で猫が小さくつぶやいている。そのくぐもった声。揺れる猫耳に、頬をすり寄せる。
『信ジラレナイナラ今俺ヲ殺セヨ。裏切ラレル前ニ…ソシタラセイセイスルダロ』
『本末転倒だよそれじゃ』
『ダッタラ俺ヲ信ジロ。イイナ』
『………………。わかった』
ビッグケットはこれで満足したのか、もぞもぞ身じろぎした。両手を離す。恐る恐るその顔を覗き込むと、ビッグケットは不満げに唇を曲げていた。…なんだよ、まだなんか不満があんのか?
『エ、何』
『一応言っとくけどな』
『ハイ?』
『どうせ初めてするなら、お前がいいってのは嘘じゃないからな』
『勘弁シテ下サイ』
あれ勢いで言ったんじゃねーのかよ。やめて爆弾投下するの。じわじわ頬が熱くなる。
『だってお前以上にいい奴で獣人に理解があって公平で紳士的な奴いる?そうそう会えないだろ』
『イヤイルカモシレナイゾ?ヤ、俺以上クライイクラデモイルッテ。大丈夫。オ前ハソウイウノト付キ合エヨ』
『…いるといいけどな』
はぁ、とこれみよがしにため息をつかれる。…何これ、本気のアタックだったのに響いてねーなーっていうアレなんです?いや違う、こいつ絶対血迷ってる。このまま流されて手出したら将来絶対後悔する奴だ。
『…一応先輩トシテ言ッテオクケドナ。マイッカ程度ノ相手トスルせっくすホド虚シイ物ハナイゾ。チャント好キナ奴トスル方ガ断然気持チイイシ満タサレルカラ。覚エトケ』
『…サイモンには、そういう相手がいたのか?違いがわかるのか??』
ぐ。黒猫から当然の疑問が飛んでくる。いやハッタリじゃないよ。実体験に基づく心からの本音だよ。でも、ぐぅっ…。
『昔。昔イタノ。デモ捨テラレタ。ソレ以降ノソウイウノハヤッパ違ッタナァッテ思ッテサ!』
『へぇ〜』
いい加減日がしっかり登ってきた。目の前のステンドグラスがきらきらして眩しい。他に人が居ないとはいえ、俺たちはこんなとこで何を話してるんだ。しかしビッグケットが話を終わらせてくれない。
『じゃあ、モモとのセックスは虚しかったのか?』
『エッ何ソレ、アレ?ドコカラ聞イタ?』
『普通に本人から。言ったろ、お前が酔い潰れてる間に昔の話を聞いたって』
『ハァ?!アイツ全部話したノカ!?』
『全部っていうか…まぁ、まぁ??』
『ヤダー!!コレ以上聞キタクナイ!!怖イ!!!』
思わず耳を塞ぐ。さっき後悔してるって思い出したばかりなのに!古傷を抉ったあげくトドメを刺すのはやめてくれ!!だが、ビッグケットはそんなサイモンの様子をしっかり見据えた上で口を開いた。静かに、真っ直ぐ。
『…モモ、前も言ったけど。お前とのこと、すごくいい思い出として語ってたぞ。ごめんって言ってもらったのは、あんなに優しくされたのは、生まれて初めてだったって』
『……!』
思わず目を見開く。ああ、そうか。そう、か…。ここ2年ほどの胸のつかえがやっと取れた気がした。モモは、それまで過酷な環境に身を置きすぎて、あれを侮辱と受け取らなかったのか。素直に初めて優しくされたと受け止めている。…それはそれで胸が痛いけど。いつか彼女の精神がもっと幸福に近づいたら、今度こそ最低野郎と吐き捨てられそうで怖いけど。…今はまだ、セーフなんだな。
『…ソウカ、ワカッタ。アリガト』
あれっ、俺たちなんの話してたんだっけ?
『アノ、ソノ、トリアエズ。別ニモモトノアレガ虚シカッタワケジャナクテ。ダッテ当時マダ別レテナカッタシ』
『彼女と?え、心から好きなパートナーがいるのに他の女を抱いたのか?』
『アーーーーッ最低デスオレハ!!!ネェモウコノ話ヤメナイ?!オレノ女遍歴ナンカ聞イテ何ガ楽シインダ!?』
『え、私は楽しいけど…』
『馬鹿!!!!モウ帰ルゾ!!!』
好奇心丸出し、かつ下世話な微笑みを浮かべるビッグケットの顔を見て、突然我に返る。そういや懺悔も終わったし、誓いも新たに出来たしここにいる意味はない!大体礼拝堂でエロトークとか、どんだけ不埒なんだ。そろそろ神様キレるぞ。帰り突然雨雲が広がって神鳴りに当たってもおかしくないっつの。退散!
『ホラ、モウ馬鹿ナ事言ッテナイデ帰ルゾ!朝飯ハ何ヲ食ウンダ!?』
『えーとえーと、じゃあパン繋がりでサンドイッチかなぁ〜!』
『ハイジャア買イニ行コウ!マダ朝ニナッタバッカダシ、ユックリ散歩デモシテサ!』
『わ〜最高〜〜〜〜♥』
煩悩には食欲をぶつける。さっき学んだことを早速実践した。食欲の比重が大きいビッグケットは即話に乗った。サイモンが立ち上がり歩き出すと、ぴょんと跳ね起きた猫が後ろを着いてくる。重い扉に手をかける。ギィ…
「うわああああ眩しいーーーーー!!!」
『いい天気!!』
教会の外に出ると、瞬時に朝日が二人の目を刺した。鮮やかに揺れる木々が目に入る。風に煽られ、ちかちかと光を跳ね返す緑が眩しい。日差しが強くなってきたなぁ。
『夏ッポクナッテキタナ〜』
『そうか、もうそんな季節か。夏になったら何が美味いんだ?』
『オ前ガサッキ食ッテタダロ。ベリー。苺。ストロベリーパイ。全部コレカラ旬ダゾ』
『なんだ〜、腹膨れそうなメニューじゃないのかぁ』
ビッグケットの興味はやはり食の方が強い。これから楽しめるものがデザートと聞いてやや不満そうだが…
『これからずっと一緒なんだよな、約束だもんな!いっぱい美味しい物二人で食べような!』
これからの展望を語り、心からの笑みを向けてくる。二人で、か。ビッグケット、お前はまだ友達も知り合いも少ない。これからもっとたくさんの人と知り合え。そんで、俺がいなくても大丈夫なくらいたくさんの人に愛してもらえ。それまでは…絶対離れないからな。
『アア、ソウダナ。金ナライクラデモアル。ナンデモ買ッテヤルヨ』
サイモンが答えを返すと、やったあ、と黒猫が駆けていく。さっきまでとはまるで反対の屈託ない態度に、落ちたメンタルがしっかり持ち直したようで安心する。
(…見捨てられ不安、か)
ふと、先程の切ない泣き顔が脳裏をよぎる。幼い子供が周囲から愛情を与えられずに育つと、他人の顔色を窺って生きるようになるとどこかの本で読んだ。ビッグケットには祖母がいたけど、それでもきっと足りなかったんだ。ましてや早くに死んでしまったのだから。…親代わりには全くなれないけど。出来ることはなんでもしてやろう。それが拾って一緒に暮らすようになった俺の義務だ。
『おい、おいてくぞー』
『ワ、戻ッテキタノカ?!』
気づくと真隣にビッグケットが居た。随分先を走っていたのに、ぐるっと回ってここまで戻ってきたのか。ビビらせんなよ。サイモンがため息をつくと。
『お前、まだなんか隠し事してる?この際だから、溜め込んでるもん全部話せよ』
『ハ?別ニナイヨソンナン』
『いやだって。なんか足取りが重いからさぁ』
…言われてみれば。飯だ飯だと楽しそうなビッグケットに比べると、サイモンの足は彼女ほど軽くなかった。…なんだろう?ふと考え込み、答えを探す。強いて言うなら…
『ジャア、俺ノ話。簡単ニスルカラ聞イテクレ』
『うんうん』
今度は二人で並んで歩く。ちらほら人が歩くようになった商店街を抜けて、東部を目指す。
『俺ハ昔ッカラズット、本ヲ読ンダリ勉強スルノガ好キデ。デモソウイウノ、周リカラヨク馬鹿ニサレタンダ』
『え、なんで?』
『男ラシクナイカラ、ダッテ。決闘ゴッコニモ剣ノ練習ニモ興味ナイ男ハ男ジャナイ、おかまダ玉ナシダッテ指差シテ笑ワレタ』
『…!そんなの酷い、私が殴り殺してやる』
『待テ、コレ昔ノ話ダカラ。ソレデ…』
遠い昔の記憶。隣の家に住んでいた幼馴染みの少年は、度々サイモンから本を取り上げた。
(もっと外に出ろよ。そんな暗い部屋の中にばっか居ると、キノコ生えるぞ)
たくましく外を走り回る彼は、近所の子供達の中でもとりわけ大きく力も強くて、まだ背の小さかったサイモンは大抵彼に敵わなかった。窓越しに読んでいた本を奪われ、庭に放り投げられて唇を噛む。周囲の子供達も、少年と一緒になってサイモンの内向的な行動を嘲笑っていた。
(…仕方ないだろ、外より中の方が楽しいんだから)
そう何度主張しても、少年も周囲も誰も聞き入れてくれない。しまいには、味方になって欲しかった母親すら彼を否定した。
(サイモン、せっかくレニー君が誘ってくれてるんだから、少しは外に出たら?太陽の光は身体にいいのよ…)
理由なんてなんでもいい。どうでもいい。否定された。受け入れてくれなかった。その全てが彼に根付き、苦い思い出として彼の奥深くに刻まれた。
(男のくせに)
(弱っちいな、人も殴れないのか。金玉ついてんのか、ないならこっち来んな。女と一緒に遊んでろ)
(そんなんで大人になったらどうすんだ?ひょろひょろで知識以外なんにもなくて。このままじゃお先真っ暗だぞ)
(彼女くらい作れよ、えっ興味ない?嘘だろぉ、男のくせに!)
折りに触れ、何度も何度もかけられた言葉。うるさい。うるさいうるさい、なんで性別でなんでも指図されなきゃいけないんだ。俺は俺だ。やりたいことをやって何が悪いんだ…!思い出しただけでむかっ腹が立ってくる。
『あっ…もしかして私、さっき言っちゃいけない事言ったんだな?お前にとって一番。』
『………アーー…ソウカモナ…………』
ほら、したいならヤれよ!!
さっきビッグケットに言い放たれた言葉。その頭は省略されていたけど、そうだ。
男ならどうせヤりたくて仕方ないんだろ、ほらヤれよ。
そういう意味合いの言葉だった。はっきり認識するとかなりムカつく言い分だな。馬鹿にしやがって。
『あっ、ごめん!ごめんごめん!一番言われたくなかった言葉だよな…!』
『…イイエエ、ヤリタイノハ事実デスヨ、事実デスケドォ、「男ダカラ」ッテ決メツケラレタクナインダヨナァ…』
『あーーーっごめんなさい!二度と言わないから許してくれ!!』
明後日の方向を向くサイモンに対し、ビッグケットが必死な様子で両手を合わせる。ああ、なんか胸がすっとした。ビッグケットが言うとおり、このやりとりがどうにも胸につかえていたんだろう。ようやくこの晴れ空に負けないくらい心が澄み切った。
『イイヨ、コレデ今度コソオシマイ。サ、サンドイッチ食イニ行コウ』
『行くーーー!!』
鞄は持ってこなかったが、服のポケットにお金を入れてある。しばらく歩けば東部の出店街に着くだろう。
『今日ノ具ハ何ニシヨウカナァ』
『私肉!あとポテトサラダと、シードルと、デザートは何にしようかなぁ』
『相変ワラズ朝カラカッ飛バスナ…』
『だって!無駄に泣いたら腹減っちゃったから!』
明るく返事を返し、晴れやかな笑顔を浮かべるビッグケット。初夏の近づく街を行く彼女には、そしてそれを見守るサイモンにも。迷いも悩みも全くなくなっていた。
…上手くまとまったのかなぁ…!!!
というわけで、ギリギリ外でおっぱじめるのを
回避した二人でした。
私は一体何を書いてるんだ?大賞入賞しました。
でもこんな中にも今後の伏線は仕込めたし、
サイモンについても掘り下げられたと
思うので…良しとします!
こうじゃないんだよなぁ…!
って思われた読者様がいたらすみません!




