7. 公爵令嬢、夜会の話。
「お嬢様……!」
いつもより一時間ほど早く起こしてもらい、支度を始める。
レナートに選んでもらった紺のベルラインドレスを着てシンプルに、でも存在感のある装飾を施されていく。
自分にはもったいないとも思ってしまうが、今日くらいはと私も張り切っていた。
「美しいです、本当に!」
私以上に張り切っていて、褒め称えるのは侍女のソフィア。
何度も私を見ては感動し、美しいと言ってくる。嬉しいけれど恥ずかしいからちょっと辞めてほしい。
「ソフィア、貴方の技術よ」
「いーえ! お嬢様がとても綺麗だからです! 私、お嬢様の侍女で本当に良かったといつも思っております」
ソフィアは私を買い被りすぎだと思う。キラキラと瞳を輝かせているソフィアは侍女としてとても優秀だ。こんな私が少しはよく見えるかなと自信を持てるのは間違いなくソフィアのおかげである。
支度を終えると馬車に乗り、会場へ向かう。
今日こそはちゃんとエスコートしてもらうと心に決めて。
「…………と思っていたのに」
深々とため息をついて会場の中心で色とりどり美しく可憐な女性に囲まれている私の婚約者を眺める。レナートは婚約者に惚れ薬を盛るヤバイやつだけれど基本は紳士。寄ってくる女性を蔑ろにできないのだろう。
そう分かってはいるけれど複雑なものは複雑である。
使用人に渡された飲み物を飲んでその様子を遠目から眺めている人間が婚約者だなんて世の中おかしいと思うわ。
「せめて話し相手がいたらなぁ」
そうぼやくのもしかたない。
私はこの国の王子の婚約者である。婚約者持ちの女性に話しかけるだけでもよろしくないのに相手が王子となれば誰も恐ろしくてできないだろう。
そうでなくとも私に話しかける者なんていないのだけれど。
「レナート様って本当に素敵よねぇ! 婚約者の方が羨ましいわ!」
「常に一緒にいらっしゃるものね……」
レナートと話し終えたのであろうご令嬢が話されている。チラリと私を見て羨ましそうに言っているけれどその本心を問いただしたい。
この私を見て本当に思えるのかしら。それとも嫌味?
はあ、と一つため息をついた時、後ろから声がかかる。
「お美しいお方ですね。こんな美しいご令嬢を一人にされるなんて本当にパートナーは見る目がない」
知らない男性だった。長い前髪のせいで顔がよく見えない。
貴方が見る目ないといった相手はこの国の第一王子よ、と言おうとした時手を取られる。
目を丸くして驚くと男性は不敵に笑ってみせた。
「私と踊りましょう」
「いえ、初めに婚約者と踊るのがセオリーですから」
やんわりと断ると手を握る力が強くなる。痛い。
痛さに眉をしかめて、突然の出来事に身を強張らせる。
この状況ってちょっとまずいんじゃないのか。
私のパートナーは今いない。この人が悪い人だったらどうしよう。現に力強く握られているし、良い人ではないと思う。
このままどこかに強引に連れ去られたらおしまいだ。
ひんやりと心臓が冷える。
「……レア、アザレア!」
その時、遠くから声が聞こえた。
振り返るとご令嬢の波に飲まれそうになりながらやってくるレナート。
「レナート……?」
レナートが私の名を呼んだことで会場はざわざわとざわめいていく。
そりゃあそうだ。レナートが私の方へやってくるなんて初めてなのだから。
今までは遠目で見て、たまに目が合うくらいだったのに。
踊る時間はあるはずなのだけれど、レナートがたくさんのご令嬢から誘われても「ダンスは苦手だから」の一点張りで踊ることはなかった。本来婚約者である私と踊るのが定跡なのだが、そもそも踊りたくなさそうだったから私からも誘えなかったのである。
つまり夜会において私とレナートの絡みはほぼゼロに等しかった。
「僕と踊ろうか」
爽やかな笑み(婚約者に惚れ薬を盛ったことのある人間とは思えない)で手を差し出してくるレナート。私の手を握った男性はいつの間にか手を話しており、レナートはそれを一瞥し、何事もなかったかのように私を見る。
その姿は助けに来た王子様そのもので私は心臓が高鳴る。
驚きのあまり、手を取るのも忘れて固まる。そんな私に不思議そうに首を傾げているが、首を傾げたいのはこちらである。
「あの、レナート?」
「うん?」
「助けに来てくれてありがとう」
感謝を述べるとニヤリと楽しげに口角を上げる婚約者。あれ。
この笑みは見たことがある。やった、やったわ。コイツ絶対やった。
「盛ったわね?」
「ご名答」
「ぶっ飛ばすわよ」
口が悪くなるのは許してほしい。こんな公の場で惚れ薬を盛られて怒るなという方が無理があるというもの。
王子といえど、好きな人といえどキレそう。
変なこと口走らせられたらどうしよう。いや言うのは私なんだけど。
「僕は親切でダンスを申し込んだというのに」
「それはありがたいけれど」
「君にはオーソドックスな好意を伝える物を盛ったんだ。ダンスしていたら気づかれないだろう?」
「は?」
……ドヤ顔である。
私を男性から助けるためじゃなくて惚れ薬のためかよ!
「君が知らない相手の前で延々と僕へ好意を告げていたらいろいろ大変だろう?」
最低である。ドレス選びでときめいた私を返せ!
私の手をやや強引に引き、ゆっくりと踊り始めた。その強引な姿にご令嬢は黄色い悲鳴をあげる。
こんなんでいいのか、ご令嬢は。いや私も好きなんだけど。
なんで私はこんな王子を好きになってしまったのか。後悔しても遅いが後悔はする。
「そもそも夜会では盛るなって言ったよね?」
「だってそうしなくては……」
勢いにのせて何かを言いかけてすぐに口ごもるレナート。
「そうしなくては?」
続きを急かすも首を横に振られて答えてはくれない。
そんなことより、と腕を引かれて本格的に私達は踊りだした。
なあなあにされてしまった気がしなくもなくもないけれどレナートとダンスできるなんて嬉しい。今は身を任せようと私は合わせた。
くるくるとしっかりリードしてくれて、とてもダンスが苦手だとは思えない。むしろ私が足を引っ張っていて、でもそんな私のミスすら感じさせないほどに引っ張ってくれた。
単純に嫌いなのか踊りたくなかったのか、気にならないわけではない。でも今はそんなことはどうだって良かった。
レナートは優しい笑みを浮かべて私を見つめていて、胸の奥がきゅうっと締め付けられる。
ああ、本当に。
「好きだなぁ」
心の底から漏れた言葉。一瞬レナートは目を大きく見開いた。
やらかした、と思いかけて惚れ薬の存在を思い出す。惚れ薬の効果だから大丈夫。好きバレなんてしない。
「……僕も好きだよ」
「なっ!」
ぐっと私とレナートの距離が近づいた時、耳にそっと囁かれる。
その言葉が冗談だと分かっていてもたちまち真っ赤になってしまう。好きな人からの好きは破壊力が高い。
それに何より、耳に唇が一瞬触れて私は動けなくなってしまった。
レナートは私をからかったようで、動きを止めた私を見てクックッと声を殺して笑う。はたから見れば何かあったのはまるわかりだけれどそれを大笑いすれば酷いやつだからそこら辺はちゃんと意識しているみたいだ。
会場の注目は私達二人に向けられていて、視線が熱い。
「ほ、惚れ薬のせいだから」
「……僕は君をいじるためだよ」
ほらやっぱり。
面白くないけれど期待はしていなかったからそれでいい。
「でもアザレア、本当に素敵だよ」
私の目をまっすぐに射抜いて微笑むレナート。
私は息を呑む。
「本当は会ってすぐ言いたかったんだけどあいにくご令嬢に捕まってね。僕は君の婚約者なんだから捕まえに来てほしかったんだけれど」
「……え」
少し不満げに苦言をこぼすレナートに私は声を掠らせる。
私が行っても迷惑だろうと思ってずっと遠くから見ていた。あれだけのご令嬢に囲まれて疲れているのはなんとなく察していた。抜け出そうにも人の良いレナートは全員分対応してしまうから難しい。
でも、私が行くことで更に一人増えるのはまた負担をかけることになるだろうと思っていたのだ。
目が合ったのは私が来ることを思ってだったのかもしれない。
「だからといってアザレアを一人していいはずがなかった。悪かった」
公の場にも関わらず頭を下げられる。
これは私が変な人に捕まりかけたかもしれないからだ。結局何なのか分からなかったけれど申し訳なく思っているのだろう。
「そんな、レナートは来てくれたわ」
「助けられた?」
「もちろん!」
そう微笑むと安心したようにレナートは手を差し出した。
「さ、注目も浴びていることだし踊ろうか」
レナートのリードで再び踊りだす。
「君が無事でよかった」
途中につぶやかれた言葉でハッと気づく。
たぶんレナートは惚れ薬を盛ったと言うことで私の気を紛らわそうとしてくれたんだ。少しでも怖い思いを解そうとしてくれたんだ。
レナートの分かりにくい優しさに胸が温まる。
「本当にありがとう」
……ん? だとしたら惚れ薬は?
もし違うなら私の好意がバレバレだ。
サァっと全身の血が引くのを感じながらおそるおそる尋ねる。
「……惚れ薬は本当に盛ったの?」
「当たり前だろう」
至極当然という風に答えられ、安堵すべきか怒るべきか分からなくなる。
「夜会では盛るなとフリを言っていたからな」
「フリじゃないわよ!!」