6. 公爵令嬢、ドレス選びの話。
明日は惚れ薬を飲まされてから初の夜会だ。
私とレナートの関係が、不服な形ではあるが、前より近づいたと思うから楽しみだった。
窓から月夜を眺めながら、無意識にニヤけてしまう私は相当浮かれていると思う。
「お嬢様、夜ふかしはお肌に悪いですよ」
「分かっているわ」
明日に備えて早めに寝る。分かっていても明日こそは私のエスコートをしてくれるのではと期待して目が冴えてしまうのだった。
ソフィアに言われたあの言葉を思い出して、また頬が赤くなるのを感じる。冷たい夜風が私を冷やして気持ち良い。
目を閉じて思い出すのは少し前のドレス選びの話だった。
***
「ねえ、レナート。相談したい事があるのだけれど」
そう名乗り出て、私は王宮に付いてきた侍女のソフィアを呼ぶ。
ソフィアは濃紺のイブニングドレスを取り出してレナートに見せた。
「来週、ダンスパーティーの夜会があるでしょう? そのドレスを着ていこうかと思っているのだけれどどう思う?」
「アザレアが聞くなんて初めてじゃないか」
こんな質問をレナートにするのは初めてだった。
ずっと聞いてみたかったが、迷惑かなと思って躊躇していたのだ。
レナートだって暇じゃないしパートナーのドレスなんて興味ないと思っていた。
もともと私が婚約者に選ばれた理由は『レナートのことが好きでないから』という勘違いされた理由なのだ。婚約破棄されるまいと、嫌われるまいと思ってきたわけだから、ドレスの確認なんて到底できるわけもなかった。
もちろん当時のレナートは優しかったから聞けば「似合っている」と褒めてくれただろう。だが、そんなことの積み重ねでレナートのストレスになるんじゃないかと怖かった。
だが、惚れ薬を飲まされてからはそういうことがなんだかどうでもよくなった。
弱みも握れたし(王子が婚約者に惚れ薬を盛ったなんて非常に面白いニュースである)、それに恥ずかしいという感情が薄れている気がする。
惚れ薬を飲んでいるふりをするわけだから、恥を忍んで好意を伝えなければいけない。乙女の恥じらいの一つや二つ消えるものである。
「私のパートナーはレナートだから聞いておくべきかと思って」
今更だけど、と心の中で付け加える。
「素敵なドレスだと思うよ。一回着て見せてよ」
そう言われて私は着替えに入った。と言っても大変なのはソフィアの方だと思うが。
今回のドレスはとてもお気に入りだった。濃紺ということで私の白髪が綺麗に映えているような気がしているのだ。ソフィアからもこれなら王子殿下も気に入りますとのお墨付きだった。
体のラインが出るようなドレスで少々恥ずかしい気もするが、何より惚れ薬で鍛え抜かれた羞恥心である。昔は着れなかったが、今なら大丈夫だ。
「レナート、どうかしら。……その、髪型もセットしていないしあれなのだけれど」
誰に見せるのよりもレナート相手が一番緊張する。
なんともないふりを装いつつ、ドレスのスカート部分を軽く握った。
髪をセットしたらもう少し良くなるはずだ。
今はレナートに会うためにハーフアップにしただけの緩い髪型だから。
そう保険を掛ける。
「…………」
私の格好を見て固まるレナート。いきなり冒険しすぎたかもしれない。
急に不安になってくる。
「あの、レナート?」
「それしかないの」
似合っているとも似合っていないとも言わず、ただそれだけ。それってつまりそういうことだ。
やや不機嫌そうな口調に私は顔を見れない。
自分の体型に自信があったわけではないけれど、こういうデザインの方が似合うと周りに言われて舞い上がっていた。急に恥ずかしくなって私は明るく返す。
「そ、そうよね! 私もこのデザインはなぁって思っていたところなのよ!」
ああ、ダメだ。少し声が上ずってしまった。
徐々に熱くなる目頭に気づかないふりをして私は何ともないふりを装う。
「ソフィア! 他の持ってきたドレスを用意して」
奥に引っ込んでいたソフィアを再度呼ぶと、意外そうな顔を隠そうともせずにドレスを用意した。
一番絶賛していたのはソフィアだったっけ。私が着るのが意外だから良い評価をしていたのかしら。
「お嬢様は濃紺がお似合いですからスカートが広がったものでも十分お似合いです」
耳にそっと囁かれて励まされる。
ありがとう、ソフィア。
レナートに見せると、どこか心ここにあらずといった様子。
「いいんじゃない」
なんとも気のない返事である。
こんな事なら勇気を出して聞かなければ良かった。
すっかり落胆する。
さっきまでの事をなかったことにしたい。
「そ、そう。じゃあこれにするわ」
「ああ」
気まずい。
圧倒的に気まずい空気が流れる。
私とレナートの婚約が決まった初期の頃、最悪に仲は悪かった。
仲が悪いと言っても王子と大人しい公爵令嬢だから喧嘩なんてものはしなかったけれど、あまり合わないし気まずい空気が流れる事がよくあった。
その時みたいな空気感である。
「……あ、のさ」
「は、はい」
レナートも気まずさを感じたのか言葉を途切らせる。
私は慌てて返事をした。
「初めのやつ、また今度着てよ」
「なんの事ですか?」
若干顔が赤いレナートはそんなふうに言った。
きょとんとして首を傾げると少し荒ぶったように馬車の方を指差す。
「……ドレス」
「え?」
「だからドレス!」
「なんでドレス!?」
全く持って意味が分からず思わず立ち上がって叫んでしまう。
だって似合わないから他のを選ばせたわけじゃないの?
それともレナートなりの気遣い? 今度を指定しないのはそういう事なのかもしれない。
「夜会が楽しみだな」
「夜会では惚れ薬盛らないでくださいね?」
「フラグかい?」
「なわけっ!!」
そう叫んでそのままソフィアの元へ向かう。
そろそろ帰ろう。
「アザレア」
「はい?」
くるりと振り返るとどこか視線を彷徨わせたレナートは言う。
「紺色はその、似合うな」
照れてように告げるレナートに私は赤くなる。
何も返せなくてそのまま逃げるように帰った。
似合うと言ってもらえた、レナートに。
身体のラインが出るものはいまいちだったけれどもそれでも色は似合っていると言ってもらえた。
その事実が嬉しくて足が早くなる。早くソフィアに伝えたい。
やっぱり私だけの秘密にしておこうかな。
馬車の中でソフィアにドレス選びの話を聞かせる。似合うと言ってもらえたことはどうも気恥ずかしくて言えなかったが、ソフィアは目をランランと輝かせた。
「お嬢様! 素敵じゃないですか!」
「どうして?」
「それってつまりお嬢様のドレス姿を見せたくないって事ですよ!」
私のあのドレス姿を見せたくないから夜会には着ていくな。だけれど似合っていないわけではないから他のものがあるか聞いた。
自意識過剰かもしれない。それでも一瞬でも可能性があるのなら。
だって今度というのはきっと……。
顔が火照り始める。ソフィアの言葉が何度も頭に響き、頬が熱くなる。
だってそんなことって期待しちゃう。