5. 公爵令嬢、過去の話。
初めて彼と出会ったのは五歳の頃。
王子の婚約者候補として選ばれた私がご挨拶に行くことになった時だった。
「お、お初にお目にかかります。アザレア・ビアンカと申します。よろしくお願いいたします」
この日の為に何度も練習した言葉は緊張で震えてしまう。
恥ずかしくて目をギュッと瞑るも、手に温かな感触がして目を見開いた。
「僕はレナート。君の婚約者だ。よろしくね」
気づけば包まれている手。
驚いているとそのまま手を引かれて私はされるがまま着いていく。
この時の私は何も言わずに引っ張る彼が少し怖かった。少しくらいは何か言ってよ、と。
連れて行かれた場所は簡素な庭園だった。公爵令嬢だから美しい庭なんてごまんと見てきているしそれ比べたら本当に貧相なものだった。
でも庭一面に様々な花が生き生きと咲いていて私は感動したのを覚えている。
全体で見れば貧相なんだけれど一つ一つがここが幸せだと輝きを放っている。きっとたっぷりの愛情を込められているんだと私は思った。
「僕が全部育てたんだ」
王子が花を育てた。驚くことを言われてポカンと口を開ける。
育てた? 王子様が?
「アザレア、これが君の花だよ」
そう言って隅に一輪咲く白いアザレアを優しく撫でるように触れる。
私の名前にあやかって、白いアザレアは見る機会が多い。でも今まで見たどの花よりも美しかった。
この花は生きている、そう思えた。
少し怖いと思ったけれどそれは間違いだと分かる程に。
この花を育てられる人に悪い人はいない。むしろ心が綺麗で素敵な人だ。
「わ、分かります……! 素敵です、すごく素敵です!」
興奮気味に返すと嬉しそうに顔をほころばせる。
この国の第一王子ともあろう方があった事もない私なんかの為にお花を育ててくださった。その事実が嬉しい。
たくさんの愛情を込めて育ててくださったことも嬉しい。
この人なら大丈夫。自然と思えた。
「急に手を引いてごめんね。驚かせたくて……小さな庭だから君には見合わないかもしれないけど」
「そんな事ないです! お花が喜んでます、今まで見たどんな花より輝いて見えます!」
本心を語ると意外そうに私を見る王子殿下。
確か私は婚約者候補の中で一番最後に面会する相手だった。
これまでのご令嬢にはここまで言う方はいなかったのかしら。
「驚いた。本心から言ってくれるんだね」
心底以外だという表情の王子殿下に小首を傾げる。
すると私の疑問を見透かしたかのように答えてくれた。
「他のご令嬢は僕が王子だからっていう感情が少なからず見えたのに君は純粋に言ってくれているように見える」
少し嬉しそうな王子殿下に私もつられて笑みが浮かぶ。
私としてはそんなご令嬢がいることが不思議だけれど、喜んでもらえているなら光栄だ。
でもやっぱり王子殿下が勘違いしているだけ、疑り深いだけだと思う。
「演技だとしたらうまいね」
サラッと爆弾発言に驚いて顔を上げる。
「ちっ、違います! 王子殿下相手に演技なんて!」
そんな恐ろしいことできるか、と。
すると王子殿下は寂しそうに微笑まれた。
「どうかされましたか?」
「いや、いいんだ。僕が王子なのは変えようのない事実だからね」
王子様だからこそ寂しいのかもしれない。
考えたこともなかったけれど、王子であれば同い年、年上年下関係なく、どんな相手からもこういう丁寧な扱いをされるのではないか。
それが窮屈なのかもしれない。そう思った。
「レナートくん!」
「え?」
私の言葉に目が見開かれる王子殿下。
訳が分からない様子だからもう一度説明しようとする。
「だからレナートく……あ、いえ! そういうわけじゃなくて、あの、距離が近くなるかなというか、えっと……すみません!」
失礼に当たるかもしれない。
急に不安になって慌てる。勘違いかもしれない。それにいくらなんでも王子の名を呼ぶのは失礼だった。
せめて様でもつけたほうが良かった……。
深く後悔する。
「レナート」
「え?」
唐突に自分の名を宣言する王子殿下。
「だからレナートだってば」
「はい、知っています」
何を言いたいのかさっぱり分からない。
パチパチと瞬きをする。
「そうじゃなくて! 君じゃなくてレナートって呼んでって言ってるの!」
手で頬を隠され、表情が見えない。
でもそっか、いいんだ。
私は王子殿下、もといレナートににっこりと微笑みかけた。
「レナート! よろしくお願いします!」
「アザレア。ありがとう」
自然と握手を交わす。
「そういえば他のお花は?」
何気なく聞いてみる。
白いアザレアだけでなく、色とりどりの様々な種類の花がたくさん植わっているからだ。
どれも生き生きとしている。
お花に特別詳しいわけじゃないけれど知りたいと思った。
「他の候補の方をイメージした花だよ」
「全部っ!?」
こんなに婚約者候補ってたくさんいるの!?
正確に誰が婚約者候補にいるのかは教えてもらえなかった。邪魔をしたりできないようにする為、らしい。
婚約者候補全員の為に花を植えた。
私みたいに花に起こすのが簡単な名前もあるだろうけど、そうじゃなかったらイメージだけだしきっと大変だろう。
「ううん、違うよ。アザレアもアザレアがぴったりだと思ったからだよ」
「アザレアが?」
アザレアみたいな可憐なお花がイメージぴったりだなんて。
思わず頬が赤くなる。
「やっぱり。そういうところがぴったりなんだよ」
きょとん、と首を傾げるもにこやかに微笑むだけで何も言ってくれなかった。
「婚約者が決まったらこの庭をその人のイメージの花で埋め尽くすつもりなんだ。それで一生僕が育てる」
「わぁ……! 素敵です! とっても素敵です、絶対喜ばれます!」
この人と結婚できる人は幸せだろうな。
まだ結婚のことなんて全然想像できないけれど、私はたくさんいる候補の一人でしかないけれど、そう思った。
それでも。
もしいつか庭のお花が白いアザレアで埋め尽くされる。
そんな日が来たら、きっと私は世界一の幸せ者だ。
「……君も候補の一人なんだけどな」
小さく呟かれた言葉の意味を知ったのはこれから数年後のことだった。