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夜の街を往く

作者: 夜依

 本当に偶然だった。順風満帆だと思っていた学校生活にいつの間にか疲れて、僕は二日ほど体調を崩した。


 心配だ、お大事に、という趣旨のメールが一日目から山ほど届いていた。しかし、それらは『僕』という役割に向けられたものの気ががして、眠る前に携帯の電源を落として鍵のかかる机の引き出しに入れた。そして鍵は窓の外に思いっきり放り投げた。


 それからひたすら眠って、目が覚めても二度寝した。ふらりと昼間のコンビニに向かい、また眠って目が覚めたのは26時。初めて丸一日学校での『僕』をやめた。なんだかしがらみから解放されたようで、『僕』という役割を求められなかったことが、どうしようもなくすっきりして心地よかった。


 十何時間かの睡眠で飛びきった眠気。両親はぐっすりと眠っている。僕はこのすっきりとした心地よさを手放したくなくて、『僕』を知るこの部屋を出たかった。『僕』を知らない夜の街を無性に歩きたくなった。


 僕は『僕』の着ないようなパーカーを押し入れから引っ張り出し、『僕』になる前に使っていた音楽プレイヤーを手に取った。イヤホンから流れてくる一昔前の曲。


 部屋を、家を、あとにして目的もなく歩いていく。同じ場所を歩いているとは思えないほどに街は様子が違った。いつも子供の遊び声が聞こえる公園は、わずかな街灯の灯りとわずかに聞こえるすすり泣き。目を向けるとすすり泣きの主は、明るく挨拶をしてくれる近所のお姉さんだった。


 さらに街を歩いていく。ここは首都圏にあれど都会というわけではないので、眠らない街なんてことはない。大きく深呼吸すると冷え切った空気が肺に染み眼が冴える。『僕』を知る街なら少し排ガスが混じりな空気が肺を満たしただろう。


 冷えてきた体を温めるために暖かい珈琲をと思い、寝静まった街で異質な明かりを漏らしているコンビニに入る。すっぴんでぼさぼさの髪。どこかやつれた女性店員が、らっしゃいやせー、とやる気の無い声で迎えてくれた。店内を軽く一周見てからショーケースに入った暖かい珈琲を、いや、気分を変えてお茶を手に取った。レジでは先ほどの店員が対応してくれた。会話らしい会話もなかったが、何者であることも求められないというだけで僕は居心地の良さを感じた。


 あっしたー、というやる気のない返事に見送られコンビニを後にした。先ほど買ったばかりのお茶を飲みながら、コンビニでのことを思い出すと、昔読んだ同人小説とどこか重なるところがあってか、彼女を迎えに来るような王子さまは来るのだろうか? なんて柄にもないことが浮かんできて笑いが込み上げてきた。それから商店街を目指した。


 いつも人でにぎわっているここも今は僕がぽつんといるだけ。元気なおじさんの声や買い物をする主婦の声なんて聞こえてこない。シャッターも軒並み閉まっていた。この町で一番人が集まるところを占領した。僕のものにしてやった。そんな気分になった。


 しかし商店街のメイン通りから一本入るとポツンと明かりが見えた。どうやらここの主は僕ではないらしい。明かりの方へと近づくと、明かりを漏らしている主の正体がわかる。喫茶店の横にある地下へと続く階段から漏れているようだ。すっかりぬるくなってしまったお茶を一息で飲み干し、ゴミ箱に入れてから大きく深呼吸する。僕は大きく一歩を踏み出した。


 階段を降りて、喫茶店の地下に位置する場所へ繋がるであろう扉の前に来た。OPENと書かれたプレートがぶら下がっている。せっかくここまで来たのだ、と扉を開けた。不愛想なお兄さんが一人カウンター席でグラスを磨いていた。恐る恐るカウンター席に座るとお兄さんが、何を飲む? と声をかけてきた。見かけ通りどうしようもなく不愛想な声だった。


 メニューのソフトドリンク欄に目を通し、ジンジャーエールで、と告げる。返事はなかったが冷蔵庫の方に行ったあたり伝わったようだ。それからまもなく、ジンジャーエール、とだけ言われコースターに冷やされたグラスが置かれた。そこに少しのジンジャーエールが注がれる。


 何も聞かないんですね。少し飲んだところで僕はこんなことを聞いていた。


 この店で、いや夜での詮索は禁止だ。夜は自分の、或いは家族との、大切な人との時間だ。役割の出番はない。それだけ言うと彼はまたグラスを磨く作業に戻った。


 少ししかないジンジャーエールを10分ほどかけて飲んだ。お代をカウンターに置くと彼は軽く頭を下げた。僕も返すように頭を下げここも後にした。


 外に出ると先ほどより冷えていた。ふと目に入った商店街の時計の短針は3と4の間にいた。夜もあまり長くはないようだ。少し速足気味に街を見下ろせる高台を目指す。


 高台に上り街を見下ろす。僅かな街灯の灯りと存在感を示すコンビニの明かり。空を見上げると満天の星空が目に入った。言葉を失ってしまうほどに綺麗だった。もっと人がいない場所に行けばさらに綺麗に見えるのだろう。ただ、満天の星空なんて見たことのなかった僕は呼吸さえ忘れてしまう気がするほどに見蕩れていた。それになんだか、夜という時間だからこそ見られるというのは、『僕』ではない今の僕みたいだ、とそう思った。


 何分見惚れていたのだろうか、手が冷え切ってしまった。もうすぐ『僕』の時間がやってくるのだろう。川沿いを歩きながらそんなことを考える。


 少しだけ東側の空が明るくなり始めた気がする頃、ようやく家の近所に戻ってきた。そして『僕』に戻るための最後の儀式だ、拾えと言わんばかりに落ちている僕が放り投げた鍵を拾った……


 また、『僕』を知らない夜の街を歩きたい。そんなどうしようもないことを思いながら。

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