冒険者になれない女の子がダンジョンの地下で、『ダンジョンの支配者』に遭遇するお話
ずっと昔に、戦争があった。
もう何百年の前の話だというのに、今もその戦争の『爪痕』はずっと、現代にも残っている。
「ユズキ、また『ダンジョン』の方に行ったでしょ」
少女――ユズキに対して声をかけてきたのは、一人の女性であった。
女性の名はティアル・ステラート。黒縁の眼鏡をかけて、紺色のジャケットを羽織っている。
彼女はいわゆる『冒険者』と呼ばれる人であり、戦争によって生まれた『爪痕』と戦っている人間でもあった。
「い、行ってないですよ」
「本当に? あんたが森の方に行ったっていう話を聞いたけど」
ティアルの言葉を聞いて、ユズキの身体がギクリと震える。
特徴的に撥ねた前髪が少し揺れた。
ユズキ・キジナ――それが、少女の名前。
ユズキは冒険者ではなく、学者を目指す少女であった。戦うための魔力が少なく、けれど……知識への欲求が強い。
冒険者を目指すことができたのなら、どれほど自由に行動できただろう。
「やっぱり、森の方に行ったのね」
「ちょ、ちょっとだけです。知りたいことがあったので」
「あのねぇ、『好奇心は犬も食わない』って言葉を知ってる? あんたがしてること、本当に危ないことなんだからね? この前だって、あたしがいなかったら『魔物』に殺されたかもしれないんだよ?」
「! それは……そうですけど」
ティアルの言うことは、何も間違っていない。
魔物――この世界には、そう呼ばれる存在がいる。
数百年よりも、もっとずっと昔。数千年以上――いや、数万年以上前ならば、魔物はこの世界にはいなかったのかもしれない。
誰の身体の中にでもある『魔力』と呼ばれる力。
それが、やがて『魔法』というものを生み出し、人々の戦いである『戦争』を勃発させ――そして、世界に『魔障』と呼ばれる現象が溢れた。
大地や空気が死者の魔力によって汚染され、それが生者のことを冒す。
魔障に冒された者は、生物として次の段階に進むことになる。
それが魔物――凶悪で醜悪で、あらゆる生者への妄執の心を持つ存在。
この世界には魔物が溢れ、人々は限られた場所でしか生活できなくなってしまっている。
それが当たり前のことで、けれどユズキは――そんな世界を変えたくて、学者を目指した。
「ティアルさん、『好奇心』は犬が食べるわけではなく……好奇心が殺すのは、猫ですよ……?」
「うるさいわね。そういうことを言ってるんじゃないの!」
ユズキはティアルの言葉に反論ができないから、彼女の言葉の一つに反論をした。
そして、怒られる。
分かっている――自分のしていることは、間違っている、と。
ユズキには戦う力がない。
そんなユズキが、一人で勝手に森の中に入り、ダンジョンと呼ばれる場所に向かっている。
ダンジョンは元々、人が戦争のために作った『要塞』であった。戦いの中で、地下に要塞を作るというのは……基本戦術として組み込まれるようにいなったらしい。
それが、およそ千年前のこと。
地上では、火力の高い魔法の的になりやすいから、ということだ。
『地属性』の魔法に対する耐性が低いのではないか、とユズキは考えたが、当時の人間もそれくらいのことは考える。
地形を変動させるほどの魔法を使える者がいたのなら……とっくに戦争は終わっている。
だから、地下というのは実に都合の良い場所であった。
だが、今ではそんな要塞が、ダンジョンと化して人々を苦しめている。
ダンジョンは、今では魔物の巣窟と化してしまっているのだ。新たな魔物が生まれ、より凶悪な魔物さえも、ダンジョンからやってくる。
だから、冒険者達は魔物を倒し、その原因を解明するための『遺物』を回収してくる。
それを解析、鑑定するのが学者の仕事ではあるのだ。
けれど、ユズキはもっと、自分の目で色んな物が見たかった。学者の端くれでしかないユズキも、色んな遺物を見せてもらったことがある。
ユズキが見たいのは、それだけではない。
実際のダンジョンの壁や床に触れて……その原因となるものを突き詰めたい。
それが、ユズキの根底にあるものであった。
(また、怒られてしまいました……)
ティアルは、ユズキのことを気にかけてくれている。
注意を受けて逃げるように町に出たユズキは、先ほどのことを思い出していた。
町の中心部にある大きな家は、ユズキが住むには少し大きい。
元々は、父親と母親と――三人で暮らしていた家だった。
ティアルは、ユズキより少し年上の幼馴染の間柄にあり、幼い頃はユズキともよく遊んでくれた。
両親が冒険者で、ティアルにもその才能があったから、三人でよく稽古をしていたところを見る。
ユズキにはその才能がないから、見ていることしかできなかったけれど。
だから、学者という立場を目指した――わけではない。
ユズキが学者を目指したのは、両親を失ったその日からだった。
「ティアルさん、ごめんなさい。私のやりたいことだから、やめられないんです」
呟くように言って、私は森の中までやってきていた。
鬱蒼とした木々に覆われ、周囲はまだ昼の時間帯だというのに暗い。
鳥の鳴き声が耳に届くが、周囲から視線のようなものも感じられる……そこにいるだけで、危険だと感じられるのが分かった。
ユズキはゴクリと息を飲む。
ユズキには戦う能力がない――けれど、逃げるための道具はある。
魔物に見つかりにくくなる『香水』や、『気配殺しの札』を使い、ユズキは徹底して自らの存在を消した。
やってきたのは、地下への入り口――そして、中へと足を運ぶ。
薄暗い、ダンジョンの中へと。
相変わらず、中に入るだけで背筋の凍るような感覚を覚える。
壁に触れると、じんわりと湿った感触が伝わってきた。けれど、床に散らばる石ころは乾いている。
入口付近ならば、ユズキは定期的に訪れている。
けれど、手に入る情報はほとんどなかった。
それはそうだ――この辺りならば、冒険者が毎日のようにやってきているはず。
ユズキが見たいのは、もっとその奥地。冒険者も訪れたことのないような場所……けれど、死ぬために行動しているわけではない。
だから、ユズキは冒険者達が調べた場所をさらに深掘りしている。
もうすでにここは見ただろうからと、冒険者が訪れないような広めの一室。
そういうところに目を付けて、ユズキは独自の調査を行っていた。
「ここは、大丈夫かな」
地面に液体を垂らして、ユズキは状態を確認する。
《ハッカル草》と呼ばれる植物の根を擦り、水に混ぜると緑色の液体となる。
これは魔力に交わると、色が赤色に変化する。
強い魔力であればあるほど、色が濃く変化するのだ。
地面に振り撒ければ、赤色に強く発光することになる。
色が変化しないこの場所は、魔物が数日以上訪れていないことを示していた。
……とはいえ、油断はしない。
切れると特殊な発光をする糸を床に張り、入口に魔物が来たことを知らせるようにセットする。
幸い、部屋の中にも身を隠す場所はある。
ユズキはようやく、部屋の中の調査を始めた。
ダンジョンは、元々人が暮らせるようにしていた要塞……故に、生活痕が残っている。
何かの拍子で壁が崩れ、瓦礫が散乱しているところもあるが、古びた机などがそのまま残されている部屋もある。
この部屋は入口からそこまで離れておらず、何度かやってきたこともある。
壁に触れるようにしながら、ユズキは部屋の中を見渡す。
「……でも、新しい発見は中々ないんですよね」
ぽつりと、弱気な発言をした。
――このようなことを続けたところで、自らの身に危険を及ぼすだけ。
ユズキもそれはよく理解している……でも、その弱気な心を振り払うようにして、ユズキはまた調査を始めた。
壁や物に触れて、痕跡を確認する。
学者のすることは、特殊加工されたレンズを通して、過去の情報を得ることだ。
この部屋で何をしていたのか。どういう意図があってこの部屋が作られたのか――ユズキが見ているのは、そういう情報。
ここはいわゆる、兵士達の休息場であると考えられていた。
それも、入口近くにあるために、斥候かあるいは偵察部隊のもの。
偵察部隊であるのならば、何かしら敵の情報を持ち帰っていたはずである。
(緊急時は、どういう風に連絡していたんだろう……)
ユズキが最近気になっているのは、そこだった。
ダンジョンの構造は実に難解で、地下であるほどに重要な人物や、情報などが置かれていると言われている。
だが、そんな地下に潜ることができる冒険者はいない――故に、地下のことは何も分からない。
すぐに連絡するために、わざわざ要塞の深いところまで潜って連絡していたのだろうか。
それを、ユズキは知りたかった。
だが、何度確認しても、それは分からない。
(今日も、ダメかな。そろそろ帰ろ――)
ふぅ、と小さくため息を吐いて振り返った時、ユズキの視界に入ったのは、床に転がる『光った糸』であった。
ユズキはぞわり、と肌が逆立ち、すぐに身をひそめる。
全く気付かなかった――けれど、部屋の中に魔物がやってきている。
姿が見えないのは、大型ではなく小型だからなのだろう。
けれど、小型でもユズキが倒せるレベルのものではない。
……魔力がなければ、魔物を倒すことはできないのだから。
(どうしよう……!? いや、落ち着いて……っ。身を隠して、ゆっくり動けば――え)
床に触れた時、妙な感覚があった。
ユズキがいたのはボロボロの机の下であったが、何やら床が動くような感覚を感じた。
押し込めば動く――それは、初めての発見であった。
「こんなところに、スイッチが――」
「シャアアアアアッ!」
「!? ひっ――」
突然、耳に届いたのは魔物の声。
ユズキはその声に怯み、スイッチを押してしまった。
次の瞬間――突如、開いた床の底に、ユズキは呑み込まれていった。
「う、うぅ……?」
暗い場所で、ユズキは目を覚ます。
どうやら、気絶してしまっていたらしい。
ユズキはすぐに状況を理解して、絶望した。
「こ、ここって、ダンジョンの……底?」
全身が痛むのは、完全に落下してきたわけではないからだろう。
滑るようにして、地下まで降りて来た――どうやら、上から下まで続く道が、元々は要塞として構築されたこの建物の中にあったらしい。
その道を通って遥か地下までやってきた――まだ、誰もやってきたことのない場所に。
前人未踏というのは、このことを言うのだろう。
いや、元々は人が作ったものなのだから……言葉自体は違うのかもしれない。
ただ、ユズキが『死ぬ』ということは紛れもない事実であった。
「あっ……」
「コロロロロロロロォ……」
喉を鳴らすような音。
目の前にいたのは、数メートルはあろうかという獅子。
両目はなく、毛並みは紫色。だが、『見たことのない魔物』であると同時に、その魔物が並みの冒険者ですら到底太刀打ちできないレベルの存在だということが、ユズキには分かってしまった。
ダンジョンの地下深くでは、そういう存在が巣食っているのだ。
きっと、今を地上に生きている人々には、知りえなかった情報であろう。
そして、それを持ち帰ることができる人間もいないのだから――知られることは未来永劫ない。
(私、死――)
それを理解した上で、それでもユズキは抵抗しようとした。
どこに逃げればいいかも分からない。
逃げ切れるはずもないのに、ユズキは震える身体で立ち上がり、逃げようとした。
わずか数秒後には殺されているという当然の未来に帰結する――それが分かった上でも、ユズキは抗おうとした。
背中に感じるのは、ユズキを狙う魔物の気配。
無慈悲な一撃が振り下ろされようとして――けれど、中々その瞬間はやってこない。
次に深い闇の中に響いたのは、ユズキの悲痛な叫び声ではなく、
「グビュ」
低音の、魔物の死に際の声。
あまりに無様で、一瞬だけしか聞こえなかった。
「……え?」
ユズキはその声に驚いた。
あまりに突然の出来事であったために、ユズキは振り返ってしまった。
そこにいたのは、真っ二つになった魔物と――『一人の少女』。
「女、の子……?」
青白い髪と、純白の肌をした……一糸まとわぬ姿の少女が、魔物の返り血を浴びて――真っすぐユズキを見据えていた。
身体が発光しているのか、暗い部屋の中だというのに、彼女の存在は異様に目立つ。
彼女はゆっくりと、ユズキの下へとやってくる。
見ると、少女はお尻から何かをぶらさげていた。
否、ぶらさげているわけではない――お尻の部分から、猫のような尻尾が生えているのだ。
さらに、両耳からは猫のような耳が生えている。人のように見えるが、人ではない……それが、ユズキにも理解できる。
少女はユズキの下まで近寄ってくると、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
びくりと、ユズキは身体を震わせた。
目の前の少女が――獅子を殺したことは理解できている。
それならば、次に殺されるのは自分かもしれない……分かっていたのに、どうしてか、ユズキは逃げなかった。
……少女から、敵意を感じなかったからだ。
「あ、う?」
「……え?」
何かを尋ねるように、少女が口を開く。
その言葉が理解できずに、ユズキは聞き返した。
少女は首をかしげて、ペタペタとユズキの身体に触れる。
するりと、服の中にまで手を伸ばしてきた。
「ちょ、な、なに……!?」
訳も分からず、ユズキは怯えるように少女から距離を取る。
少女は少女で、ユズキの反応に驚いたような目を見開いた。
腰を抜かしたように倒れたユズキに対して、少女がやがて純粋な笑みを浮かべる。
「なに!」
「……え、なに、って……? えっと、言葉は通じて……?」
「え、こと、は!」
少女は楽しそうにしながら、ユズキの言葉を繰り返す。
訳も分からないままに、けれど――ユズキはその少女によって、獅子の魔物に救われて、一命を取り留めることになる。
ユズキの好奇心は、ダンジョンの遥か地下で一匹の『猫』を拾った。
それが、そのダンジョンの頂点に君臨する者であるとは、本人さえも知らないことである。
連載候補の一つです。
この後は猫娘ちゃんに言葉を教えたり、主人公に懐いた猫娘ちゃんと一緒にきゃっきゃうふふな生活を送る……ではなく、一緒に冒険に出たりするようなお話になると思います。
でも、がっつり百合にしたいので好奇心MAXな猫娘ちゃんはきっと親愛の証というものを理解してすぐにキスするようになってりします。主人公にだけ!
需要があったら時間ができたときに連載したいので、応援よろしくお願いいたします!!!!!!