撤退
サビは、ウルチの影から忍び出た。
ウルチは振り向かない。
いや、振り向けないのだ。
「影魔法影踏み。私に影を踏まれた者は、動けない」
「困ったわ。確かに動けないわ」
ウルチはすぐ強化魔法を発動させ、力ずくで一歩を踏み出した。振り返り、サビを見る。殴る。
しかしサビは影に引っ込み、少し離れた樹影から顔を出した。
「こっちだ」
「時間稼ぎには付き合わないわよ」
「付き合ってもらうさ」
指を鳴らすと、森の木々の樹影一つ一つからサビの分身が生まれた。その数は万を超える。
「なあに、これ?」
何万のサビが言う。
「影魔法影分身だ。何安心したまえ。分身はオリジナルの私の二分の一程度の力しか持たないから」
ウルチは森を埋め尽くすサビを相手に一人戦った。
殴って、殴って、殴って、一撃で何百ものサビを吹き飛ばす。
ついにサビがオリジナルの一人だけになったそのとき、空がきらめいた。
光速のビームが、ウルチの頬をかすめた。
頬の血を拭いながら、ウルチは空を見上げる。そこには、竜の翼と吸血鬼の翼、全部で四つの翼で飛ぶクリムがいた。
ウルチの目の前に降り立ったクリムは、手のひらから、電気を帯びたスライムを飛び散らせた。ウルチはよけようともせず、ただ拳をふるうことでそれらを吹き飛ばした。
「クリムさん、すごいわね。多彩」
ウルチが蹴りを繰り出したが、クリムは自身の体を幽体化させ、これを通り抜けさせた。つづいてサキュバスの相手を淫乱にする瞳でウルチの目を見つめる。ウルチは脳を強化して洗脳を解いたが、一瞬生じた隙に、クリムは頭を三つに増やし、ウルチの首筋にかみつき、血をすすりながら、竜の炎を吐き出した。
森が焼けていく。
クリムは水っぽいスライムを放出して、鎮火する。
煙の中でウルチは、自身の首筋を押さえていた。首から肩にかけて火傷になっている。
「おもしろいわ。いいわ。私もちょっと本気出すね」
ウルチは今までとはくらべものにならない強化魔法を発動させた。
次の瞬間にはクリムは殴られていた。それを認めると同時に体から電気を放出。ウルチがしびれている内に、クリムは城へと飛んで逃げようとした。
このままじゃ自分と融合している臣下まで殺される。
そう思ってのことだったが、逃がすウルチではなかった。
飛んで逃げるクリムに向かってジャンプし、蹴り落とした。即死の一撃だが、クリムはそのときだけ、ゾンビのミトパの力を借り、自身をすでに死んでいる状態にし、ダメージを受け流し、地面に落下してから再び生者に戻った。
だめだ。
勝てない。
「クリム、撤退するよ、いいね?」
サビがクリムの足をつかみ、影へと引きずり込んだ。
城へ戻ったクリムは融合魔法を解除した。臣下たちは傷だらけでその場に倒れた。
ナコに手当を頼み、クリムは辺りを見回した。
アンがいない。
「アンちゃんは?」
みんなが顔を背ける。
「勇者アンなら、ここを出て行ったよ」
キーケが答えた。
「私も止めたんだけど、ごめん、ウルチとの闘いのダメージがまだ残ってて、止めきれなかった」
ベルギーヨの角に包帯を巻きながら、ナコが言った。
「あの子、なんて言ったと思う。ここにいたら、みんなに迷惑がかかるし、城を壊されるかもしれないからって。あの子が自分以外の誰かの迷惑を考えたり、誰かの所有物の損壊を気にしたりするなんてね」
クリムは駆け出した。
アンのもとへ行かなくては。
「クリム、焦りすぎじゃないか?」
動けない。
サビがクリムの影を踏んでいた。
「私の魔法で移動した方がどう考えても早い」
「お願いします」




