ウマンジュの魔導書第九十九巻
ウルチはサビと相対していた。
「あなたは戦わないの?」
「ああ。私は戦わない」
サビは一息ついて、
「彼女が戦うんだ」
瞬間、ウルチの背後に、キーケと手をつないだクリムが現れた。
触れることさえできれば、この人を消し去ることができる。
でも、それでいいのか。
その一瞬のためらいが、クリムに手を伸ばすのを遅れさせ、ウルチの反撃をゆるした。
拳が迫る。
が、クリムとキーケはもうそこにはいなかった。ナコとサビがいる場所に瞬間移動していた。
「ねえ、クリム」
「何ですか、キーケ様」
「あれと戦うの?」
「そうです」
「無理だよ。諦めよう」
大天使がぼやく。
「キーケ様は先に魔王城の方へ行ってくれてかまいません。でも、テーブルの上のお菓子はまだ食べちゃダメですよ。乾杯のあとに、みんなで食べるんですから」
言われて、キーケは無表情のまま固まった。
「キーケ様?」
「前、君にはひどいことしたから、手伝うよ。多分、それでも、勝てないと思うけど」
そう言って、キーケは羽を広げ浮遊し、クリムの肩につかまった。
「やばい一撃が来たら瞬間移動するから、クリムは攻撃を躱すことは考えなくていいよ」
「ありがとうござい――」
気づいたら、ウルチが目の前にいた。蹴りがくる。反応が間に合わない。
瞬間移動で、ウルチの上空へと移動。
ウルチは魔王と大天使を見上げながら短く笑った。
「クリムちゃん、あなた、大天使ともお友達なの? すごいわ。あなたみたいな種族の垣根を超える人間こそ、世界が必要している人材よ。もしよかったら、私と一緒に旅をしない? あなたと私で世界中を平和にして回るの」
「ごめんなさい」
瞬間移動でウルチの視線を左右に振った直後、二人はウルチの懐に潜り込んだ。
クリムは手を伸ばす。
ウルチがアンの上位互換であるならば、絶対に消しておかないといけないものがある。
腰に下げた剣に触れた瞬間、ウルチの魔力が爆発した。
けれど、クリムは確かに無化魔法を発動させた。
剣はなくなった。
これで、少しは勝ち目が出てくる。
そう思ったのもつかの間、体が燃えるように熱い。
ウルチの体から漏れ出た魔力、その密度が高すぎて周囲の気温が上がっている。
でかいのが来る。
瞬間移動。ウルチの背後に。
けれど、関係なかった。ウルチは上下左右、ありとあらゆる方向を殴った。クリムとキーケは衝撃派を受け、嵐に打たれた後のように傷だらけとなった。
火山は裂け、マグマが湯水のごとくにあふれ出した。
「ナ、ナコさんを」
「い、いないみたい」
「本当に?」
「うん、いない」
瞬間移動で魔王城に戻ると、ナコがいた。その傍らにはサビが立っている。どうやら彼がナコを救出してくれたらしい。
「魔王様、これを」
回復薬「エルフの涙」が入った小瓶を差し出してくる臣下に、クリムは半目のまま、首を横に振る。
「まずナコさんを回復させて」
「正しいね」
とサビは臣下から小瓶を奪い取り、ナコに頭からかけた。
ナコの傷が癒え、魔力が回復していく。
「こんな貴重な薬、使わせてごめんね」
「いえ」
ナコにはそれを使うだけの価値がある。
回復したナコは、骨修復魔法でクリムとキーケの骨を元通りにしてくれた。
「これでもう分かったでしょ。あなたたちじゃ、ウルチには勝てないって。ていうか、誰も勝てないのよ」
敗北者たちをさとすようにアンが言う。
クリムも、力の差が分からないほど馬鹿ではない。
ウルチは強い。クリムが本気で消しに行っても、つまり、無化魔法でその存在を消し去る気で戦ったとしても、まず、彼女の体に触れることさえできないだろう。
「こうなったら、アンちゃん、逃げるしかないよ。サビさん、アンちゃんを連れて世界中を逃げ回ってください」
「クリム、君は時々とんでもないことを言うね。まあ最悪、そうするしかないだろう」
「ちょっと勝手に決めないでよ、なんで私がこんな陰気な奴と逃げ回らないといけないのよ」
「私だってごめんだ。しかし、もしも最後の秘策が通用しなかった場合は、そうするしかないだろう」
一同、サビを見る。
「秘策?」
「実は、ウルチに対抗し得る究極の魔法がある」
「流石サビ様」
「魔帝フレンズの名は伊達じゃない」
「サビ様が戦うんなら、勝ったも同然だ」
魔王の臣下が活気を取り戻したが、サビはかぶりを振る。
「私は戦わない。それに、究極の魔法を使うのは、私じゃない。クリム、君だ」
「わ、私ですか? じゃあ、究極の魔法って無化魔法? 無理無理無理です。無化魔法が使えたって勝ち目なんてありません。絶対負けます」
クリムは言い切った。
ほら、私が最初に言った通りじゃないか、というアンの視線を感じるが無視する。
「違う違う。クリム、私からのプレゼント、まさか捨てたりなんかしてないだろう?」
クリムはハっとした。
「ウマンジュの魔導書第九十九巻」
「そう。あれを使いたまえよ。あの魔法なら、勝ち目があるだろう」
サビは開け放たれている窓の方を振り返った。
「それと、早く準備するんだ」
一本の線を引くように、森の木々がなぎ倒されていく。
ウルチがこちらへ向かっているのだ。火山のマグマ程度では死なないと思っていたが、魔王城と火山とでは四十キロ以上離れているのに、もうすぐそばまで来ている。その身体能力に身がすくむ。
「せっかくの新築の魔王城だ。損壊を避けるためにも森で戦おう。というわけで私は一足先に行って足止めしておくよ」
サビが己の影へダイブした。
クリムは急いで魔王城最上階魔王の間まで行き、本棚の奥の奥にしまったウマンジュの魔導書を取り出し、大広間へと戻った。魔導書を開け、魔法発動の為の指示書をざっと読み、臣下に告げる。
「えーっと、この魔法は二人以上で発動させる魔法なの。私と一緒にこの魔法をやりたい人―?」
臣下の全員が手を挙げた。
「オイラが魔王様とやるんだい」
「いいえ、私よ」
「ワンワン」
「俺が行こう」
誰も譲らないから、クリムは提案する。
「じゃあ、じゃんけんで決めて。八名までだよ」
「じゃんけんぽん、あいこでしょ、あいこでしょ」
そうして決まったのが、ベルギーヨ、ルピス、ヌレカ、ソダー、シフォ、ミトパ、スフレ、ガンラクの八名だった。
「本に手をつけて」
みんなの手の平が本の見開きにのる。
「ク、クリムちゃん、その魔導書の魔法ってもしかして」
「はい」
多くは説明しなくともナコには伝わると思ってそれ以上は言わなかった。
「なら、私が加わった方が」
「ダメです。この魔法は、本当に心の底から信頼している仲間としか発動できないので」
「ひどいわ、クリムちゃん。私のこと、心の底から信頼してないって言うの」
「冗談です。ナコさんは、魔法センスがずば抜けているので、私たちの中に入ったらバランスが崩れてきっとうまくいかない。これは対等な二人か、一人の主役級魔法使いとそれを支える複数の魔法使い、この二つの型でやった方がうまくいきやすいんです」
「もういいわ。私、すねちゃうんだから」
「ナコさんとキーケ様はもしも私たちが負けたときのために待機していてください。そのときが来たら、サビさんとナコさんとキーケ様の三人で、アンちゃんを逃がしてあげてください」
それからクリムは、眉間にしわを寄せたまま突っ立っているアンへ目を向けた。
「アンちゃん」
「どうして分からないの? 何をしようが、あの人には勝てないのよ。この誰よりも不遜な私がそう言っているのよ。クリム、馬鹿なことはやめて――」
「行ってくるね」
クリムは臣下とともに呪文を唱えた。
「融合魔法、フュージョン」




