エゴイスト
「まだやるつもりかい?」
「あなたさえ倒せば、ここの黄金はすべて私の物よ」
「まったく、どこまで馬鹿なんだい。私を殴っても拳を痛めるだけだってことがわからないのかい?」
クリムはアンの肩を指でつついてみた。
「アンちゃん、今日のところはもう帰ろうよ」
「ダメよ、クリム。何としても黄金を手に入れて、大富豪になるのよ」
勇者として真面目に働くだけで、五年もしない内に大富豪になれるはずだが。そんなつっこみを飲み込んで、クリムは言わなければならなかった。
「このまま戦ったら、アンちゃん、負けるよ」
長いため息のあと、アンは薄暗い洞窟の天井を仰いだ。
「仕方ないわね」
説得が成功したのだと思い、クリムはアンの手を引こうとした。が、その手は払われた。
「これは。あんまり使いたくなかったけど、仕方ないわ」
そう言ってアンは、腰に下げている勇者の証、聖剣に手を伸ばした。輝く刀身を柄から抜き、下段に構える。
「斬るっ」
「待ってっ」
クリムの声よりも速く、アンは飛び出し、剣を振り切っていた。
避けるつもりがなかったのか、避けられなかったのか、ブーハは身じろぎ一つしなかった。
剣と金属のこすれる音が、あとから、高く洞窟の中に響いた。
聖剣は折れなかった。その切っ先を滴り落ちるのは、赤土色の血であった。魔王ブーハはよろめき、だが、ふんばり、自身の左肩を押さえている。
クリムは近寄って傷の深さを確認した。浅い。腕と肩がつながっているなら、回復するはずだ。
「ブーハさん、回復魔法を使える臣下は?」
「いるにはいるけど、そんなもの必要ないよ」
「ダメですよ。ばい菌が入ったらどうするんですか」
「まったく、うるさいね。この状況で回復魔法を使える臣下をここに呼び寄せたらどうなるかぐらい、分からないのかい」
「あ」
アンに狙われるに決まってる。
「あんたは平和主義者だから、実戦経験があまりにも乏しいのさ。気を着けな、クリム。そのお花畑な頭は、あんたの臣下をいつか殺すかもしれないよ」
ブーハの言葉は驚くほどすんなりとクリムの胸の底に落ちてきた。甘かった。ただただ甘かったのだ、自分は。
「まあ、そんな甘ちゃんなあんただからこそできることが、あるのかもしれないけどねって、今はそんなこと話してる場合じゃないんだよっ」
ブーハの一喝に、クリムは目を一瞬だけ目をつむった。
「ごめんなさい。というか、アンちゃんは?」
見ると、アンはブーハの肩の傷を凝視したまま、口をあんぐりと開け、あごを震わせている。
「嘘、でしょ。腕を切り落としたはずよ」
「物騒なことを口にするんじゃないよ。どこに腕が落ちてんだい?」
ブーハは大きな口を歪めて笑っているが、額には脂汗がにじんでいる。
「だって聖剣よ。この剣と私の腕力で斬れなかったものなんて」
「心配しなくてもちゃんと斬れてるよ、薄皮の二、三枚はね」
ブーハとアンはにらみ合った。その視線上に割って入ったのは、クリムだった。
「アンちゃん、もうやめよう」
「は? なんで?」
「これ以上やったら、ブーハさんが死んじゃう」
アンが短く笑った。
「結局、魔王のお仲間が大事ってわけ?」
「そうじゃないよ。そうじゃなくて、私は、どっちにもケガとかしてほしくないだけで」
「クリム。あなたのその、ケガしてほしくないって感情と、私の黄金が欲しいって感情、本質は同じなのよ。分かってる?」
「わ、分かってない」
「そう。ならバカなあなたに教えてあげる。あなたはね、自分の理想を私やそこのブーハとかいう魔王に押しつけてるのよ。自分以外の人に、自分の願望を押しつけるあなたこそ、エゴイストだわ」
「わ、私は」
エゴイスト、なのかもしれない。
アンの論理にひざを屈してしまったクリムへ、語りかける声があった。
「イイエ、魔王クリムは、エゴイストではありません」
アンの声でもブーハの声でも、もちろん、クリムの声でもなかった。その、機械がしゃべったような硬質かつ高音な声は、聖剣の刀身から聞こえてきたのだった。
アンが舌打ちする。
「やっぱり出て来たわね。だから嫌なのよ、これ、使うの」
「勇者アン、また私を、他者を助けるためではなく、己の欲望を満たすために使いましたね」
「はいはい。使ったわよ、だから何?」
「聖剣を使ってよいのは、聖なる心を持つ者のみです。悪しき心の持ち主が聖剣を使ったならば、警告を与えるとともに、経過を観察し、改善が見られない場合、罰を下すことになっています。すべての聖剣がそうプログラムされているのです。勇者アン、あなたが私を使ったのは、今回で三度目です。三度の使用、そのすべてにおいて、あなたは自分の利益のために剣をふるいました。よって、更生の可能性はなしと判断し、あなたを死刑に処します」
聖剣が回転し、アンの手を離れた。浮遊し、その切っ先を、あろうことか、所有者であるアンへ向けた。
「これより死刑を執行します」
「やれるもんならやってみなさ――」
言い終わらないうちに剣は、アンの目玉を狙って、矢のように飛んだ。かわすアン、が、頬を切られた。
聖剣は洞窟という空間を縦横無尽に飛び回った。ブーハの硬化魔法でも防げない聖剣である。アンはかわすしかない。
聖剣の速度は、目で追い切るのもやっとで、アンの体に傷が増えていく。まだ致命傷はもらっていないが、時間の問題だ。
「アンちゃん、うしろっ」
「分かってるっ」
紙一重で避けたが、聖剣は瞬時にUターンした。
まずい。
あの軌道、胸を貫かれる。
「ダメっ」
勇者だとか魔王だとか、そういった一切を忘れて、クリムは叫んだ。
クリムはアンと剣の間に踏み出した。そしてすぐ後ろから押された。
ガキョン。
金属と金属がぶつかったときに起こる鈍い音が響いた。




