魔王ブルチズ
地上に降り立った二人は、拍手で迎えられた。
村人たちは笑顔だったが、村長は浮かない顔をしている。
「すみません。まだ報酬金額の方の話し合いが難航してまして」
「十億リンプ」
アンは真顔で答えた。
「そうですよね、それぐらいのことをあなた方はしてくださった。何とか説得します」
クリムはこんなとき思うのだ。この村長のように生かすべき人間もなかにはいるのではないかと。
村の人たちにとっては久しぶりの晴天だ。
子供たちが日差しの中を駆けまわる。水たまりの水がはねる。笑い声がする。その中心にクリムとアンはいた。
しかしそんな平穏はまたたくまに終わりを迎えた。
ピタッと町役場の屋根に張り付いたのは、紫の糸だった。それは糸というにはあまりにも太すぎたが、柔らかさや粘着性の観点から言うと、紛れもなく糸だった。
糸がどこから伸びているかと言うと、誰も分からなかった。それもそのはず糸は村の外、はるか遠く、第七十七魔法城から伸びているのだった。
その糸を吐き出した人物は、どんよりとした緑の目でじゅうたんの汚れを見てから、その糸を手繰り寄せるようにして、魔王城を発った。
超巨大な魔力反応の急接近。そのことにクリム、ついでアンが気づく。
「みなさん、逃げてっ」
とクリムが言い放った瞬間には、巨大な蜘蛛が村の役場の屋根を、その足でがんじがらめに、粉砕した。クリムは建物の壁を蹴って高く飛び、大きい瓦礫に触り、無化魔法を発動。瓦礫を消し去り、下にいる人々を守ろうとした。しかし、瓦礫の数が多く、一人ではとてもカバーできず、いくつかの瓦礫は人々を下敷きにした。クリムは走り回って、瓦礫を消して行く。
人々はパニックになり、巨大な蜘蛛から逃げようと走ったが、蜘蛛は口から千本もの糸を同時に吐き出し、人々を次々と壁や柱に縛り付けていく。
クリムはその糸を消して回る。アンは何もしないで、あくびをしている。
「ん? ちょこまかと動いている目障りな人間がいると思えば、汝は我が同志、クリムではないか?」
蜘蛛が重低音の声を響かせた。
「えっと、人違いでは? ブルチズさん」
「やはりそうではないか。我の名を呼んだのがその証拠なり」
わー、私のバカバカとクリムは自分の頭を殴りたいほどだった。
「何? あなた、この気持ち悪い蜘蛛と知り合いなの?」
アンが髪についた糸を振り払いながら言った。
「えっと、知り合いって言うか、仲間って言うか」
「ふーん、何の? 黒色大好き同好会とかあるわけ?」
「そんな同好会ないよ。確かに私もよく黒の服着るし、ブルチズさんも体色は黒だけど」
「無知な貴様に教授してやろう、勇者アン」
会話に割って入って来たブルチズを、アンはにらんだ。
「あなたに聞いてないわ、キモ蜘蛛。っていうか、あなた、突然やって来て何なの? 誰も呼んでないんだけど」
そう言うと、ブルチズは一度口をつぐみ、再び開けた。
「確かに、招待されてもいないのに、突然訪問してしまったのは、ぶしつけであった。これは我に非がある。謝罪しよう」
「物分かりいいじゃない。じゃあ、早く帰って」
「しかし一方で」
ブルチズが声を強めた。
「我には人に迷惑がかかっても成し遂げねばならぬ使命があるのだ。天命と言ってもいいだろう。それは」
ブルチズが役場からジャンプし、アンとクリムの目の前に着地した。
「人間を滅ぼすことだ。一人残らず」
「あっそ」
「あっそ、だと?」
「なに? うわー、びっくりしたーってリアクション取らないといけないわけ? もういいわ。あなたが帰らないなら、私たちが帰るから。さあ、行きましょ、クリム」
クリムは手を握られた。また引っ張られる。このまま何も言わずに帰れたらいいのに、そんなことを夢想しながら、クリムは、その手を振り払った。
ふりむいたアンの顔は、眉が吊り上がり、目が鋭さを増していた。髪の毛の先まで魔力が研ぎ澄まされている。
「なに私の手はらってるのよ」
「ごめん」
「ごめんじゃないでしょ」
「ごめん」
「もういいわ。知らない。私、一人で帰るから」
「私、魔王なんだ」
言ってしまった。けれど、これでよかったのだ。言わなければブルチズに言われていた。自分の口から言えてよかった。この後にどんな悲劇が待ち受けていようとも。
アンは固まったまま、動かない。唇だけが震えている。
「驚いているようだな、勇者アン。しかしこれは真実以外の何物でもない。我とクリムは同じ魔王であり、同志なのだ。我らが協力すれば、人類滅亡の日も早まると言うもの」
「うるっさい。蜘蛛は蜘蛛らしく黙ってなさい」
「た、確かに少し声が大きかったかもしれぬ。すまぬ」
ブルチズは固く口をつぐみ、二人を見守る体勢を整えた。
「意味わからないんだけど」
「騙しててごめん。でも、私、こんなだけど、正真正銘、魔王なんだ」
アンの目の奥に燃えるような光が見えた。
「そんなこと、関係ないでしょっ」
アンの頭突きがクリムの額に炸裂した。クリムは「いったー」と額を押さえ、さする。アンも自分の額をさすりながら言う。
「まず謝るべきは、私の手をふり払ってごめんなさいでしょ。魔王だとかなんだとか、そんなどうでもいいことをいちいち重要そうに伝えてんじゃないわよ。ほんと、信じられない」
「お、驚かないの?」
「驚いてるわよ。普通、手を振り払う? 拒絶するにしてももうちょっと優しくできないわけ?」
「いや、そうじゃなくて」
「いや、そうじゃなくてじゃなくて、私、まだ謝ってもらってないんだけどっ」
アンはキレていた。
クリムはもう謝るしかないと思った。
「ごめんなさい。もう手を振り払ったりしません」
アンの目は和らがない。
「ごめん」
ともう一度、クリムは心から言った。
アンが視線を斜め下にやって口を開く。
「次やったら許さないから」
「うん」
「じゃあ、帰るわよ。ほら」
アンが差しだしてきた手を、クリムはしかと握った。二人とも、手がとりわけ温かかった。
まるで無敵になったような気分で歩きだした二人だったが、数歩歩いたところで、後ろから引っ張られた。振り返ると、ブルチズの口から伸びた糸が二人の背についていた。
「まだいたの?」
「同志クリムよ。低能な我に教えてくれ。何故、魔王である汝が勇者と仲睦まじくしているのだ?」
「それは」
出会って、話して、一緒にお菓子を食べたりしちゃったからだと思う。
つまりは。
「友達だから」
「待って」
「え?」
クリムの友達宣言に待ったをかけたのは、あろうことか、アンだった。
「勝手に友達だなんて言わないで」
「アンちゃんは私のこと友達だと思ってないの?」
「そんなの、分からないわ」
アンはなぜかクリムを責めるような口調でつづける。
「大体、よく恥ずかしげもなくそんなこと言えるわね。恥を知りなさい」
クリムとしては恥ずかしいことを言ったつもりはなかったので、頬をふくらませる。
「じゃあ、私たち、友達じゃなかったら、なんなの?」
「そんなの、私に訊かないでよ」
「友達じゃないって言いだしたのは、アンちゃんでしょ。答えてよ」
「我が答えよう。汝らは、魔王と勇者である」
「ちょっと黙ってて」とクリムとアンは同時に言った。
「ウム」
二人の口論は十分ぐらいつづいた。その間も、村人たちはブルチズの糸によって縛られたままだった。




