火上忍・『不可逆の旅人、悪逆 果実』
「それはよかった」
火上忍の決意表明を聞き届けた不明里は、安心したように安らかに微笑んだ。
と、その時である。
不明里の携帯が、図ったように一本の電話を着信した。
「む……果実ね。」
果実。
先程も出たばかりの名前だ──«美食家»こと悪逆 果実。
火上たちと同じ異能力を蒐集しているという、辣腕の武器屋兼情報屋。
「はい、もしもし……うん。そうよ。今いるわ。」
「火上くん。果実が、あなたと直接話したいって。」
そう言って、薄い彼女はスマートフォンを火上の目の前に差し出す。
しかし彼は困惑した──というのも、異能力に関係のある人物であるからこそ、今後のために不用意に接触を持ちたくなかったのだ。
何が火種になるか分からない。ましてやその火種は、日に日に勢いを増し、やがて己を呑む火炎となる。
それを反射的に危惧してしまい、一度は断ろうとしたその時。
「«蝋燭»っつったかよ……お前。合ってるよな?え?」
耳から離れた電話越しからもやけに瞭然と聞こえる声で、ぶっきらぼうな男性の声が響いた。
威圧を放つ、しかし人を深く惹く声である。
「俺は悪逆 果実っつーんだが──まあいい。好きに呼べ。だが人の名前を安易に呼ぶのは嫌いでさあ。悪いけど«蝋燭»って呼ばせてもらうぜ。その名で呼ばれるのは嫌いかい?しかしてめーの意向なんてものは無視だ。残念だったな。」
その自身を見透かしたような喋り方に、ますます怖気が立った。
火上忍はこの時、単純に彼を恐怖していた。
それ故に。
それ故に『魅入られて』、通話を拒絶できないのだ。
「俺と関わりを持つべきじゃあねーって思ってんだろ?────いや、正しいよ。まったくそれは正しい判断だ。俺と下手に関わった人間ってのは大体凄惨なカンジに死んでっからな。」
そこで漸く火上忍は携帯電話を受け取った。
意を決して──というのは大袈裟かもしれないが、少なくともその時の彼の行動には、それなりの度胸を要した。
「……不吉な人間ですね。そんなあなたが、わざわざ僕に何の用ですか。僕を殺しに?」
「不毛な人間なのさ。けっ。死にたがりが何言ってんだって話だよ──下手に付き合って死ぬのなら、上手く付き合って生きればいいだろーが。」
「それに俺は情報屋でもあるんだぜ──«沈黙室»も最藤 涼も、知らねえわけねえだろう。«偽物»の頼みだ、しょうがねえ。協力してやるんだよ。」
「……疑ってもいいですか」
「何の許可を求めてんだよ。断ったら疑わねえのか?」
「いえ、否応なく疑いますけど。しかし悪逆さん、あなたにメリットはあるんですか?元々は僕の友人を助けるために過ぎません。そんなことに、証子さんやあなたを巻き込んで、一体何になるんです?」
挑発的な口調ではあれど、少なからずそれは大きな疑問の一つであった。
元を糺せば、それは火上の友人である漆峰の救出に帰結する。
それに足を突っ込んで──そして首を突っ込んで。
この人たちに何か利益があるのだろうか。
火上忍はそれが気がかりだった。
いつだって人を動かすのは利益。
年齢には甚だ不相応だが、しかしそういうふうに世を厭うことだって幾度となくあるのだ。
「あーあ。損得勘定でしかものを見れねえ野郎は虚しいね。俺の善意と誠意が疑われてんじゃあねーかよ。」
「いいか?今は説明しねーけど、俺たちはある«組織»に属している。その性質上、身の周りに『不可解』であり『未解決』である事柄が存在しちゃあならねえのよ。今回の事件だって、俺らは既に捜査を始めていたんだ。」
「«組織»ですか。なんだかやけに非日常感の漂う単語ですね……僕には到底似つかわしくない。」
「馬鹿。友人の命が危ねー時点で既に充分非日常だろうが。そんな中で熟睡してられるてめえがおかしいんだよ──まあいい。そういう『異常性』こそ、俺たちの求めるものだ。事の顛末次第では、お前もいよいよ無関係ではいられねえからな。」
叱咤なのか警告なのかよく分からない話ではあったが、しかし世に存在する『未知』を取り揃える情報屋らしいその男の声は、無意識下に遠ざけていて、無自覚下に迂回していた──そんな現実を火上忍に直視させるには事足りた。
その言葉は警鐘だ。
「そうですか」
「ああ。……んだよ、黙りこくっちまって。もう時間ねえから切るけど、最後に一つくらいなら質問に答えてやれるぜ。」
その言葉を聞いて、火上忍は考える──否、考える間もなく、口をついて実際に訊いていた。
「……果たして一体、あなたを信じてもいいですか?」
「おうよ」
少年は安堵した。
疑うことはともかく、信じることに関しては許可が下りたらしい。
・
あれから数時間が経過した。
今現在の時刻は午後8時──少なくとも高校生ならそろそろ帰宅をしたい時間である。
尤も火上忍の両親は既に«自殺願望»によって凄惨な死を迎えているため、彼が自宅に帰ろうが帰るまいが何の影響も及ぼすことはないのだが。
「来ませんね」
「来ないわね」
あれから悪逆 果実とは話を合わせ、最寄りの駅前で待ち合わせをすることに決めた。
漆峰が人質という役割を果たしているわけではないので、猶予も余裕もない────刻一刻と時間は過ぎ行くのだから、できることなら早く解決したい。
「そもそも«怨霊»なんて祓えるんですか?」
火上忍は根本的な質問をした。
「そういう事例がないでもないけれど……でもあれは«怨霊»というより«怨念»かもね。祓えると思う、多分。」
「だからといって、君の«蝋燭»や私の«詐欺師»が通用するかは分からないわ。本来なら果実だって専門ではないもの。さっき言った«組織»ってのは、いろんな分野の怪奇を解き明かすために専門の異能使いたちを集めているからね。」
それを聞いて、より自分が関わる必要などないのではないかと首を傾げたくなった火上だが、しかしそれ以前に彼の中ではっきりとさせておきたい部分があった。
「証子さん。その«組織»って一体何なんです?何を目的にしているんですか?」
「ああ……そういえば果実は億劫がって説明をしたがらなかったわね。」
駅前のシンボルである小さな像の周りを囲むようにくるりと回って、不明里は説明を始めた。
「私たちの«組織»は、正式な名前はないわ。ある人は組織と呼び、ある人は集合と呼び、ある人は仲間と呼び、ある人は友達と呼ぶ。名前にさほどの意味を見出していないからね。」
「«自殺願望»を乗り越えた異能力者たちが集まって、いろんなあれこれを探究するの。死んだらどこへ行くのかとか、神様はいるのかとか、世界の仕組みとか。」
案外真面目な面持ちで放たれた言葉に火上は愕然とした──というより、漠然としすぎていてよく分からなかった。
「はあ……死ぬほど荒唐無稽ですね。何か解けたものはあるんです?」
「殺すほど荒唐無稽よ。ないわ。実績は未だゼロ────しかし今現在の大きな課題は、今までのそれとは遥かに異なる。価値があり、意味がある。」
「«自殺願望»の謎を解き明かすのよ。あの地獄の仕掛け人を炙り出し、そして始末する。」
冷酷な眼差しを火上に向けた不明里は、瞭然とした口調で言った。
それは十年以上もの多大なる時と、莫大な労力と、砂塵のように積もり飛散した数多の命。
そしてその間に募り募った死にたがり共の不安や苦悩、怒りや屈辱。心に抉れた傷痕。
それらを全てもってして成し遂げるべき、最初で最後の復讐だ。
「ちょ……ちょっと待って。え?犯人?いるんですか…………そんなものが。」
当然火上はそんなわけないと思っていた。そして今も思っている。
人為的に関東全域に及ぶ大災害を起こせるわけが────ないだろう、と。
「いるよ。」
そこで嗄れた鋭い声が響いた。
「いるんだぜ、それが────«自殺願望»をその『意志』に従うまま引き起こした、諸悪の根源、ことの元凶。」
待ち合わせ時間より三十分遅れでやってきた悪逆 果実、彼は苦渋を噛み締めるような顔をして、不承不承と言わんばかりに語る。
「つまり、«地獄»だ」