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灯火  作者: ねろ
1/8

Prologue

その大災害が起こった時刻は、何よりも厳密に情報として記録されていた。

二〇〇八年十月二十八日、午後二時三分四十六秒──突如訪れたある自然災害によって、かつて生存していた人々の殆どは死に絶えたのだ。

原因不明。

詳細不明。

何も解らぬまま、多くの命が消え去った。

ただ残ったのは、この出来事を指す«自殺願望»という名前だけ。



誇張ではないこの世の終着。

脚色すらないこの世の終末。

比喩でさえあるが、しかしそれでも随分と控えめな形容であり、抑圧された物言いであることは暗黙の了解──言わば、皆の心の内に強いられた強引な統一見解である。


ちなみにこの時刻が日本時間であることは、わざわざ特筆するようなことでもない──何故ならこれは、日本の関東地方にのみ起こった奇妙で神妙な破壊現象だからだ。


東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、群馬県、茨城県、栃木県──一都六県の範囲内に限り、人間だけが突然の不審死を遂げた。

前置きもなく。

前振りもなく。

前触れもなく。

しかしながらその他の動植物や無生物は、一切の変化もなくその実態を維持し続けたそうだ。

まるでこの悲惨な現実を、我感せずと無視するような無変容ぶりで、文字通り何事も無かったかのように。


しかしそんな話をしてしまえば、世の中には交通事故や殺人事件で亡くなった人の方が多いし、恐るべき伝染病で命を落とした人はもっと多い。

そういった不幸が自分に訪れる確率──つまり可能性を深く考慮してみたところで、その数字が『奇妙な大災害で突然死する確率』より高いのは明らかだ。


悲惨な現実と言いはしたが、何よりも現実味のない事態なのかもしれない──いや、実際にそうなのだ。


だから地球の裏で、自分の住む国で、住む県で、あるいは自分の隣で。

自分と無関係な人が──たとえ自分と何らかの関係性を有する人だとしても。

他人がどれだけ死のうと、無関心を決め込むことは案外正しいのかもしれない。

自分の話ではないのだから。

気に負うことはない。

気に病むことはない。

気にすることはない。


耳を塞いでいれば、それだけでなかったことに出来る。







「────そんなことを思っている人がほとんどじゃないですか。」


「テレビの前で被災後の現状を報じているニュースを見て、アナウンサーの悲痛をたたえた声を聞いて、可哀想にとありもしない良心を傷めて……それで、その先に何が残るんです?」

『ありもしない良心』を大層欠いた、ひねくれた意見だということは何よりも彼自身が自覚していた。今更ながら言葉を選ぶつもりなどなかった。

彼と言うのはつまり、この荒唐無稽な物語の主人公──十六歳の少年・火上(ヒガミ) (シノブ)のことである。


「まあそんなことを言いなさるなよ、火上くん。良心を傷めていた方が、人は安心できるものさ。つまるところ、人は困難や危機、不安に直面した時に最優先で求めるのは安心感なんだよ。それに比べれば、金や権力や愛情なんか、地を這う死にかけの蟻にすら満たない。」

人に優しい自分が好きなだけ。

寝癖の目立つ茶髪を櫛で梳きながら、眼前の彼はそんなことを言った。

火上に負けず劣らずのひねくれた意見を平然と口にしつつ、白衣を纏った中年の痩躯──城崎(シロサキ) 権二郎(ケンジロウ)は意地悪く笑う。

彼は闇医者だ。

新潟県の名も知れぬ何処かに佇む診療所にて、城崎は密かに暮らしている。


「……まあ何でもいいんですけど。あれから十年以上経った今では、随分復興も進んだらしいですからね。復興というか、復元というか。」

復元というのは嘘だ。

被害を被ったのは事実だけれど、ただ建物の倒壊や自然地形の崩落などは一切確認されていない──ゆえに『復興』という言い表しが意にそぐわないのは確かである。

しかしだからといって、失われた数多くの命が『復元』なんて形で元に戻るかと言えば、大違いだ。

大間違いで、思い違いで、勘違い。

失ったものの喪失が、気づけば新しいもので補完されていたにすぎない。

入れ替わり。

というより、すり代わりだ。


「うん。唯一の生き残りである『君たち』でさえ、各自他方へ散ってしまったじゃあないか。君はどうして新潟にきたんだい?」


「……さあ。忘れました。あの時の僕は幼かったですからね──意向も意志もあったもんじゃない。多分、親戚繋がりってやつじゃないですか?」


「はあん。親戚繋がり、ねえ────人の縁というのはまったく奇妙なものだ。どこでどう役に立つかわからない。」

恐らくは心にもないであろうことを嘯いて、城崎は着地点の見えない雑談を強引に畳んだ。

診察室中を沈黙とどこか気まずい空気が(せわ)しく蠢く。


「それで。僕の身体の方はどうです?」


「別に。今日も今日とて異常無しさ──異常無しというか非常無し、かな。君はもう普通には戻れないのだから、無いのは異常より通常だもんな。」

城崎は窓の縁に溜まった埃を指で掬い取り、軽く一息で飛散させた。続けて黒縁の眼鏡を外し、茶色のソファーに乱雑に身を投げた。


「しかし、君も奇特だよね──«能力»をここまで容易に受け入れられるなんてさ。これで散々辛い思いをしただろうに……そのメンタルの強さには脱帽するよ」

能力。

それを聞いて、火上は不快そうに眉を(ひそ)めた。

十年前──«自殺願望»の生き残りである数十人の人間の身体に、ある種明確な『異常』が現れた。

その内容は様々だが、例えば彼、火上少年の手足は時として『高温熱源』と化すことがある。


まるで異能力。

まるで超能力。


その特異と引き換えに、今までの平穏と、かつての日常と、そして居場所を失い迫害されたはずの高校生の少年がこうして生きていられるのは、城崎のような一部の協力者の存在あってこそのものだった。

尤も、彼らの大半には善意など毛頭ない──その異常性に対する好奇心が主な理由であることくらい、少年にも想像に難くない。


「……受け入れることしか出来なかっただけですよ。それに生きてりゃ、そのうちこの力の使い道も見つかるでしょう。多分。」

気だるげに呟き、彼は古びたパイプ椅子から立ち上がった。

錆びた椅子が悲鳴のように軋む。


「それでは。今日もありがとうございました。」


「うん。次の検診は来月だから、忘れずにね。」

深々とお辞儀をする火上とは対照的に、城崎はなんとも適当なふうにひらひらと手を振った。


「そんじゃあ、なんかあったら教えてくれ──────«蝋燭(キャンドル)»。」

城崎はソファーに凭れたままで部屋のカーテンを開け、白い日光を浴びながら嫌味のように言う。


「その名では呼ばないでください──────大丈夫、何もありませんよ。僕には。」

自虐的なその声と共に、木扉が静かに閉められる。

やがて部屋には静寂が訪れた。

つもりだった。


「────火上 忍だってさ。次の«標的(ターゲット)»にいいんじゃないの?«詐欺師(フィッシング)»。」


「かもね」

冷酷そうな雰囲気の女性が、城崎の影から現れる。

人を騙し、欺き、謀る。そんな知略と謀略の魔女────«偽物»そして«詐欺師»を標榜する彼女は、その名を不明里(フメイザト) 証子(ショウコ)と言った。

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