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前篇



あれはほんの偶然だった。


戦による混迷の日々はすでに過去となってひさしく、いまはこうして平和の世が保たれている。

だが、いつの世も、平和の影のどこかに争いの種はあるものだ。注意しなければ気づかないくらいの不穏な動きが、某国にあるらしいという内密の情報は、まだごく数人しか知らない極秘事項だった。


その日私は、見回りのため、奥宮殿の暗い廊下を歩いていた。

宮殿には東西に塔がある。

戦時には王族や女子供が詰めたりなどしたものだが、今ではほとんど使われることもなく、常に固い鎧戸が閉められていて、真っ暗で湿気っぽい。そのカビくさい塔に足を運んだのは、王命による偵察と、警戒からだった。

 城の内部に敵と通じているものがいるのではないか――。そんな情報がいずこからあり、密かに調査せよという命を受けたのがひと月前。それから毎夜、こうして見回りを続けている。


ほこりだらけの廊下を見れば、もう長いこと宿直の部下たちも、巡回をしていなかったことがわかる。たしかに、こんなカビと埃しかないような場所には、盗人さえも忍び込みはしないだろうと、普通ならそう思いがちだ。が、本当ならそんな場所であるからこそ注意すべきであろう。

もっとも、極秘の情報を知っているものは限られていて、平素よりも緊張を増していたのは隊の中では自分くらいのものだから、すっかり平和慣れしている現状では、まあ致し方ないといえないこともないのだが。

 

閉ざされた無人の空間に、自分の持つ燭台の灯りだけがぽうとうかんでいる。ときおり外から吹き付ける風が、寒そうな音をたてて鎧戸の隙間から入り込み、ろうそくの小さな炎を揺らす。風に吹き消されそうになるそれを手で覆い、火がふたたび落ち着くのを待って、また歩き出そうと目を上げたとき、おや、と思った。

 奥のほうからかすかな明かりが見えた気がしたのだ。

 

こんな時間に無人の古塔に何者かがいるということは、ここでなにかが行われている可能性がある。

不穏分子が誰かと接触しているとすれば、ひょっとすると共謀の現場をおさえることができるかもしれない。

そう思った私は、素早くろうそくの火をふき消し、慎重に足音を忍ばせて廊下をすすむと、ある一枚のドアから灯りがもれているのをたしかめた。


耳を当てて中の様子を探るが、人の話し声はなく、ときおりぱちぱちと暖炉の薪のはぜる音が聞こえるだけだ。

その静けさが妙ではあるが、たしかに人の気配を感じる。少数のようだ。ならば単独でもなんとかなるだろう。

ともかく踏み込んでみようと、用意しておいた黒いマスクで顔を覆い、重厚な木のドアを薄く開けた私は、この目にうつった予想外の光景におどろき、茫然としてしまった。

 なんと、その古びた狭い小部屋に、我が国の王女、エリカ姫がぽつねんと座しておられるではないか。

 

――これはいったいどういうことだ。姫君がおひとりでこのようなところにおられるなど、王女付きの護衛はいったいなにをしているのか。

万が一にでも姫君の御身に何事かあったら、自分の首ごときではとうてい済まされない。そんなことは騎士であれば当然の認識のはず、あとで今日の護衛をつかまえて、徹底的にしぼりあげてやらねばなるまい。

 などと私が怒りに燃えていると、ふと姫君のため息と小さなつぶやきが聞こえた。


「どうしましょう……」

 その切なげな声音に、何事か深いお悩みでもあるのだろうかと思い、私は先ほどの怒りも忘れて、しばらくの間、声をおかけすべきかどうか迷っていた。

 室内には何とも言えぬ甘い香りがただよい、中央のテーブルに置かれた小箱には、茶色の丸い塊がいくつも入っている。チョコレートのようだ。


自分のような武骨物には縁のない話だが、女性が想う人にチョコレートを贈るという風習が我が国にはある。

年頃の姫君がこっそりとチョコレートを作っているということは、すなわち、誰か密かに心想う人がおられるのだろう。なんともかわいらしいことだ。

お相手は近隣諸国の皇太子か、王子か、それとも上流貴族のご子息か。しかし、それにしては浮かない顔をしておいでだ。さきほどのため息といい、やはりなにか気にかかることがおありなのだろう。

だがそれよりも、こんなところにいつまでもおひとりでおられてはいけない。早々にお部屋へお戻りいただくべきだ。が、役目柄、今の自分が姫の前に出るわけにもいかないので、だれか宿直のものでも呼ぼうと、急ぎ取って返そうとした、ちょうどそのときだった。

王女はおもむろに首をふって立ち上がり、目の前の小さな箱のフタをしめると、手にしたそれを暖炉めがけて高く振りあげたのだ。



「お待ちください!」

 私はあわてて声を張り上げてしまった。無意識に出た大声に、自分で戸惑う。止めたはいいが、このあとはどうするつもりだったのか。結果、当然姫君は驚かれるだろう。どう見ても今の自分は、覆面姿のあやしい曲者、場合によっては騒ぎになる。

さて、どうするか……。


が、そんな私の心配は無用だった。

姫は落ち着いて尋ねられた。

「どなたですか」

 やれやれと、とりあえずは胸をなで下ろしたが、ここで堂々と名乗るわけにもいかず、つい目にうつった菓子につられて、チョコレートの精などと言ってしまった。つい数年前はまだあどけない姫君だったエリカ様だが、今はすっかり大人びて、さすがにそんなものを信じるはずもないのに、なぜそんなことを口にしたのか、自分の間抜け具合にあきれてしまう。

けれどもやさしい我が姫は、そんなバカげた話にもイヤな顔ひとつせず耳を傾け、それを素直に受け止めてくれた。

 そしてそんな姫君であるから、もしもどこかにその心を曇らせる原因があるのなら、せめて聞いてさしあげたいと、ふと私はそんな気もちになったのだ。

 

 姫君は、はじめは口をつぐんでいたが、次第にぽつりぽつりと話し出し、数分後には私は、彼女がチョコレートを暖炉に投げ入れようとしたわけを、すっかり知ることができた。


渡すことのできないチョコレート、それは姫の胸に秘めた切ない想いにほかならなかった。


相手が身分の違う者となると、彼女が思い悩むのも無理はない。王女という立場では、その恋が成就することはまずありえないからだ。

目下、姫君には隣国カンタリッジとの縁談話が持ち上がっている。それがすでに、来年に決まったという話にはおどろいたが、それも国同士の事情で、致し方ないことなのだろう。

結婚が、国のまつりごとという目的に使われるお立場は、悲しいことに、甘い恋愛とはほど遠く、夢や希望とはまったくの無縁なのだ。

うら若き乙女にとって、自由に恋もできないとは、なんともお気の毒な話である。ましてや淡い想いを胸に秘めたまま、たったひとりで他国へ嫁がねばならないなど、なんと切ないことだろう。

私はこの可憐な姫君に、そんな不幸な想いを味わってほしくはなかった。もしもできることなら、今のその純粋な心をお守りし、せめて美しい思い出だけでも作ってさしあげたい、そう私は思った。

たとえそれが、ご結婚までのわずかの時間であったとしても。


憚りながら私は、彼女の心に想う臣下とはだれなのか訊ねてみた。

せっかくお作りになったチョコレートを渡すくらいはしてあげられるかもしれないと思ったのだ。

しかし、姫君は恥ずかしがってなかなか教えて下さらない。まあ、そういうことは言いにくいものであろうから、仕方あるまい。

そこで私は、質問の仕方を変えることにした。

配下の中に、独身でそれなりに若く、姫君のお相手になりそうな可能性のあるものを思い描いてみる。すると、すぐに数名の顔が思い浮かんだ。

彼らの名前を口にして、姫の答えをうかがったが、私の予想に反して彼女の反応は薄かった。


むう、と私はうなった。

若い兵士は大勢いるが、王女が顔を知っているほどのものとなれば、若くてもそれなりの地位にいるはず、そうなるとかなり限られてくるのだ。

自分と同等の立場か、すくなくとも中隊長あたりではないかと検討を付けたのだが……。


結局、私が口にしたものの中に、姫の知っている人物はほとんどいないようだった。かといって他に思い当たるようなものもおらず、最後に私は、半ば冗談半分に自分の名前を口にしてみた。

十ほども年上の、姫から見たら若いとは決して言えないこの私が、よもや彼女の恋愛対象になるなどとは、毛ほどにも思ってはいなかった。


ところが、それがなんと、まさかの大あたりだったのだ。


自分に敬称をつけて呼ぶのは、なんとも面映ゆくばかばかしかったが、頬をそめてうつむく姫君の初々しさを目の当たりにすると、いまさら本当のことなど、とても言えそうになかった。

それに、もしも真実を知ったら、彼女は二度と私と口をきいてくれないかもしれない。

なぜだかそれは自分にとって、ひどくつらいことに感じた。

だから今、こうして素直に胸の内を語ってくれる可憐な王女のために、私はこのままチョコレートの精になりきろうと固く誓った。


私たちの秘密のティータイムは、それからはじまったのだ。



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