ファンタジックな風
今朝はお弁当作りに入念な準備をしてしまい、いつもより時間がかかってしまった。
冷凍を控え、なるべく自炊を心掛けている青子は、朝の貴重な時間を削ることを余儀なくされている。
息を切らしながら、郵便局に向かう。
その時、海辺に子どもたちが三人、遊んでいるのを見つけた。
始業まであと三分だからといって、見過ごせる青子ではない。
「おはようございますー! 青空郵便局に行って参ります、水田青子ですー」
選挙の宣伝活動に映ったのだろうか。子供たちは聞き流している。
「そこのお子さんたちー、学校に行かなくていいんですかー?」
学校に行きなさい、とガツンと言いたいところだが、過去のトラウマが青子をそうさせる。
「だってこっちの方が面白そうなんだもん」
袋にビンを詰めているいがぐり坊主の男の子が言った。
「社会勉強ですか? たしかに、海を掃除することは立派なことです。でも、今の君たちにできることは学校に」
近づいてきた青子に対する言葉を聞き逃さなかった。
「うるさいわね、消しちゃう?」
ボソッと呟いた声の方を向くと、ポニーテールの女の子が隣の男の子の肩に腕をのせていた。
青子はムッとして言った。
「お嬢さん、その言葉遣いはいただけないですね? 後々痛い目にあいますよ?」
「忠告どうも」
女の子はサラリとかわした。
「お姉さんこそ、遅刻しちゃうわよ?」
ハッと思い出し、青子は腕時計に目をやる。
無情にも、時計の針は始業時刻を指していた。
「ご忠告感謝します」
青子はくるりと方向転換し、愛子の鬼の形相をガソリンに郵便局へ走り出した。
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「やっと行ったか」
今まで黙っていたノブが、せいせいした口ぶりで今にも転びそうな青子を見届ける。
「早く開けようぜ」
そう急かしたタカノリが、海から流れてきた三つの瓶が入った袋から、ノブとミコに一つずつ配る。
中にはメモらしきものが入っている。
三人は、それを宝の地図だと睨んでいるのだ。
中身を見ると、ミッションが描いてあった。
「ミッション1。ヒヨコ神社の大仏を笑わせろ・・・・・・はあ? こんなのふざけてる!」
読み上げたタカノリがメモをぐしゃぐしゃに丸めて投げつける。
「ミッション2。崖の下にしか咲かない、幻の花を摘め」
「ミッション3。水田青子の過去に会いに行け」
「なんだかめちゃくちゃね」
「でも、なんか面白そうじゃん」
ノブはいつでも前向きだ。
「水田青子ってさ、さっきの女じゃない?」
「そんな感じの名前だったっけ? 聞いてなかった」
「あいつの過去に行くってタイムマシンでも用意してくれてるのかよ」
タカノリが声を荒げる。
「ま、とりあえず神社行くか」
饅頭屋の前に止めてあった自転車に、そのへんに落ちている木の枝を差し込む。
器用なノブがその役目だ。タカノリとミコは見張りだ。いつも役割が決まっているので手際がいい。
二台の自転車のカギをはずし、ノブとタカノリがサドルにまたがる。ミコはタカノリの自転車の後部座席に横座りをする。寡黙なノブの後ろはなんとなく照れる。
「タイムマシンがあるんならさ、二人の過去を先に寄り道したいんだけど」
ミコが、運転するタカノリと、並走するノブに聞こえるように大きな声で言った。
「見てもつまんないだけだし」
タカノリが言った。
三人で互いの生い立ちを話し合ったことはない。ただ、なんとなく同じ匂いを発していることが分かり、行動を共にするようになった。彼らは、話さなくても匂いで仲間を嗅ぎ分けられる。
神社に着くと、三人は大仏を見上げるよりも、その手前の賽銭箱の下を見ていた。
小銭が落ちていることが多く、中には百円や五百円が落ちていることもある。
彼らにとってリスクが少ない割に収穫がある場所だった。
平日のこの時間の神社なんて、ほとんど人がいない。
人目をかわすのはたやすかった。
「五百円が五枚も落ちてる」
小声でミコが言った。
「バカだよな。こんなに神頼みして。神様なんているわけねーのに」
集めた小銭は自分の財布に入れる。この日は三人で千五百円集めた。
「この大仏を爆笑させるってこと?」
本人を前にして、三人は改めて無謀な挑戦だと思い知らされる。
ノブがコインを大仏にかざす。
「何やってんだよ」
タカノリがノブに意図を問う。
「やっぱダメか。お前だったら金みりゃにやっとするのにな」
「ディスッてんじゃねえよ」
「褒めてんだよ。人間臭くて俺は好きだぜ」
人間臭くて俺は好きだぜ。
なぜかその台詞がミコの心に棲みつく。
「思案顔、ではなさそうだな」
心に棲みついてきた声の主がミコの顔を覗き込み、思わず顔をそむける。
そのそむけた先に、ねこじゃらしが生えていた。
「いいこと思いついた」
ミコがぷつん、とねこじゃらしを摘み、大仏の近くまでずかずかと入っていき、足元をくすぐる。
「どう? 笑ってる?」
大仏を見上げている二人に確認するが、彼らは横に首を振る。
「幻の花を手に乗せたら笑うんじゃね?」
「ミッション2?」
「やってみる価値はあるかもな」
三人は、ミッション2を先にチャレンジすることにした。
その幻の花を摘むためには、小学校の裏山を上らなくてはならない。
そこの崖に、ヒヨコ島で有名な幻の花が咲いているのだ。夢が叶うと言われている、幻の花。
「でも、大仏に献上するのはもったいない気もするわね」
「なんだよ、お前、夢なんてあるのか?」
タカノリにまっすぐな目で聞かれ、すぐに言い返せなかった。
盗んだ自転車にまたがり、車道を並走する。
堕落した生活、秩序が乱れた自分たちが、夢を持つなどおかしいのかもしれない。
ミコは自分の胸の引き出しにそっとしまい込み、鍵をかける。そして言う。
「べつに、ないけど」
「だよな。この世に夢見られる奴って間抜けってゆうかさ」
「お前はこの世を知ってんのかよ」
ノブがボソッと言う。
「あ?」
自転車のスピードを緩める。声と気配で、タカノリがキレてるのが分かる。
「降りろよ、お前」
ノブは黙って自転車から降りた。タカノリも降りるだろうから、後部座席のミコが先に降りた。
ここは島の南側。北側はまだにぎわっているが、南側には何もない。
風を感じる気持ちの良いサイクリングとはいかないようだった。
「前から思ってたけど、お前のその人を見下すような態度、シャクに障るんだよ」
「殴りたければ殴れば?」
ノブが生気のない目でタカノリを見つめる。
ノブは言葉通り、身をタカノリに預けるだろう。タカノリの気が済むまで殴られ続ける。そして、タカノリも気が済むまで殴り続ける。ミコには分かった。
「やめなよ。こんなくだらない」
そう、くだらない。そう吐き捨てれば、どちらも相手にしないはずだ。ミコたちにとって、くだらないことは敵なのだ。勉強も、部活も、教師も、こういう仲間同士のぶつかり合いも。
だが、ミコの読みは外れた。
「お前のその態度がしゃらくせえんだよ!!!!!」
タカノリがノブの胸倉を掴む。
ミコはなぜか、担任に胸倉を掴まれた時のタカノリを思い出す。
反抗心をむき出しにした野良猫の目。あの時声を荒げたのは、教師の方だった。
いつだって沈黙が勝つことをミコは知っていた。
「俺の態度に苛立つのは勝手だけど、間違ったこと言った覚えはないぜ? お前、まだ十八年しか生きてねえじゃねえか。それなのにこの世のすべてを分かったような面構えするのはおかしいだろ」
最後まで聞いたうえで、タカノリは殴った。
ミコは顔を背ける。
「行くぞ」
「置いていけない」
まだ気が晴れているわけではないであろう、タカノリにミコが言った。
「一人で行ってよ」
「お前、俺を一人にするのか?」
背筋がゾクッとした。タカノリの目が見れない。
「じゃあ、こいつも連れて行こう」
こういう時のタカノリは危ない。
意識が朦朧とするノブを担ぐ。
自転車に乗るつもりはないようだ。
トラックをヒッチハイクし、気の弱そうなおじさんを追い出し、運転席にタカノリが座る。
ミコとノブは荷台だ。
さすがにここまでするのは初めてだったので、ミコはドキドキしていた。
だが、引き返せない空気が漂っていた。
「ミコ」
気絶していると思い込んでいたノブが、寝たまま話しかけていた。
「ノブ、大丈夫?」
思わず手を握る。
「お前、隙を見て逃げろ」
「え?」
「こうなったらあいつは見境がない。恐らくあいつは俺を崖から突き落とす気だ。お前が一緒にいたら後々お前も罪に問われることになる」
「そんな。まさか、そんなことするかな」
ノブに否定してほしい気持ちで言ったが、返事は聞きたくなかった。ミコの中でもうすうす分かっていた。
車は山の上で止まった。
タカノリが降りたので、ミコも降りた。
「あの花だな」
崖の下を見下ろすタカノリに比べ、ミコは足がすくんでその場から動けない。さっきの話を聞いた後だから余計にだ。
「怖くないの?」
「俺は怖くないんだよ、死ぬのなんか」
じゃあ、殺すのは?
ミコは自分の考えが恐ろしくなり、早く帰りたくなった。
「ねえ、やっぱりこんなのやめて帰ろうよ」
あの郵便局の女の話を素直に聞いておけばよかった。
退屈だろうが学校に行っている方がましだ。
ミコはまだ、行きたい。未来を投げうるほどの覚悟はない。
「お前、怖いのかよ」
「うん、怖い」
見栄など無意味だと気づいた。
「俺が採ってきてやるよ」
ボルダリングを下りるように、タカノリは慎重に足をコブにかけていく。
「怖くないの?」
あまりの光景に、ミコは見下ろすことができない。
ミコの肩が何者かに叩かれた。
「ヒイッ」
振り向くと、ノブが立っていた。ミコはよりによってノブの存在を忘れていた。
「今のうちに逃げろ」
「やだ、タカノリを置いていけないよ」
さっきと同じ台詞を吐いていた。
その時、地鳴りのような悲鳴が聞こえた。
「うそぉ!!!!」
見下ろすと、タカノリが落ちていた。
全身の震えが止まらない。
ノブに抱き着き、ノブのトレーナーに餌付く。
「三人一緒なんて、もともと無理だったんだ。誰かが消えることになってた」
さっきまでは頭に血が上ったタカノリが怖かったが、今やこの状況で冷静なノブが怖かった。
胸の中で泣かせてもらったが、母性など感じられない。だが、男の子に母性を求めるのが変なのかもしれない、と思い直す。
「もうやだ、学校行こう?」
ずっと思っていたことを口に出す。ミコは、このままじゃ皆いなくなる、と体で感じた。
「せっかく摘んだんだ、大仏に渡すぞ」
聞こえるはずのないタカノリの声が背後から聞こえた。
ノブの顔を見て、本人がそこにいるんだ、と知った。
振り向くと、タカノリが立っていた。
「どうして?」
「きんとうんに乗せてもらった。土壇場で夢を叶えてもらったんだよ」
手には、伝説の花があった。
タカノリは肩で息をしている。
「よかった」
ミコは心から安堵した。
「西遊記好きだったのかよ」
「まぁな」
不思議と、帰りのトラックはドギマギせずに荷台に乗りこめた。
捕まったって命の保証はある。
仲直りの言葉は口にしていないが、タカノリとノブは元の空気に戻っていた。
タカノリの運転も穏やかに思える。
神社で大仏の足元に花を添える。
フフフフッ
まさか、大仏の口から出た笑い声には思えなかったが、ちょうど笑い声が聞こえてきた。
「女みてーな笑い方だな」
同調したのか、タカノリの感想にノブが笑った。
これで、残すミッションはあと一つ。
水田青子の過去に会いに行け。
「面白いシーンが見られればいいけど」
ミコが期待の薄そうな声で言った直後だった。
三人は息を呑んだ。
神社の入り口に置いておいたトラックが、変な機械に代わっているのだ。
「ユーフォー?」
「バカッタイムマシンだろ、このタイミングは」
誰かがストーリーを急かしているようだった。
まさか、神様が?
ミコは、境内を振り向く。
「いいから、乗ろうぜ」
「お前に運転席譲るよ」
「お前が乗れよ。俺はさっきトラック運転したし」
タカノリとノブが運転席を押し付けあう。
ミコの中で何かがプツリと切れた。
自分の中の中心にあるものが、運転席に引き付けられる。
タカノリもノブも、運転席に座るミコを見て、仰天していた。
「お前、運転できるのかよ」
「あんたたちだって、無免許運転でしょ?」
二人とも、ミコの目を見て黙って後部座席に着いた。しまった。またあの目をしてしまったのか?
ええと、アクセルは右と左どっちだったっけ?
迷った挙句、両足を踏んでみる。
すると、目の前が一気に眩しくなった。
あまりの光に、ミコたちは目が開けられなくなった。
ライブ会場のような爆音が響き渡る。雑音なので耳まで覆いたくなる。
嗅覚に悲劇は訪れなかった。
一分もたっただろうか。ようやく目が開けられるようになった。
耳も大丈夫そうだ。
ミコたちは小学校にいた。
見覚えのない小学校。少しだけしか通わなかったが、ヒヨコ島で一つしかない小学校ではないことはすぐに分かった。
「水田青子の小学校よ!」
ミコはピンときて言った。
「まじかよ」
どういう意味のまじかよか分からないが、タカノリは現実についていけていないようだ。
「会いに行くか、その水田青子とやらに」
芝居がかった台詞で士気を上げるノブが、ドンと誰かに押された。
廊下を走って出てきた男の子にぶつかったらしい。
低学年だろうか。ノブにぶつかった男の子は、ノブには目もくれず、血走った目でよろけながら走っていく。
男の子が出てきた教室から、後を追うように女の子が出てきた。手にははさみを持っている。
「待てオラーーーーー!!!!!!!!!」
ミコたち三人は、とっさに避けた。
教室から、若い女の先生が止めなさいと叫びながら追いかける。
学級崩壊だな、と彼らは察した。
ミコたちは学級崩壊のプロなので、すぐに分かった。
ああいう光景を見ると、追いかける教師を後ろから蹴り飛ばしたくなる。
教師のいなくなった教室からは、騒ぐ声が止まない。隣のクラスから男の先生が出てきた。その顔には、またかと書いてある。
学級を崩壊させた教師と、問題を起こす困った児童を平等に見下す顔。
ああ、パイ投げしてやりたい。
悶々としながら、傍観者でいることに限界を感じてきた。
三人は顔を見合わせて、女教師が走っていった方向に歩き出した。
まるで、自分たちの背中にマントがついているかのように、凛として歩くことを忘れない。
僕を見て。
私を見て。
そのベクトルが人を困らせる方向に仕向けられているのを感じる。
教師に。学校に。
このマントを使って、あの子を助けなくては。
ミコたちにとって、敵は教師であり、足をもつらせながら逃げ惑うターゲットの男の子だ。
救世主であるはずの友達や教師から厄介者扱いされて、不登校になっていくくしゃくしゃの未来図の皺を伸ばしたい。私たちはアイロンになってあげるんだ。あの子にとっての。
あれが水田青子だということは、教えられなくても分かった。
あの幻の花も、大仏も、ここまで来るための大事なツールだった。
体育館の裏に彼らはいた。
鋏を振り回す水田青子を羽交い絞めにして動きを止めるだけの女教師。
ただ泣き喚くだけの男の子。
彼らの前に鮮やかに登場した三人を見て、時が止まったように彼らは動かなくなった。
「そうじゃねえだろ、ぎゅって抱きしめてやれよ」
女教師は、自分に向けられた言葉だと気づくのに時間がかかったようだ。
日本語を話しているのに、おかしいな。タカノリは首をかしげる。
「近くの大人が青子を認めてやんなきゃダメだろ」
言葉が出ない様子の女教師に、ノブがとどめを刺す。
「あんたも、言葉遣いは大事なのよ。周りを変えたかったら言葉遣いを美しくしなさい」
ミコは持っている鋏が震えているのに気づかないふりをして、幼い青子に向けて言った。
マントをバサッとはためかし、三人は帰った。
青子には、このマントが見えているだろう。そう信じて。
慣れた様子でタイムマシンに乗り、それぞれ岐路に着く。
いつもインスタントだけ用意し、家を出ていく母親に、ミコは声をかけた。
久しぶりに声をかけられた母は、声を上ずらせながら返事をした。
「何?」
「ハグして」
「は?」
「いいから、ハグしてよ」
戸惑いながらも、優しく抱きしめてくれた。
なんだか今日は、いい日だったな。
タカノリとノブもそう思ってるといいな、とミコは母の腕の中でまどろみながら考えていた。