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拝啓、人魚姫様

「ヒヨコ島を馬鹿にするやつは、目の前から消えておしまい!ってとこがほんとーに痺れました」


「もう、しつこいよ」


 郵便物の仕分け作業をしながら何度も蒸し返す萌乃に、青子は口をとがらせる。

 場面が違うと、恥ずかしさがこみ上げる。らしくない。自分じゃない誰かが自分の体を借りて喋っていたみたいだ。


「でも、あんたもヒヨコ島の人間になったってことね」


 愛子は満面の笑みだ。


「あら、これなんですかね? イタズラ?」


 萌乃が、宛名に人魚姫様、とデカデカと書かれた手紙を二人に見せる。


「でも、これ子どもの字よ。切手も貼ってあるし」


「住所はヒヨコ島の海って書いてあるわね」


 三人は、窓の外の広大な海に目を向ける。


「・・・・・・青子」


 まさか。青子は生唾をのみ込む。


「重大な任務よ。子供の夢を壊さないよう、頑張って」


「・・・・・・はい」


 花粉に反応し、クシャミ連発で体力を消耗しながら、青子は愚痴を吐いていた。


「新人は萌乃なのにぃ」


 萌乃ではなく、結局自分が行く羽目になることが悔しかった。


「萌乃も萌乃で黙って聞いてないで、私が行きますって言ってもいいんじゃない!?」


 そこまで言って、自分が傲慢になっていることに気が付く。


「落ち着け、私!」


 ボート乗り場に行き、お金を払ってボートに乗る。


「一人かい?」


 一人でボートに乗る若い女性が珍しいのか、お金を払うとおじさんに聞かれた。


「はい、少々込み入った事情がありまして」


 興味をあおるような言い方をしてしまったことに気づいた青子は、そそくさとボートに飛び乗る。

 運よく人魚姫に会えればいいけど。シャチとか、おっかないものを見かけたらどうしよう。

 そんなことを考えていると、ゴツンと音がして、ボートがぐわんと揺れた。大きな岩に当たったようだ。

 集中、集中。神経を研ぎ澄ませておかないと、自滅してしまう。自分に言い聞かせ、無我夢中でボートを漕ぐ。その時、


「はあ」


 誰もいないはずの海で、ため息が聞こえた。

 身の危険を感じ、パッと後ろを振り向くと、岩に若い女性がもたれかかっていた。


「大丈夫ですか?」


「うわっ! 見つかっちゃった!」


「え?」


「私、こういう者なんです」


 そう言って、ブロンドヘアの女性は逆立ちした。青子は、あっと声を漏らした。突然の行動にド肝を抜かれたからではない。胸には貝殻、へそから下は青い魚のしっぽがあり、つまりどこからどう見ても人魚姫だったからである。


「眩しい肉体美ですね! 私、青空郵便局から参りました、水田青子です。よろしくお願い致します」


「こちらこそ。郵便局の人間がこんなところで何をしてるの?」


 岩に腰を下ろした人魚姫の方から聞いてくれた。


「実はですね、人魚姫さんにお手紙が届いていまして」


 カバンから手紙を出した。人魚姫の目が手紙に注がれる。


「人魚はこの界隈だけでも五百人はいるのよ。私がもらってもいいのかしら?」


「え! そんなにいるんですか!?」


 気が遠くなる。


「ひとまず開けてみましょうか」


 青子が何か言う前に、人魚姫はべりっと封を切った。

 ゴミを岩の上に乗せるので、青子が慌ててカバンに入れる。

 500人も人魚がいる海を汚すわけにはいかない。


 一枚の白い紙が四つ折りで入っている。

 大きな文字で、だいすき、と書かれた下に、人魚姫の絵が色鉛筆で描いてある。星空の下で、岩の上に腰掛けて長いブロンドヘアを手でとかしている。


 あまりの繊細なタッチと色遣いに、文字と絵の作者が別人なのではないかと疑ってしまう。


 青子が感嘆の声を漏らす隣で、人魚姫は黙って絵を見つめていた。


「・・・・・・これはきっと私のことね」


 自分のしっぽに挟もうとするので、青子はきっぱりと言った。


「でも、この絵の人魚姫のしっぽはグリーンですよ」


「暗いからよく見えなかったのよ。それに、人間の記憶は脚色されるものだから」


 そう言われればぐうの音も出ないが、郵便局員として、はいそうですかでこのまま帰るわけにはいかない。

 青子には宛先まで責任もって届ける義務がある。


「人違いの線が高いので、すいませんが返してもらえませんか?」


 タコが墨を吐くように、人魚姫は口からピュッと唾を飛ばして海に潜ってしまった。


 逃がすか! 


 この両手には、あの絵を描いた子どもの夢がかかっている。


 青子はしっぽを捉え、一緒に潜っていく。


「離しなさいよ!」


 どんどん潜っていくが、青子は絶対に手を離さないと決めていた。


 大きな城に入っていく。

 城の中は、なぜか息ができるようになっていた。


「信じらんない! ここまでついてくるなんて、凄い執念ね」


「その手紙、返してくれないと困りますから」


 人魚姫の方こそ、手紙を渡さない執念が理解できないと青子は首をかしげる。

 その時、やばい、と人魚姫が青子を引っ張り物陰に隠れた。


「私に着いて来て。離れたら死ぬわよ」


 青子は自分の現状を理解した。人目を気にしながら着いた先は、人魚姫ルームだった。


「ここは人魚の城だから、人魚以外は入れないの。だから、あなたも変身するわよ」


「え?」


 人魚姫は指をパチンと鳴らす。すると、青子の下半身は綺麗な紫色のしっぽに変わった。


「足が・・・・・・足が!!!!」


「心配しないで。このしっぽはフェイク。しっぽの中に両足があるから」


「そうなんだ」


 青子は体の力が抜けた。胸の貝殻が小さくても事足りるのがなんともいえない。


「人間であることがバレるとどうなるんですか?」


「誰も自分を知らないところで、これから先生きることになるでしょうね」


 なんだ、そんなことか、と青子は思った。

 人間関係を一新してしまいたい。誰も自分を知らない場所で、再スタートを切りたい。

 そんなの、定期的によぎる願望だった。


 人魚の城ということは、人魚姫が密集しているということだ。あの絵のモデルを探すのにうってつけじゃないか。見つかるまで帰らないと青子が宣言すると、人魚姫は観念したように言った。


「もう勝手にして。あなたみたいな頑固な人、初めて見たわ。その代わり、どうなっても知らないわよ?」


「はい、ありがとうございます!」


「じゃあ、これ」


 手紙と、櫛を青子に渡してくれた。


「そのボサボサの髪もなんとかしなさい」


 そういう人魚姫は、愛子を彷彿とさせた。


 胸まで伸びた髪に櫛を入れると、フレッシュな気分で城を巡った。


 自分は今、人魚として泳いでるんだ。

 すれ違う人魚の同じ人魚を見る視線を感じながら、青子は実感した。


「人魚の城から参りました、水田青子です」


 あちこちに流れている海藻や徘徊を繰り返すタコやイカに、挨拶をする。

 人魚の城の中でする挨拶ではないとすぐに気づき、ごきげんように挨拶をチェンジした。


 マッサージルームで足を止める。


 資格を持った人魚が、マッサージをしてくれるらしい。

 青子は入室した。


「凝ってるねぇ、お客さん」


「日頃から先輩にこき使われてるので。最近は後輩からもなんです」


 ついつい饒舌になってしまう。仮にも青子は客だ。同情されると思っていた。


「自分にできることを考えた時に、先輩の仕事はまだできないから、誰でもできる雑用を率先してやるべきなんじゃないの?」


 こき使ってくる後輩についての言及はないものの、客であるはずの青子にきっぱりと言った。青子は何も言えなくなった。気持ちがしぼんでいく。


 世間は厳しい。先ほどより足取り重く、城巡りを再開させた。


 大広間で、人だかりができていた。中心には、酒瓶を振り回している人魚と、口論を繰り返す人魚がいた。


「何やってるんですか?」


「見ればわかるでしょ、喧嘩よ喧嘩」


 子ども三人を抱えた野次馬の人魚がざっくばらんに答える。


「だから私は出たくないっていったのに!!」


「優勝できなかったのはあんたの実力不足でしょーが」


「これ、何の話なんです?」


 青子が先ほどの人魚に聞く。


「聞けばわかるでしょ、ショーに出たけど優勝できなかったのを母親のせいにしてるのよ」


 彼女は母親目線で言った。

 これ以上喋ると怪しまれてはいけない、と青子はそっとその場から離れた。


 誰も怪我しなきゃいいけど。青子とすれ違いで、パトロール隊が出動した。


 青子も野次馬根性が顔を出したが、ぐっとこらえて後ろから野次馬たちのしっぽを眺める。


 ん? 


 青子は先ほどの人魚に再び話しかけた。


「あのう」


「またあんたかい? なんだい?」


「そちらのお子さんに、手紙が届いております」


「なんだって?」


 人魚が抱えた三人の子どもの一人が、手紙の絵にそっくりだった。


「ソフィアに?」


 ソフィア、と呼ばれた目がくりくりの人魚は、人魚姫と呼ぶのにふさわしい、子どもながらオーラをまとっていた。


「これ」


 胸の貝殻から手紙を見せる。

 親子は手紙を広げて、食い入るように見た。

 お母さんは、顔が変わった。


「あんた、勝手に上がったの?」


 ソフィアはぶるぶる震えて、ごめんなさいを繰り返した。


「あのう、どうかしました?」


 状況がつかめない青子に苛立ちを見せる。


「もううちは終わりよ。よくもこんな手紙を持ってきたね。あんたたち、今夜夜逃げするわよ」


 夜逃げ、という言葉が出てくるとは思わなかった。状況は分からないが、青子がまずいことをしてしまったらしいことは分かった。


 手紙を握りつぶして、三人の子どもを急かしながら彼女は行ってしまった。


 青子が予想した反応とは違い、しばらく戸惑いを隠せなかった。


「大丈夫? 顔が真っ青よ」


 心優しい人魚に声をかけられる。


「ええ、なんとか」


 その声に、力はなかった。


 もし、あの手紙をショーで結果が出なかったあの娘に渡したら、元気を与えられて、これを描いた子どもも、報われたんじゃないだろうか。


 これでは、描いた方も、もらった方も幸せになれない。


 青子は頼りない足取りで、なんとか元の部屋に戻った。


 ブロンドヘアの彼女を見た途端、腰がくだけた。


「どうしよう」


 彼女は、全てを察したように、優しく青子を包み込んだ。


「見つけてしまったんだね」


「どうしてこうなっちゃったんですか?」


 彼女はドアの外に誰もいないのを確認して、意を決したように言った。


「この世界では人魚は人間に見つかっちゃダメなの。あれは人間が実際に目にして描いた人魚よね?」


「見つかった人魚はどうなっちゃうんですか?」


 彼女は少し黙って言った。


「人魚図鑑に掲載されてしまうわ。人魚図鑑に一生閉じ込められて、自由を失ったまま生涯を終えるの」


「そんな」


 青子は自分がしてしまったことの事の大きさを思い知った。


「じゃあ、あなたも図鑑に掲載されちゃうんですか?」


「今のところはまだ大丈夫。これが誰かにバレたらおだぶつだけど」


 その時、ドアの向こうでカサカサと音がした気がした。


「誰!?」


 人魚が尖った声をドアの方に向ける。


「あなたたちを連行します」


 三角のメガネをかけたたらこ唇の人魚が、懐中電灯を青子たちに向けた。


「粗探しで人生を費やしてる磯宮さん、盗み聞きが趣味なの?」


「その減らず口を聞けるのも今日で最後ねサリー」


 磯宮の手から縄が飛んできた。青子とサリーのくびれを締め付ける。


「さっさと立つ!」


 傲慢な磯宮に連れられたのは書斎だった。


 ドン、と背中を押され、ドアを閉められた。


「私たちはもう終わり。明日図鑑に入れられる式があるはずよ」


「ごめんなさい」


 涙が出てくる青子に、サリーがスマートにハンカチを渡してくれた。


「みっともないわよ」


「腰が据わってますね。怖くないんですか?」


「むしろ観念したって感じかしらね。娘から、ママだけずるいって怒られたんだわ」


「というと?」


「その図鑑にうちの娘も載ってるの」


「え!?」


 立てかけられた大きな人魚図鑑に手を伸ばす。

 ページをめくる手が震えている。

 どのページの人魚も、悲しい顔をして青子を見る。


「これ、こっちの声が聞こえるんですか?」


「向こうからは声も聞こえないし顔も見えないはずよ・・・・・・ああリリー」


 どれぐらいぶりに我が子を目にするのだろう。青子が手を止めた子供の人魚のページで、サリーが取り乱した。


「リリー。私のリリー。ごめんね、寂しかったね。ママもすぐに図鑑の中に行くからね。ママもおんなじ気持ちを共有するからね」


 その時、ガチャリとドアが開いた。

 どこかで見覚えのある人魚が青子の名を口にした。


「青子、大丈夫?」


「はい」


 きょとんとしていると、バシンと叩かれた。


「やあね、私の事分からないの?」


「もしかして、マッサージをしてくれたおばちゃん?」


「そうだけど! 先輩に対しておばちゃんは失礼なんじゃない?」


「愛子さん?」


「ようやくわかった?」


 ニヤッと笑った愛子の後ろから神々しい光が照り付けてくるようだった。


「一緒に来てくれてたんですか?」


「ほっとけない後輩の面倒を見るのが先輩ですから」


「じゃあ、郵便局は?」


「萌乃に任せてきた。あんたの方が何しでかすか分かんないもん」


「あの、あなたはいったい」


 サリーが置いてけぼりになっていることに二人して気が付かなかった。


「ご紹介遅れました。このどんくさい後輩と同じ、青空郵便局の酒桜愛子です、よろしくお願いします」


「サリーです、こちらこそよろしく」


「面倒なことになったみたいねあなたたちを助けに来たの。今のうちに私と一緒に来て」


「イヤです」


「は?」


「この図鑑の人魚姫たちも解放しなきゃ」


「さっきここに来たばかりの私たちで何ができるっていうの? 逃げ切れるかどうかも分からないのよ? 一つ言えることは、ここにいたら確実に終焉よ」


「でも」


 青子が愛子に食らいつく。こんなの始めてだ。


「助けたい」


「あんた、自分の状況分かって言ってんの?」


「はい」


 愛子はため息をつく。


「サリーさん、この図鑑に載ってる人魚たちを解放させる方法はあるんですか?」


 愛子がサリーに聞いた。


「一つあるわ。人間の涙を図鑑に落とせば、解放できる」


「なんだ、そんなことでいいの?」


 青子は、さっそく泣く準備を始める。


「でも、誰でもいいってわけじゃなくて、人魚に愛情を持った人間の涙に効果があるの」


「あんたなら大丈夫じゃない?」


 青子の迷いを吹き飛ばすかのように、即座に愛子が言ってくれた。


「助けたいって聞かなかったの誰?」


 青子は、過去を思い出して泣いていた。

 時に美辞麗句と思われるほど丁寧な言葉遣いをする青子。

 昔は、言葉遣いが悪く、気に入らないことがあって死ね、と友達に言ったら、本当に死んでしまったことがある。それから普通に暮らすことが出来なくなった青子は、島で生きようと思った。


 ただ、悲しかっただけなのに。自分が軽く口にした言葉は、相手の未来を切り裂くほど鋭い刃を剥いていた。


 その子に対して謝ることはできないし、償いとすることもできないけど。

 代わりに誰かを救うことは、できる。それが許されるかどうかは別として。


 すぐに涙はこみ上げてきた。

 図鑑の上に落ちた大粒の涙で、人魚たちが次々と出てきた。


「リリー!!」


「ママ!!!!」


「あんまり騒がしくしてると気づかれる。もう行こう」


 愛子に先導され、夜の城を脱出した。


 最初に出会った岩まで着くと、サリーが指を鳴らし、人魚だった青子は人間に戻った。


「これからどうするんですか?」

 

 岩にくくりつけられたボートに乗り込みながら、青子は聞いた。


「なるべく遠くの方に行こうと思って。そこで、ここの皆でお城を作ろうかなって話してます。あなたにはなんて言ったらいいか」


 サリーは最初に出会った時にはなかった、母の顔が出ていた。


「本当によかった」


「ありがとうございます。お城ができたら、遊びに来てください」


「はい、必ず」


 頬にキスをして、お別れした。


「はああああああ」


 愛子が大きなため息をつく。


「ご迷惑おかけしました」


「ほんっと、あんたといると生きた心地がしないわね」


「全くその通りでございます」


「はらたつーーーー」


 愛子が青子の豊かな横腹をつまんでくる。


「あんたと過ごせるのもあとちょっとか」


「え?」


「なんでもない」


 最後に青子の頭をくしゃくしゃにした後、岸に向かってボートを漕いだ。

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