新しい風
「この4月から、新しい新入社員が入るから」
始業のベルが鳴り、愛子が朝礼の終わりにさらっと言った。
「どんな子ですか?」
「ここで前働いてた子よ」
新しい郵便局員かぁ。青子にとって、初めての後輩だ。
「あんたもここに来て一年になるのね」
「早いですねぇ」
パソコンチェックをしながら、青子がしみじみと言う。
「先輩になる準備、しときなさいよ」
「はい」
襟元を正す。青子は今でも失敗が多く、愛子にフォローに回ってもらうことが多い。
それが、フォローに回る側に立つなんて、想像ができない。
「新人ちゃんの教育係、あんたに任せるから」
一気に緊張感が高まる。
「がんばります!」
「ふふっあんたのそういうとこ、好きよ」
お客様が来た。何を求めているのか、入ってきた瞬間に的確に見抜かなければならない。
「いらっしゃいませ!」
青子が景気よく挨拶するころには、愛子はレターパックの準備をしていた。
スマホをいじっていたお客は、画面を愛子に見せた。
「これください」
「370円です」
スムーズなやり取り。
「ありがとうございます!」
青子にできることは、気分良くお客様に帰ってもらうことだ。
「私も愛子さんみたいになりたいなぁ」
愛子が笑ったことで、声に出ていたことに気づいた青子は、顔を赤く染めた。
年度が替わって初日。新人がやってきた。
「本日からお世話になる、成美萌乃です。よろしくお願いします」
「み、水田青子と申します、よろしくお願い致します」
青子は声が裏返った。
「あんたの方が緊張してどうするのよ、私は木戸愛子、改めて、よろしくね」
「はい」
二人は顔なじみのようだ。青子も、顔をよく見ると、どこかで見たことのある顔だった。
「あーーーーーー!!!!!!」
「思い出した?」
「あの時のギャルの方ですか?」
「何言ってんの」
愛子はいなす。
「ご、ごめんなさい」
生田誠二郎の高校に潜入する際、制服を貸してもらったあの金髪の女子高生だ。
あの時よりも、暗髪になり、メークもナチュラルメークになっていたので、まじまじと見なければ気が付かなかった。
「今日からここで一緒に働けるんですね?」
青子の顔色がパーッと明るくなる。
「よろしくお願いします」
萌乃は上品に微笑んだ。あの時かったるそうに登校していた人物と同一人物とは思えない。
私、先輩一年目頑張れそう! 青子の心は羽が付いたように軽くなった。
青子は、郵便物の取り扱いやお客様への対応、電話対応、金融商品に関する知識を萌乃に教えた。
「すいません、貯金通帳をお作りしたいんですけど」
「見ておいてください」
青子は萌乃にそう言って、萌乃の前でお客様の対応をした。
いつもよりテキパキを心掛ける。
青子から見える愛子のように、萌乃の目にも映っていればいい。
お客様対応を終え、萌乃に言った。
「新人さんとして、お見送りしてきて」
「はい」
萌乃は、通帳を作り終えた主婦を外まで見送った。
先輩としての初仕事、なんとか完了?
ふう。知らないうちに、肩に力が入っていたようだ。
郵便物を整理していると、愛子が声をかけてきた。
「成美さん、何か言われてるわよ。行かなくていいの?」
えっ、と思い、ドアの外を見ると、成美がヘコヘコ頭を下げている。
お客様とトラブルにあっているようだ。何かお客様の気に障ることをしてしまったのだろうか。
青子が立ち上がろうとすると、成美が入ってきた。
「どうしたの?」
「通帳、違ったみたいです」
「え?」
成美は、展示されている通帳を指さした。
「本当は、このサッカーバージョンがよかったみたいです」
成美が指さしたのは、地元のプロサッカーチームのキャラクターとロゴが入った通帳だった。
青子はハッとした。青子が作ったのは、プロ野球バージョンだった。
「あの人、あの球団のアンチらしくて。余計に怒っていました。それを伝えたのに、嫌がらせかって」
青子の顔が、カーッと熱くなった。
好きと嫌いを逆に受け取ってしまったのだ。
萌乃を気にするあまりに、お客様とのコミュニケーションがふわふわしてしまったのだ。
「すぐに、電話をかけます、すいません」
萌乃と、愛子に頭を下げる。
「足引っ張らないでよね」
え?
後ろから、聞こえるか聞こえないかの音量で、ボソッと言われた気がした。
愛子がそんなこと言うわけない。
萌乃が・・・・・・?
青子はそれどころではなく、記入された個人情報から電話番号を確認し、お詫びの電話を入れた。
こんなところ萌乃に見られるなんて。カッコ悪い。
でも、こんな時まで萌乃のことを気にするなんて、もっと情けない。
今の自分、凄く嫌い。
萌乃は、言われればその通りこなせる子だった。要領もよく、頭もいい。
青子は、腹の中で萌乃に見下されているような気がした。
胃が痛い。
「大丈夫? あんたらしくないじゃない」
休憩中、愛子が声をかけてくれる。
「私、あの子がいると調子が狂うみたいです」
「それはあんたに原因があるんじゃない?」
突き放された。なんとなく、2対1で仕事をしている気がする。
一週間、気分が晴れない日が続いた。
そんな感じで仕事をして、うまくいくわけがない。
青子は、ハガキを買いに来たお客に、いつものように保険の営業をした。
「あーもう、時間がないんだけど!」
「すいません」
若い女性に怒られてしまった。
「青子、あのお客様は、入ってきた時から時計を気にしていたでしょう? 相手を洞察して、不快にならないように切り込まなきゃ」
「すいません」
すいませんばかり言ってすいません、という気分だ。
「あの、私が窓口代わりましょうか?」
後ろから見ていた萌乃が、遠慮がちに言った。
「いいえ、それは青子に対して失礼、出過ぎた真似よ。あなたはまだ新人。青子から学ぶことはたくさんあるはずよ」
青子は愛子の言葉に涙が出そうだった。
「すいませんでした」
萌乃の目が、怒っていた。軽蔑の目を青子に向けていた。それが、はっきり青子に伝わった。
悔しいけど、見返す要素がない。
自宅に帰るたびに、ビールの空き缶が増えていく。
だが、そんなことは愛子に言えないでいた。
「いらっしゃいませ」
青子よりも先に、萌乃がお客に声をかける。
お母さんと、3歳くらいの女の子が、手紙を書留で出しに来た。
「こちらの方にご住所をお書きください」
萌乃は書類の説明に夢中だった。
青子は、女の子の様子がおかしいことに気が付いた。
「どうしたの?」
「なんでもないんです」
お母さんが迷惑そうに言った。
でも、青子はまだ何か言いたかったが、萌乃がそれを遮った。
私の足を引っ張らないでよね。
あの時の声が、ふいにフラッシュバックしてきた。
それでも、女の子が気になる。何か、様子がおかしい。
「おトイレに行きたいの?」
女の子は、首を振る。
「あの、水田さん。ここは私が対応しますので」
萌乃にそう言われようが、このサインを見逃してはいけない気がした。
「もう、いいから早くしてよね」
母親がいらいらし始めて、萌乃に当たり始めた。
「申し訳ございません」
萌乃は思い切り青子をにらんできたが、お構いなしに話しかけた。
トイレじゃないってことは、吐きそうなの?
「お姉ちゃんに、教えてくれる? あなたがすごく心配なの」
「帰りたい!!!!」
そう言って、泣き出してしまった。母親は女の子の口をふさいだ。
「まぁこの子ったらわがまま言い出して。すいません」
「ちがう!! この人知らない人!!」
女の子が母親の手を離して、叫んだ。
「え?」
「もういいわ、帰ります」
母親が無理やり女の子を連れて帰ろうとしたので、愛子が止めた。
「奥の方で詳しいお話をお聞かせ願えますか」
母親の目の色が変わった。狼狽の色を見せたので、青子は警察に電話を入れた。
「お手柄ね、青子」
警察の聴取によると、女は両親が車から離れたすきに、女の子を連れだした。両親は知り合いで、自宅に身代金の要求の手紙を送りつけるところだったようだ。
「よく女の子の異変に気が付いたわね」
「いえ。なんとなく、様子がおかしかったものですから」
「でも、あの時点で誰も親子関係を疑うことは出来ないわよ。ありがとう」
青子は久しぶりに高揚する気持ちを味わった。子供の母親が青子に礼を言おうと、やってきた。
「本当に、ありがとうございます」
母親は泣いていた。女の子のぱっちりとした瞳は、母親譲りだ。
「とんでもないです。何事もなくてよかったです」
愛子が母親に泣きながら謝辞をもらっている間、一人つまらなさそうな顔をしている萌乃に、愛子は近づいた。
「私があんたでも、そうしたわ」
萌乃は驚いた。何か小言を言われると思ったからだ。
「あれは、青子だからできたのよ。あの子って、本当にすごいんだから」
萌乃はさらに驚いた。愛子は青子に向かって直接そんなことを言っているところを見たことがなく、愛子も自分と同じく、青子を見下していると思っていたからだ。
「あの子、いつもハキハキ受け答えするし、元気よく挨拶もする。謙虚に粘り強く相手の話に耳を傾けるし、気持ちよくお客様に帰ってもらってる」
「でも、この前は」
その時、青子が通帳を間違えて怒って帰ったあの女性が入ってきた。
青子は、母親の話をいったん失礼して、女性に声をかける。女性の表情が、晴れやかになった。
「あの子、おっちょこちょいでしょう?」
「ええ」
「でも、その失敗を、感じのいい誠実な対応で、お客様の心を掴んでいくの。ダルマのような子ね」
萌乃が黙っていると、愛子は続けた。
「あなた、自分より仕事のできない先輩にあれこれ指示されることが面白くないんでしょう?」
核心をつかれ、うろたえる。
「でも、青子ほど尊敬できる立派な郵便局員はいないわよ?」
萌乃の目に映る青子は、悔しいけど、前と少し違って見えた。
「いつもアップルパイ持ってくる外国人がいるでしょう?」
「はい」
「あの方も、青子が出張中に知り合った人なのよ。青子と関わった人は皆、青子のこと、好きになる。本当、不思議な子。私もその一人なんだけど」
萌乃が愛子を見る。
「ナイショね」
人差し指を立ててウインクした愛子は、青子の元にかけて行った。