おばあちゃんのねがい
「いらっしゃいませ」
小学生くらいの女の子が二人、郵便局にやってきた。
ハガキを買いに来たのかな?
青子は、
「おつかいですか?」
と、微笑みながら、緊張の面持ちの二人に聞いてみる。
「ううん、お姉さんにお願いがあるんだけど」
「私に?」
自分の元に、こんな小さな依頼者が来るとは思わなかった。
「どういったご用件でしょうか?」
隣の愛子も、接客をしながらこちらの会話に耳を傾けているのが気配で分かる。
「小学校の前にね、駄菓子屋さんがあるんだけどね」
「そこのおばあちゃんが昨日からいないの」
二人は切羽詰まった様子だった。
「ううん。寒いから、おうちの中にいるんじゃないですか?」
もうすぐ3月だというのに、ここ最近は、お年寄りには堪える寒波が押し寄せている。
「私たち、心配だから、お姉ちゃん見てきて」
「え?」
「お願い!!」
女の子たちのキラキラ光線を浴び、隣の愛子に助けを求めると、ニヤリと笑って切手をお客に渡していた。
とほほ。青子は力なく言った。
「承知しました」
小学校の正門の前に、和菓子屋に挟まれて駄菓子屋があった。
「こんにちは」
引き戸を開けて中に入るとホコリが舞った。薄暗い店内を見回すと、おばあちゃんどころか客もいない。
「お客さんかい?」
中からおばあちゃんと呼ぶにはまだ早いような、おばちゃんが出てきた。
「あ、どうもこんにちは。私、青空郵便局から参りました、水田青子と申します。あの、ここのおばあちゃんの姿が昨日から見えないというので、島の住人から心配の声が上がったので駆け付けたのですが」
「あら、こんな寒いのにわざわざありがとうね。中に入りんさい」
中の和室に通されると、そこには布団で眠っているおばあちゃんがいた。
「この方が」
「そうよ。ここの店主なんだけど、寒いからか体調が芳しくなくてね。私は右隣の和菓子屋をしてるんだけど、左隣の和菓子屋さんと交代で看病してるんだよ」
「そうだったんですか」
おばあちゃんの顔色はよくなかった。
「病院に連れて行った方がいいでしょうか」
「それがね」
和菓子屋が言おうとしたその時、おばあちゃんが口を挟んだ。
「わしはもう長くない。最期はここで迎えたいんじゃ」
「おばあちゃんは癌を患っているの」
そう言った和菓子屋の顔は、疲労と無念の色がにじんでいた。
青子は何も言えなかった。
「あの、私に何かできることはないでしょうか」
「気持ちだけで十分よ、ありがとう」
そう言われて、素直に引き下がれる青子ではない。
自分の役割を考える。
私は、この島の郵便局員だ。
「おばあちゃん、最期に会いたい人はいますか?」
おばあちゃんの耳元で、一つ一つの語句をハッキリ伝える。
「そうだねえ」
何人かの名前が上がった。
「必ず連れてくるから、それまで待っててください」
おばあちゃんの手を握り、誓った。
「余計なことしないで」
えっと思って振り返ると、和菓子屋が迷惑そうな顔を青子に向けていた。
表情で、聞き間違いではないことを悟る。寒気がした。
「彼女はね、今まで周りの人に慕われていたとは言い難いわ。むしろ、嫌われていたのよ。彼女が出した名前は、皆もう島の外に出てるわ。彼女のことが嫌でね。来るはずないわ」
「で、でも、最期だとしたら会いに来るかもしれません」
「もしおばあちゃんが亡くなったら彼らでパーティーを開くだろうね」
青子は絶句した。
「おばあちゃんがどんな方だったのかは分かりませんが、人の死に目にあってそんなことする人がいるなんて信じたくありません」
「あなた、水田青子さんって言ったね」
「? はい」
「青臭いあなたにぴったりの名前ね。ご両親に賛辞を述べるわ」
顔をしかめて、別れの挨拶もせずに駄菓子屋を出た。
郵便局に戻り、過去のデータから、三名の名前の住所を割り出した。
メモを取って、地図を手にして郵便局を出た。
「今回もやる気いっぱいの顔してるわね」
愛子の言葉も耳に入らぬほど、青子は燃えていた。
時間がない。急げ!
「やる気しかありませんって感じ」
青子はひとり言を呟いていた。
「やる気しかありませんってかーんじー」
青子が船の上から叫んだ言葉は、波の音でかき消された。
遠ざかるヒヨコ島を眺めながら、島でひとりぼっちで死んでいくってどんな気持ちだろう、と思った。
大切な人と、心を通わせて旅立ってほしい。
最後に伝えたい言葉を、伝えたい人に伝えた後で、旅立ってほしい。
自分は大事な存在だったんだと知ってから旅立ってほしい。
青子は、誰一人欠けることなく連れて帰るぞ! とメモに目を通した。
二人は男の名前で、一人は女性だ。
男の住所は、工場になっていた。職場の住所なのだろう。
町はずれにある工場に潜入した。
車の下で作業をしている男性に挨拶をする。
「こんにちは! ヒヨコ島の青空郵便局から参りました、水田青子と申します」
「ども」
車の下から作業服が黒く汚れた男が出てきた。
「お仕事中すいません、こちらに佐藤輝夫さんはいらっしゃいますか?」
「いますよ。佐藤さん!」
奥から本人が登場した。
同じく黒い汚れの目立った作業服を着た、パッとしない感じの男性だ。
「島の人間が俺に何のようだ?」
どうやら青子のバカでかい自己紹介が、奥にいた佐藤さんまで聞こえていたようだ。
歓迎されていないのが空気と口調で伝わってくる。
だが、ここで引きさがるはずがない。
「ここではなんですから、終わった後にデートでも」
大胆な台詞もおばあちゃんのためと思えばすんなり言えた。
仕事が終わるまで、二人目の坪田さんに会いに行った。
モテる女ってこんな気分なのかしら。青子はこういう忙しさもいいわね、と悦に浸る。
坪田さんはスポーツショップに勤めていた。
バドミントンのラケットの手入れをしているショップ店員の名札に、坪田と書いてあった。
「探しましたよ、坪田さん」
いつもと違う切り口で話しかけてみる。すると、本当に青子が青子でなくなった気がした。
青子は新しい自分と出会った。
「はい?」
突然そう言われた坪田さんは、困ったように頭をかいた。
「私、ヒヨコ島から来ました、青空郵便局の水田青子と申します」
こちらも、佐藤さんの時と同じように、一気に追い払うムードが漂った。
昼時だからか、店内に客はいなかった。
一気にまくしたてよう。
「駄菓子屋のおばあちゃんをご存知ですよね? 実は危篤状態なんです」
「あの野郎、まだくたばってないのか」
つるっと暴言が出てくるのに青子は驚いた。
「どうしてそんなに嫌ってらっしゃるんですか?」
「あのババアは、ピンピンしてた時から人を金づるにして、人を人とも思わずに散々こき使ってきたんだ。極めつけは、介護で世話をしてた俺の兄貴を、疲労がたたって自殺にまで追い込んだんだ。あんな奴の為に」
「息子さん、ですか?」
「俺の母親は死んだと思ってる。そう思ってたのに何思い出させに来たんだ、姉ちゃん」
「お母様が危篤状態なので、最期に看取りに一緒に帰っていただけませんか、この通りです」
青子は腰を直角に折った。
「いくら綺麗で若い姉ちゃんに頭下げられても、とてもじゃないが行く気にならんよ」
それに、と坪田さんは言った。
「会ったらヒドイこと言ってしまいそうだし」
さすがに、いくら憎んでいても、旅立つ前に暴言は吐きたくないようだ。やはり、ヒヨコ島で育った人間だ。
私の考えですが、と前置きしたうえで、青子は慎重に言葉を述べた。ここで行き違うわけにはいかない。
「おばあちゃんは、優しい言葉をかけてほしいわけじゃないと思います。謝りたいかどうかは、正直私も今日おばあちゃんに会ったばかりだから分かりませんけど、いつ旅立ってもおかしくないときに、自分を憎んでいるだろう相手に会いに来てほしいって願う心境って、とても綺麗で強いものに思えます」
「・・・・・・急ぐの?」
坪田さんの心境がぐらっと傾いたのが伝わる。
「今日、もっといえば今の保証もありません」
「人生最後のボランティアだ」
「ありがとうございます」
青子は思わず泣きそうになった。
おばあちゃんのことばかり考えていたが、顔を見るのも嫌な相手に会わせるなんて、これ以上酷なことはない。自分がやっているのは、いいことなのだろうか。罪悪感が青子の喉元を締め付ける。
三人目の山崎さんは、青子と同じ郵便局勤務のようだ。年も近い。
「こんにちは、ヒヨコ島から参りました、青空郵便局の水田青子と申します」
隣に坪田さんも従えて、郵便局に入って挨拶をした。
営業かと思ったのか、郵便局員が全員立って会釈した。
「お世話になります」
「お世話になります。あの、こちらに山崎美香さんはいらっしゃいますか?」
「山崎は、あちらで接客中ですが」
郵便局員の手の先の方を見ると、ショートカットの小柄な女性が、お年寄りにATMの使い方を教えているところだった。
「では、待たせてください」
そう言い、ソファに坪田さんと腰掛ける。
応対が終わったところを見計らって、即座に話しかける。
山崎さんは驚いていた。青子が名乗ると、営業スマイルを浮かべたが、気のせいか少しぎこちない。
「話ってなんでしょう」
立ち話で済ませようとする山崎さんに、きっぱりと言った。
「ここで言えるような内容ではないので、場所を変えてお話ししてよろしいでしょうか?」
「では、奥へどうぞ」
スタッフルームに案内される。
「コーヒーは飲めますか?」
「あ、お構いなく」
実際は喉がカラカラに渇いていたが、青子は遠慮した。
「駄菓子屋のおばあちゃんのこと、ご存知ですよね?」
「ええ」
歯切れが悪い。
「実は、危篤状態なんです」
一瞬のうろたえを青子は見逃さなかった。
「そうですか」
リアクションは取らないと心掛けているようだ。
「おばあちゃんが最後に山崎さんに会いたい、とおっしゃっているので、どうか会ってくださらないかと、お願いをしにこうしてきました」
「ごめんなさい。今日のところは引き取っていただきますか?」
「私たちは、今日帰ろうと思っているんですが」
「アポもなく失礼ではないかと」
山崎さんが立ち上がろうとしたので、青子は食い下がる。
「私の願いは、山崎さんに人目おばあちゃんに会ってほしいだけなんです。何か言葉をかけてほしいとか、何かプレゼントしてほしいとか、何もないんです。ただ、おばあちゃんに会わせたいんです」
「俺とボランティアしようや。姉ちゃんが会いたくない気持ちは俺が一番わかるよ」
黙って聞いていた坪田さんが声をかけてくれた。
それでも、山崎さんが首を縦に振ることはなかった。
「同じ郵便局員として、山崎さんなら分かってもらえるって信じていました。せめてどうしてそんなに嫌なのか教えていただけますか」
「私、小さいころからずっとあの駄菓子屋に行ってたんです。で、ある時、友達に命令されて、言うこと聞かないと仲間に入れてやんないって言われて、万引きしたんです。でも、それをおばあちゃんに見られて。いうこと聞かないと警察に突き付けるぞって、脅されて、島を出るまで揺すられ続けたんです。毎日友達連れて買いに来ないと警察に言うぞって。証拠写真も押さえてあるから、いつでも突き付けられるって。本当はそんな写真なんて存在しないんでしょうが、まだ学生だった私は、本当に恐怖におびえていました。学校にいる間も、土日に家族でおでかけしている間も、警察に言われていないかどうか、不安で不安でたまりませんでした。安堵の時がなかったんです」
「やっぱひでーババアだな」
「大人になったとはいえ、今でも顔を見たら、あの時の記憶がフラッシュバックするかもしれないって、怖いんです」
青子は、そんな子を一瞬でも責めた自分が恥ずかしくなった。無理やり引っ張って連れて帰るなんてできない。
「辛い記憶を、話していただいてありがとうございます」
「おい、引き下がるのかよ」
お暇する青子を坪田さんが慌てて追いかける。
自分にできる最良なことはなにか。青子は考えた。
日も暮れて、青子は工場に戻った。
佐藤さんは、坪田さんの姿を見てぎょっとした。
二人きりのデートだと思ったのだろう。
「あと三十分後に最終の船が出ます。一緒に来てください。でも、無理にとは言いません」
「ババアの思い出話で酒でも飲もうぜ」
まあ、一人じゃないならと一緒に来てもらえることになった。
船の中で話を聞くと、佐藤さんは長年おばあちゃんから嫌がらせを受けていたというのだ。
ありもしない痴漢被害や暴力行為を言いふらされ、島にいられなくなった佐藤さんは島から出るほかなくなってしまったようだ。
「おばあちゃんの人生って、どんな人生だったのかしら」
「和菓子屋のおばちゃんなら知ってるんじゃないか」
下船後、青子は一旦家に帰った。
「おまたせしました」
「あんた、さっきの」
「どうです、山崎さんに見えますか?」
青子は髪をバッサリカットし、メイクも山崎さんに寄せた。
幸いにも顔の系統が似ていた。
「似てるっちゃ似てるね。遠目から見たら区別つかんかも。ババアは騙せるぜ、きっと」
坪田さんは悪い顔をした。
「ちょっと見ない間にボロくなったよな」
駄菓子屋を前に、懐かしそうに二人は目を細めていた。
「こんばんは」
「あら、いらっしゃい」
出迎えたのは、先ほどのおばちゃんではなかった。ということは、左隣の和菓子屋のおばちゃんだろう。
「美香ちゃんによく似てるけど、誰だい?」
「青空郵便局の水田青子と申します。今日はおばあちゃんの約束を果たしに来ました」
中に通してもらい、おばあちゃんに寄り添う。
「おばあちゃん、私、美香だよ」
後ろの二人はどんな顔をしているか分からない。おばちゃんは何かを察したようだ。
おばあちゃんは目を開けた。
「美香。美香かね?」
「そうだよ、美香だよ」
美香として通じ合えた。青子は泣きそうになる。
「美香。美香ぁ」
おばあちゃんは、青子の手を何度もさすった。
温かくて小さな手。
青子の手は冷たいはずなのに、手を離そうとはしなかった。
「おい、ババア」
後ろから、坪田さんが話しかけた。
「探。帰ってきたんか」
「おう、オイボレの死にざまを一目見ようと思ってな」
「探。わしを殺してくれ」
「アホ抜かすな」
坪田さんの目にきらりと光るものがあるのを、青子は見逃さなかった。
「ババア」
今度は佐藤さんだ。
「フッもう嫌がらせをする気力もないわい」
「ババアらしくなってきたじゃん。あの世では人に迷惑かけんなよ」
「あっちでは元気にやっとるんか?」
「嫁もおるし子供もおる」
「わしももう思い残すことはないの」
しんみりとした空気になる。
「あの郵便局の女に、ありがとうって言うとってくれ」
おばあちゃんは、美香扮する青子に告げてきた。
「今度は天国でな」
またね、というと、おばあちゃんは目を閉じた。
この島の郵便局員になってよかった。
この手のぬくもりが、言葉以上のものを伝えてくれている。
和菓子屋のおばちゃんが、おばあちゃんの人生を教えてくれた。
おばあちゃんは、五歳で両親が離婚し、父親に引き取られたおばあちゃんは二年後に再婚した新しいお母さんから酷い虐待を受け、人に対して曲がった関わり方しかできなくなったのだという。
最後の最後におばあちゃんと関われたこと、重大な任務を任されたこと、忘れないよ。
青子にとって、忘れられない日となった。