水田青子銅像前郵便局
営業から戻ると、愛子が手招きしてきた。
「あんたに良い話が来てるのよ」
「お見合い話ですか?」
「あたしゃあんたの親かっての」
一睨みくらったところで更衣室に連れて行かれる。愛子の手には巻き尺がみえる。
「私の3サイズを知りたいお方がいらっしゃるんですか?」
「そんな物好きがいるのかよ」
青子の足元にコアラのようにぶら下がったマルチーズが嫉妬めいた声をあげる。
「マルちゃんさ、家じゃないんだから青子にベタベタ甘えないでくれる? 仕事中なのに脱力するじゃない」
「見なきゃいいだろ。仕事に集中しろ」
「あのねえ、こっちだって見たくもないけど目に入ってくんのよ!」
「まあまあ、二人とも落ち着いてください」
「なだめ役に徹しようとしているところ悪いんだけど、あんただって重くないの? 右足しがみつかれて」
「バランスが悪いので、左足にダンベルつけようかなって」
愛子はがっくり項垂れる。
「もう勝手にして」
「お客様が増えてきたのでヘルプお願いします!」
萌乃が顔を覗かせる。
「マルちゃん、お願い」
「アイアイサー」
この頃はマルチーズ目当ての客も増えてきた。猿が接客をする島の名物郵便局だ。
またテレビが来るかもね、という愛子の予言はいつ現実になっても不思議はない。
青子は胸を張って待っていたにも関わらず、愛子は頭周りを図り始める。
「私の頭の大きさを知りたいとは、コアなファンがいるのですね」
「何バカなこと言ってんの」
愛子に小突かれながら、愛子は体中のいたるところを採寸された。
最後に3サイズを図られ、結果発表を待ったが、愛子はさっさと表に戻っていった。
「愛子さん、良い話って私の採寸サービスですか?」
「採寸はサプライズの前段階。切り替えて仕事に戻りなさい」
島に一つしかない郵便局。三人と一匹では手が回らないこともある。
町の郵便局とは違い、青子と世間話をするのを楽しみにしているお年寄りもたくさんいる。
青子はソファに腰掛けて順番を待っている男性を見つけると、まず用件を聞くより先に、先日受けたという白内障の手術の具合を尋ねた。
とはいえ老人ホームと化しているわけでもなく、独特の口調が受けてか、青子をテーマに川柳を書いて渡してくる小学生もいる。
一日の業務も無事に終わり、着替えるころになってまたあの採寸を思い出した。
「私のサイズを知りたがってる人って、イケメンですか?」
思い切って愛子に聞いてみる。
「イケメンもいたかな?」
「何人もいるのかよ!」
おやつのバナナの皮を器用に剥いていたマルチーズの手がすべる。
「団体ですからね」
これからデートでもあるのか、パフでファンデーションを頬に叩き込む萌乃が鏡を見ながら口を挟む。
「え? 萌乃も知ってるの?」
「そりゃあ、私にも関わることですから」
一体いくつ口紅を重ねるつもりだろう。クールな台詞を決める萌乃の口元を思わず凝視してしまう。
「記念日を楽しみにしてなさい」
愛子のウィンクが何度もよみがえり、青子はその夜なかなか寝付けなかった。
一週間後、出勤する際、郵便局の前にカーテンで何か隠してあった。
あの時サプライズ予告をされていたにも関わらず、青子はすでに忘れていた。
「これなんだろうね?」
肩に乗るマルチーズに聞いてみたが、マルチーズは動物らしく臭いを嗅いで首を振った。マルチーズが勝手に触ろうとするので、止めときなさい、と手を振り払った。
「おはようございます」
「おはようございます、青子さん」
後輩の萌乃は、チャラチャラしているが毎朝誰よりも早く出勤して皆の机を拭いてくれている。
「もう見ました?」
「あれ何なの?」
「青子さんへのプレゼントですよ♡」
「私?」
「なんだ、じゃあ見てよかったんじゃん」
「だって私へのプレゼントだなんて思わないでしょう? 誕生日でもないのに」
「今日は何の日か忘れました? 愛子さんが来て、営業時間になったらお披露目しましょうね」
「どうして営業時間なの?」
「青子さん質問しすぎぃ」
どの程度がほどよい量の質問なのか、青子には見当つかなかった。
愛子が来るまでの十分間、モンゴルの草原にいるかのような果てしない時間のように感じられた。
ぼーっとしていたら、窓を拭くマルチーズの糞が頭部に命中してしまい、萌乃が顔をしかめた。
「おはようございます」
愛子が営業時間が始まるギリギリに出社してくる。
「おはようございます」
「その顔は、聞いたみたいね」
「はい! お二人が私へのプレゼントを用意してくださったって聞いたんですが、一体どういうことですか?」
「あら、二人じゃないわよ? 郵便局に来てくださったこの島の人も皆、樽募金してくれたのよ?」
「えええーーーーー!!!!!!」
一体自分はどういうポジションになったというのか。
「どうして?」
始業の音楽が鳴る。
「いらっしゃいませ」
オープンと同時に来る人は少ない。だが、この日は出だしから何人も、狭い郵便局に押し寄せる。
いい匂いに骨抜きになりそうだと思えば、アップルパイを持った懐かしい顔もいた。
「あれ、俺たちの今日のおやつか?」
アップルパイに目が釘付けになっているマルチーズの声が本人に聞こえないかヒヤヒヤする。
客の多さに気後れしそうになるが、青子は誰よりも早く仕事モードにスイッチが切り替わった。
「皆様、おはようございます! 店内少し混雑しておりますので、分かりやすく列に並んでくださいますか。足の悪い方を優先的にソファに譲ってあげてください」
「青子ちゃん」
先頭の老人の声をきっかけに、全員が口を揃えて言った。
「お勤め一周年、おめでとう~~~!!!」
あの外国人が大きい体をズイズイ前に出して、アップルパイを青子に差し出した。
あまりに突然のことに、青子はリアクションを取るのを忘れた。
「何か言いなさいよ」
愛子に小突かれ、ようやく、ありがとうございます、と声が出た。
戸惑いが隠せない。
「皆、アンタの為に集まってくれたのよ」
「うそぉ」
ようやく実感が湧いてきた。知らないうちに自分は選挙に立候補したのかというくらい、一人一人と濃密な握手を交わした。
「ありがとうね! この島に来てくれて」
こんなにありがたがられて、なんだか申し訳ない。
「こちらこそありがとうございます。ヨネさん、ちょっと痩せました? ちゃんとご飯食べてますか?」
血は繋がっていないのに、そこには確かな繋がりがある。都会では考えられなかった人の温かさ。
「青ちゃん、外のアレ、もう見た?」
「ううん。アレ、何?」
「アレね、皆からの、プレゼント」
青子は一同に連れられ、ソワソワしながら外に出た。
代表して、カラスが被せてあったマントをめくった。
「ゲッ!」
「どう? すごいでしょ?」
キラキラした瞳で聞かれ、頬が引きずる。
そこには青子の銅像があった。顔もまぁまぁ似ている。
「皆で樽募金して、青子ちゃんの銅像を建てたんだよ」
まさか、銅像を建ててもらうほどありがたられていたとは。
どうリアクションしていいか困ったもんだが、銅像を建ててもらっておいて、こんなに薄いリアクションをしてお客様を悲しませてはいけない、ととってつけて喜びを表した。
「そんなに喜んでくれてよかったよ」
「ちなみに、どなたが提案されたんですか?」
「うちの子どもが言うたんです。立派な人は、銅像を建てられるんだよねって」
「誠二郎くんが・・・・・・」
いつの日か、息子の拳に震えていた婦人が名乗りを上げた。
彼らがそんな会話ができる関係になって嬉しい反面、青子は愕然とした。
高校生の軽はずみで、こんな事態になってしまったというのか。
これでテレビなんかが来たら、恥ずかしくて目も当てられない。
「あの、嬉しいのは大前提なんですが、ちょっと恥ずかしいかも」
人差し指を突き上げたポーズも反逆者に見えてきた。
「こうなる前に、相談、してほしかったかな」
「サプライズでお祝いするときに本人に相談するバカがどこにいるって言うのよ」
おっしゃる通り。
おっしゃる通りだけれども。
「ま、気を取り直してアップルパイでも食べようぜ」
青子の気持ちを多少察しているマルチーズが、アップルパイにナイフを入れた。