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ビシアスサークル

作者: 空見タイガ

 凶悪犯罪者になれば本を出版できるらしい。

 そんな根と葉しかないウワサに惑わされ、今までくすぶっていた全国の作家志望者がありとあらゆる犯罪をはじめた。

 赤子を物理的に捻ってみたり、猫の手を物理的に刈り取っては借りてみたり。ハレンチからリンチまで、ラインナップ豊富にお届けされた犯罪は全国各地の人々を恐怖に陥れた。

 このありさまに政府は無関心であったが、国際社会から続々と非難をよせられたために、しぶしぶと重い腰をあげた。

 その一つが広告である。政府は作家犯罪の防止を呼びかけるポスターを制作するために、クリエイターを無償で募集した。

 そして、今、世紀の大犯罪者――になる予定の作家志望の男が粛々と見つめているポスターこそ、かの作家犯罪防止ポスターであった。黄色の背景にデフォルメ化された少年の真っ二つに割かれた腹と、そこからはみ出て雪崩れる赤まみれの札と銭。

『汚れたお金、ホントに使える?』

 駅のホームには人がまばらであった上に、次の電車が来るまで時間にもゆとりがあったため、男はじっくりとこのポスターを眺めることができた。

 ——作家志望者が罪を犯してまで本を出版したいのは、金がほしいからではないだろう。結果がほしいのだ。ただ暇に時間を費やしたり実務から逃げたりしているのではなく、一生懸命に何かに取り組んでいるという証拠がほしい。他者に説明するための実績を渇望している。

 男の思考を途切れさせたのは、次の電車が来ることを知らせるアナウンスであった。男はポスターに背を向けて、乗降口前に向かおうとする。と、ふと視界にのっぽがうつった。のっぽといっても、それはただののっぽではなくて、足がやたらとがくがく震えていて、その足こそ黄色い線の外側にいてホームの端すれすれに爪先がかかっているが、上半身は後ろに倒れんばかりになっている。異様なバランスで震えているのっぽを見て、男はおそるおそるのっぽの背後に近づいて彼の肩を叩いた。

「危ないですよ」

 のっぽは振り返らなかった。仕方なく男はのっぽの左手首を掴んで黄色い線の内側へと引っ張る。電車がやってくる。扉が開く。人々が下りる。人々は二人の顔をじろじろと見ながらも去ってゆく。扉が閉まる。電車も去る。

 ホームにはいつのまにか、二人だけしか残っていない。

「あの電車に乗る予定だったのなら、邪魔をしてすみません」

 沈黙の中で男はそう謝罪してみたが、のっぽはやはり振り向かない。男は一歩を踏み出して、のっぽの顔を覗き込んだ。のっぽは大きく目を見開いてホームの端と点字ブロックの間を注視し、静かに涙を流していた。

 男がゆくあてのないのっぽを部屋に連れ帰ったのは、もちろんのっぽを殺すためである。彼は作家志望であり、罪を犯してでも成果を求めているのであり、目前にいる人間はもともと自殺志願者であるのだから彼の利己心の隣でどくどくと脈を打つ良心を傷めずに済んだのである。それは恰好の機会、格好の殺人日和であった。

「まあ、その辺りに座ってください」

 男の部屋にあがったのっぽは、おろおろと視線を惑わせて立ちつくし唇を噛んでぐっと縮こまった。

「どうしたんですか?」

「具体的に示してください。私がどこに座ればよいのか」

 ここにきて初めてのっぽの声を聞いた男は飛びあがりそうになった。のっぽの声は低すぎず高すぎず、さらっと流れるクセのないものであった。男は我にかえって、ベッドとローテーブルの間の床を指さした。そうしてようやくのっぽは腰をおろし、なんとも狭そうに身を屈めた。

「どうして死のうと思ったんですか?」

 男は一つのネタになると考えてのっぽに尋ねた。のっぽは身動ぎをしたあとで、少し唸って。

「私はだれにも必要とされないので」

 と端的に答えたものだから、男はさらに理由を掘り下げるべく新たな質問を投じた。

「必要にされなければ、生きてはいけないんですか?」

「なぜ私が生きているのかを問われたときに何も答えられないから。理由が存在しないから。辞書で調べた言葉の意味に、その言葉が用いられていたら困るように、説明は他の言葉で為されなければならない。私の存在説明に私は使えない」

 作家志望は立ち尽くしたまま、のっぽの俯いた顔を見ていた。——きっと愛情がなかったのだろうな! 男は不憫に思って、のっぽの対面にローテーブルを挟んで腰を下ろした。

「じゃあ、良い話をしましょう。僕はね、あなたを必要としているんです」

 のっぽは顔をあげて、作家志望の男を見た。

「僕は君を殺して、君は僕に殺されることで生存理由を得る。そういう話なんです」

「あなたには私を殺す理由が存在する?」

「君を殺すことで、僕は本を出版したいんです」

「でも、それはべつに私でなくてもよいことでは?」

 ローテーブルの上には包丁が置いてあった。普段から使用していたもので、男が台所からそのまま持ち出したのであった。男は包丁の柄を人差し指でちょこんとつつく。

「理由を求めるなんてやめましょうよ。じゃ、こういうのはどうです。君が、自分ならではの最高の死を提供してくれるというのは」

「よく分かりません」

「人はすぐ調子にのって流行にのる。でもたくさんものがあったって、希少性が薄れて大事にされなくなるんですからね。もう今の世の中、たかが一人を普通に殺したくらいで本は出版できないでしょう。でも、君がとんでもない、君しかできない、素晴らしい死をやってくれたなら、それは世間にも注目を浴びるし、僕も本を出版できるし、僕には君しかいないということになります」

 なるほど、とのっぽは短く答えた。

「分かりました。人々を驚かせる斬新な死を行えばよいのですね? しかし、人が死ねるのは一回だけ。もし失敗してしまったら、それは私にもあなたにも不利益」

「それはそうですね。一人を殺せるのはたった一回きりだ」

「だから予行練習を重ねる必要性がある」

 それから男とのっぽの奇妙な生活がはじまった。二人で寝るには狭いベッドで、互いを蹴倒さないように寄せ合って眠り、目覚めるとローテーブルを挟んで華麗なる殺人計画を立てた。二人は公共交通機関を乗り継いだり、ホテルに泊まったりしてあらゆる場所でさまざまな拉致と監禁と殺人を行った。男は途中まで手伝い、実際に殺すのはのっぽがやった。身体に釘を打ち続けて殺す、手とひざ裏、頬と膝を縫って丸めて殺す、車で手だけ足だけ轢いて殺す、子どもの小さな口にいろいろながらくたをつめ頬をハンマーで潰して殺す。

 殺しつかれたあとは家に戻って二人はお菓子を食べたりテレビを見たりした。のっぽはお菓子に不慣れで、だいたい世間の逆の方向からお菓子を攻略していった。男はそれを見るのが面白く、お菓子をたくさんに買い込んだ。普段はしょっぱいだけの彼の部屋に、お菓子が充満した。

 ある日、男はのっぽに自身の小説を読ませた。のっぽは床に姿勢よく座ってローテーブルに読み終えた原稿を一枚ずつ置きながら息をひそめていた。男といえばベッドで横になってのっぽが自分の原稿を掴む指先をのっぽの斜め後ろからじっと見つめていた。平日の静かな昼下がりで、太陽光が部屋全体を明るく照らしていた。読み終えたのっぽは、原稿用紙の角を整えて男の方を振り返った。のっぽの表情を見て男はわずかながら身を横から縦になおした。

「私はこれが好きです」

 闇が突然に照らされた。二人は包囲されていた。のっぽが女を始末したその瞬間に警察が突入したのであった。彼らは現行犯逮捕のために一人の女性を見殺しにしたのである。男はいよいよその時が来たのだと思ってのっぽを見た。するとのっぽは彼から目を逸らして、二人を囲む警察に対して、男が知っているより、ハキハキとした、声で、叫び。

「すべてあなた方がそうさせたのだ!」

 それからのっぽは男の後ろに回り、男の首にナイフを突きつけた。男はのっぽの表情を見ようとしたが、ガッチリと固められた状態で窺うことは不可能であった。警察はのっぽに対して人を威嚇するか殺すのに相応しい無機物を取りだした。男も警察ものっぽを説得する余地はないと見ていた。のっぽは男に聞こえるだけの大きさで囁いた。

「私のポケットにあなたの願うものがある」

 男はのっぽのズボンのポケットに手を伸ばした。彼はそこから硬い柄を掴みとって、そのまま引き上げた。それと同時にのっぽが男への拘束を緩めた。ついに時が来たと引き金を引こうとする警察を前に、男はのっぽの腹に刃物をねじ込んだ。

 秀逸な殺人がここにて完結し、男は一躍有名人となった。彼は連続殺人鬼を仕留めた英雄となり、いずれ特番を組んで視聴率を稼いでもらう予定であったワイドショーでは特に彼を絶賛した。また今後、連載を持ってもらう予定であった新聞や雑誌、いずれゲストとして招く予定であったラジオなどの利害関係者はみな「彼はとても素晴らしい人間であり、その人格から滴り落ちる作品もまた優れたものになるであろう」と褒め称えた。

 彼が出版した小説は売れに売れ、文章を華麗に斜めに読んだ人々は彼の小説に対して無機質な星を並べて、「泣ける」「感動した」「深い」といった言葉を連ねた。彼のファンを名乗る人々が、彼にサインをねだり、ファンはサイン入りの本を日当たりのよい場所にディスプレイした。本はすぐに日焼けし、ぼろぼろになり、見栄えが悪いということで段ボールの中に投げ込まれた。

 かつての部屋よりさらに大きくなった部屋に、家具と彼だけが同じ大きさで存在している。彼は床に腰をおろして身を抱えるようにしている。

 彼が家を出ると人々が歓声をもって彼を迎える。彼はその間をだれともぶつからないように爪先を立てて歩いてゆく。もやもやとした男の疑問にふとして一筋の光が差し込む。この一瞬の気づきが、彼の現実すべてを翻し灰色に塗ってゆく。彼を誉めそやす人々の間で、男は膝をつく。だれもそのことを気に掛けず、話題についてゆくための賞賛を続けてゆく。何もかもが上滑りしてそのまま流れ落ちてゆく。

 ——作家志望者が罪を犯してまで本を出版したいのは、金がほしいからではないだろう。といって結果そのものが欲しいわけでもない。

 男の思考を途切れさせたのは、次の電車が来ることを知らせるアナウンスであった。男は足をがくがくと震わせ、その足こそ黄色い線の外側にいてホームの端すれすれに爪先がかかっているが、上半身は後ろに倒れんばかりになっている。と、ある若い男が彼の肩を叩いた。

「危ないですよ」

 悪循環はもう終わらせなければならない。彼は若い男を振り払い、一歩を踏み出した。

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